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大正~昭和初期に人気があった総理大臣とは誰?

大正~昭和初期には、新聞の存在はありましたが、「内閣支持率調査」は
多分無かったと思います。
もし、その当時に調査していれば、人気上位は誰だったでしょうか?

平民宰相・原敬?
ライオン宰相・浜口雄幸?
護憲三派内閣の加藤高明?
16年ぶりに首相の座に返り咲いた大隈重信?

逆に不人気なのは、ビリケン寺内正毅・超然内閣清浦圭吾・
政党崩壊斎藤実あたりかと思います。

大正~昭和初期の人気があった総理大臣とは、誰だと思いますか?

【大正~昭和初期 総理大臣一覧】
西園寺公望・桂太郎・山本權兵衞・大隈重信・寺内正毅・原敬・
高橋是清・加藤友三郎・清浦奎吾・加藤高明・若槻禮次郎・
田中義一・濱口雄幸・犬養毅・齋藤實・岡田啓介・廣田弘毅・
林銑十郎・近衞文麿・平沼騏一郎・阿部信行・米内光政・東條英機

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A 回答 (2件)

大正期はわからないので昭和期についてのみ書きます。


 
1番人気は誰が何と言おうと東條英機だと思います。政権発足から1年、国技館に相撲見物に来た東條を少年時代の宮脇俊三が目撃しています。東條に気付いた観客は相撲そっちのけで「東條さーん」と掛け声をかけ、それが合唱のようになり、やがて手拍子に…という異様な熱狂ぶりを見せたそうです。保阪正康によれば当時、一般市民の間には「東條を拝めば弾丸に当たらない」という噂話まであったとか。東條の異様な人気ぶりは対米英戦開戦当初の日本軍の連戦連勝が影響しているでしょう。それが証拠に戦局が悪化してくると東條フィーバーというのは沈静化していきます。
 
次いで近衛文麿の人気も大変なものだったそうです。青年宰相と呼ばれた当時まだ40代の若さに、貴公子と呼ばれた家柄のよさ、そして革新、新体制を唱え、停滞していた政治状況を打破してくれるのではないかという期待感は「最後の切り札」とも呼ばれたそうです。
  
不人気なのは林銑十郎で元々が本命の宇垣一成が陸軍の妨害でダメになり、次点の平沼騏一郎は自ら辞退、林は3番手の候補で最初から「誰それ」という感じで余り期待されていませんでした。
さらに悪い事に林は政友、民政という当時の2大政党を敵にまわしたため議会は空転、林を支える少数与党も選挙で負けて退陣、「何もせんじゅうろう」と言われて、林の不人気ぶりが相対的にすぐ後の近衛文麿への期待感へとつながったとされています。
 
斎藤実も政友会の鈴木喜三郎、法曹界のドン平沼騏一郎という有力候補を押しのけてのダークホースだったため、斎藤本人に責任はないのですが最初から政友会、法曹界を敵にまわす事になり、それは帝人疑獄による倒閣へとつながっていきます。斎藤の不人気ぶりで相対的に株を上げたのは清廉潔白な軍部だったといいます。
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この中で人気があったのは、意外かもしれませんが、


近衛文麿、東条英機でしょうか。特に、東条英機に関しては、開戦直後の
人気は凄かったと思いますよ。また、近衛文麿は、当時軍出身の総理大臣が
多かった中で華族出身として結構期待されていたみたいです。
あとは、「だるまさん」と呼ばれ親しまれた高橋是清でしょうか。

たしかに、原敬、加藤高明、濱口雄幸あたりも人気はそれなりにあったでしょうが、
原敬は、「平民宰相」と言われつつも、最後まで普選法を制定しなかった
加藤高明は、普選法と抱き合わせで治安維持法を制定した
濱口雄幸は、世界恐慌のあおりをくってしまった
大隈重信の第二次政権は、隈板内閣と比べると期待外れだったという話がある
これらのマイナス点がどれだけ響いたか、というところではないでしょうか。
あとは、西園寺公望、犬養毅も、それなりに人気があったと思います。

一方、不人気は
桂太郎・山本權兵衞(議会無視・薩長元勲)、寺内正毅(米騒動・シベリア出兵)
清浦奎吾(超然内閣)、田中義一あたりでしょうか。

齋藤實以降は、近衛・東条を除くと内閣自体が短命で、特に2・26事件以降軍部の
統制が厳しくなったり、帷幄上奏権の乱発等でドタバタ劇が多かったため、
人気・不人気の対象外のような気がします。

根拠はあまりないですが、自分なりのとらえ方ではこんな感じかなと思います。
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