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天武系(持統女系)の女帝称徳天皇が崩御すると、藤原百川らは称徳天皇と近かった道教を追放し、天智系の光仁天皇を立てました。

 藤原氏からすると、
皇位に付こうとした道教は、和気清麻呂によって皇位継承を阻まれたわけですし、
藤原氏にもう少し近い候補を立てる方が自然なように思われます。
そもそも、そういう候補者がいなかったということなのでしょうか?

 天武天皇については諸説あるにせよ、
高校で教える日本史の範疇で、教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

粛清の嵐で、候補が少なかったことがあります。


さらに、妻が聖武天皇の娘、井上内親王で、正嫡子もいた。
将来的に、藤原氏としてコントロールしやすい後の桓武天皇にするにしても、いきなりは反対勢力が大きすぎる。
737年 山部王(のちの桓武天皇)出生
744年 井上内親王と結婚
749年 孝謙天皇即位
758年 淳仁天皇即位
761年 他戸親王出生
764年 称徳天皇即位
770年 光仁天皇即位
772年 井上内親王 廃后
773年 後の桓武立太子 1月
774年 藤原乙牟漏 後の平城天皇を産む8月

光仁天皇であれば、天武系と天智系両方から反対はでない。いざとなったら井上内親王(天武系)が皇后から天皇になるという事もできるし、10年たてば他戸が成人して継承できる。つまり天武系に女系でつながる。

藤原氏のスタンスを考えれば「敵を作らない候補で勝つ」「天皇を握ったら、それから排除すべきは排除し、より近いものを立てる」という戦略になります。
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この回答へのお礼

 桓武天皇の皇后で、後の平城天皇と嵯峨天皇の母が、藤原氏とは知りませんでした(桓武天皇の子である後の淳和天皇も、別の母親ですが藤原氏なのですね)。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/10 01:03

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