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唐鎌さんは、加羅地方の人(日本人のルーツ)の末裔!?

僕が無知な為、ご存知な方がおりましたら教えて下さい。

失礼いたします。

僕の遠い親戚に『唐鎌』という非常に珍しい苗字の人がいます。

珍しい為、少し調べたところ、『唐』を『から』と読むのは朝鮮半島南部の小国、『加羅』から由来している説があるとの事です。
そして、『加羅』の人たちは、朝鮮民族の原形、高句麗の人とは、民族的に違うとの事。
そして、何とこの『加羅』は日本最古の朝廷、大和朝廷の基になった人たちの国との事。
高句麗との戦争に負けて、日本国に逃げ込み、日本を支配したとの事。
そうだとすると、唐鎌さんは日本人のルーツに近い人たちなのでしょうか。
そうであるならば、どうして唐鎌さんは一般庶民なのでしょうか。

僕の推測は、飛躍しすぎなのでしょうか。

ちなみにその苗字が多い場所は千葉県の房総半島南部です。
唐鎌や醍醐等、仏教に関連したような?人がわりと多いとの事。

僕の説明不足で申し訳ありませんが、唐鎌(からかま)さんについて、多少なりともわかる方がおりましたら、寛容な回答よろしくお願いいたします。

失礼いたします。

A 回答 (5件)

日本国土の地名は、アイヌ人達の付けた地名で、其処に漢字を当て嵌めて、漢字の意味に合う由来を


作れとお触れが出ております。(和銅年間に)従って漢字に意味が無い場合も多いです。
御質問のカラカマは「山を越えて行く場所」の意味で、鎌倉の漢字を当てる場合もあります。
つまりそのような場所に居住された方の子孫でしょう。
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この回答へのお礼

遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
回答ありがとうございました。
カラカマは「山を越えて行く場所」の意味の漢字とおっしゃるご意見はとても参考になりました。

2週間経ち、これ以上の情報が得られないと判断し、誠に勝手ながら、今回はef98uraimuさんをベストアンサーに選ばせていただきます。

他の皆様もご意見も参考にさせていただきます。

失礼いたします。

お礼日時:2010/05/20 14:21

No.4の回答者で、追加です。

名字7000傑で調査しましたが、名字ランキング5360位出自不詳でした。
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この回答へのお礼

遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
回答ありがとうございました。
かなり少ない苗字である事は、想定していましたが、名字ランキング5360位出自不詳とは驚きです。
なかなか参考になるご意見と思います。

失礼いたします。

お礼日時:2010/05/19 21:45

なんだか#2が馬鹿なことを書いているのでコメント。

なつかしき皇国史観! 久しぶりに聞きましたね。


> 唐という強大な王朝が出現します。 これが朝鮮半島をも統一。 滅亡した半島の王族が海を渡って日本に来た。

伽耶は大体6世紀ころに滅亡しています。小国家群なので何年に滅亡、という形ではありませんが、554年ころには既に伽耶地域の大部分は新羅に支配されています。
ところで、唐が成立するのは618年です。

大和朝廷からの中国への使者は、唐より以前にも行われています。例えば遣隋使は唐のひとつ前の王朝である隋に送られたものですし、それより以前の六朝時代の宋(420-479)との関わりも確認できます。


> 同じことは近世にもありました。 豊臣秀吉が朝鮮へ出兵させた時、半島には鉄砲は一丁もありませんでした。 

これは本当です。

> しかし、日本軍の中の『根来衆』(ねごろしゅう)が寝返り、半島の人に鉄砲を伝え、指導しました。

第二回においても、朝鮮軍は鉄砲をほとんど持っていません。持っていたのは援軍に来た明軍です(因みに日本に鉄砲を伝えたのも明人の倭寇、王直という説もあります)。

> 二回目の慶長の役では日本軍は惨敗したのです。

これも間違い。
朝鮮側は第一回・第二回とも焦土戦術を行い、結局日本側は補給の問題と豊臣秀吉の死によって手を引きますが、この時の略奪等の被害が最も大きかった地域は日本側が足を踏み入れていない地域です。
少なくとも、中級以上の武士は、朝鮮半島でほとんど戦死していないことからも、戦闘での敗退ではない、ということが分かります。朝鮮・中国側は大部分が戦死しているのとは好対照ですね。
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この回答へのお礼

回答遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
回答ありがとうございました。

さらに、日本の歴史を少し詳しく教えていただき、恐縮です。

さらなる参考にさせていただきます。

失礼いたします。

お礼日時:2010/05/19 21:30

> 何とこの『加羅』は、大和朝廷の基になった人たちの国との事。



こんにちは。 

歴史と言うものは、古今東西時の権力者が自分達を正当化するために書かせたもの。 ですから、その権力者が存続する限りは間違った色眼鏡は取り除かれません。 残念ながら、この国には依然として『天皇』が存在しており、『皇国史観』というバイアスでしか歴史は解釈されていません。 従って、#1の方の解釈となるものです。

しかし、この国にも天皇制が廃止され、日本の歴史が世界の歴史との整合性をもって解釈される日が必ず来ます。 その日には『加羅』にも違った解釈が出来る日が来ます。 

日本の歴史は天皇制に基づいて綿々と続いている。 これが皇国史観です。 その起源は『天照大神』にまで遡ります。 しかし、太陽が人間の祖先などと言うことはあり得ません。 

日本神話を世界史の出来事と照合して行けば、意外と大和朝廷の起源は新しいものです。 中国に隋が起り、次に唐という強大な王朝が出現します。 これが朝鮮半島をも統一。 滅亡した半島の王族が海を渡って日本に来た。 彼らは鉄器を携えており、忽ちにこの列島を支配したのは事実でしょう。 加羅に人々は鉄器を持った人々です。 この国の人たちと戦争すれば勝敗は明らか。 

同じことは近世にもありました。 豊臣秀吉が朝鮮へ出兵させた時、半島には鉄砲は一丁もありませんでした。 勝敗は明らか。 しかし、日本軍の中の『根来衆』(ねごろしゅう)が寝返り、半島の人に鉄砲を伝え、指導しました。 ですから、二回目の慶長の役では日本軍は惨敗したのです。 

いつでも戦争は技術の戦いなのです。 兵隊の数なんかで勝ち負けは決まりません。 武器と戦術の優劣で決まるのです。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

日本の歴史を少し詳しく教えていただき、恐縮です。

参考にさせていただきます。


失礼したします。

お礼日時:2010/05/12 01:21

> ちなみにその苗字が多い場所は千葉県の房総半島南部です。



ということから、おそらく下野の唐沢氏からきているか、あるいは他地域との海運に携わる職業であったことからきているものと思われます。


> 何とこの『加羅』は日本最古の朝廷、大和朝廷の基になった人たちの国との事。
> 高句麗との戦争に負けて、日本国に逃げ込み、日本を支配したとの事。

この辺りは大間違い。
加羅は伽耶ともいい、朝鮮半島の南部にあったとされますが、この国の滅亡の前に大和朝廷は既に成立しています。大和朝廷が加羅防衛のために軍を出しているくらいですから、大和朝廷の属国か友好国であったと考えるのが妥当です。
少なくとも加羅が滅亡して日本に逃げ込んで大和朝廷を作った、というのは、時系列的におかしい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何と感謝したらよいか、わからない為、これ以上の言葉がみつかりません。

失礼いたします。

お礼日時:2010/05/05 14:00

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