トラヤヌスの征服地について教えてください。
ローマ帝国の全盛期、パックスロマーナの五賢帝の一人のトラヤヌスは、
領土を最大に広げました。そのときにメソポタミア地方も征服しております。
このとき、具体的にメソポタミア地方に存在した国はどこですか?
セレウコス朝シリアはもう少し前に終わってる?
パルティアかなぁ。
ってところが、今いち本を読んでも分かりませんでした。

どなたか世界の歴史に精通している方、宜しくお願いいたします。

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A 回答 (2件)

はじめまして



アルサケス朝パルティアです

自分の持つ資料は微妙に年代がwikiとズレているので記します

114年 アルサケス朝パルティアでなんらかの原因で内紛が起こる
→ローマ皇帝トラヤヌス、その情報を入手、直ちに対パルティア討伐の軍を召集し侵攻

ローマ軍はアルサケス王家の分家が納めるアルメニア王国(それまでは名目的宗主権はローマ、実効支配はパルティア)を制圧
属州に編入、但し王家は存続させる

ローマ軍は南下し、シリアの重要都市エデッサ、メソポタミアの重要都市ニシビス、ハトラを次々攻略

115年 ローマ軍はパルティアの首都クテシフォンを陥落させる

116年 トラヤヌスは元老院からパルティア王の称号授与される
→トラヤヌスはさらに軍を進め、ペルシャ湾まで到達、全メソポタミアを完全制圧

しかし同時期にローマ帝国内の離散ユダヤ人の大反乱が勃発
トラヤヌスはやむなく主力軍を帝国へ召還しメソポタミアに永続支配体制を築けなかった

なお余談ですが、パルティアはササン朝に滅ぼされますが
アルメニア王国のアルサケス家の分家はローマに亡命
その子孫は6世紀のビザンティン軍の対東ゴート戦争の将軍の一人として参加
パルティアの王子と呼ばれていたようです
しかし形勢を挽回した東ゴート王トティラに敗れました
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答ありがとうございました!
パルティアですね。
しかし、最後のアルメニアの子孫が、かつてライバルだった
ローマに従軍して戦うなんて、何だか歴史は人間の中を生きて
いるんだな、とつくづく思いますね。
ありがとうございました!

お礼日時:2010/06/09 23:55

パルティアです。



ウィキですが・・・
「メソポタミア」・・ローマ属州時期のところを読んでみて下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD% …

そもそもパルティアの首都クテシフォンがメソポタミアにありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%86% …

また本屋さんで吉川弘文館発行の世界史年表などを見ていただければわかりますが、トラヤヌスがメソポタミアを獲得した時の遠征は「トラヤネスのメソポタミア大遠征(第5回パルティア戦争)」と記述されています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
年表には、パルティア戦争等、書いてあるんですね。。。

お礼日時:2010/06/09 23:54

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Qトラヤヌスの征服地について教えてください。

トラヤヌスの征服地について教えてください。
ローマ帝国の全盛期、パックスロマーナの五賢帝の一人のトラヤヌスは、
領土を最大に広げました。そのときにメソポタミア地方も征服しております。
このとき、具体的にメソポタミア地方に存在した国はどこですか?
セレウコス朝シリアはもう少し前に終わってる?
パルティアかなぁ。
ってところが、今いち本を読んでも分かりませんでした。

どなたか世界の歴史に精通している方、宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

はじめまして

アルサケス朝パルティアです

自分の持つ資料は微妙に年代がwikiとズレているので記します

114年 アルサケス朝パルティアでなんらかの原因で内紛が起こる
→ローマ皇帝トラヤヌス、その情報を入手、直ちに対パルティア討伐の軍を召集し侵攻

ローマ軍はアルサケス王家の分家が納めるアルメニア王国(それまでは名目的宗主権はローマ、実効支配はパルティア)を制圧
属州に編入、但し王家は存続させる

ローマ軍は南下し、シリアの重要都市エデッサ、メソポタミアの重要都市ニシビス、ハトラを次々攻略

115年 ローマ軍はパルティアの首都クテシフォンを陥落させる

116年 トラヤヌスは元老院からパルティア王の称号授与される
→トラヤヌスはさらに軍を進め、ペルシャ湾まで到達、全メソポタミアを完全制圧

しかし同時期にローマ帝国内の離散ユダヤ人の大反乱が勃発
トラヤヌスはやむなく主力軍を帝国へ召還しメソポタミアに永続支配体制を築けなかった

なお余談ですが、パルティアはササン朝に滅ぼされますが
アルメニア王国のアルサケス家の分家はローマに亡命
その子孫は6世紀のビザンティン軍の対東ゴート戦争の将軍の一人として参加
パルティアの王子と呼ばれていたようです
しかし形勢を挽回した東ゴート王トティラに敗れました

はじめまして

アルサケス朝パルティアです

自分の持つ資料は微妙に年代がwikiとズレているので記します

114年 アルサケス朝パルティアでなんらかの原因で内紛が起こる
→ローマ皇帝トラヤヌス、その情報を入手、直ちに対パルティア討伐の軍を召集し侵攻

ローマ軍はアルサケス王家の分家が納めるアルメニア王国(それまでは名目的宗主権はローマ、実効支配はパルティア)を制圧
属州に編入、但し王家は存続させる

ローマ軍は南下し、シリアの重要都市エデッサ、メソポタミアの重要都市ニシビス、ハ...続きを読む

Q後醍醐天皇は賢帝か?愚帝か?

日本の歴史上、最も高いカリスマ性をもった天皇とは?
明治天皇?昭和天皇?
それとも、伝説上の天皇・神武?蘇我氏を打倒した天智?
様々な意見はあろうかと思いますが、後醍醐天皇は外せないでしょう。

後醍醐天皇に仕えた楠木正成・新田義貞は今なお忠臣として名高く
英雄とされています。
後醍醐天皇の行なった「建武の親政」は武士を軽視した政治でしたが、
武士を省みない君主であっても、彼に対して忠誠を誓うとは、
相当なカリスマだったのもしれません。
後醍醐天皇は他に例を見ない程の野心家の天皇であった事は間違いない
でしょうが、彼の性格・人物像が私にはいまひとつ見えてきません。

後醍醐天皇は賢帝か?愚帝か?
みなさんのご意見をよろしくお願いします。

Aベストアンサー

>後醍醐天皇は賢帝か?愚帝か?

明治維新から1945年8月15日までの評価は、賢帝。
1945年8月16日以降の評価は、愚帝。

質問者さまがご存知かどうか分かりませんが、後醍醐天皇は「中継ぎ天皇」として登場しました。
後二条天皇が24歳で病死すると、花園天皇が即位。
後宇多上皇は、後二条天皇の皇子である邦良親王(当時3歳)に皇位を譲る+尊治親王(後の後醍醐天皇)の子孫は皇位を継承しない事を条件に「尊治親王を皇太子としました。
ところが、尊治親王が後醍醐天皇として即位するや否や「天皇は、誰にも譲らん!」と約束を反故にしました。
後二条天皇の弟が、後醍醐天皇です。

利用価値がある者は徹底的に利用し、その勢力が強くなると徹底的に排除に向かいます。
鎌倉幕府打倒には足利一門の力が必要なので「自らの名前の一字『尊』を高氏に与え『足利尊氏』が誕生」
尊氏の勢力・人気が高まると「反尊氏の先鋒である新田義貞を利用して、尊氏討伐を命令」

「自己顕示欲の塊」が、今の大勢を占めているようです。
政治も、全くのデタラメだったようですね。
後醍醐天皇時代の、有名な二条川原落書。
「この頃都に流行るもの。夜討・強盗・某論旨・召人・早馬・から騒動・自由出家・生首・にわか大名・からいくさ・訴訟人・下克上する成出者・・・」
和歌山県下津町の某寺起請文。
「後醍醐天皇の建武の頃、天下大いに乱れ、国々に騒動起こり・・・陸には盗賊窃盗多く、民家に押し入り財宝略奪し、神社仏閣の扉を破り、霊宝を奪う・・・」
政治には、一切興味が無かったようですね。
今の政治家と、何かよく似ています。

>後醍醐天皇は賢帝か?愚帝か?

明治維新から1945年8月15日までの評価は、賢帝。
1945年8月16日以降の評価は、愚帝。

質問者さまがご存知かどうか分かりませんが、後醍醐天皇は「中継ぎ天皇」として登場しました。
後二条天皇が24歳で病死すると、花園天皇が即位。
後宇多上皇は、後二条天皇の皇子である邦良親王(当時3歳)に皇位を譲る+尊治親王(後の後醍醐天皇)の子孫は皇位を継承しない事を条件に「尊治親王を皇太子としました。
ところが、尊治親王が後醍醐天皇として即位す...続きを読む

Qスペイン 移住 就職

現在私は日本国内の4年制大学(スペイン語スペイン文学科)に通っています。入学時はあまりスペインやスペイン語に興味がなかったのであまり勉強に身が入らなかったのですが、今年の夏に大学の企画で希望者が参加できる1カ月のスペイン留学に参加してから、スペインにとっても興味が出ました。現在、将来スペインに住みたいと思っています。

英語:日常会話には不都合なし
スペイン語:日曜会話ぎりぎり
資格は特に持っていなく、大学3年生です。
今のままではスペインで就職などもってのほか、住むことすら困難なことは承知しています。
もちろん残りの大学生活は必至でスペイン語の勉強をします。
必要なら大学卒業後スペインに留学に行くつもりです。


スペインでは、アパレルや家具、雑貨などの会社で働きたいと思っています。

卒業後の留学は必要でしょうか?
そのほかスペインで就職するために必要なことを教えて頂けるとありがたいです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 こんにちは
大学3年生、若し貴方(basantaさん)が本気で上記の御質問を御考えでしたなら、「もう二度と日本の敷居を跨ぐ事は無い」位の決意、信念、覚悟が必要だと思えます。
斯うゆう私が「其の時中途半端だった」から、だから敢えて申し上げ度いのです、「思い立ったが吉日」です、使い古された言葉ですが、「やらないで悔いを残すより、何(ど)の道悔いが在るんなら遣って措く可(べ)きだ」私の経験上、此れは「真」でしょうね。

私は、今でも悔やんでます、若き日、決断出来なかった事が、今でも彼(あ)の空の青(=蒼、碧)さ、忘れられません、今でも同じなんだろうなぁと、私が出発する前に抱いていた空の色そのまんまでした、今でも一寸辛い時、其の空を思い出しては何時も乗り越えて居ます。
先日、次のような回答をしてましたので(決して自慢では在りません)参考にしてみて下さい、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6973364.html ANo.1です。

斯うゆう私ですから、現地での留学も就職も在りませんが、basantaさんにとって少しでもお役に立てたらなぁ、そんな思いで回答した次第です。こんなページを見つけました、参考に成りますでしょうか?http://supeingogakka.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_d442.html 三分の一辺り「就労ビザ」をクリック。此処に結構、詳しく瓜谷望さん(プロフィール参考:Elche在住、当時31歳~結婚しました)の経験談が載ってますね、羨ましい限りです、でも「人は夫々の人生」です、basantaさんはbasantaさんの人生です、自分で切り開いて下さい。

矢張り大学は卒業(必ずしも必要条件では在りませんが)、そして留学(此れも必要条件では在りません)し、学生ビザでも出来る仕事に就き乍ら色んな情報を自分で集め、其の間就労ビザ再取得の為に来日を繰り返すかもしれませんね、「案ずるよりも産むが易し」です、唯、日本国内での情報、在スペイン日本大使館の見方、現地の雇用先(企業等)の考え、夫々が思惑が在ったりして、中々一致する事が少ないかも知れませんね。でも其れ等を乗り越えられた時、basantaさんは一人前のスペイン人にひょっとして本当に成れるのではないでしょうか?

※何処の国でもそうでしょうが、矢張り風来坊は、風来坊です、其の意味では「留学生」が先ずは無難でしょう。現地では矢張り、英語は余り通じません、西語を好くマスターして措きましょう、中田英(伊語)だって1~2年でペラペラでしたよね?
兎に角現代は、ワールドワイドな時代です、何も日本にだけ拘って居る必要は在りません(私は中途半端でした.....悔い)。

 こんにちは
大学3年生、若し貴方(basantaさん)が本気で上記の御質問を御考えでしたなら、「もう二度と日本の敷居を跨ぐ事は無い」位の決意、信念、覚悟が必要だと思えます。
斯うゆう私が「其の時中途半端だった」から、だから敢えて申し上げ度いのです、「思い立ったが吉日」です、使い古された言葉ですが、「やらないで悔いを残すより、何(ど)の道悔いが在るんなら遣って措く可(べ)きだ」私の経験上、此れは「真」でしょうね。

私は、今でも悔やんでます、若き日、決断出来なかった事が、今でも彼(あ...続きを読む

Q「源氏物語」に『朱雀帝』と『冷泉帝』が出てくる件に関して。

「源氏物語」には『朱雀帝』と『冷泉帝』が出てきますが、
なぜ実在の天皇の追号が架空の人物に用いられているのでしょうか。

どちらも紫式部のちょっと前の時代の人ですよね。
天皇をネタにすることがタブーではなかったということでしょうか。

Aベストアンサー

当時は高貴の人を実名(諱イミナ)で呼ぶ事は非常にタブー視されていたので官職や住居で表すのが慣例でした。西宮左大臣(源高明)、河原左大臣(源融)等。
上皇(法皇)も後院(上皇御所)の名で呼ばれたり崩御後は元号や御陵の名でも呼ばれるのが通例でした。上皇(法皇)が1人の時は単に院と呼ばれることもありますが。例えば生前の呼称では宇多天皇は仁和寺・亭子院・中六条院・朱雀院を転々としていて、その時によって呼び名も変わっていますし、陽成天皇も冷泉院を御所としている時は冷泉院、陽成院を御所としている時は陽成院と呼ばれていました(貞信公記)
朱雀院も冷泉院も当時有名な後院でそこに住んでいる上皇(法皇)は皆朱雀・冷泉院と呼ばれたわけです。
つまり源氏物語の朱雀・冷泉院はあくまでリアリティーを持たせるために作者が有名な後院の名を用いて、そこにお住まいの上皇様と表現しているだけなので問題はありません。

Qスペイン語の違い

こんにちは。
こないだの春休みにメキシコはカンクンに行ってきました。あそこの人たちのテンションには参りました!船の兄ちゃんたちや、バスを待っているおじちゃんまでが密かに音に合わせて揺れていてビックリしました(笑)
そこで聞いたスペイン語が印象的で、私は外大なので第3ヶ国語はスペイン語にしようと決めたんです。しかし、いざスペイン語クラスのお試し授業(うちの大学にはそういう期間があります)を受けてみたら、私がカンクンで聞いたスペイン語となんか違うんです・・・。音が滑らかというか。"音"の違いで熱が冷めてしまい、スペイン語は取りませんでした。

実際、本土スペインのスペイン語と南米のスペイン語はどのように違うんでしょうか?

Aベストアンサー

スペイン語は方言(dialecto)が極めて大きい言語です。
それは、音声学的な国際的な標準語というものがないからです。
スペインでしたらスペイン国営放送のスペイン語が標準語となるのでしょうが、それでも地方やスペイン領にいくと語彙やアクセントがかなりかわり、アンダルシアなどではその訛りに誇りをもっています。
又、中南米や南米の人は自分たちのスペイン語こそ、本流だと思っています。言語学でいうところの「恣意的な選択」といえるのかもしれません。といったところで、各自勝手に(?)話しているので、発音、語彙、イントネーションもかなり違い、国や地方によっては通じない事もよくあります。

母国語としてある言語を身につけると、微妙なアクセントの違いを見分けるのがが難しかったり、発音を治すのが大変ですが、外国語としてとらえると柔軟に対応できます。つまり切り替えはネイティブほど困難ではありません。
だから学校で習うスペイン語をしっかり身につければ、カンクーンに行ったときは彼らのように話せます。

スペイン語の多様性を感じたエピソードとしては、映画でメキシコ人とスペイン人が会話しているのですが、お互い気付いていないけど、会話が全くかみあっていない、というシーンがありました。
あと、(本当の話)、南米にいたとき、メキシコの観光客とお店の人の会話が通じていなかったのを、外国人の私が通訳してあげたこともありました。(単にその人はジュースを買いたかっただけなのですが、何で相手が分っていないのかが分っていない、つまり使っている単語が違ったわけです)
その他スペイン語の多様性で笑ってしまったエピソードは山ほどあります。それだけ奥深く楽しい言語です。

アメリカのマイアミにいくと、本当に色々なスペイン語が氾濫しています。私が音声的に面白いというか最初冗談かと思ったのはアルゼンチンのスペイン語のアクセントです。それでも住んでいると自然にそのように話してしまってました。キューバのスペイン語もとても特徴があります。

外語大いいですね。外大にすすんだ私の友人も、選択でここぞとばかりあまり学べない希少な言語(古代ギリシャ語とか)を学んでいました。
語学はきっとお好きなのですね。だったら是非スペイン語に挑戦して、この多様性を楽しんでくださいね。

スペイン語は方言(dialecto)が極めて大きい言語です。
それは、音声学的な国際的な標準語というものがないからです。
スペインでしたらスペイン国営放送のスペイン語が標準語となるのでしょうが、それでも地方やスペイン領にいくと語彙やアクセントがかなりかわり、アンダルシアなどではその訛りに誇りをもっています。
又、中南米や南米の人は自分たちのスペイン語こそ、本流だと思っています。言語学でいうところの「恣意的な選択」といえるのかもしれません。といったところで、各自勝手に(?)話してい...続きを読む

Q古代メソポタミアの神話のapkalluについて

 古代メソポタミア神話で、神々が遣わしたとされるapkallu(seven sages)について教えてください。
apkalluとは、アプカルと読むのでしょうか?

 因みに、apkalluは、神々が、自分たちのために地面を耕し、ご飯をもらえるように遣わしたとされる最初の人間たちが働き方を知らないために遣わしたものとされているようです。

 どうぞよろしくお願いします

Aベストアンサー

>やっぱりアプカル、と読めばよいのでしょうか?しらべてもわからなくて。
FFじゃあアプカルで定着してるみたいなんでGoogleでもアプカルにされてしまうんですが

シュメール人・アッカド人・バビロニア人・アッシリア人がどう発音してたかは不明ですが。


ギリシャ語では「アプカッル」 apkallu (ギリシャ語)らしいです。

http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/51418658.html

メソポタミアの魚人伝承「バビロニアのベール神官」

アプカッル apkallu (ギリシャ語)

シュメル語による解釈「小嶋 秋彦」

ap[ab]-ha[ku]-lulu

海の  魚  人々「複数」 海の魚人たち・魚人


「アプカルー」かも
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Study_of_Mithra.htm
七大師 Haftawane
 クルド語ではハフタワーネ。「七つの化身」を意味する。これも古代シュメールにさかのぼる。古代バビロニアの言葉(アッカド語?)ではアプカルー Apkalluという。七大天使、七大師、周期など、ミトラ教の主要部はカルデアンマギがシュメール以来の伝統*をもとにつくりあげたものである。今日これらは七光線論というかたちで、現代神智学の根幹を支える理論になっている。

*シュメール以来の伝統 カルデアンマギはバビロニア人とメディア人および両者の混血から生まれた子供たちからなる混成司祭団のこと。ミトラ教の正式なマギ団。バビロニア人とはシュメール人、アッカド人、グテ人、セム人の混血によって生まれた民族のことで、現在のイラク人のこと。グテ人はウル王朝を築いたことで知られる。先住者であるシュメール人・アッカド人と混血している。カルデアンマギの伝統はトランスヒマラヤ密教につながっている。


あと「アプカルル」かもしれない。

>やっぱりアプカル、と読めばよいのでしょうか?しらべてもわからなくて。
FFじゃあアプカルで定着してるみたいなんでGoogleでもアプカルにされてしまうんですが

シュメール人・アッカド人・バビロニア人・アッシリア人がどう発音してたかは不明ですが。


ギリシャ語では「アプカッル」 apkallu (ギリシャ語)らしいです。

http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/51418658.html

メソポタミアの魚人伝承「バビロニアのベール神官」

アプカッル apkallu (ギリシャ語)

シュメル語による解釈「小嶋 秋彦...続きを読む

Qスペイン語

無料で出来るスペイン語の翻訳サイト有りませんか?

日本語→スペイン語  スペイン語→日本語
   または、
英語→スペイン語   スペイン語→英語

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

いろいろあるサイトです。
http://www.kooss.com/honyaku/#P10

スペイン語←→日本語は、無料サイトだと無いのではないでしょうか?
英語と各国語はありますが。

皆さんおっしゃるように、不完全なものです。
単語の意味だけ調べるにも足りないことがありました。
(saludがhealthとしか出ない。乾杯の意味があるのに。。)

でも英語→日本語よりは、横文字どうしのほうがマシかも?
Webサイトの英文和訳をするとかなり笑えます・・・・。

Qメソポタミア文明とエジプト文明と古代ギリシアの関係

メソポタミアとエジプトの文明は、制度・宗教などでは大きな違いはありますが、相互の交流はあったようです。
インターネットなどでは、「エジプトはメソポタミアから多大な影響を受けた」などと書かれていますが、具体的にどのような影響なのかがわかりません。逆に「メソポタミアはエジプトの影響を受けていた」というようなことは見当たりませんでした。
質問:
(1)エジプトはメソポタミアから一体どのような影響なのでしょうか?
(2)文明としてメソポタミアの方がエジプトより進んでいたということでしょうか(例えば、政治などの制度や文字・暦などの創造で)。

もう一つ、
(3)古代ギリシアはエジプト、メソポタミア文明にどの程度影響を受けたのでしょうか?

Aベストアンサー

>)エジプトはメソポタミアから一体どのような影響なのでしょうか

パッと思いつくのは、鉄器文化です。
ただ鉄器を一番初めに使用したとされるのは、ヒッタイトですから、メソポタミアとは少し場所的に違いますが。

>文明としてメソポタミアの方がエジプトより進んでいたということでしょうか

そうではないと思います。
エジプト・メソポタミア・ヒッタイトの各文化圏は、シリアで重なっています。
シリアを通してお互いの文化が交流されたのだと思います。
ただ、軍事的に後に現れたアッシリアに全て併合されてしまいますから、軍事的には、歩兵主体のエジプト軍は、戦車主体のアッシリアにかなわなかったのでしょう。
同じ事は、歩兵主体のバビロニア(メソポタミア)にも言えます。

Q英語とスペイン語、両立出来るかどうか…。

去年1年間スペイン語教室に通って、趣味でスペイン語をやってました。
スペイン語の響きはとても好きで、これはこれで地道に続けていこうと思っています。
しかし、日本に住んでいてスペイン語の出番なんてほとんどないのがネック…。

そこで英語を始めようかどうか迷ってますが、スペイン語学習の経験って少しは役に立つのでしょうか?

ちなみに、学校の英語は赤点スレスレのレベルです。
文法などの小難しい事はどうも苦手で、勉強時間の大半は「喋る」「聞く」でに費やしてきました。
(YouTubeのスペイン語講座を繰り返し聞いて発音する、スペイン語のスポーツ中継や歌をひたすら聞く等)
しかも、去年1年スペイン語漬けだったので、英単語を見てもスペイン語っぽくなってしまいます(笑)

1から英会話を始めようと思ったら、今までのスペイン語学習経験は全て忘れて英語に没頭するぐらいの方がいいですか?
単語レベルでは日本語=英語=スペイン語(駅=station=estacionみたいな感じ)で関連付けて覚えたりもしてましたが…。
スペイン語を続けたおかげで外国語へのトラウマは少しなくなりましたが、英語/スペイン語を平行して勉強する事でデメリットはありますか?

最終的には、外人に道を聞かれたりや海外旅行で役立つ程度は覚えたいと思っています。

去年1年間スペイン語教室に通って、趣味でスペイン語をやってました。
スペイン語の響きはとても好きで、これはこれで地道に続けていこうと思っています。
しかし、日本に住んでいてスペイン語の出番なんてほとんどないのがネック…。

そこで英語を始めようかどうか迷ってますが、スペイン語学習の経験って少しは役に立つのでしょうか?

ちなみに、学校の英語は赤点スレスレのレベルです。
文法などの小難しい事はどうも苦手で、勉強時間の大半は「喋る」「聞く」でに費やしてきました。
(YouTubeのスペイン語講...続きを読む

Aベストアンサー

私はずっと英語をやっていて、最近、スペイン語を始めました。
スペイン語の響き、いいですよねー!rrの巻き舌発音が大好きです。

スペイン語と英語の並べ方はほぼ一緒です。
英語はスペイン語のように動詞の活用が多くないし、名詞の女性/男性の区別もなし。ただし、イレギュラーな活用が結構多いですね。
それと英語は主語が必ず必要。

スペイン語と英語は、とてもよく似ているので、英語で書いてある教材で勉強した方が楽に学習できます。その逆も然り、だと思います。

スペイン語とロシア語とか、スペイン語とアラビア語を同時に学習するとなるとめちゃくちゃ大変そうですが、スペイン語と英語ならイケると思います。

単語の覚え方は、私は英語とスペイン語でしか覚えてないです。日本語が入ると逆にややこしいので。まだ難しい言葉を覚えていないからかもしれませんが。

Qメソポタミア文明

こんにちは。もしご存知でしたらよろしくお願いします。
メソポタミア文明の物、特に粘土板の写真集とかがあれば
ほしいと思っています。存在するのでしょうか?
もし、よろしければ、教えてください。

Aベストアンサー

>メソポタミア文明の物、特に粘土板の写真集とかがあれば
ほしいと思っています。存在するのでしょうか?

粘土板に限らず、メソポタミア文明に関する事物が、多数の写真と記述によってコンパクトにまとめられているのが、創元社の「知の再発見」双書シリーズの43「メソポタミア文明」と、62「バビロニア」です。写真が多く見やすく、写真を見ているだけでも楽しめます。
また、メソポタミアに限らずオリエントの文物は帝国主義時代中心に欧米人により発掘され、現在欧米の博物館に収蔵されているものが多くあります。イギリスの大英博物館、パリのルーブル博物館、ベルリンのベルガモン博物館等です。大英博物館にはアッシリアのレリーフやハムラビ法典を刻んだ石碑、ウルのスタンダード(軍旗)など貴重な遺物がごく普通の状態で展示されており、あまり関心がもたれていないようでした。ルーブルも同じで、欧米人の関心が現在では薄いように思ったことがあります。これらの博物館のメソポタミアやオリエントの遺物については各博物館に関する図録集などにも載っています。
大英博物館に関しては日本放送出版協会から「大英博物館 全六巻」の内の第1巻「メソポタミア・文明の誕生」がまとまっています。今は絶版ですから、大きな図書館見つけられると思います。ほとんどの図書館がネットで所蔵本を検索可能ですので、検索してから行かれるとよいと思います。
また、ルーブル関係では世田谷美術館が「メソポタミア文明展 図録」を販売しています。
ともかく、身近に手に入るのは創元社の「知の再発見」双書ですので、見られることをお勧めします。

創元社「知の再発見」双書HP
http://www.sogensha.co.jp/book_series_sai/index.html
ウィキペディアの「知の再発見」双書のページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8

以上、参考まで。

>メソポタミア文明の物、特に粘土板の写真集とかがあれば
ほしいと思っています。存在するのでしょうか?

粘土板に限らず、メソポタミア文明に関する事物が、多数の写真と記述によってコンパクトにまとめられているのが、創元社の「知の再発見」双書シリーズの43「メソポタミア文明」と、62「バビロニア」です。写真が多く見やすく、写真を見ているだけでも楽しめます。
また、メソポタミアに限らずオリエントの文物は帝国主義時代中心に欧米人により発掘され、現在欧米の博物館に収蔵されているものが...続きを読む


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