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宇宙は万物である


宇宙について深く考察するうちに、宇宙が無限であることを証明する過程において、「宇宙は万物である」というテーゼに至った。
やはりギリシャ哲学は偉大である。
「宇宙は万物である」、これを否定することなどできまい。
 

A 回答 (20件中1~10件)

psytex様



私はNo.3の補足で質問者様が上げられていた回答.12を思いついた者です。
私には専門知識などないので上手く説明できないかと思いますが、
少しだけ説明させてください。
もしおかしいところがあれば、ご指摘いただければ嬉しいです。


この論で、観測者は観測すべき宇宙の中にいます。
観測者は神ならぬ人間なのですから、
例え有限宇宙があっても外から俯瞰「できません」。
当然自分がいる宇宙を、宇宙の内側から観測して有限性を確認するのです。

また、確かに論の最初に宇宙の有限を仮定していますが、
これは言わば「神の仮定」であり、この「神の仮定」以外の仮定は、
全て観測結果から観測者が仮定するであろう観測者視点の仮定になります。
最初の段階で観測者は宇宙の有限無限は認識しておらず、
観測者が観測した結果、有限を確認するよう仮定しているだけです。
別のカテでpsytex様がおっしゃっていたとおり、
「有限な存在性は観測される事によって生じています」ということですね。

だから最初から有限宇宙の外側の空間など想定していません。
無限の宇宙を仕込んでいる、という方もいますが、
この部分を勘違いしているように思います。

また、中からの観測で確認すべきは
宇宙が完全に閉ざされた空間で有限であること。
閉鎖空間=有限宇宙であれば、
その形状がどのような形であろうと何の意味もないのです。

有限を確認(実証)したならば、観測者は当然有限の境界を認識し、
この境界の外側が如何なるものか考え始めるでしょう。
そして論はあのような展開にいたる訳です。


以上です。

この回答への補足

 
無限宇宙は神を必要とせず、有限宇宙は無限の神を生む。
無限に生まれる神は人の数より多くなり、このとき神は神でなくなる。
このように無限の神を生む有限宇宙は矛盾を生じる。
やはり宇宙は無限である以外にないのである。

まとめると以下のようになる
 

補足日時:2010/06/04 06:22
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この回答へのお礼

有限宇宙のパラドックス

つまりこういうことです。
宇宙が無限であれば神はいらない。
しかし宇宙が有限であるためには神を生む必要がある。
ところがこのとき生まれる神は一つではなく無限に生まれのである。

お礼日時:2010/06/04 05:56

No.19です。


質問者様のまとめを踏まえてNo.19を読むと違和感が生じました。

「神の仮定」は撤回させてください。

数学カテの回答.12で、「宇宙を有限である」と仮定したのは観測者でも良いのです。
それが観測の動機になる訳ですから。

そして観測を開始すれば
「宇宙が有限である」(1)か「宇宙が無限である」
というどちらかの結果が出る訳です。

そこで有限が実証されなければ宇宙は無限で途中で論は終わり。
しかし有限が実証されれば次々と論は進みます。
そしてその結果が

※「宇宙αを内包する、宇宙αとは異なる空間が存在することになる」

に至り、次の展開に進みます。

この間に「神の目線」や「神の意思」は必要ありません。
まあ、確かに宇宙の果てまで観測し到達しうる技術があるのが前提ですが、
あくまで人間である観測者の目線・思考で論が進むのだと思ってください。
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>地球が丸いことの認識について、



地球以外に他の星も丸いじゃないですか。
△だって□であったって★型だっていいのに、なんで全部〇なのか?
これは無限である円周率と関係があるのぉ? とか思ったが、そこまで。
それから先、πと惑星の形が丸いこととを関連づけることはできなかった。
それやっちゃうと 映画πの人みたいになっちゃいそうだし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%CE%A0_(%E6%98%A0%E …


>大航海時代について

何千年も前に既に地球は球体であるということは理論上わかっていたが、実際確認するために外洋に出たってのは本当かなぁ?と思った。
コロンブスは船員が「船を進めると地球のはしっこにいって落ちてしまうから、これ以上は漕ぎたくない」と言い出さないように、「まだまだぜんぜん進んでいない」と嘘をついて航海を続けさせていた ってほんとかなぁ って思った。

実際は「噂によると金が取れる地域があるらしい その噂の土地を確認しよう」ってことで陸地通ると妨害されやすいから、海から行ったのかもしれない、、、、
この欲望がヨーロッパで巻き起こり、一攫千金を狙っていろんな領主が「俺たちのもんだぁ」ってわれ先にって争って大型の船作ったのかも。
だけど、それより500年も前にはもう既にバイキングがアメリカ大陸を知っててチョコチョコ渡っていたという。
北極星を頼りにバイキングは航海してちゃんとヨーロッパにも戻ってこれてたんですって。
バイキングってすごい公開技術があったが、星を観測することで今の場所はどこなのか特定できてたらしい。
バイキングの民族がイギリスの民族と融合していく過程をドキュメンタリー番組でみたことがある。


>生命誕生の起源について考えたのであった。

先日newtoneって雑誌の中の<生命の起源>だったかな そんな感じの本を買いました。
地球がどうやってできて、そこにはどういう物質がありそれら無機質がどうやって有機質を生み出し、それがどうやって生物になっていったのか が書かれていた。
で、実験でいくつかの物質を入れて原始の地球の簡略版を再現し、そこにプラズマだったかな?を照射しつづけていたら、DNAの元となる物質ができたって書いてあった。

地球の歴史のほとんどは無機質の歴史で、最後の方にやっと生命の歴史がちょびって加わることになった。
そのちょび っがまたまた途方も無い年月かかって微生物から生物になり昆虫みたいなものがでてきて、さらに何億年とかかって。。。。ってもういいよぉ ってくらいの年月がかかって原人とかできたみたい。
時々 突然変異が起こってたくさんの種類の生物ができて、環境に適応できない種はほろんでいって、生き残った種に突然変異が起こってまた枝分かれしてって なっていったらしい。


>kigurumiさんの耳、カワイイです。

「キリンの耳はどうして長いのか? 高い木の上の葉っぱを食べるために自らの首を長くしていったのである。」ってのは ありえねー と思う私です。
だって4本歩行の動物が上を見げるってあまりしないじゃないですか。 
2足歩行なら見上げられるし、猿みたいに後ろ足だけでお座りできたら上も見れるでしょうけど。
したがって突然変異で首が長い生物ができて、それで陸上の草が食べつくされても木の上の葉っぱは競争率が少なく食べれたから生き残っただけだと思う。

空を飛ぶためにダンボは耳を大きくしたんじゃなくて、突然変異で耳が大きい象さんとして生まれ、なんかがあって「あら飛べちゃった」ってなっただけだと思う。


>そして今年は宇宙について思索し、宇宙が無限であることを証明した。

宇宙は円周率だったってことですか?


>徐々に「人の道」は完成へと近づいています

πの映画の人がπにこだわりつづけ、いろんな目にあって神経すり減らすんですけど、ある日わかったんです。
「πに意味など無い」と。「数字には意味などない」と。
それがわかってやっと心の平和を取り戻せたってストーリー。
意味づけしちゃうと重力が生まれるが、意味づけしなければ磁場は発生しない。
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普通は目すら通さない。


これは読んだ。
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 ごめんなぁ


 誤植ってことでもないが、変換ができてなかったね。

 g3452sgpさん、敵前逃亡するぜ。
 最初のとうこうで断っているけどなぁ ⇒とうこうは投稿ね。
 
 老人になったからではなく、昔から事務はできない、事務能力のない事務職でした。
 政治のできない政治家です。
 それでも46年間大学の図書館で仕事してた。いやぁしてもらっていたんだな。
 ただ飯くって、今もただ飯くって。こういうのを製粉機っていう。粉がちがうが。
 あなたの質問のところに投稿で書くつもりがないのに、管理者が新たな質問を受け付けないから、間借りしたのです、許して頂戴ね。
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この回答へのお礼

私もgoo管理者の対応にはほんとガッカリしております。
 

お礼日時:2010/06/03 18:53

g3452sgpさん、敵前逃亡するぜ。


 最初のとうこうで断っているけどなぁ、実は回答のつもりはなくて、インド哲学がどうのとか、宇宙だの万物どのががちょいと気にかかるので、そのことを一応訂正のつもりで投稿した次第でしてね。
 だからこそ、誤解のないように、こういうことにならないように質問を出したけど、そういう形の質問は受け付けないそうでしてね。お宅のご質問にやむを得ず間借りさせていただきました。
 ほっとけばよかったですね。インドの哲学ってね、証明とか論証はないんですよ。
 数学や演繹、弁証などをの西洋的手法を知の範囲といって価値をみとめない。
 論証は自分でその真理に為りおおせて、自分で自分に知る、識る。それだけです。
 宸襟を煩わせてすんませんでしたな。
 70を坂も越える痴呆老人をどう呼んでも構いませんが、同じ哲学カテも困ったものですな。
 そして同じタームを使用する人間同士も困ったものですな。
 多少縁と命があったらSelf-Realization Fellowshipというところのパラマハンサ・ヨガナンダ大師のバガヴァッド・ギータを読まれるといい。
 大師のあるヨギの自叙伝には世界が球体という表現があるけど(50年も前の読書だが)、それは神の意識は世界が全部見えるという意味で、形状としての球体ではないんです。
 大師が宇宙的意識に入ったら、神になり、神にはすべてが見える。すべてが自己の意識の中に球体状態になって見える。
 という叙述はありましたがね。それは言葉の不完全性のために、そういう言葉表現しか出来なかっただけで、宇宙が球体だとは云ってはいません。
 釈尊の天上天下唯我独尊はつまり、創造の意識たるものは宇宙の中の独尊だで、自分が偉いなどといってはいません。
 そういうことで、小賢しい概念の加減乗除の西洋哲学とは次元が異なります。
 ごめんなさいね、立証とか証明をしろ、というg3452sgpさんの前で、敵前逃亡するよ。
 でも本質はきちんといってあるし、普通はりかいできるように説明はしてありますよ。
 まぁ東洋のもので証明とか立証とかあまりないのでと思うけど、あなたの恐ろしい罵詈雑言を少しだけ加減してください。さらばです、ご機嫌良ぅ。
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この回答へのお礼

別に気にすることはありません。
これで十分りっぱな回答になってますよ。
まあこの手の議論の場合、最終的にはこのようなものに落ち着くだろうという感じはしていましたがね。
私のカンですけどね。
証明なんて全然期待してません。

私のことを罵詈雑言を吐く狂犬のように思われているかもしれませんね。
まあ多少そのようなところがあるんだろうと自覚はしていますがね。
でも私などまだマシなほうです。実際この哲学カテにはもっとひどい狂犬がワンサとたむろしていますよ。
特に宗教、思想の類はいけませんね。必ず荒れるので。
だから私は宗教や思想には近寄らんことにしているんです。
真理の探究一つで行こう思っているんです。
でもどうしてもその系統から付いてくる者が出てくるわけです。
それで一時的に狂犬になったりするというわけです。
まあ気にせんでよかです、回答はりっぱなもんでした。

お礼日時:2010/06/03 18:22

#3の者です。



「有限なら境界がある」「境界があればその外がある」「ゆえに無限」
という論法には、「有限なら境界がある」という事の証明が必要です。
無数の位相空間の中で、「有限であって境界がない(球面やトーラスなど)」
ものは一般的だからです。
空間の曲率がゼロ=質量も運動もない空間です(我々が日常にそう感じて
しまうのは、我々のエネルギーレベルや空間サイズが非常に小さいからです)。
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この回答へのお礼

その指摘は実は単純である。
宇宙は幾何学的には球のようなもの、つまり有限であるがつなぎ目がないと言いたいのでしょう。
ただし、それは同時につなぎ目がない閉じた構造であることを意味する。
このとき閉じた幾何学的構造(球、トーラスなど)は常に別の閉じた幾何学的構造によって包含することが出来るのである。
そして通常の知覚が表す球体の境界とはこの性質を指すものであることは明白です。
もしそうではないというのであればそれは単なる詭弁というものでしょう。

お礼日時:2010/06/03 13:00

 ANo.11,12補足(ご参考のために):


 知、地の最果て、涯てにいったらまたその先がある。
 いつまでも、いつまでも。それを無限ということばで指し示すこともありましょう。
 人間とその知の行き着く涯てがない。
 類似の事象は図形表示でもあります。所謂るDroste効果とかfractalというものです。
 こういうのを無限もいうでしょうが、根源的、究極的無限と区別してとり止めがない繰り返しという事もあるようです。
 Drosteやfractalという立証もあり、根源的究極的無限を認識することもありうるかも知れません。
 人間とその知の彼岸的なものなのでしょう。
 そういうのを神や仏として一緒くたにする思考もありますね。
 わたしたちインドの哲学の端っこのものは、神や仏を信仰するみちでもありません、宇宙を球体だともしておりません。
 形も色も物もない。
 形や色、物のある宇宙は一つの見え方、構成の仕方(どういう意識が見たり、構成したりしているかはここではご提示しません)にすぎなく、非存在と対峙させた存在、つまり“有る”がないものだとはみておりません。
 そういう構成的見方を取り払った、“無”だとしています。
 これは繰り返しであるDrosteやfractalではない、価値と非価値の相対性でもありません。
 それが宇宙だと思います。
 物は誰かがあると構成してみているから、ある。
 その誰はご説明をここでは致しません。
 価値と存在というものもそういうものだ、としております。
 ですから球体だとは思っていません。別のことを説明するときに球体ということばは使いますが。
 古今東西、哲学は人それぞれですからね。どなたが世界は意識や存在に対応して、あるのだというご回答がありますが、私たちもそのように思い、しかもその無数の意識と世界はたった一つであると存じております。
 インドの神々が多ですが、それは一つであるという意味です。信心ではないのです。
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この回答へのお礼

 
あなたはインド哲学をされている人です。
なのであなたにも回答して頂きたい。
インド哲学では宇宙は有限なのですか無限なのですか、そしてインド哲学の方法でこれを証明して見せてもらいたい。宇宙が有限であれば有限であることを、無限であれば無限であることを証明するのです、インド哲学の方法で。

お礼日時:2010/06/03 11:12

 ANo.11補足:g3452sgp さんはプロフィールで宇宙は無限だと仰せです。


 それは体積として無限だという意味のようです。
 体積たる宇宙が万物だということのようです。
 無限の広がりには境界がない、そしてそれを無限として認識する可能性はどういう原理と媒体かも問題のような気がします。
 人が無限だと思っているところの最後にきたら、やはりその先が開けていく。だから、無限なのだというのがg3452sgp さんのご証明を渡しての理解でもあります。
 無限立証の一種の帰納法なのかしら?理数は全くダメなんですが。
 でもそれって、結局人間の知の中のことですね。それを超えることはもう哲学でもなく、学ではない。
 g3452sgp さんの神や仏の漬かりの状態、ということでしょうか?
 そうでしょうが、また反対にg3452sgp さんの立場は、人間の知と、人間という存在を前提にしているご論説ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

krya1998さんも面白いことを言う人だ。

人間が考えたり意見を述べたりするのは人間の立場でなされる以外にないのであって、
それ以外の立場で行うなど不可能なことではないのですか。
例えば、人間が道端の石になって何かを考えるとか、月になって何か話をするとか、
イソップ物語の世界であれば成り立つかましれませんがこの宇宙では成り立たないと思いますが。
 
 
 

お礼日時:2010/06/03 10:48

 g3452sgpさん ご質問を拝読しております。

回答ではなく、たいへんご面倒をおかけしますが、お教え頂ければ幸いです。(教えてもらいたいので、申し訳なく新規質問を出したのですが誤解されたようでした)

 1. 実は私もインド哲学の端っこを少し勉強してきました。
   ANo.1のお礼のところで、【宇宙が球体などと言っているのはインド・ヒンズーあたりの幼稚な哲学である】というコメントを書かれておられます。
   インド哲学も大変広範ですがどんなインド哲学で、どのような脈絡の中でそれは【宇宙が球体】といっているのか、可能でしたら教えてください。

 2. 【テーゼに到った】と仰せです。テーゼって私たちの使用範囲での意味はhttp://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/132364/m0u/% …の(2)で使ってきました。
  でもg3452sgpさんはそういう【結論】に到ったという意味でしょうか。
  あと“宇宙の当為的原理”(その認識に到った)とか、【宇宙はそういう原理である】とか、【そういう状態である】いう意味とかが考えられます。
   (1)g3452sgpさんはどういう意味でテーゼというタームを使っておられますか?
   (2)そして、【宇宙は万物である】というフレーズは原理をおっしゃっていますか?
   (3)当為の規範をおっしゃっていますか?
   (4)単に状況状態ですか?
   (5)それとも構造や基盤ですか?

 3.  【宇宙は万物である】とお互いに指し示すのですから対象ですね。
   (1)そうならばそれは存在として範囲があるのでしょうか?
   (2)範囲のない存在なのでしょうか?
   (3)範囲があれば、その境界や仕切りは何なんでしょうか?
   (4)宇宙イコール万物であり、万物そのものである。ということでしょうか?
   (5)それとも万物で成り立っているということでしょうか?
   (6)それとも万物を入れている、或いは存在させている入れ物や基盤という事でしょうか?

 4. その万物は個々バラバラにあるのでしょうか?
 5. 万物である個々は互いにどんな関係なのでしょうか?
 6. 個々である仕切、境界は何なのでしょうか?
 7. その万物の一つ一つが、仮に、消滅していくと宇宙はどうなるのでしょうか?
 8. 全部なくなるとどうなんでしょうか?
 9. 以上の事は哲学の問題ではないのでしょうか?
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この回答へのお礼

 
総数20近い質問ですので、一部割愛させて頂きます。

>2. 【テーゼに到った】と仰せです。・・・・
私におけるテーゼとは、真理の探究の結果得られるもの、つまりは宇宙に対する基本理念です。
宇宙について深く考えるうちに、宇宙が有限であるか無限であるか思索するうちに
再確認したのです、やはり「宇宙は万物である」と。
(ここでのテーゼは別段政治的意味合いはありません。もちろんその方面にて探究するのであれば政治的意味合いをもつのでしょうが)


>3.  【宇宙は万物である】とお互いに指し示すのですから対象ですね。

    宇宙≡万物 ( つまり、宇宙⊇万物 ∧ 宇宙⊆万物)

そして「宇宙は無限である」、これが答えです。

    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5935653.html  回答番号:No.12

    宇宙は無限であるのでそこに境界はありません。
    境界があるのは近所の庭とか公園あるいは測量により出てくる敷地です。

>4. その万物は個々バラバラにあるのでしょうか?

    あるときはバラバラであり、あるときは一体となったりします。
    人が死ねば土にかえります。このとき徐々にバラバラになりますが、
    同時に他の万物の個々に組込まれ一体となるのです。
    宇宙はこれを永遠に繰り返します。

    
>7. その万物の一つ一つが、仮に、消滅していくと宇宙はどうなるのでしょうか?
 8. 全部なくなるとどうなんでしょうか?

    人が死ねば土にかえります。このとき徐々にバラバラになりますが、
    同時に他の万物の個々に組込まれ一体となるのです。
    消滅はしません。
    宇宙はこれを永遠に繰り返します。
    宇宙が消滅することはありません。

>9. 以上の事は哲学の問題ではないのでしょうか?
   以上の事について哲学が答えを出せるのであれば哲学の問題ですし、
   答えが出せないのであれば哲学の問題ではありません。
   このとき哲学の存在価値はなく哲学の時代は終わったのです。
 
 

お礼日時:2010/06/03 09:47

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