痔になりやすい生活習慣とは?

真珠湾攻撃をきっかけとして、日米は開戦しました。日独伊三国軍事同盟では、参戦義務がない。よしんば、同義的(?)に責務があったとしても、独ソ不可侵条約を、きままに破ったヒトラーが、条約を履行する必要性は無いと考えます。
わが闘争では、日本人を猿真似上手とまで、断定していたヒトラーが日本人を救う(?)行為をとるとも思えません。
※ ちなみに、わが闘争の戦前の翻訳では、その部分が割愛されていたそうです。

なぜ、欧州戦線で不利になる「対米宣戦」を行ったのでしょうか?

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A 回答 (5件)

下記ウエブによれば、歴史の謎であり、現在も議論が別れていると。



参考URL:http://www.jiyuu-shikan.org/store/book/zasshi/za …

この回答への補足

質問を出す前に、意外と新説・珍説ありや、なしやと、参考URLも見てまいりました。

だいたい、どこの本を読んでもさらっと、12月10日 独伊が対米宣戦・・・と、さも当たり前のように書いてあるんですよね。

補足日時:2003/07/08 00:16
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 #2で回答した者です。


 「今は、ちょっと成功しているが、たいした事ない、
  さるまねだ」というようなものでした。

  知っていますよ、公式?にはそのようなことを言っていたのは、ただ、これはドイツ民族が優秀であるに繋げるためのものであったと思います。

 しかしながらイタリアはともかく?日本に対して本心では敬意を払うまではなくても遠い極東にまで来たことがあるくらいですから期待していた部分はあったように思います。
 あのユダヤ人迫害についても彼自身がユダヤ人の血をひいていたような記述も残っているのですから、どこまでが本心かわかりません。もしも、ドイツの科学者がアメリカに行かなければ原爆があのように落とされることがなかったとか聞いてます(確かユダヤ人の科学者でしたか?)。
 そのような科学者がアメリカに行けたのも不思議です、ふつう裏切り者は殺されるはずですよね。

 それにヒトラー自身は生きていたということが囁かれていたとおり、謎の満ちた人物です。どこかの独裁者みたいな単純な人物ではないように思います。
 ほんとうの真意が語られたら驚くべきことだったかもしれませんね。
 

この回答への補足

http://www.stormfront.org/books/mein_kampf/mkv1c …

ここに、原文ではありませんが、英語訳のわが闘争がありました。日本に関する認識は、「東アジアで成功している日本があるが、ヨーロッパやアメリカ=アーリア人のまねをしているだけで、その影響がなくなれば、化石化しちゃう」って事です。

わが闘争のすごいのは、書いてある事をやってしまったということです。ユダヤ人の民族浄化しかり、東方へのドイツ人生存圏の確保しかり。書いた事=本心と考えてよいかと考えます。

本心でもなければ、ユダヤ人を何百万人も組織的に殺さないでしょう。

まったく なぞだ

補足日時:2003/07/05 22:21
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救うというより、日本を利用しようとしていたのでは無いでしょうか。



日本が戦争をした理由と、ドイツが戦争をした理由は
違いますよね。

ただ、大国と闘うためには、孤軍奮闘では勝てません。
日本が奇襲攻撃をかけて、宣戦布告した当初は、
一時的でしたが日本が優勢だった時期がありました。

つまり、米国の戦力が分断されると判断して、勝機を見出していたのかもしれませんね。

この回答への補足

大国と戦うために、孤軍奮闘では勝てない事は、道理なのですが、アメリカを欧州戦線に呼び込む必要はなかったかと考えるのです。
独ソ戦で、ドイツが優勢でも、日本は対ソ宣戦しなかったと同じ理屈です。

日本が大国(アメリカ)と戦うために、独伊の参戦を促すのはわかるのですが、独伊が参戦する理由がわからないのです。

日本を利用・・・とすれば、ソ連シベリア軍団が欧州戦線に回らないように、日本の関東軍がもっと、示威行動を続けてもらったほうが、よっぽど効果的だったのに。

補足日時:2003/07/05 13:03
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 どう考えても結論はでないと思います。

だれが考えても無謀としかいいようがない暴挙です。実はヒトラーは負けるためにそうしたと書かれている本もあったりします。その理由は神の国をつくるためとか?そういうのは神秘性に乏しいですが、そうでもなければ、あのような馬鹿げたことをしないでしょう。
 あそこまでドイツで急速に成り上がったということは、ただの馬鹿でも狂人ということもないはずです。
 本人に聞く以外には本当の理由はわからないはずですが、日本に義理立てとかは考えられません。
 欧州での戦闘も終結していないのに無理することを日本も求めてはいなかったでしょうしね。

 ただ、日本のことを馬鹿にはしていなかったとは思います。それなら日本とは手を結ぶこともなかったはずですから。

この回答への補足

井上成美を称揚するHPですが
http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/kaigun02.htm
とあるように、人種主義者のヒトラーは日本人を評価していませんでした。昔になりますが、戦後の翻訳したものを、私は読みました。「今は、ちょっと成功しているが、たいした事ない、さるまねだ」というようなものでした。

大の反共主義者であっても、目的のために独ソ不可侵条約を結んじゃう人ですから、日本とも平気で(?)手を結んじゃったんじゃないですかね。

小説だか、マンガで対米宣戦布告に関して将官が「総統は、対ソ戦に決着をつけられない、ドイツ民族に、罰を与えられたのだ」なんてつぶやくものがありました。

結構、そんなところだったのかもしれません、独裁者の考える事はわからん。

補足日時:2003/07/05 12:58
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米の旗色が既に連合側であることが明白であった以上、宣戦布告して合法的に通商破壊戦を仕掛けるのが得策と判断したためではないでしょうか。



自信ありませんが。

この回答への補足

アメリカが、明白にイギリス側に立っていたとしても、それまで、ドイツは、隠忍自重していたわけですよね。

通商破壊戦にしても、公式に米軍を介入させて、敵を増やすよりも、イギリス単独だったほうが、効果的だと思うんです。

日米開戦! やた~~ 米軍は太平洋だ!大西洋は放置という方向で・・・

と、したほうが、純軍事的にはよいと思うんですよね。

補足日時:2003/07/05 12:25
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この回答へのお礼

通商破壊戦は、日本が手抜かった部分で、大西洋では、独英ともかなり必死でした。
「大西洋では本気じゃないから、本気の太平洋で日本でやりなよ!」とした方が、国家としての合理性を追求しているという意味で、合理的でないと思うんです。

お礼日時:2003/07/08 17:26

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Qドイツとアメリカが戦った理由は?(第二次世界大戦)

ドイツが英、ソ連と開戦したとき日本は傍観していました。
日本がアメリカに宣戦布告するとドイツとアメリカは戦いました。
ドイツの立場になってみれば、強国アメリカと戦火を交えるのは避けたいところです。
どういう事情なのでしょうか?
チャーチルがアメリカに泣きついたからでしょうか?
アメリカはドイツと戦いたかったのでしょうか?
そのあたりの事情を教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

他の回答者の方もおっしゃられているように同盟の規約によりドイツは対米宣戦せざるを得ませんでした

ドイツにとってはかなり不利であることは確かです
なぜなら戦略物資ニッケルをドイツはアメリカからの輸入に頼っていたからです
ニッケルの不足は戦車などの装甲板に必要な物資であったためドイツは代替装甲を作製するのに苦労しました

もっとも戦車の砲弾に必要なタングステンも中国からの輸入に頼っていたので
日本との同盟により途絶
代わりにポルトガルの植民地から調達していましたが
戦争中期にイギリスがポルトガルのサラザール政権に圧力をかけ禁輸されました

国際政治学者の高橋和夫氏がおっしゃられているように
アメリカはイギリスとかドイツとか単一国家が台頭しても政治的、経済的に十二分対抗できると考えていましたが
武力にしろ平和的手段にしろヨーロッパに統一的なスーパーパワー的国家が現れると極めて不利な状況に陥ると危惧していました
はたして第一次、第二次世界大戦でドイツがその一歩手前まできたのです

結局アメリカの参戦で戦局は連合国有利になりスーパーパワー的国家出現が阻止されたともに
戦争末期のブレドンウッズ会議で経済的にもそれまで国際機軸通貨であったポンドからドルへ代わらせることにも成功しました

軍事的に不可能であったヨーロッパのスーパーパワー的国家は結局EUという形で後日実現してしまうのですが

長文失礼致しました

他の回答者の方もおっしゃられているように同盟の規約によりドイツは対米宣戦せざるを得ませんでした

ドイツにとってはかなり不利であることは確かです
なぜなら戦略物資ニッケルをドイツはアメリカからの輸入に頼っていたからです
ニッケルの不足は戦車などの装甲板に必要な物資であったためドイツは代替装甲を作製するのに苦労しました

もっとも戦車の砲弾に必要なタングステンも中国からの輸入に頼っていたので
日本との同盟により途絶
代わりにポルトガルの植民地から調達していましたが
戦争中期...続きを読む

Qソ連がナチスドイツに勝てた理由

第二次世界大戦で日本がアメリカに負けた理由は資源や兵器の物量の差が理由だったというのは、そう言われたら確かにそうだろうと思うのですが、ナチスドイツに国土を蹂躙され、生産設備をほとんど破壊されたはずのソ連がドイツに侵攻し、最終的にベルリンを占領できるほどの力を蓄えることができた理由がよくわかりません。焦土と化した国内でどうやって兵士を訓練し、兵器を増産できたのでしょうか。
普通に考えたら、独ソ戦は日中戦争のヨーロッパ版みたいなもので、ソ連は最終的にドイツを追い出すことには成功するでしょうが、相手方の国土に攻め込むほどの余力はとても持てないのではないかと思うのですが。

Aベストアンサー

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

それからイギリスが受け取ったレンドリースは、大戦を通じてソ連の3倍にも及ぶ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html

 だが、現実は違った。ヒトラーは、対ソ侵攻開始直前の四一年六月十一日に発令した総統指令第32号「バルバロッサ以後の事態の準備について」の中で、対ソ戦が終結した後の四一年から四二年にかけての冬の期間に、陸軍の60個師団をロシアに駐留させるとの計画を立て、この駐留で必要となる冬季用装備についても陸軍側で手配が完了していた。
 ところが、四一年十月以降、ソ連国内での鉄道輸送網がパンク状態に陥っていたことから、用意された冬季用装備は、輸送手段がないためポーランドのワルシャワで山積みになったまま放置されてしまう。
http://wau.private.coocan.jp/wwtef/gaso/kampfe_vor_moskau.pdf

「終戦までのドイツ国防軍全体の損失は1348万8000人を数えた。このうち1075万8000人が東部戦線で戦死するか捕虜になった」
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784059011736

 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/


戦線別ドイツ軍戦死者統計
Losses per theater
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater


<各戦線のドイツ軍機損失 GRUのデータ3476号>
En frente sovietico-aleman(独ソ戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 4 200
Durante 1942 11 550
Durante 1943 15 200
Durante 1944 17 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 400
En frente occidental(西部戦線)
Durante 1941 (desde 22.6) 500
Durante 1942 800
Durante 1943 1 800
Durante 1944 14 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 4 200
En Alemania y en los paises ocupados {2}(ドイツ国内)
Durante 1941 (desde 22.6) 800
Durante 1942 1 300
Durante 1943 4 850
Durante 1944 2 500
Durante 1945 (hasta 9.5) 1 500
Total aviones perdidos
Durante 1941 (desde 22.6) 5 500
Durante 1942 13 650
Durante 1943 21 850
Durante 1944 34 550
Durante 1945 (hasta 9.5) 10 100
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm

 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフトバッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたるも地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941~1942年
ドミートリィ・ハザーノフ/著 アレクサンドル・ペレヴォースチコフ/監修 小松徳仁/訳>

ノルマンディー上陸作戦
▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html

ちなみに米軍死者は欧州戦線で25万二千、太平洋戦線で15万6千人。

MILITARY      HOSTILE               NON-HOSTILE
ACTION       DEATHS      WOUNDED    DEATHS              
World War II
(1941-45)
Total          293,1216       670,846       115,185
European Theater  185,179        498,948       66,805
Pacific Theater    107,903        171,898       48,380
http://www.vfw.org/PR/Media%20Room/AmericasWarDead1775_2009.pdf  

1942年6月当時、ドイツ軍が北アフリカ戦線に投入したのは3個師団。これに対し東部戦線は171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0  ...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む


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