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森村誠一原作 映画「人間の証明」と戦後日本の米軍と日本の関係に関する質問

映画「人間の証明」1977年角川の中で、米兵が集団で一人の女を襲っているところを助けようとした男が殴り殺され、おしっこをかけられ、周囲の日本人たちは手出しできずに見物している、男は、数日後に死亡する程の重症を負い、女は、後でお回りさんを呼びに行ったが、お回りさんも、米兵らに殴られ、傍らでは、女が米兵らに侵されかかる(侵されたようだがそこまでのシーンは映画にない)という場面があります。
質問者は、戦争、戦後体験者ではなく、著者の原作を読んではいませんが、こういう状況が、戦後日本における現実だったのでしょうか。という素朴な疑問が、映画を見終えて浮かび、質問致します。
又、以下、感じたこと、疑問などがあります。同映画は、アメリカ、ニューヨークにて撮影もされ、映画のこういったシーンへの反発が、当時、なかったのか、アメリカとしては、これが現実であり、さして反発する程の大きな事ではないという感覚だったからこそ、映画にも参加協力した、と言えるでしょうか。日本人もアメリカ人も黒人も、都会人も田舎人も、映画の中の登場人物は、皆、体ひとつの丸塊、というずっしりとした重み、野生みがあり、どんなに洗練された風にしようとしても、ずんぐりしており、野暮、粗野なところに大差が無いという感じでした。社会的により明確な差別があったとかいう事実以上に、人間は金を持っていようと、着飾ってみたところで、そう変わらない丸裸である、という実感が、この映画に限らず、古い映画や映像、人の風貌にはあり、何にせよ、皆で生きている、という変な連帯感というかエネルギーが流れるのを、古いものに触れると感じることがあります、全てではありません。映画では、アメリカ人が、真珠湾攻撃の体験を通して、日本人を憎む心情の生々しく残ってある時代であった事も、それが、会話の台詞に普通に出てくる事などから感ぜられます。ニューヨークの街の風景や撮られたシーン、体形、眼差し、表情、仕草、物の眺め全体を通して、黒人と白人との現在より明確な差別意識とその現実が映し出されているようでした。現在は、全てがあいまいでぼんやりしていますが、本質が大きく変わった訳でもなく、わからなく見せられている分、危険な気がしました。色々なものの境界線が明白であるなら、そこに対する姿勢も取り易く、気構えが熟成もする、それが、寧ろ現在の問題なのかもしれません。ぼんやりしていて、何となく、優しいようで、平和なようで、本質は、より極端に凶暴化しているのを隠そうとしているだけ。寧ろ、差別とか敵意とか憎しみとか野獣性とか、人間の本質がモロに出て来る映画・時代の中に、それを超えるのか包むのか、わからないけれど、優しさ、どうにもならない哀しみの中にちらちら光る美の如きものを感じたところがありますが、それは、体験しないものの軽率さであるかもしれず。

ただ現実確認がしたい、というよりも、感情なども含めた景色として、どんな時代であったのか、様々の人々の心に映ったその時代に触れてみたく、質問者が映画を通して感じた事を含めて記しました。質問の内容に限定せず、ご記入頂ければ幸いです。

以上、宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

ご質問者様のようなご感想を持たれる場合は



製作・公開 された年が極めて大きな意味を持ってきます。
1977年・78年というのは朝鮮戦争の特需やベトナム戦争
による特需で日本の高度経済成長が大きく花開いた前後の
時代です。他のどの時代とも当然異なり、そこで語れる
「戦争」や「差別」や「社会の在り方」もまた然りです。

50年代、60年代、70年代、と日本は社会全体も映画界も
次第にハングリー精神や内外についての怒りや社会正義
といったものの方向性が曖昧となり、80年代に入るとご存知
の通り物質的には急速に満たされ、そして精神的には
慢性的な消化不良のような状態になり邦画界は長い下降期
に入りやがてバブルもはじけオウム事件・阪神淡路大震災
が起こり、政治的混乱の末に今の長い長い沈滞期に入ります。

1940年代(戦中)、
1950年代(終戦直後)、
1960年代(安保・オリンピック)、
1970年代(戦後復興の臨界点)、

それぞれの時代の映画をご興味を持たれたもので
構わないのでご覧になられたらよいでしょう。

それぞれの時代の「戦争映画」をご覧になると
面白いかもしれません。戦争から遠く離れた時代
になればばるほど、観念的となって描写も真贋
さだからぬ怪しいものとなっていくのもよくわかると
思います。

戦争は人の命を奪うがまた精神を研ぎ澄ませもし、
平和は人の命を大量には奪わないが精神の荒廃・退廃
を産む。『映画』はそのパラドックスを実に如実に
見せてくれる素晴らしいものだと思います。

一つだけお勧めしておきます。
仲代達矢主演「人間の條件」全六部作(1959~61)
全部で6時間強の大長編ですが観ておいて
絶対に損はないかと思います。何よりも、その映像の
スケール感、テーマの大きさと深さ、あらゆる点に
おいて残念ですがもう二度と作ることは絶対に
不可能な作品です。
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この回答へのお礼

WAR 様

大変参考になり、ありがとうございます。

身近なところに比較的資料の多い、大東亜戦争を中心に戦場や戦争関連の
実映像等を集中して見た後で、映像製作又後に編集された時代や国・人物等により、
同じような映像・事実に関してでも、伝わるものは異なり、記事や史実だけでは
わからぬもの、一個人の体に去来してあった現実が多様であることなど、
映像を通じて、私なりに、戦争=殺人=悪=あってはならぬ、
というだけではない、色々のものを感じ、初めて体の中に沸き起こって
来たものがあったために、そこから過去の映画も集中して見直しています。
回答者様が明確に回答して下さったように、時代の流れの中で、何がどんな風に
動いて来、現在に至るか、を体で感じたくなったことから質問を致しました。

興味は戦争だけではないのですが、そこに大きなエネルギーが残っている
と感じまして、戦争は、終わったことになっているが、意味や感情を
含めた全身の体験としてまだ消化され尽くしてはいないのではないか、
と感じ、書籍・映像等々に体を通しはじめました。
事実とか思想とかいうよりは、エネルギーをそのまま感じてみたいので、
考えるより先に、まず感電してみる、という感じです。
作家は言葉ではこう言っているが、その根底にあるエネルギーはどうなっているか、
それらしい事を言いながら未消化を隠しているのじゃないか、それは、その時代には
未消化で仕方なかった事で、現在まで消化される可能性を待っていたのではないか、
ということで、見ているようなところもあります。
強い人には、消化できないことが、弱い人には消化できるかもしれず、
私にしか消化できないことがあれば、それは私の体の責任になるんだなあ、
無視して来た私の仕事が山積みになっているような、圧力を感じたりしつつ。

体の中は、混乱したり、色々たいへんなことになってきましたが、
綺麗な理論に触れたところで、これは、どうすることもできず、
自己の体の胃や腸で全身で消化することをしないと、もう歩いて行けない、
戦争を体験していないとしても、私たち一人一人は、過去の問題を
ひきずって生きているのだから、体験者たちが未消化なことは、
その後の人たちに消化の責任がある、特に、映像などがかなり大量に見られる
という環境にある者たちには、そういう責任があって、これを果たさないと
どうしようもない、生きていることが許可されないだろう、という危機感が募ったため、
嫌で面倒な事、とても手に負えそうにないから、帰ってくれよと、言ってみたのですが、
どうも帰ってくれず、今、こういうことになっている、というところです。
私は評論家や研究者でもなし、出来る事なら、こんな厄介な事に関わりたくない、
しかし、これらは、もはや、専門家の仕事ではなく、一人一人の仕事としてやれよと、
返されている時代のような気はしています。

これには、現在のあらゆる問題に対して一体何が、それらを生じさせているの
だろうか、と見た時に、過去の未消化物、その一つが戦争で、まだ、それだけ
ではないけれど、一つ一つやるしかないと諦めるしかない程、それらと切り離して
ご気楽に、私の体が立つことが出来ぬと実感した、という経緯がありました。

回答者様には、質問の真意を察して頂き、ご回答頂きましたこと、ありがたく存じます。

OKWaveではじめての質問です。
ベストアンサーというものを決定しなければならないようですが、
まだ、回答募集の状態にしておきたいので、先に心よりの感謝を申し上げます。

ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/19 16:12

アメリカから日本に帰国したのが73年。

映画公開当時は高校生でした。それにしても本当に戦後65年も経ってしまったのですね。77年当時はまだ、戦争を知っている人の方が日本に多かったので、家庭でもメディアでも、普通に体験談や終戦当時の印象を日常的に聴くことができていました。

その内容は二極に分かれていました。ひとつは、進駐軍が紳士的だったこと。「ギミーチョコレート」という有名なフレーズに代表されるように、子供たちは菓子目当てに米兵に群がり、ジャズや民主主義といった開放的なムードが輸入され、それまで「鬼畜米英」を本気で声高に叫んでいた一部の日本人に元気がなくなったほど、「鬼畜」と信じた「米英」は親切だったと聞きます。日本があんなに早く復興したのは、アメリカの開放的でありながら強い様子に圧倒されて、それに憧れたのが大きな要因だとされているのは有名な話ですよね。

一方で、兵隊ですから荒くれ上がりも当然いたわけで、当時、米兵に酷い目に遭った記憶をいまだに引きずっている日本人もいるんですよ。私も数年前に外国人向けのボランティア活動をしていたら、恨みを捨てきれない日本人に、抜歯道具を握ってすごまれたことがありますし、オーストラリア人と結婚している友人は電車の中で知らない日本人に「アメリカ人と結婚しやがって」と睨まれたと言います。そういうことは今でも基地の町にはつきものですよね。基地経済に潤い、米兵とバーベキューを囲みながら英会話を習う日本人もいれば、犯罪の被害に遭う日本人もいるわけです。

で、映画のアメリカ公開については、信頼できるアメリカの人気データベースIMDBのユーザー・レビューにあるとおりではないかと思いますのでURLをご参照ください。
http://www.imdb.com/title/tt0076460/

そもそもこの映画、私の知る限り、英語圏では話題になっていません。当時、観た人がアメリカにいたとしても、せいぜい日本映画びいきのオタクでしょうから、冷静に「作品」として鑑賞したと解釈するのが自然ではないかと思います。現に、URLのレビュアーも、英語が多少怪しいので完全なネイティヴではないにしても、くだんのシーンにはとりたてて触れていません。また、同データベースには、より無責任な「掲示板」もありますが、そこにも一切、書き込みはありませんし、ざっとネット検索しても意見らしいものは見当たりません。

いずれにせよ、ご回答にもあるように、77年というと、まだベトナム戦争の名残で、アメリカ国内には軍隊に対して否定的な見方があったので、くだんのシーンを観ても驚きはしなかったはずです。物語は、あのシーンがあってこその、戦後の暗部を浮き彫りにしたものなわけで、それは映画を映画として鑑賞すれば一目瞭然ですし、あのシーンの米兵らが占領軍全体を代表しているとは限らない旨は、大人なら判断がつくでしょう。ただ、レビュアーによると、アメリカ公開版は大幅に編集されていたそうです。とはいえ、このレビュアーは日本版とアメリカ版の両方を観ていて、質に大差なく両方とも見応えがあったと書いています。

ちなみに、アメリカの日本映画ファンのあいだで『人間の証明』よりも遥かに人気があるのが、リドリー・スコット監督作品『ブラック・レイン』で、やはり松田優作が主演です。ややネタバレになりますが、こちらもアメリカ占領に対する日本人の恨みつらみがベースとなった物語ですが、とりたててアメリカでそれが派手に問題になった形跡はありません。
http://www.imdb.com/title/tt0096933/

どのみち、戦争には必ず理不尽な暴力が伴うのは常識なわけで、70年代以降にアメリカが作った戦争映画には、必ずといっていいほど、軍隊の光と影が謳われています。とりわけ70年代前半は影一辺倒といっても過言ではありません。89年公開のアメリカ映画『カジュアリティーズ』でも、実際に起きた米兵によるベトナム人少女の集団レイプ殺人を描いています。確かに被害国に描かれるのと加害国が告発するのとでは印象が違うでしょうけれど、『パール・ハーバー』だって日本では娯楽作品として冷静に受け止められましたからね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。特に、色々な方々に纏わるエピソード、具体的な出来事、所作、言葉等は、当時を知らぬ者にとっては、参考になりました。未体験者にとって、体験者の方たちには自明なことが、感覚としては不明瞭なことがほとんどであり、体験を下に映画などを見れば当然想像が出来ることなども、不可である、というところもありました。ご指摘の通り、まだ戦争体験者の方が多かった時代には、ありふれた会話や雰囲気の中で、戦争に関して二次的に体験することが可能でしたが、そういうことも無くなってくると、たまたま見た数本の戦争映画だけが戦争の印象として体に残ってしまう、ということもあり得るのかもしれず、特に、時間の無い環境にある方や、孤立・限定的な人間関係、あふれすぎる情報の山の中で、的確な資料に出合うことが、寧ろ、困難になっている状況ではないかと、感じられました。身近に戦争体験者があった頃には、いつでも誰からでも、それぞれの感触を確かめることができたことも、そうではなくなりつつあります。同じ人たちであっても、そういう対話自体が減り、楽しい或いは軽い話が増し、妙なことに、そこに詰まらなさ、寂しさを感じ始めたようなところもありました。多くは語らず、ただ一言ぽつりと呟かれた言葉と共に吐き出された多くの風、それは、一つの感情ではない沢山の塊であって、そんな息を吐く人が減ったし、それをやりとりし合う機会を失いつつある自他の体への空虚感のようなものを自覚し始めたところでもあります。


改めて、ご回答者様皆様に、お礼申し上げます。

お礼日時:2010/06/02 06:49

日本が戦争に負けてアメリカに占領統治されていた時代なので、そういう事があっても


全然不思議ではない。近年でも沖縄が良い例だろう。
結論としては、戦争で負けて占領統治されれば、どの国に占領されても大小の違いはあれ
そういう事は普通にあると考えてもいいと思う。所詮は人間ですから。
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映画を見て、どうして、本当に、あったこと、にこだわるのだろうか。


原作や映画は、すべて、フィクションであり、脚本家、シナリオライター
の創作、である。1940年代から50年代の新聞縮刷版でも丹念に見れば
おおむね、そのようなことがあったのではないか、と想像できるし、或は
新聞にならなかったような事件も、相当数あるだろう。
また、たがが映画のワンシーンを見て、反発する、というのも、頷けない。
お回り→巡査=お巡り、侵す→犯す、など誤字の方が気になる。

すべてを体験できないから、「映画」を見る、のではないかと思うが
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