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今から20年近く前の話です。
シチリア島からフィレンツェへ戻る列車の中で、当時で80過ぎの老人と一緒でした。彼は若いころイタリア海軍の水兵(?)で、日本に行ったと言ってました。彼はイタリア語、こっちは英語でしたが、筆談や身振り手振りを交えて、一時間くらい無理やり話しをしました。彼曰く「横浜港から富士山が見えた」、「神戸に行った」、「別府に行った」、「女の人がかわいかった(「小さかった」だったかもしれません)、覚えているのはこれくらいです。
彼の話が本当だとしたら(いくら老人でもイタリア人なので...)、日本への親善航海だったということでしょうか。また、イタリア海軍が日本へ親善航海したのでしょうか。
あまり歴史に詳しくないのですが、このことがずーっと気になってます。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

こんにちは



いやーーー、そりゃまた貴重な体験でしたね。(^_^)
海外の旅先で、日本とつながっている人と、しかも偶然に・・・。
なんかの巡り合わせなのでしょうねぇ。

さて、ざっと調べてみたのですが・・・
1938年にイタリアから22名の親善使節団が来日し、日本各地を回った、と
いう記録がありました。
ただ、その時に作られた記念バッチには
「Missione Fascista Italiana(イタリア・ファシスト使節団)
伊国政府派遣ファシスト訪日親善使節団 1938」
と彫られていたそうなので、来日までの経路のどこかでは海軍の船を
使ったのかもしれませんが、その後の国内の移動は海軍の船を使ったと
いうような記録は見当たりませんでした。

次に日独伊三国同盟締結(1940年)の記念として、その直後くらいに
イタリア海軍の艦艇が日本を親善訪問した、という情報もありました。
但し、こちらはあくまでも未確認で、水交社でパーティーを開いた際に
山元五十六閣下の"恩賜のたばこを 大量にパクッた"とか、まことしやかな
噂は目にするものの、公式記録は見当たりませんでした。

その後は第2次大戦になってしまいますので、戦後になりますね。
で、見つけたのが
「イタリア海軍練習艦隊は、1964年10月4日から25日まで、わが国を訪問
した。同練習艦隊は巡洋艦A・ドーリア号(6,500t)と輸送船エトナ号
(13,000t)から成り、乗員は1,065名であった。同艦隊は東京港、清水、
神戸、江田島及び長崎に寄港し、各地で盛大な歓迎をうけ、両国の友好
関係増進に寄与するところが大であった。」
という外務省の公式記録!(参考URLをご覧ください)

年代は多少新しいかな? とも思うのですが、寄港地に一致点があるので、
可能性は高そうな気がします。
この訪問の様子が海自のサイトのどこかにあればいいのですがね・・。

参考URL:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1965/ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。かなり詳しい方ですね。
私はてっきりエリトリア号かなって思ってましたが、戦前にやはり親善航海をしているんですね。
当時の私はそういう事柄に今以上に興味のない、ただのあんちゃんだったので「ふーん、すごいねー」で終わってしまいましたが、今になって思うのは、もう少し詳しく聞いておいて、せめて写真を撮っておくべきだったなって反省してます。

>山元五十六閣下の"恩賜のたばこを 大量にパクッた"とか、
やりそうですね。

お礼日時:2010/05/07 23:35

三国同盟の記念にイタリア海軍が表敬訪問した記録があります。


(日時やルート、規模は調べていません。)

他に、フェラリン中尉の複葉機、伊日飛行で
イタリア海軍が寄航した記録では帆船らしいです。
(各地に寄航しているのはこれ。)

サン・ジュスト号
オルサ・マッジョーレ号

この2隻です。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServl …

ですので、彼の言葉を否定する事は極めて困難ですが、
残念ながら、確実にこれだと断言する根拠もありません。
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 父は海軍でした、アルバムの中に


横浜ではドイツの水兵さんとの写真があり将校らしき人の胸には
鉄十字章(Iron cross)が輝いていました。
 佐世保ではイタリアの水兵さんとの写真があり
確かSailer服の様でした。
 いまは手元に写真が無いのです御見せ出来ないのが残念です。
第二次世界大戦のまだアメリカが参戦していない時には
同盟国としてのイタリアやドイツからは港だけでなく
茨城県の霞ヶ浦航空隊などにも来ていたと言ってました。
 もう父も居ない、写真も無いのですが、
鉄十字章(Iron cross)とセーラー服が目に焼きついています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
貴重なお写真ですね。一度拝見したいものです。
うまく、文字にできませんが、当時(戦前)のことを考えると、ほんわかした気持ちになります。ちなみにうちの祖父も海軍でした。

お礼日時:2010/05/07 23:44

詳しい人が回答していただけるまでの繋ぎです。



"駐日ドイツ大使館海軍武官分室"(ブログなのでリンクは書きません)

ウィキペディア-エリトリア (通報艦)

などでググッってみてください。

気になって調べただけなのでこれ以上は良くわかりません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。エリトリアが戦後、再び日本にやってきたエピソードは好きです。

お礼日時:2010/05/07 13:18

 平時に海軍が外国へ親善訪問するのは普通です。


 そりゃ、新興の小国で外洋航海出来る軍艦が無いとかいうなら別ですけど、イタリアは昔から有力な海軍国のひとつで、歴史もありますから、世界中に親善訪問しているでしょう。海上自衛隊の護衛艦だってしばしば世界中を親善訪問しています。
 親善訪問の訪問先は別に同盟国や親交国とは限りません。旧ソ連や中国の軍艦も日本をたびたび訪問しています。ましてや大戦中は同盟国、戦後も旧西側国で同盟国同然のイタリア海軍ですから、何も特別なことではありません。
 もっとも、戦後の日本では左翼マスコミの軍事アレルギーによって、こういうことが日常普通に行われていることがほとんど報道されないので、あまり知られていないのでしょう。

この回答への補足

年齢的にこの老人が軍艦の乗り組みい員でいられたのが、20代~40代だとすれば1930~1950年代あたりだと。この当時に親善航海はなされたのか、ということが疑問です。戦争を挟んだ前後に、親善航海をした記録が気になります。

補足日時:2010/05/07 07:49
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。今も、晴海の埠頭に世界各国の軍艦が入港しているのをたまに見ます。インド、ドイツ、ロシア...後、秋葉原で海軍士官が観光に来ているのもよく見かけます。

お礼日時:2010/05/07 07:43

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