現在では1番しか歌われない君が代ですが、
以前は2番以降も歌われていたと聞きます。
4番くらいまであるという話を何かで読んだ気もしますが
調べてもハッキリしません。
ネットで検索したら2番の歌詞は見つけたのですが、
3番以降の歌詞は存在しなかったのでしょうか?
朝鮮・満州併合に関する内容の歌詞らしいと言うのも
何処かで聞いた気がするのですがデマでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 「君が代」は明治14年に『小学唱歌集初編』に2番まで所載されていました。

当時は、朝鮮も満州とは、日本とは直接関係なかったので、このときはありませんし、後にできたという記録もありません。「蛍の光」が、3番、4番にナショナル主義的な歌詞がありますので、これと混同したものではないでしょうか。

参考URL:http://www.p.u-tokyo.ac.jp/~oosima/edub200.html
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実際に残っているのは2番までですね。



3~4番などは勝手に作られたもので制定されたものではないようです。

参考URL:http://www.tokyo-shoseki.co.jp/bunko/kimigayo.htm
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Q日本国歌「君が代」の歌詞の意味

恥ずかしながら、タイトルと似たスレッドを国語カテで見つけ、初めて歌詞の意味を(先ほど)知りました。
今まで日本国民は当然、国歌斉唱すべきと無批判に感じていましたが、歌詞の意味を考えると微妙な心境です。

ところでみなさん「君が代」の歌詞の意味ってご存知ですか? また知っている方はどういった経緯でそれを知りましたか?現在では義務教育で国歌の意味を教えているんでしょうか?

1.君が代の歌詞の意味を知っているか?
2.知っている場合、どこで知ったか?
3.知った前と後で心境の変化は?

といったところで回答お願いします。

Aベストアンサー

1.知っています。
2.父から聞いた&その後の書物などのの独自調査。
3.所見が幼少時だったので特に変わりません。今も別に是非については特にどっちも思っていません。そういう国が日本だと捉えているから。

で、確かに「君」についての解釈論があるのも知ってるし、杓子定規に論じれば色々解釈できるのでしょうが、実際に制定された時代の背景からすれば、「君」がなにを対象にしたものかは自ずとはっきりしてきます。ただ何処にも明文化されていないだけです。色々とれるという解釈法は、これまたそれが議論され始めた当事の時代背景から、はっきりさせるとアンチな人たちへの大きな反対のよりどころになってしまうので、はっきりしてないのをいいことに「こうも取れるんだからまぁいいじゃん!」的な収束を願う人間が持ち出した後付解釈法でしょう。

で、私は、実際には「君」は天皇個人でしかないと思います。
(アンチな人は、だからダメなんだよ。というんでしょうが。)
もっと前提をはっきり正直に定義して私はその上で是非を議論すべきだとは思いますね。なにかごまかそうという事考えずに。

もし、当事・以前はそうじゃなかったけど、文言の引用元を考えたら、他の解釈もできるものなんだから、これからはそう解釈していこうよというのなら、それはそれで一向に構わないとも思いますし、
私的には、その上でなおかつ君が天皇個人でも別に君が代でもいいんじゃないかなとかは思っています。決して天皇崇拝者でも皇室信奉者でもないですけどね。時代が変って権力の具合が大きく変ったとはいえ、実際に日本の法律の一部に制度として象徴としての天皇制が残っているのは事実で、そうである限りはいろんな意味で日本の国の有り様を表している?伝えている大きな意味を持っている歌なんじゃないでしょうか?と私は大きく捉えていますけど。(人々に、なぜ今の日本でこういう歌なの?という疑問や議論になる時点でGJ!な歌だと思います。)

1.知っています。
2.父から聞いた&その後の書物などのの独自調査。
3.所見が幼少時だったので特に変わりません。今も別に是非については特にどっちも思っていません。そういう国が日本だと捉えているから。

で、確かに「君」についての解釈論があるのも知ってるし、杓子定規に論じれば色々解釈できるのでしょうが、実際に制定された時代の背景からすれば、「君」がなにを対象にしたものかは自ずとはっきりしてきます。ただ何処にも明文化されていないだけです。色々とれるという解釈法は、これまたそ...続きを読む

Q【歴史・日本史】「日本の国策で中国の満州に移住したのに満州移民と呼ばれ、戦後に日本に戻ると満州移民の

【歴史・日本史】「日本の国策で中国の満州に移住したのに満州移民と呼ばれ、戦後に日本に戻ると満州移民の子供は中国産まれ、産まれは中国と言われて差別された。自分は日本人なのに中国人の扱いを受けた。日本人なのに中国産まれというだけで在日扱い、在日中国人と呼ばれた」


そう思うと蓮舫さん台湾産まれの蓮舫さんは可哀想な時代を生きたと思う。

蓮舫さんを日本人として迎え入れられないのはなぜですか?

日本の教育でも偏見を持って接しなさいと教えてないですよね。

なぜ自然と差別する思考回路が日本国民市民に根付いたのでしょう?

教育で教えてないのに洗脳されてるのは誰の性ですか?

Aベストアンサー

>教育で教えてないのに洗脳されてるのは誰の性ですか?
だれでもありません、あなたが洗脳されているのです。

「そうおもうと」以前が全くの妄想ですからね。

>そう思うと蓮舫さん台湾産まれの蓮舫さんは可哀想な時代を生きたと思う。
台湾生まれではないし、父親も強制連行されたのでも日本支配時代からいたのでもない、ただ商売で日本に来て日本人と結婚しただけですね。

Q君が代の歌詞の意味は?

君が代は ちよにやちよに さざれいしの 巌となりて こけのむすまで 

これってどういう意味なんですか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

こちらをどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3

Q朝鮮併合、満州建国の実益は?

朝鮮併合、満州建国の実益は?

一般に植民地経営の目的は富の収奪に帰着されるのだと思います。即ち世俗の実益の追求です。
当時の地質学の常識では朝鮮からも満州からも石油が出ないことは定説だったそうですし、阿片の売り込み先として考えていた形跡もなければ天然ゴムの栽培が可能だった訳でもなさそうです。

当時の朝鮮と中国に自主独立の能力があって、ロシア(ソ連)を初めとする欧米列強の侵略を自ら防げたとすれば、日本政府は朝鮮併合も満州建国も画策する必要がなかったように思います。つまり、どちらも日本の防衛的色彩の濃い政策のように思えます。

朝鮮併合と満州建国にはロシア(ソ連)と欧米列強の侵略を排除する防衛目的以外に、何か実益を期待していたのか否か知りたいです。
素人考えでは、満州建国は農地と移民先の確保に役立てようとの目論見があったのかもしれないと思うものの、朝鮮併合には如何なる実益が期待できたのか見当がつきません。経済的側面から言えば朝鮮併合は日本の損失を覚悟の上の政策のように思えてしまいます。

さて、お願いです。Q1、Q2の少なくとも一方にお答え下さいませ。全体としてQ1、Q2の両方が出揃った時点で締め切ります。
Q1.朝鮮併合によって、日本国は如何なる実益を期待していましたか。ロシア・欧米列強による朝鮮の植民地化阻止は除きます。

Q2.満州建国によって、日本国は如何なる実益を期待していましたか。ソ連・欧米列強による中国内の植民地拡張阻止は除きます。

よろしくお願いします。

朝鮮併合、満州建国の実益は?

一般に植民地経営の目的は富の収奪に帰着されるのだと思います。即ち世俗の実益の追求です。
当時の地質学の常識では朝鮮からも満州からも石油が出ないことは定説だったそうですし、阿片の売り込み先として考えていた形跡もなければ天然ゴムの栽培が可能だった訳でもなさそうです。

当時の朝鮮と中国に自主独立の能力があって、ロシア(ソ連)を初めとする欧米列強の侵略を自ら防げたとすれば、日本政府は朝鮮併合も満州建国も画策する必要がなかったように思います。つまり、どちら...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして

朝鮮に関しては支配が長期化したためここだけでは書ききれないため満州国に限定します

日本の満州国建国の目的は恐慌により大打撃受けた日本経済回復のためと
品質では到底欧米製品に対抗できないため武力により排他的な日本の独占的輸出市場の構築にあります

1934年、日本政府『日満経済統制方策要綱』を閣議決定
・日本企業と競合する満州の軽工業を抑圧する
・満州国政府に民族資本抑制政策を施行させ、日本企業の満州進出を容易にさせる
→この満州国建国“ブーム”により日本は恐慌から脱出できた

日本の場合、資源輸入と重工業製品を生産するための工作機械を欧米、特に米に頼っていたため深刻な外貨不足だった
そこで当時の満州国の日本以外の第三国輸出により得た外貨に着目、横取りを画策
→1938年、満州国と外貨利用協定締結
・満州国が貿易により得た外貨の4割を日本に無条件に供出しなければならない
ところが満州国の第三国貿易が赤字に転ずると逆に協定を改定し自らに負担がかからぬよう内容を反古にした

満州国建国5年目には満州国の全輸入額の8割を日本が独占
その間、満州国内の中国人資本を露骨に収奪し市場を奪った結果です

同年、満州国に対する物資動員計画を策定
・満州国は日本に銑鉄・石炭・農産物を供出する

1940年、『日満支経済建設連携要綱』決定
・満州国の対日従属の徹底、収奪強化

やはり満州国だけでも書ききれないですね
中途半端で申し訳ありません

はじめまして

朝鮮に関しては支配が長期化したためここだけでは書ききれないため満州国に限定します

日本の満州国建国の目的は恐慌により大打撃受けた日本経済回復のためと
品質では到底欧米製品に対抗できないため武力により排他的な日本の独占的輸出市場の構築にあります

1934年、日本政府『日満経済統制方策要綱』を閣議決定
・日本企業と競合する満州の軽工業を抑圧する
・満州国政府に民族資本抑制政策を施行させ、日本企業の満州進出を容易にさせる
→この満州国建国“ブーム”により日本は恐慌か...続きを読む

Q君が代の『君』の意味

 歴史に興味ある者ならば、歴史上の登場人物の文(手紙)を目にする事が多いと思うが、その文を目にするごと日本は凄い国だと感心する。
 例えば、代表的に言い表せるなら、時の政権を担っていた豊臣家を打ち滅ぼした徳川が豊臣家に変わって政権を奪取したにせよ、その後も現在に至り、豊臣家の膨大な歴史的文献や秀吉が茶々に送ったとされる恋文も多く現存する。それは、室町幕府時代の物や平安時代の物も現存していることに、私は先人の日本人(和の国)への感謝の気持ちを送りたい。
 こういう事は、あの国と特に、あの国の属国には無い、前政権を打ち滅ぼしたならば、血縁縁者の皆殺しは勿論、全ての関連施設を焼き打ち破壊させ、全てを無に返して全部パ~にしてきたのだから、今も事実歴史を守るという歴史遺産の重要性を重んじる奴が1人も居ね~、パ~しか居なくなる訳だな!!
 
 さて、本題の『君』についてだが、
 諸説いろいろあるが、左巻きのバームクーヘンや左巻きの巻きずししか食わない、何でも左巻きが大好きな左巻きさん達は、『君』を時の天皇、1人だけ指していると解釈したいようだが、
 少なくとも幕末、世界を知り日本の行く末を誰よりも危惧していたであろう坂本竜馬や三岡八郎(由利公正)の文や俳句を拝見すると、『君』という文言が随所に現れる、その『君』の部分の文章の前後から推察されるに『君』という意味は日本・日本国民、全体を表せている事が解る。
 維新後、日本の中核を成していた大蔵省の実質的な実務者(松平春嶽ではない)三岡八郎(由利公正)が、日本の国歌の立案にも携わっていたことは容易に想像がつく。
 近代日本の礎となった明治時代、中枢で自身の持てる能力をフルに発揮していた者は主に長州藩・薩摩藩の出身者が多かったが三岡を初め陸奥や後藤など、特に竜馬との親交が深かった者も多いし、何よりも船中八策を例にとり明治維新の原案としたことが何を語るか?竜馬が『君』を日本と指していた事に触れ、君が代の意志に繋がったと言えよう。私見だが、竜馬は天皇自体も日本の一部と考えていたと思える。

 幕末から近代日本(明治維新)にかけ命を掛けた志士たちの功績を踏みにじり本当の意味を無に返すバカどもは、日本の帝国主義時代のプロパガンダだけを見て、日本の事を悪に仕立てるが、日本を象徴する国歌なり国旗なり旧憲法を、なぜ嘘の歴史感に変えたがる?
 また、なぜ、初頭教育で一番大切な近代日本史を教えないのか?

 歴史に興味ある者ならば、歴史上の登場人物の文(手紙)を目にする事が多いと思うが、その文を目にするごと日本は凄い国だと感心する。
 例えば、代表的に言い表せるなら、時の政権を担っていた豊臣家を打ち滅ぼした徳川が豊臣家に変わって政権を奪取したにせよ、その後も現在に至り、豊臣家の膨大な歴史的文献や秀吉が茶々に送ったとされる恋文も多く現存する。それは、室町幕府時代の物や平安時代の物も現存していることに、私は先人の日本人(和の国)への感謝の気持ちを送りたい。
 こういう事は、あの国...続きを読む

Aベストアンサー

「君が世は」、あなたがお住まいの世界は、って意味くらいは、わたしのように満足な日本語を話せない外国人でも知っています。

世界中に国の数だけ国歌がありますが、日本の国家ほど、平和を追求したものはなし、でほとんどの国のは、敵の大砲の轟音にもおじけず、勇敢に戦え、です。

長い歴史のある国では、いい時もあれば、悪い時も、それを素直にすべて認めて、ご先祖様に感謝しながら、子孫に模範を示すことが国民の義務。その悪い一部分だけを取り出して、すべてを悪しという考えのお方では、未来の子孫に模範を示すことを否定されているだけの存在。

そのクセに、少しお金がたまると、菊のご紋の日本国旅券を携帯して、海外旅行し、本人はバカでも、昔の人が何千年もかけて築きあげた日本人への信頼のもとに、尊敬されて旅行が続けられるのに、自分の国の歴史も知らず、なぜ信頼されてきたかのも知らない大バカが威張りちかしの勝って気ままな大バカ行為の限り。

なぜ、そんなに日本の悪口を言うのが平気なら、日本国籍を放棄で、日本人をやめ、日本に住む難民になれ、って言いたくなります。菊のご紋の日本国旅券を使うの拒否と、まずは実践することです。

日本は、「君が世の」の歌詞どおり、千年どころか八千年も、小さな石が寄り固まったさだれ石のように、外敵にも内的にも、自然災害にもビクともしない国なりを、これから千年もは八千年も確実に続いて欲しい国です。

「君が世は」、あなたがお住まいの世界は、って意味くらいは、わたしのように満足な日本語を話せない外国人でも知っています。

世界中に国の数だけ国歌がありますが、日本の国家ほど、平和を追求したものはなし、でほとんどの国のは、敵の大砲の轟音にもおじけず、勇敢に戦え、です。

長い歴史のある国では、いい時もあれば、悪い時も、それを素直にすべて認めて、ご先祖様に感謝しながら、子孫に模範を示すことが国民の義務。その悪い一部分だけを取り出して、すべてを悪しという考えのお方では、未来の子...続きを読む

Qなぜ日本は朝鮮・台湾の様に満州を併合しなかった?

日本は、朝鮮半島と台湾島を併合し、日本の領土としました。
一方、満州帝国は満州人である溥儀を皇帝とした日本による
傀儡政権の国家です。
どうしてこんなまわりくどい国会経営をしたのでしょう?
満州も、朝鮮や台湾と同じく「併合」でも良かったんじゃないでしょうか?

Aベストアンサー

 満州を、併合して日本の一部とすることは国益を侵害することになるから。
(もし、そうなれば、樺太以外にも、直接、日ソが大陸で長大な国境線を接し、安全保障上
大変なことになる\(^^;).. 

日露戦争後のポーツマス条約により日本は北満州からのソ連の影響を排除することには失敗した。石原莞爾石原は満州国という(一応)独立国をそこに作ることによりソ連との緩衝地帯を作りたかったのである。彼としては日露戦争後に日本がやり残した国防の一部を自らの手でやりたかったのであろう。

 
 石原が満州国を建国したこと自体は歴史上、かして誤りではなかった。明治から昭和にかけての人たちのロシア(ソ連)への恐怖は現在の北朝鮮の脅威よりもはるかに大きかった。それを取り除くために行ったはずの日露戦争にしても結局はあれだけの血を流しながら、世界情勢とのからみからロシアの勢力を満州全体から追い出すまでには至らなかった。

 したがってどうしても満州のあの地に緩衝地帯(ロシアからの防波堤)を作りたい、という思いは当時の日本人の共通したものであったと思う。

 本当は日露戦争後、日本が取得した満鉄を買収しにきた米国人の鉄道王ハリマンにさっさと満州なんか売っぱらってしまったらよかったのだ。そうすれば満州の防衛は必然的に米国が担当したであろうし、賠償金代わりの多額の資金が日本の手に入ったであろう。(いや、満鉄日米共同経営、満鉄付属地を帝国陸軍・米海兵隊共同警備というのもある)

 それにソ連の脅威よりは米国の傘に入っていた方がはるかにましであったろう。井上馨ら元老はそう考えてハリマンと交渉していたが、小村寿太郎はそれでは日露戦争の英霊にすまない、といってハリマンの提案を拒否した。それがまた日米関係悪化の原因の一つであったことは否めない)

 さらに経済の面から考えても、当時の日本としては満州国は必要であった。昭和の初期当時は日本への原料供給地として、あるいは輸出製品の市場として満州は不可欠であった。(”満蒙は日本の生命線”と言った松岡洋右の言葉はあながちうそではないのである)

 当時は第一次大戦後で世界経済はブロック化し、世界貿易が縮小していたために、後発国で植民地の少なかった日本は世界市場から締め出されていた。したがって欧米列強の手が届いていない海外市場の確保が至上命題であったのである。

 もしハリマンが満鉄を買収し、満州が米国の支配下となっていれば平和裡での貿易という形になっていたであろうが、如何せん小村がそれを拒否してしまったために満州は”無主の地”のままであった。(当時満州は軍閥の手にあり、まだ中国国民党政府の主権がおよんでいない。)
 したがって石原がこの地に満州国を建てたのはある意味で歴史の必然であったと言ってよかろう。日本は満州国と対等な関係で自由貿易を営むことにより必要な資源などを確保し、輸出市場なども確保できたはずだからである。

  石原自体は中国を侵略していくつもりはまったくなく、無主の地である満州に五族共栄のソ連防波堤政権ができれば国防面からも経済面からもよい、と考えていたわけである。

 一応、別の国だから緩衝地帯となるので、日本の一部としたらまずいのである。

 満州を、併合して日本の一部とすることは国益を侵害することになるから。
(もし、そうなれば、樺太以外にも、直接、日ソが大陸で長大な国境線を接し、安全保障上
大変なことになる\(^^;).. 

日露戦争後のポーツマス条約により日本は北満州からのソ連の影響を排除することには失敗した。石原莞爾石原は満州国という(一応)独立国をそこに作ることによりソ連との緩衝地帯を作りたかったのである。彼としては日露戦争後に日本がやり残した国防の一部を自らの手でやりたかったのであろう。

 
 石原が満州国...続きを読む

Q「君が代」の歌の意味が知りたいです

小学校~中学校のとき歌っていたのですが意味は全く知りません^^;
どういう意味なのでしょうか?
なぜ国歌なのですか?

Aベストアンサー

for-tepさん、こんにちは。

こんな解釈もあります。
http://nonbiri.boo.jp/sinwa54.html

Q韓国併合~満州事変の歴史的背景

無知なため簡単な歴史的流れを教えていただければ助かります。
まず、韓国を日本が植民地化していた時期が韓国併合にあたるのですね。日本と韓国は戦争はしていませんよね。どうやって支配下におけたのですか?そして何のために?

私が思っているのは、ロシアから日本にせめてくるのをストップするために位置的に朝鮮に軍隊をおきたかった。朝鮮には日本がくることにより仕事が増え、国が発展するといいきかせ、実際は侵略であった。
韓国人が日本語を強要されたり、虐待をうけたりして日本をきらっているとききますが、この時代におけることですよね?靖国問題なども批判するのはその時代の軍人がまつられているから。

その後満州国設立する必要があったのはなぜですか?
ロシアが朝鮮に攻め入るのを防ぐためですか?
関東軍が満州事変で自身の鉄道を爆破し、一方的に攻め入り占領して満州国をつくったのですね。
この鉄道は南満州鉄道で日露戦争で勝った際に譲渡されたものですね。

韓国併合と満州事変のつながりや歴史的背景がよくわかりません。
その時代の戦争は特に名前はついてないのですか?日露戦争~日中戦争~第二次世界大戦までの時代ですね。

意味不明なことを書いていたらすみません。知識のあるかた、簡単でいいので侵略理由や背景、流れを教えてください。
よろしくお願いします。

無知なため簡単な歴史的流れを教えていただければ助かります。
まず、韓国を日本が植民地化していた時期が韓国併合にあたるのですね。日本と韓国は戦争はしていませんよね。どうやって支配下におけたのですか?そして何のために?

私が思っているのは、ロシアから日本にせめてくるのをストップするために位置的に朝鮮に軍隊をおきたかった。朝鮮には日本がくることにより仕事が増え、国が発展するといいきかせ、実際は侵略であった。
韓国人が日本語を強要されたり、虐待をうけたりして日本をきらっていると...続きを読む

Aベストアンサー

朝鮮半島を支配下におきたかった明治政府の目的は、仰るとおり対ロシアです。ウラジオストックから睨まれてる上、満州・朝鮮半島までロシアに抑えられると、日本を守りきれないという危機意識があったので、せめて朝鮮半島へのロシア進出を食い止めたかった。

どうやって、かというと、まず当時の李朝朝鮮は清の属国でしたから、日清戦争を行い、国際政治的にどこにも属さない独立国とさせました。もちろん、日本の支配下に置ければ安心だったのでしょうが、ロシアを含む欧米列国の手前そこまではできなかったのでしょうし、貧乏国日本が朝鮮半島を抱えても投資を回す経済的余裕もなかった・・・という判断が働いて、まずは独立国とさせたのだと思います。

しかし、本音では日本は朝鮮半島をロシアにとられる前に自分のものにしたかったし、清・ロシアも狙っていた。李朝も各国と結びついた派閥争いが激化して不安定な状態でしたので、李朝と信頼関係でつながるよりも、ロシアと雌雄を決することに決めておきたのが日露戦争です。

満州事変は、先の回答にある通り、石原完爾主導によるものです。ただ、石原完爾の思想を理解してないのに軍や国民の多くが満州国建設を支持したのは、当時のブロック経済化の影響だと思います。

第1次世界大戦後から大恐慌に至る世界的な経済不況の中で、列国は自国経済を支えるために、植民地の囲い込みをはじめました。自国製品だけが売れるように、他国製品の締め出しを行いだしたのです。これで、植民地を多く抱える英仏、もともと移民が多く国内植民地(とでもいうべきフロンティア)を持つアメリカ、ロシア革命により孤立していたことが幸いしたロシアは希望がありましたが、遅れて列国入りしたドイツ・イタリア・日本は自国製品を売るべき植民地が小さく、新たな植民地の開拓を目指しました。その意識が満州国建設を支えましたが、逆に英米ロシア中華民国との対立を決定的にしてしまいました。

朝鮮半島を支配下におきたかった明治政府の目的は、仰るとおり対ロシアです。ウラジオストックから睨まれてる上、満州・朝鮮半島までロシアに抑えられると、日本を守りきれないという危機意識があったので、せめて朝鮮半島へのロシア進出を食い止めたかった。

どうやって、かというと、まず当時の李朝朝鮮は清の属国でしたから、日清戦争を行い、国際政治的にどこにも属さない独立国とさせました。もちろん、日本の支配下に置ければ安心だったのでしょうが、ロシアを含む欧米列国の手前そこまではできなかった...続きを読む

Q君が代の歌詞の意味

そのまま ズバリです。
ニュースなどで問題になっていますが 問題になる意味がわかりません。
歌詞に問題があると聞いたことがあります。
歌詞の意味することを教えてください。
お願いします。

Aベストアンサー

どうもNO9です。

「日本」の国号の意味についてですが、
日本の「日」は、大和言葉で「ひのかみ」という意味があります。
そして、「本」は、「もと」、「はじめ」という意味で、最初、始まり、起源、などの意味があります。ブックではありません。
そして、天皇の皇祖神は天照大神(アマテラスオオミカミ)という女帝の太陽神です。
つまり、「日本」=「もとはひのかみ」=「天照大神」ということです。

また、こういった意味もあります。
「日」は太陽を意味し、「本」は先ほど言った通り、始まりなどの意味があります。
そして、日本は世界では極東と呼ばれるほど、東に位置しています。日付変更線のすぐ近くです。
「東」は、太陽の昇る方角です。つまり、東は太陽が昇り始めるところです。
ですから、「日本」=「太陽が昇り始めるところ」=「日出づる処」という意味でもあります。

なお、「日本」というのが国号として成立したのは、西暦689年といわれています。

(↓ここから先は、余談です)
ちなみに、その「日出ずる処」というのは、聖徳太子が遣隋使に持たせた国書で用いた言葉としても有名です。当時の天皇は推古天皇です。
「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。つつがなきや。」
これを、見た隋の皇帝は、「わが国が日没する処とは失礼だ」と怒ったと言われますが、実は違います。
確かに、隋の皇帝はそういった意味でも怒ったのかもしれません。しかし、一番許せなかったのは、日本の天皇も隋の皇帝と同じ「天子」という文字を使ったからです。
隋は「皇帝」ですから、世界の支配者と思っていました。隋からすれば日本は属国です。その日本がこともあろうに、「皇帝」と対等の文字を使ったのです。つまり、聖徳太子がその国書で一番言いたかったことは、日本の独立宣言です。
ですから、日本は「王」ではなくて、「天皇」という独自の呼称を用いているのです。

こういったことから、日本の歴史はそこから始まったと考える人もいます。が、「もっと前からで2000年以上だ」、とする人や、「日本と天皇は一体だから皇紀で考えるべきだ」という人もいます。ただし、皇紀には神話も含まれます。皇紀でいうと今年は2667年です。
ちなみに、聖徳太子による国書が隋に出されたのが、西暦607年のことです。それは、つまり「天皇」という君主号が成立した年と考えられます。そして、それが西暦607年ということは、今年はそれからちょうど1400年の年です。
また、推古天皇も天照大神と同じく女帝です。どちらも始まりは女帝ということで、なにか運命的なものを感じます。こじつけかもしれませんが。

なお、日本は世界の中で最大かつ最古の君主国と言えます。
君主国で二番目に人口が多いタイ(約六千万人)と三番目のイギリスの人口(約六千万人)を足しても日本の人口(約1億3千万人)にはかないません。また、日本の皇室が確立したのは四世紀頃と考えられていて、二番目に歴史のあるイギリスは11世紀後半です。その差は約700年です。

そういえば、GHQのマッカーサーはかつて、日本は12歳の少年のように幼い国のようなことを言いましたが、当時では、約170年の歴史しかないアメリカに言われたくありません。しかも、アメリカ人らしく自分の価値観で相手を遠慮なく断じるその傲慢さが、素晴らしいですね(笑)。しかし、それに納得してしまう多くの日本人の人の良さには、本当に感服です。
あと、GHQと天皇で言えば、天皇の「人間宣言」があります。これも誤解があります。当時、天皇を本気で神様とは誰も思っていなかったと思います。思っていたとしても「神」とはニュアンスが違います。
というのは、「神」と「カミ」は違うからです。
「神」は一神教でいうまさに神様(例えばGOD)をいいますが、日本の神道宗教でいう大和言葉の「カミ」は、八百万の神(カミ)をいいます。なので、本当はカミを「神」としたのは誤訳なんです。
そして、八百万の神は、文字通りなんでも神様になります。貧乏すら神様になります(笑)。もちろん、動物も神様になります。神社に行くと鳩や馬も神様として奉られていたりします。
ですから、語弊を恐れず言ってみれば、天皇はその神々の代表に過ぎないということです。
「天皇」には、北極星という意味もありますが、北極星は他の星々と同じ星に過ぎません。ただ、その北極星が中心となって、他の星々(私達)が回っているということです。つまり、天皇は国の求心力ということです。
それを、GHQに天皇を紹介したときに、この人は神様ですと紹介したため、一神教のしかも自分がNO1のアメリカはびっくらこいたのです。
それで、「人間宣言」となったわけです。
あと、天皇は神主さんのトップといったこともあり、要するに「祈る人」でもあります。
ですから、天皇には宗教的な意味もありますから、「天皇主義」は確かに危険な面があるかもしれません。しかし、「天皇制」は守るべきだと思います。

というのは(いい加減長く書き過ぎなので、細かいことは避けます)、他の君主制の国を見ると分かりますが、君主制の国は安定している国が多いです。
国をテーブルとすれば、それを支える足が君主制の国は、主に3本になるからです。「国民」と「国家」と「君主」の3つです。ですから、2本や1本で支えている国よりずっと安定します。しかも、3本の良いところは、1本が短くなってもグラグラしないところです。
実際、日本は約1億3千万人という膨大な人口を抱えながら、国民に高度な教育が施され、個人の尊重が保障され(憲法13条)、その上言論の自由(憲法21条1項)までかなり保障されていて、なんら国内の統合に問題が特にありません。
こういった国は、世界に類を見ないです。

以上、またもや余談だらけで失礼しました。また、私は専門家ではないので、正確性に書ける記述があるかもしれません。あしからず。もちろん、いい加減に書いたわけではありません。
では、少しでも参考になればと思います。

どうもNO9です。

「日本」の国号の意味についてですが、
日本の「日」は、大和言葉で「ひのかみ」という意味があります。
そして、「本」は、「もと」、「はじめ」という意味で、最初、始まり、起源、などの意味があります。ブックではありません。
そして、天皇の皇祖神は天照大神(アマテラスオオミカミ)という女帝の太陽神です。
つまり、「日本」=「もとはひのかみ」=「天照大神」ということです。

また、こういった意味もあります。
「日」は太陽を意味し、「本」は先ほど言った通り、始ま...続きを読む

Q日韓併合、満州国建国、日中戦争は侵略か?

当時の社会情勢から鑑みて日韓併合、満州国建国、日中戦争は「侵略」と呼べるのかどうかおしえてください。

日韓併合は国際社会から承認されていますよね?
ずっと事大主義に甘んじてきて主権を放棄していた朝鮮半島は当時世界的にももっとも貧しく衛生状態の悪い国だったし、識字率も低く身分制度もひどくて名前すら与えられない女性もいました。
日韓併合により人口が増え、識字率もたかまり、戸籍制度整備のための創始改名など、これらをふまえれば「侵略」とはとても呼べないのではないかと思います。

満州国建国についてはリットン報告書がもっとも重要な資料ではないかとおもいますが、そもそも満州は万里の長城の外にあり、ロシア・ソ連が占領していたときもありました。
傀儡国家とよばれますが、日本民族だけでなく5つの民族からなる国家としての理想をもっていました。リットン調査団も一定の理解を示しています。
満州国建国を侵略という根拠は何でしょうか?あれが侵略ならばロシア・ソ連はもちろん、中国共産党も満州を侵略したのではないでしょうか?

日中戦争では日本は国民党軍と戦ったのであって、そう仕向けたのは中国共産党でありソ連だったのではないでしょうか?なぜ日本は米英の支援する国民党軍と戦ったのでしょうか?
結局、漁夫の利をえたのは中国共産党です。そのことについて後日、毛沢東は日本の国会議員に語っています。

そもそも侵略と呼ぶならば、相手方との平和的交渉もなく一方的に軍事侵攻して他国の財産を収奪したりすることではないでしょうか?

かのマッカーサーも日本の戦争は自衛戦争だったと後日認めていますし、東京裁判のウェッブ裁判長も日本の立場を擁護する発言をしています。

参考動画 「凜として愛」
http://www.youtube.com/view_play_list?p=67DE25FC …

賛否両論あるかと思いますが、論理的に根拠を示してご意見をくだされば幸いです。
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当時の社会情勢から鑑みて日韓併合、満州国建国、日中戦争は「侵略」と呼べるのかどうかおしえてください。

日韓併合は国際社会から承認されていますよね?
ずっと事大主義に甘んじてきて主権を放棄していた朝鮮半島は当時世界的にももっとも貧しく衛生状態の悪い国だったし、識字率も低く身分制度もひどくて名前すら与えられない女性もいました。
日韓併合により人口が増え、識字率もたかまり、戸籍制度整備のための創始改名など、これらをふまえれば「侵略」とはとても呼べないのではないかと思います。

満州...続きを読む

Aベストアンサー

どれも侵略には該当しません。当時の日本がとった外交方針にいささかの疑問なしとはいえないまでも一方的に侵略と決め付けられるような暴論は断じて受け入れられません。

1.日韓併合

1881年ハワイ国王カラカウア1世が来日し、日本・ハワイの合邦を明治天皇に提案しましたが、アメリカとの関係悪化を懸念された明治天皇はこの提案を受け入れることができなかった事実があります。一方、大韓帝国についてはアメリカなど諸外国も容認するところであり合邦に至ったまでのことであります。偏狭な民族主義者にとっては面白くないところであったかも知れませんが、純宗の勅命にて決裁されたところであります。以下が純宗が朝鮮人民に諭した勅諭です。そして朝鮮人民は純宗の真摯な言を受け入れてまさしく幸福を共受したのであります。

皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。

此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。

惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日 御璽

2.満州国建国

満州国は従来満州を不法占拠していた張軍閥が満州を追われたのを機に満州族、漢族、朝鮮族、蒙古族、日本人からなる満州人民が独立を果たしたものです。これも日本の侵略だとする根拠は全く存在しません。リットン報告書は蒋介石の提訴を受けて長年にわたる日中紛争の解決を目指したものであり、リットン報告書の主旨は満州国建国は日中紛争の解決策として適当ではないとするものでありました。その意味では満州国建国は国際社会から必ずしも祝福されたとはいえないでありましょう。であったとしても日本の侵略といわれる根拠など何一つも無い。

3.日中戦争

日中戦争は蒋介石から1941年に宣戦布告されたものです。それまでも在中日本人は中国の暴民から生命を脅かされ続け、蒋介石政府は何一つも適切な対応をしてこなかった。むしろ日本は中国から侵略された立場です。逆の立場で考えてみれば分かります。現代の日本で在日中国人が日本人のテロに遭って政府が適切な対処をしなかったとするなら国際問題に発展するのは疑いないでしょう。幕末はまさにそういう攘夷事件が起きました。徳川幕府はなんとか賠償金を支払って事を穏便に収めることができましたが、もし徳川幕府がイギリスに宣戦布告していたらどうなっていたことか。日中戦争を日本の侵略というなら、薩英戦争はイギリスの侵略だというのでしょうか。むしろ日本はイギリスに比べれば隠忍自重を繰り返してきたといえるぐらいなのです。

どれも侵略には該当しません。当時の日本がとった外交方針にいささかの疑問なしとはいえないまでも一方的に侵略と決め付けられるような暴論は断じて受け入れられません。

1.日韓併合

1881年ハワイ国王カラカウア1世が来日し、日本・ハワイの合邦を明治天皇に提案しましたが、アメリカとの関係悪化を懸念された明治天皇はこの提案を受け入れることができなかった事実があります。一方、大韓帝国についてはアメリカなど諸外国も容認するところであり合邦に至ったまでのことであります。偏狭な民族主義者にとっ...続きを読む


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