アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

臓器移植反対
人が死ぬのを待つような制度はやめる方がよくないでしょうか?
脳死判定も実は本当に人の死であるか確認できないという話ですし。
私なら天命であると覚悟を決めますが臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです。
海外の移植を行う病院も今は日本人お断りとか特別料金を請求するようになってきました。
日本のイメージ低下にも貢献してます。
賛成のの方反対の方ご意見よろしくお願いします。

A 回答 (23件中1~10件)

私もどちらかといえば反対です。

自然の節理に反しています。臓器移植があるから、人身売買や臓器を売ってお金にする悪等もいます。もちろん、そんなことばかりではないけど、臓器を売ればお金もうけが成り立つという現実もありますし。確かに私も子供がふたりいます。移植で助けられるなら、なにがなんでも助けたいと思うだろうけど、親子して人の死ぬのを待ってしまう状況もつらいものがあると私はおもいます。うまく書けませんが、どちらかといえば移植反対派です。
    • good
    • 1

私は移植賛成です。



移植医療は素晴らしいと思います。と言っても移植医療ではなく提供する方が素晴らしいと思うからです。
いくら本人が提供して良いと思っていても家族が同意しなければ提供出来ませんから家族を失った中、提供を決断する気持ちとは凄い事だと思います。

私個人としては本人もしくは家族が希望するのであれば提供をすべきであると思います。亡くなってしまえば何も出来ません。しかし提供して良いと本人が望んでいたのであれば叶えるべきではないでしょうか。
その結果移植を希望してる方が助かるのだと思います。
けして人が死ぬのを待つ医療では無いと思います。

けれど移植をしなければ亡くなる方がいるというのも事実です。
例えば腎不全で透析してる方はそれで生活してますが腎臓の機能代用してるだけで腎臓が良くなってるわけではありません。生活に支障をきたしますし、年間透析を受けてる方で2万人の方が亡くなっています。
心臓移植を待ってる方は半数が数年で亡くなっています。
誰でも病気になりますし、突然死を迎える時があります。
その時どうするのか?
移植はその時の選択肢のうちの一つだと思います。
    • good
    • 1

私も臓器提供の意思表示カードを免許証に挟んで持っています。

すべての臓器を提供すると記入してあります。もちろん家族も容認済みです。(家族も持っています)
数年前、私は殺人事件の被害者となり、大量出血のため、生死の狭間ををさまよいました。しかし執刀医と、何より名前も知らない多数の方々からの献血による輸血のおかげで命を助けていただきました。退院してリハビリし日常生活に復帰したあと、自分が助けられたことへの感謝のため、臓器提供することを選びました。(輸血を受けていると献血できないのを知ったので)
で、臓器移植に関してですが、私にとっては賛成でも反対でもないところですね。辛辣な表現になってしまっていたようですが、「誰かが死ぬのを待っているような…」 というのは私も感じていることです。更に「お金を用意できる者だけが移植を受けられる」状態なのも否定できない事実ですよね。先日相次いで行われた三件の脳死移植について、とあるテレビ番組で、町なかで一般の人にインタビューしました。最初の女子大学生は「家族が拒否しても自分は提供する」と云い、次の30代くらいの女性も提供する意思があると答えました。三人目の年配の男性は「移植そのものが良くない」と云い、理由は「自然じゃない」と。提供の意思はするかしないか選択すればいいだけのことなんですがどうでしょう、この男性の云う「移植という治療方法」に対する意見、専門知識のある人間は仕方ないとして、この男性をはじめとする一般の素人がこう感じるのはおかしくはないと思うんですが。献血や肝臓移植などの場合は、提供する人間の生命に特に関わるものではないと認識していますが、提供する人間の生命が失われることによって成立する臓器移植にはまだまだ問題があると思います。自動車事故などの大ケガで数億円を出しても救えない命なのに、数億円用意して待っている患者の命をつなぐために切り分けられるような…。骸を前に「愛する人が誰かの体の中で生きている」と考えられるほど強くなれるものでしょうか。
最初に挙げたように、私は臓器提供する意思表示カードを携帯しています。実験のために献体してもいいと思ってもいます。しかしそれは「誰かの中で生きる」ためではなく、どうせ死ねば灰になるだけなんだし、あの時私の命を助けてくれた名前も知らない多数の方々からの献血に代わる私の「社会貢献」であることにほかなりません。
日本人の、日本的な(風習や宗教的な?)価値観或いは倫理観と云いますか、それそのものを変えられなければ臓器移植に対する考え方は変わらないのでは。欧米的な宗教感を日本人に定着させるのはどだい無理ですし。臓器提供があくまで「善意」である以上、賛成か反対は意思表示カードの「提供しません」にチェックするかどうかで表明するしかないのでしょうね。
    • good
    • 1

条件付きで反対です。



命に執着するのは生物の本能として仕方がないことだと思いますが、
やっぱり「ドナーを待つ」というのは「人の死を待つ」ということですからね。
ドラマなどでは「ドナーが見つかった!」と、移植を待つ親族は身内が助かることに
諸手を挙げている場面が前にあったように思えます。


亡くなったドナーはまったく知らない他人だし、たとえ口では悼む言葉を述べたとしても
本音はやっぱり「やったー!」じゃないでしょうか?(生物だから)
移植以外に生きる術がない患者の身内としての気持ちはわかるのですが…


臓器移植の推進の裏には、移植スキルを日本でもあげたいという思惑もチラチラ映って見えます。
医学者としての気持ちもわかりますが、実績にこだわる中には拙い判断も混ざる場合も否めなく
だから本当は全面的に反対なんですが、それらを踏まえて故人が生前に望んでいる限りは
いいように思います。


反対なのは、本人の意志はなく、遺族の意志だけで行なわれる臓器移植です。
虐待死した子供のことを考えると不憫でなりません。
感情論ですが、片方は親からの愛情を受けらなかったばかりか、実の親に殺されたのに
臓器を貰うほうは親の愛情をいっぱいに受けているだろう対極にいる子供だからです。


もし虐待死の末、ドナーになった場合、
その子は何のために生まれてきたのかを考えると胸が苦しくなります。


とても難しい問題なので、うまく言えないけど
そういうわけで条件付きで反対です。
    • good
    • 2

No.18に続き、再び補足します。

 


また、臓器移植のために海外渡航というニュースが流されている。今回は、拘束型心筋症ですか、物理的に治療を行えば治らないこともなかろうに。多くの病気は、原因なんか分らなくても治療は出来るのです。それが理解できない医師たち、現代医学だから治療が出来ないだけです。要するに、現代医学は、理論的に間違っている、あるいは不完全なのです。諸科学の基礎である物理学に基づいていないのですから。不必要な移植を行って、その後拒絶反応で一生苦しむことに。ああ、何とも、いいようがありませんね。
    • good
    • 5

 No.17に補足します。



 現代医学では、脳の機能が停止すると、それ以上の治療法がないので脳が死んだとみなす。しかし、脳細胞が壊死しているとはいえない。この状態ならば、物理的に治療を行うことによって、脳細胞を正常化できることも。始めから物理的に治療を行っていれば、脳死とされる状況に陥ることを回避できたかもしれない。脳機能停止と脳細胞壊死とはイコールではない。イコールとみなすと、蘇生可能な患者から臓器を摘出することが……
    • good
    • 2

 基本的に反対です。

現状の臓器移植では、まだ蘇生する人から臓器を摘出し、移植の必要が無い人に移植が行われていると思われるからです。たぶん過半数以上がそうではないだろうか。現代医学によって脳死と判定され、他方、臓器移植しか助かる途はないと宣告される。現代医学が正しいのならば、それは仕方の無いことだろう。しかし、現代医学が間違っているならば、話は違ってくる。現代医学は諸科学の基礎である物理学を軽視しているために治療が出来ないだけです。例えば、物理的に治療するならば、症状にもよるが、喘息やうつ病、慢性肝炎が1日で治ることも可能です。一部を除き、大部分の病気の治療は物理的に行え、現代医学をはるかに上回る効果が即効的に得られる。脳死状態、あるいは要移植患者にも適用可能だろう。蘇生限界点が大きく移動するだろうし、移植の必要がなくなる人もあるだろう。
 
 もしも、私に子供や孫がいて、拡張型心筋症だと診断されたとしよう。天地がひっくり返っても移植なんかさせませんね。私が研究してきた物理的治療法を行うだけです。たぶん、数日もせずに危険な状態から脱するでしょう。しかし、心臓に穴が開いている、などという場合は考えるかもしれない。

 テレビのドキュメンタリー番組などで、脳死を宣告された人から臓器を摘出する、というのがある。多くの場合、まだこの患者は蘇生可能だろうな、また現代医学によって合法的に殺されたな、というのが私の感想である。移植を受けた人にも、必要が無かったと思われる場合が多い。海外での臓器移植のための募金なども含めて、美談に仕立て上げるな、と言いたい。医学はパラダイム転換を。
    • good
    • 1

#10です。

ありがとうございます。
私は臓器移植容認です。ふだんから普通に肉や卵を食べておきながら臓器は許せないというのは偽善と思うからです。またかりに自分が肉や卵を食べなかったとしても、他人が肉食するのは人それぞれの価値観として尊重すると思います。だから、かりに自分がやらなくても、他人が臓器移植に走る権利を 「尊重」 します。大抵の人がこのような 「大人の考え」 をもっていると思います。

私が意見を述べましたので、あなたもどうぞ。
    • good
    • 0

基本的には賛成です


臓器移植は過渡的な技術です・・人工臓器が出来るまでの
少なくとも、臓器移植の技術がありそれにより延命が可能で、それに浴する方が居るのなら、臓器移植自体は肯定されても良いと思います

問題は臓器を提供する側の問題で、脳死云々もありまうが、それを自分で判断して表明しておけば良いだけでは、OK、NOは自分の意志で決めれば良い問題でしょう、判断が出来ない状態なら、保護者が自分の判断で判断をすれば良いだけでは
提供者の意志が反映されるのなら、過渡的な技術として臓器移植は許容されるべき制度でしょう

>人が死ぬのを待つような制度はやめる方がよくないでしょうか?
 ・技術的に可能なだけ、それをどの様に運営するかだけの問題・・自分の意志が尊重されれば参加するも良し、参加しないも良し・・自分で決める事・・でればその制度を許容しても良いのでは
  (その手段により生きようとする人の希望を奪う権利は誰にもない)
 ・個人の感情は千差万別なので、反対、賛成は自由です
>脳死判定も実は本当に人の死であるか確認できないという話ですし
 ・死の定義になるので難しい所ですね・・一般的には呼吸(心臓)が停止したら死ですね
 ・医療技術が進化した今、本来は死を迎えたであろう方も、機械の力で生き延びさせている事も事実ですから
 ・今の定義は昔と違って混沌としていますね
>私なら天命であると覚悟を決めますが臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです
 ・>私なら天命であると覚悟を決めますが
  その様な考え方は同意出来ます
 ・>臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです
  これは、言い過ぎです、可能性があるのなら生に執着することが悪い事ですか、少しでも可能性があるのならその可能性に賭けてはいけないのですか
  自分の子どもがその様な状況になったとき、潔くあきらめますか、配偶者が執着したら見苦しいとか諭しますか、
  その場になって、天命だから延命処置はしないでくれと言いますか・・生きていてくれと思いませんか
    • good
    • 0

質問者さんはまたお怒りになるでしょうが、今年健康保険法の一部が改正される予定で、その内容として各種健康保険被保険者証(要は保険証ですね)の裏面の記載内容を変更し、臓器提供の意思表示の有無を記載する形式になるそうです。

要するに保険証がドナーカードを兼ねる事になるって事ですね。

私は臓器提供事態は否とは思いません。募金を募ってまで海外で移植を受けるほどの事はさすがに控えるべき、というか日本人のためにその国の誰かが移植の順番を後にされる事を思えば禁止すべきほど醜悪だと思いますが、せめて国内で、当人にその意思があり、その臓器によって救える命があるのならそれを否定する必要はないでしょう。
比較的健全な体を親に貰いましたので差し迫った命の危機というのは感じたことはありませんが、私は質問者さんのような潔さを持てる自信もありませんからね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!