現在では1番しか歌われない君が代ですが、
以前は2番以降も歌われていたと聞きます。
4番くらいまであるという話を何かで読んだ気もしますが
調べてもハッキリしません。
ネットで検索したら2番の歌詞は見つけたのですが、
3番以降の歌詞は存在しなかったのでしょうか?
朝鮮・満州併合に関する内容の歌詞らしいと言うのも
何処かで聞いた気がするのですがデマでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 「君が代」は明治14年に『小学唱歌集初編』に2番まで所載されていました。

当時は、朝鮮も満州とは、日本とは直接関係なかったので、このときはありませんし、後にできたという記録もありません。「蛍の光」が、3番、4番にナショナル主義的な歌詞がありますので、これと混同したものではないでしょうか。

参考URL:http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~oosima/edub200.html
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実際に残っているのは2番までですね。



3~4番などは勝手に作られたもので制定されたものではないようです。

参考URL:http://www.tokyo-shoseki.co.jp/bunko/kimigayo.htm
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Q【歴史・日本史】「日本の国策で中国の満州に移住したのに満州移民と呼ばれ、戦後に日本に戻ると満州移民の

【歴史・日本史】「日本の国策で中国の満州に移住したのに満州移民と呼ばれ、戦後に日本に戻ると満州移民の子供は中国産まれ、産まれは中国と言われて差別された。自分は日本人なのに中国人の扱いを受けた。日本人なのに中国産まれというだけで在日扱い、在日中国人と呼ばれた」


そう思うと蓮舫さん台湾産まれの蓮舫さんは可哀想な時代を生きたと思う。

蓮舫さんを日本人として迎え入れられないのはなぜですか?

日本の教育でも偏見を持って接しなさいと教えてないですよね。

なぜ自然と差別する思考回路が日本国民市民に根付いたのでしょう?

教育で教えてないのに洗脳されてるのは誰の性ですか?

Aベストアンサー

>教育で教えてないのに洗脳されてるのは誰の性ですか?
だれでもありません、あなたが洗脳されているのです。

「そうおもうと」以前が全くの妄想ですからね。

>そう思うと蓮舫さん台湾産まれの蓮舫さんは可哀想な時代を生きたと思う。
台湾生まれではないし、父親も強制連行されたのでも日本支配時代からいたのでもない、ただ商売で日本に来て日本人と結婚しただけですね。

Q朝鮮併合、満州建国の実益は?

朝鮮併合、満州建国の実益は?

一般に植民地経営の目的は富の収奪に帰着されるのだと思います。即ち世俗の実益の追求です。
当時の地質学の常識では朝鮮からも満州からも石油が出ないことは定説だったそうですし、阿片の売り込み先として考えていた形跡もなければ天然ゴムの栽培が可能だった訳でもなさそうです。

当時の朝鮮と中国に自主独立の能力があって、ロシア(ソ連)を初めとする欧米列強の侵略を自ら防げたとすれば、日本政府は朝鮮併合も満州建国も画策する必要がなかったように思います。つまり、どちらも日本の防衛的色彩の濃い政策のように思えます。

朝鮮併合と満州建国にはロシア(ソ連)と欧米列強の侵略を排除する防衛目的以外に、何か実益を期待していたのか否か知りたいです。
素人考えでは、満州建国は農地と移民先の確保に役立てようとの目論見があったのかもしれないと思うものの、朝鮮併合には如何なる実益が期待できたのか見当がつきません。経済的側面から言えば朝鮮併合は日本の損失を覚悟の上の政策のように思えてしまいます。

さて、お願いです。Q1、Q2の少なくとも一方にお答え下さいませ。全体としてQ1、Q2の両方が出揃った時点で締め切ります。
Q1.朝鮮併合によって、日本国は如何なる実益を期待していましたか。ロシア・欧米列強による朝鮮の植民地化阻止は除きます。

Q2.満州建国によって、日本国は如何なる実益を期待していましたか。ソ連・欧米列強による中国内の植民地拡張阻止は除きます。

よろしくお願いします。

朝鮮併合、満州建国の実益は?

一般に植民地経営の目的は富の収奪に帰着されるのだと思います。即ち世俗の実益の追求です。
当時の地質学の常識では朝鮮からも満州からも石油が出ないことは定説だったそうですし、阿片の売り込み先として考えていた形跡もなければ天然ゴムの栽培が可能だった訳でもなさそうです。

当時の朝鮮と中国に自主独立の能力があって、ロシア(ソ連)を初めとする欧米列強の侵略を自ら防げたとすれば、日本政府は朝鮮併合も満州建国も画策する必要がなかったように思います。つまり、どちら...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして

朝鮮に関しては支配が長期化したためここだけでは書ききれないため満州国に限定します

日本の満州国建国の目的は恐慌により大打撃受けた日本経済回復のためと
品質では到底欧米製品に対抗できないため武力により排他的な日本の独占的輸出市場の構築にあります

1934年、日本政府『日満経済統制方策要綱』を閣議決定
・日本企業と競合する満州の軽工業を抑圧する
・満州国政府に民族資本抑制政策を施行させ、日本企業の満州進出を容易にさせる
→この満州国建国“ブーム”により日本は恐慌から脱出できた

日本の場合、資源輸入と重工業製品を生産するための工作機械を欧米、特に米に頼っていたため深刻な外貨不足だった
そこで当時の満州国の日本以外の第三国輸出により得た外貨に着目、横取りを画策
→1938年、満州国と外貨利用協定締結
・満州国が貿易により得た外貨の4割を日本に無条件に供出しなければならない
ところが満州国の第三国貿易が赤字に転ずると逆に協定を改定し自らに負担がかからぬよう内容を反古にした

満州国建国5年目には満州国の全輸入額の8割を日本が独占
その間、満州国内の中国人資本を露骨に収奪し市場を奪った結果です

同年、満州国に対する物資動員計画を策定
・満州国は日本に銑鉄・石炭・農産物を供出する

1940年、『日満支経済建設連携要綱』決定
・満州国の対日従属の徹底、収奪強化

やはり満州国だけでも書ききれないですね
中途半端で申し訳ありません

はじめまして

朝鮮に関しては支配が長期化したためここだけでは書ききれないため満州国に限定します

日本の満州国建国の目的は恐慌により大打撃受けた日本経済回復のためと
品質では到底欧米製品に対抗できないため武力により排他的な日本の独占的輸出市場の構築にあります

1934年、日本政府『日満経済統制方策要綱』を閣議決定
・日本企業と競合する満州の軽工業を抑圧する
・満州国政府に民族資本抑制政策を施行させ、日本企業の満州進出を容易にさせる
→この満州国建国“ブーム”により日本は恐慌か...続きを読む

Qなぜ日本は朝鮮・台湾の様に満州を併合しなかった?

日本は、朝鮮半島と台湾島を併合し、日本の領土としました。
一方、満州帝国は満州人である溥儀を皇帝とした日本による
傀儡政権の国家です。
どうしてこんなまわりくどい国会経営をしたのでしょう?
満州も、朝鮮や台湾と同じく「併合」でも良かったんじゃないでしょうか?

Aベストアンサー

 満州を、併合して日本の一部とすることは国益を侵害することになるから。
(もし、そうなれば、樺太以外にも、直接、日ソが大陸で長大な国境線を接し、安全保障上
大変なことになる\(^^;).. 

日露戦争後のポーツマス条約により日本は北満州からのソ連の影響を排除することには失敗した。石原莞爾石原は満州国という(一応)独立国をそこに作ることによりソ連との緩衝地帯を作りたかったのである。彼としては日露戦争後に日本がやり残した国防の一部を自らの手でやりたかったのであろう。

 
 石原が満州国を建国したこと自体は歴史上、かして誤りではなかった。明治から昭和にかけての人たちのロシア(ソ連)への恐怖は現在の北朝鮮の脅威よりもはるかに大きかった。それを取り除くために行ったはずの日露戦争にしても結局はあれだけの血を流しながら、世界情勢とのからみからロシアの勢力を満州全体から追い出すまでには至らなかった。

 したがってどうしても満州のあの地に緩衝地帯(ロシアからの防波堤)を作りたい、という思いは当時の日本人の共通したものであったと思う。

 本当は日露戦争後、日本が取得した満鉄を買収しにきた米国人の鉄道王ハリマンにさっさと満州なんか売っぱらってしまったらよかったのだ。そうすれば満州の防衛は必然的に米国が担当したであろうし、賠償金代わりの多額の資金が日本の手に入ったであろう。(いや、満鉄日米共同経営、満鉄付属地を帝国陸軍・米海兵隊共同警備というのもある)

 それにソ連の脅威よりは米国の傘に入っていた方がはるかにましであったろう。井上馨ら元老はそう考えてハリマンと交渉していたが、小村寿太郎はそれでは日露戦争の英霊にすまない、といってハリマンの提案を拒否した。それがまた日米関係悪化の原因の一つであったことは否めない)

 さらに経済の面から考えても、当時の日本としては満州国は必要であった。昭和の初期当時は日本への原料供給地として、あるいは輸出製品の市場として満州は不可欠であった。(”満蒙は日本の生命線”と言った松岡洋右の言葉はあながちうそではないのである)

 当時は第一次大戦後で世界経済はブロック化し、世界貿易が縮小していたために、後発国で植民地の少なかった日本は世界市場から締め出されていた。したがって欧米列強の手が届いていない海外市場の確保が至上命題であったのである。

 もしハリマンが満鉄を買収し、満州が米国の支配下となっていれば平和裡での貿易という形になっていたであろうが、如何せん小村がそれを拒否してしまったために満州は”無主の地”のままであった。(当時満州は軍閥の手にあり、まだ中国国民党政府の主権がおよんでいない。)
 したがって石原がこの地に満州国を建てたのはある意味で歴史の必然であったと言ってよかろう。日本は満州国と対等な関係で自由貿易を営むことにより必要な資源などを確保し、輸出市場なども確保できたはずだからである。

  石原自体は中国を侵略していくつもりはまったくなく、無主の地である満州に五族共栄のソ連防波堤政権ができれば国防面からも経済面からもよい、と考えていたわけである。

 一応、別の国だから緩衝地帯となるので、日本の一部としたらまずいのである。

 満州を、併合して日本の一部とすることは国益を侵害することになるから。
(もし、そうなれば、樺太以外にも、直接、日ソが大陸で長大な国境線を接し、安全保障上
大変なことになる\(^^;).. 

日露戦争後のポーツマス条約により日本は北満州からのソ連の影響を排除することには失敗した。石原莞爾石原は満州国という(一応)独立国をそこに作ることによりソ連との緩衝地帯を作りたかったのである。彼としては日露戦争後に日本がやり残した国防の一部を自らの手でやりたかったのであろう。

 
 石原が満州国...続きを読む

Q韓国併合~満州事変の歴史的背景

無知なため簡単な歴史的流れを教えていただければ助かります。
まず、韓国を日本が植民地化していた時期が韓国併合にあたるのですね。日本と韓国は戦争はしていませんよね。どうやって支配下におけたのですか?そして何のために?

私が思っているのは、ロシアから日本にせめてくるのをストップするために位置的に朝鮮に軍隊をおきたかった。朝鮮には日本がくることにより仕事が増え、国が発展するといいきかせ、実際は侵略であった。
韓国人が日本語を強要されたり、虐待をうけたりして日本をきらっているとききますが、この時代におけることですよね?靖国問題なども批判するのはその時代の軍人がまつられているから。

その後満州国設立する必要があったのはなぜですか?
ロシアが朝鮮に攻め入るのを防ぐためですか?
関東軍が満州事変で自身の鉄道を爆破し、一方的に攻め入り占領して満州国をつくったのですね。
この鉄道は南満州鉄道で日露戦争で勝った際に譲渡されたものですね。

韓国併合と満州事変のつながりや歴史的背景がよくわかりません。
その時代の戦争は特に名前はついてないのですか?日露戦争~日中戦争~第二次世界大戦までの時代ですね。

意味不明なことを書いていたらすみません。知識のあるかた、簡単でいいので侵略理由や背景、流れを教えてください。
よろしくお願いします。

無知なため簡単な歴史的流れを教えていただければ助かります。
まず、韓国を日本が植民地化していた時期が韓国併合にあたるのですね。日本と韓国は戦争はしていませんよね。どうやって支配下におけたのですか?そして何のために?

私が思っているのは、ロシアから日本にせめてくるのをストップするために位置的に朝鮮に軍隊をおきたかった。朝鮮には日本がくることにより仕事が増え、国が発展するといいきかせ、実際は侵略であった。
韓国人が日本語を強要されたり、虐待をうけたりして日本をきらっていると...続きを読む

Aベストアンサー

朝鮮半島を支配下におきたかった明治政府の目的は、仰るとおり対ロシアです。ウラジオストックから睨まれてる上、満州・朝鮮半島までロシアに抑えられると、日本を守りきれないという危機意識があったので、せめて朝鮮半島へのロシア進出を食い止めたかった。

どうやって、かというと、まず当時の李朝朝鮮は清の属国でしたから、日清戦争を行い、国際政治的にどこにも属さない独立国とさせました。もちろん、日本の支配下に置ければ安心だったのでしょうが、ロシアを含む欧米列国の手前そこまではできなかったのでしょうし、貧乏国日本が朝鮮半島を抱えても投資を回す経済的余裕もなかった・・・という判断が働いて、まずは独立国とさせたのだと思います。

しかし、本音では日本は朝鮮半島をロシアにとられる前に自分のものにしたかったし、清・ロシアも狙っていた。李朝も各国と結びついた派閥争いが激化して不安定な状態でしたので、李朝と信頼関係でつながるよりも、ロシアと雌雄を決することに決めておきたのが日露戦争です。

満州事変は、先の回答にある通り、石原完爾主導によるものです。ただ、石原完爾の思想を理解してないのに軍や国民の多くが満州国建設を支持したのは、当時のブロック経済化の影響だと思います。

第1次世界大戦後から大恐慌に至る世界的な経済不況の中で、列国は自国経済を支えるために、植民地の囲い込みをはじめました。自国製品だけが売れるように、他国製品の締め出しを行いだしたのです。これで、植民地を多く抱える英仏、もともと移民が多く国内植民地(とでもいうべきフロンティア)を持つアメリカ、ロシア革命により孤立していたことが幸いしたロシアは希望がありましたが、遅れて列国入りしたドイツ・イタリア・日本は自国製品を売るべき植民地が小さく、新たな植民地の開拓を目指しました。その意識が満州国建設を支えましたが、逆に英米ロシア中華民国との対立を決定的にしてしまいました。

朝鮮半島を支配下におきたかった明治政府の目的は、仰るとおり対ロシアです。ウラジオストックから睨まれてる上、満州・朝鮮半島までロシアに抑えられると、日本を守りきれないという危機意識があったので、せめて朝鮮半島へのロシア進出を食い止めたかった。

どうやって、かというと、まず当時の李朝朝鮮は清の属国でしたから、日清戦争を行い、国際政治的にどこにも属さない独立国とさせました。もちろん、日本の支配下に置ければ安心だったのでしょうが、ロシアを含む欧米列国の手前そこまではできなかった...続きを読む

Q日韓併合、満州国建国、日中戦争は侵略か?

当時の社会情勢から鑑みて日韓併合、満州国建国、日中戦争は「侵略」と呼べるのかどうかおしえてください。

日韓併合は国際社会から承認されていますよね?
ずっと事大主義に甘んじてきて主権を放棄していた朝鮮半島は当時世界的にももっとも貧しく衛生状態の悪い国だったし、識字率も低く身分制度もひどくて名前すら与えられない女性もいました。
日韓併合により人口が増え、識字率もたかまり、戸籍制度整備のための創始改名など、これらをふまえれば「侵略」とはとても呼べないのではないかと思います。

満州国建国についてはリットン報告書がもっとも重要な資料ではないかとおもいますが、そもそも満州は万里の長城の外にあり、ロシア・ソ連が占領していたときもありました。
傀儡国家とよばれますが、日本民族だけでなく5つの民族からなる国家としての理想をもっていました。リットン調査団も一定の理解を示しています。
満州国建国を侵略という根拠は何でしょうか?あれが侵略ならばロシア・ソ連はもちろん、中国共産党も満州を侵略したのではないでしょうか?

日中戦争では日本は国民党軍と戦ったのであって、そう仕向けたのは中国共産党でありソ連だったのではないでしょうか?なぜ日本は米英の支援する国民党軍と戦ったのでしょうか?
結局、漁夫の利をえたのは中国共産党です。そのことについて後日、毛沢東は日本の国会議員に語っています。

そもそも侵略と呼ぶならば、相手方との平和的交渉もなく一方的に軍事侵攻して他国の財産を収奪したりすることではないでしょうか?

かのマッカーサーも日本の戦争は自衛戦争だったと後日認めていますし、東京裁判のウェッブ裁判長も日本の立場を擁護する発言をしています。

参考動画 「凜として愛」
http://www.youtube.com/view_play_list?p=67DE25FC …

賛否両論あるかと思いますが、論理的に根拠を示してご意見をくだされば幸いです。
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当時の社会情勢から鑑みて日韓併合、満州国建国、日中戦争は「侵略」と呼べるのかどうかおしえてください。

日韓併合は国際社会から承認されていますよね?
ずっと事大主義に甘んじてきて主権を放棄していた朝鮮半島は当時世界的にももっとも貧しく衛生状態の悪い国だったし、識字率も低く身分制度もひどくて名前すら与えられない女性もいました。
日韓併合により人口が増え、識字率もたかまり、戸籍制度整備のための創始改名など、これらをふまえれば「侵略」とはとても呼べないのではないかと思います。

満州...続きを読む

Aベストアンサー

どれも侵略には該当しません。当時の日本がとった外交方針にいささかの疑問なしとはいえないまでも一方的に侵略と決め付けられるような暴論は断じて受け入れられません。

1.日韓併合

1881年ハワイ国王カラカウア1世が来日し、日本・ハワイの合邦を明治天皇に提案しましたが、アメリカとの関係悪化を懸念された明治天皇はこの提案を受け入れることができなかった事実があります。一方、大韓帝国についてはアメリカなど諸外国も容認するところであり合邦に至ったまでのことであります。偏狭な民族主義者にとっては面白くないところであったかも知れませんが、純宗の勅命にて決裁されたところであります。以下が純宗が朝鮮人民に諭した勅諭です。そして朝鮮人民は純宗の真摯な言を受け入れてまさしく幸福を共受したのであります。

皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。

此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。

惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

2.満州国建国

満州国は従来満州を不法占拠していた張軍閥が満州を追われたのを機に満州族、漢族、朝鮮族、蒙古族、日本人からなる満州人民が独立を果たしたものです。これも日本の侵略だとする根拠は全く存在しません。リットン報告書は蒋介石の提訴を受けて長年にわたる日中紛争の解決を目指したものであり、リットン報告書の主旨は満州国建国は日中紛争の解決策として適当ではないとするものでありました。その意味では満州国建国は国際社会から必ずしも祝福されたとはいえないでありましょう。であったとしても日本の侵略といわれる根拠など何一つも無い。

3.日中戦争

日中戦争は蒋介石から1941年に宣戦布告されたものです。それまでも在中日本人は中国の暴民から生命を脅かされ続け、蒋介石政府は何一つも適切な対応をしてこなかった。むしろ日本は中国から侵略された立場です。逆の立場で考えてみれば分かります。現代の日本で在日中国人が日本人のテロに遭って政府が適切な対処をしなかったとするなら国際問題に発展するのは疑いないでしょう。幕末はまさにそういう攘夷事件が起きました。徳川幕府はなんとか賠償金を支払って事を穏便に収めることができましたが、もし徳川幕府がイギリスに宣戦布告していたらどうなっていたことか。日中戦争を日本の侵略というなら、薩英戦争はイギリスの侵略だというのでしょうか。むしろ日本はイギリスに比べれば隠忍自重を繰り返してきたといえるぐらいなのです。

どれも侵略には該当しません。当時の日本がとった外交方針にいささかの疑問なしとはいえないまでも一方的に侵略と決め付けられるような暴論は断じて受け入れられません。

1.日韓併合

1881年ハワイ国王カラカウア1世が来日し、日本・ハワイの合邦を明治天皇に提案しましたが、アメリカとの関係悪化を懸念された明治天皇はこの提案を受け入れることができなかった事実があります。一方、大韓帝国についてはアメリカなど諸外国も容認するところであり合邦に至ったまでのことであります。偏狭な民族主義者にとっ...続きを読む


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