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ヨーロッパに移民したイスラム系の人達がその土地に溶け込まないのはなぜですか?

欧米にイスラム教徒はたくさんいますが、彼らは自分達と同じイスラム教徒同士で固まって住み、ゲットーを形成していると聞きます。そもそもなぜ彼らは現地に溶け込もうとしないのでしょうか?「郷に入っては郷に従え」ということをしないのでしょうか?

A 回答 (8件)

イスラム系の大半の人はとけ込んでますよ。



イスラム系にもいろいろ種類がありまして、
その中でもイスラム原理主義という他宗教排除の思想を持った人達が集まったり
テロを起こしたりしてるんです。
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もうすでに明快な回答を皆さんがお出しになっておりますので蛇足となりますが、キリスト教とイスラム教の対立の歴史という側面で申し上げますと、英語で「暗殺者」はassassin(アサシン)、「暗殺」はassassination(アサシネーション)と言いまして、これは13世紀に十字軍遠征当時、キリスト教徒の指導者を暗殺することを目的とした狂信的なイスラム教徒の秘密結社がパレスチナにあり、その指導者は、ハシシという麻から精製した麻酔薬を部下に飲ませて暗殺の気持ちを昂揚させたため、このハシシ(hashishi)から英語の暗殺(アサシネーション)が生まれたようです。

歴史の陰に深い対立の側面がある、という話です。
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>>ヨーロッパに移民したイスラム系の人達がその土地に溶け込まないのはなぜですか?



すでに多くの回答が出ていますね。その傾向は、イスラム系の人だけではありません。ちょっと前に英国の首相ゴードンブラウン氏が、タクシーに乗り込む時、ピンマイクを外し忘れて、「最悪だよ、誰があんな偏屈な女との会見を考えたんだよ・・・」と秘書に小言を言ったのが漏れて国際的に大きな失言騒動になりました。

あれは、誰もが感じながらも、口にできない移民問題というタブーの失言ととらえられ大きな問題になったようです。

移民の方達が一定の地域に集団で住もうとも、その国の法律を守り、地元の方々に迷惑をかけないなら、それは許容範囲でしょう。でも、上海万博でも明らかになりましたが、中国人は、多くの日本人からみると、許容できないレベルのことが、当たり前だったりします。ちょっとした”マナー違反”レベルのすれ違いならまだしも、日々の快適な生活、生命・財産など地域の安全、公共サービス、納税問題などにおけるすれ違いとなると、もう許容できない範囲になりますね。

それは、移民の側からしても、「この国の法律は、俺たちに会わない。俺たちのルールに合うように、この国の法律を変えよう!!」と考えるわけですね。そういう問題が、移民を推進したヨーロッパ各国で発生しているようです。

ただ、少子化の進む日本にとっては、国の活力を維持するためにも、移民は必要なのかもしれません。日本のマナーを知って、法律を守り、万一、戦争が発生したときは、日本のために戦うという方々は認めるほうがいいのかもしれません。


とはいえ、民主党が「外国人参政権」を強力に推進しようとしているのも、日本にいる中国・韓国系などの人達の権益拡大を計り最終的には「日本を中国の属領にしたい」という民主党の野望に沿ったものですし、中国の方々は、いざとなったなら、日本に住んでいても”中国軍として日本人と戦う”という中国の法律にもうすぐ縛られるらしいので、移民を認めるには、問題大きすぎですけどね。
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この回答へのお礼

中国人の形成するチャイナタウン、韓国人の形成するコリアンタウン・・・。なにもイスラム系の移民に限らず、世界中の多くの移民の方々は集まって暮らしているみたいですね。我々日本人のように現地に溶け込もうとするのはどうもゲットーを作っている人達よりも少ない気がします。日本人の持つアイデンティティというのがなさすぎるのか、それとも移民の持つアイデンティティが高すぎるのか。

お礼日時:2010/05/28 14:17

すでに指摘されてますが別にイスラム教徒に限った事じゃないと思いますし、何より全員が全員そうしてるとは思いませんがね。

例えば日本人もアメリカに移住し始めた当初はカルフォニア州のサンフランシスコに「日本人町」を作りました(今も現存していますが趣は大分変わっています)。何でそうなりがちかと言うと、まずなんでこう言う物が形成されるか考える必要があります。

まず第一に言えるのが自分一人で(もしくは自分の家族と一緒に)他の国にいきなりやってきてそこの現地の人ばかり住むような住宅街に住むより「楽」だからです。そもそも経済的な問題でそんな立派な住宅地に居を構えれない人も多いでしょうしね、移住する人なら。先にやってきてそこに住んでいる同胞の助けとかが得られ、言葉が通じるという安心感もあります。ただし当たり前の事ではあるんですが、これはマイナスの側面もあります。そのコミュニティーがあまりに大きくてそこ手自己完結してしまえるようになってしまうと、周囲(この場合は、その国ですね)に溶け込む必要がなくなってしまいます。例えばアメリカのニューヨークにあるチャイナタウンなどの場合だと、そこで生まれてそこの近くの学校に行ってアメリカに住んでいながらほとんど「アメリカ」と接する事無く育つ事が可能なんです。その場合下手するとアメリカ生まれでアメリカ育ちなのに母国語は中国語で英語が下手、と言う人が結構出てきます。

他にもユダヤ人と言うのもあんまり周囲に溶け込みませんね。必ずしもコミュニティーを形成してそこでしか活動しないと言うわけではないのですが、横の連帯が凄まじく強い。この前自分の職場の近所で(ニューヨークです、ちなみに)こっちのユダヤ人が2世、3世、それにどう見ても4世に見えるような子供まで動員して「イスラエル応援デモ」を行っていました。2世はまだしも3世や4世になると祖国との繋がりは相当薄くなるのが常で、ある意味驚異的だとすら思いましたね、これは。

他にもアメリカの場合だと黒人のコミュニティーやヒスパニックのコミュニティーなど(最近であれば一番数を増やしているのはヒスパニックですね)色々なコミュニティーが形成されています。全員が全員そこに所属しているわけではありませんし、所謂「メインストリーム」に溶け込もうとする人も決して少なくありませんがこう言う「同族の集合体」も厳然として存在するわけです。なので別に欧州に住んでいるイスラム教徒の人達が特に特殊だとは自分は全く思いません。どちらかと言うと結構普通な事だと思います、が、やはり宗教に起因した文化的な相違が大きいので目だっているだけだと思いますね。
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ゲットーを形成しているというのは、現実的ではないような・・・。



自国にいるときは、自分の文化を気にしないで生きていますが、全く異なる文化の場所に住むとなると、自分が異なっている文化に属していることが非常に気になるようになりますよね。その際、イスラームは欧米の文化に対して際立って異なっていることを実感させられてしまうので、本国にいたときはあまり感じていなかったムスリムとしてのアイデンティティを欧米など外国で強く感じるようになる、という論理はよく聞きます。若い人の間で移住前はそれほど原理主義的でなかったのに、移住後に原理主義的な考え方をもつようになるということもしばしばあったような気もします。

すなわち、自分のアイデンティティーを意識させられるのは、往々にして異なる他の人たちに囲まれるときが多いですので、ムスリムもまた同様に移住先で自分たちのアイデンティティーを強く意識し、固まって住むことに繋がるということでしょうか。

またムスリムの場合、生活の便宜としてそうせざるを得ない要素もあると思います。礼拝するモスクが生活圏の近くにないと困ってしまいますし、ハラールミート(一定の儀式を経てイスラーム的に合法化される肉)を買う箇所が遠いとやはり困るわけで、その他生活事情、教育事情もあって、固まって居住する方が何かと便利ということも原因の一つではないでしょうか。

それと、固まって居住することが、その土地に溶け込まないこととは全くの別問題と感じますけど。

蛇足として、イスラーム圏では当たり前のように聞こえてくるモスクの礼拝の呼びかけ(スピーカーでガンガンやるのですけど)が聞こえない地域に移住すると、かなり寂しくなるような気もします(日本では石焼イモが空耳でそう聞こえることがある)。となると、日本や欧米で、まさかガンガン呼びかけをすることもできないので、一つの箇所に集まり住みたくなる心理が生じやすくなるような気もしますよ。
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この回答へのお礼

私自身、自分の父にイスラム系移民が現地に溶け込まないのはなぜ?と聞いたことがあるのですが、「現地の人間は移民に自分達の習慣や文化を合わせるように強制する。欧米的な文化に無理やり合わせようとするから移民達は集まって暮らしている」と言っていました。やはりヨーロッパの方では異なる文化を持つ移民はその土地の文化に合わせるようにしなければならないとするとなかなか問題は難しそうですね。

お礼日時:2010/05/28 14:13

まず長い歴史として、イスラム教徒はキリスト教徒の敵だったわけで、欧米にはイスラム教を排斥する文化があります。


(逆にイスラム教徒はキリスト教徒を排斥しない)
これは歴史上永く(だいたい15cくらいまで)イスラム教のほうが文化・科学面で進んでいて、キリスト教徒にとってイスラム教は超えるべき壁だったからです。

さらにイスラム教徒は定時の御祈りと、牙のあるものを食べないという文化があり、食と生活習慣の両面でキリスト教徒と集団生活を共にするのが困難なわけです。
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この回答へのお礼

キリスト教がイスラム教を排除しようとするのに対し、イスラム教の方はキリスト教を排除しないというのがなかなか興味深いですね。一神教同士の双方ですが、寛容性という面において違いが見られるようです。

お礼日時:2010/05/28 14:07

各国に中華街がありますので、イスラム系に限りません。


我々日本人が海外旅行で日本語・日本食を欲するように、
異国での長期滞在者には母国の言語・食べ物が必要です。
また、溶け込む以前に、差別で受け入れられないのかも。
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溶け込んでいる人も大勢いますよ。

でも日本の企業から赴任している日本人だって、かなり固まってるでしょ。日本に来ている白人や、フィリピン人や、ムスリムも、同様。溶け込んでいる人もいるけれど、多くは固まっている。

とかく人間、特に(経済的な理由など)否応なしに外国に行っている場合は、できるだけ母国にいる時と同じように暮らしたいと思うものです。そのほうが安心だからです。母国語が通じて、母国の習慣が通用して、母国の食べ物が食べられる環境のほうがね。子供たちにだって、帰国した時に困らないよう、母国の教育を受けさせたいと思うもの。

で、そんなことばかりやってるもんだから、地元民からは不振がられたり、近寄りがたいと思われたりして、溶け込むにも溶け込めない。だいたい言葉が通じにくいし、習慣も違うと来た。いや、先に地元民(つまり日本でいえば私たち)のほうが彼らを排斥したのかな。ニワトリが先かタマゴが先か。
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