痔になりやすい生活習慣とは?

もし自分が武将で敵軍は圧倒的な軍事力があり自分の軍は軍事力ではまったく歯が立たないという状況があったと

します 兵数でも兵器の質でもかなわないしかし負ければ自国は滅びるか衰退してしまう
貴方がこの自国の滅亡を防ぐための最後の決戦の総指揮を任されたとすればどうしますか
どのような戦略 奇策 対策 をしますか
地理や将軍たちの質 年代 国などの設定はお任せします

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A 回答 (4件)

歴史にあまり興味がない方でしょうか?


「勝つ」必要はないんですよね。滅ばない方法としては、過去にいくつもの例が実在します。

朝鮮半島の歴史では、民衆をほったらかしにして、国土を焦土化した後、支配者層だけが島に立てこもりました。ローマでもハンニバル軍に対して同様のことをしています。
敵軍が遠征軍の場合、補給線を押さえ込めば、逃げるだけで勝つことができます。

その応用編として、項羽と劉邦の戦いがあります。劉邦は超大軍ですが協力者の寄せ集め、それに対して項羽という圧倒的な強軍でした。項羽に対して、その補給線を邪魔するゲリラ軍を組織し、劉邦自身は十分な補給線を確保しつつ大陸を逃げ回ります。

国内では、真田幸村のお父さん昌幸さんが、圧倒的な大軍を中山道に釘付けにする、という戦いをしたことがあります。
また、大坂冬の陣自体も、ご指摘の状況での戦い方のひとつですね。実際には軍事以外の理由で失敗をしてしまっていますが、大戦略での劣勢を戦術で逆転させるための理想的な戦いを展開しています。その後の夏の陣では、一発逆転を図る一種の賭けのような戦いを試みています。本陣を一気に突く作戦を多方面で実施している方法ですね。

近代戦では、大規模なレベルでは、オーバーロード作戦に対抗したドイツ軍の最後の大規模な反抗であるラインの守り計画(映画ではバルジ大作戦で有名)も、戦術レベルでの勝利で戦略レベルでの劣勢をひっくり返そうという作戦です。
ドイツ軍に関しては、第2次世界大戦初期のどの作戦も、数的に劣る軍隊が練度に劣る大軍を破っていくものです。

歴史をさかのぼると、ギリシャ諸国へのペルシア軍の侵攻を防いだ幾度もの戦いでも、その例が見られます。大軍を隘路に引き込むと、軍の数ではなく、ひとりひとりの強さがものをいうようになります。この成功例がペルシャ戦争です。で、失敗例が三国志終盤での蜀漢の滅亡。防衛線は最後まで守られ、大軍を相手に支えきりますが、予想外の経路で本拠地を突かれて滅亡します。

拠点を防御することで大軍を支えるというのでは、第2次世界大戦のソビエト戦線で別の実例があります。スターリングラード、レニングラード(戦後の名称ですが)では、家1軒1軒を取り合う局地戦にしてしまい、何年も支え、結局敵が先に別方面の敵から敗退をしてしまうという状況になりました。敵地の中で孤立した自軍の拠点が落ちないと、敵軍の侵攻作戦の選択肢が減り、防衛がしやすくなります。同様のケースは、チトー(ユーゴスラビア軍)の山岳戦でも見られます。アフガニスタンでのソ連軍の敗退、今のアメリカ軍の失敗も同様の状況になっています。

ゲリラ戦では、ベトナムでの対アメリカ戦を調べてみるといいですよ。

この回答への補足

すごいですね!
でもいまいち歴史詳しくないんで想像できない部分があります
真田昌幸のその戦いや本陣を一気に突く作戦などを詳しく説明してもらえないですか
お願いします

補足日時:2010/06/05 23:51
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> 真田昌幸のその戦い



上田の合戦で、Wikiで調べてみるといいですよ。小説も結構多いので、そちらもオススメですが。
大軍を前に、単に城に籠もるのではなく、その前にきちんと作戦をこなす経緯を読むと面白いですよ。

> 本陣を一気に突く作戦

これは、大坂夏の陣の話。昌幸ではなくその子どもの幸村ですね。きちんとしたまともな作戦は、冬の陣が参考になります。真田丸の話などもWikiで読めるかと。
大坂城の堀をすべて埋められ、丸裸にされた状態から戦うために、夏の陣では一か八かの作戦を採ります。
初期布陣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87% …
真っ正面から真田幸村をはじめとする総力戦を挑む一方で、明石守重隊が、戦場を迂回して家康本陣を横から急襲しようとします。この布陣図は、その後の各隊の動きを調べると、ホントに面白いですよ。大坂側が計画的に動いているのが分かります。
明石隊が失敗したのを見届けた後、幸村は、敵軍を受け止め支える役割をやめ、家康本陣に突進します。このとき、明石隊を追いかけたため、伊達隊(家康軍でおそらくもっとも本気で参加していた大軍)が主戦場から不在になっていた。
で、真田隊は、消耗しながらも家康本陣に突入することに成功しています。家康は、本陣から逃げ出すことで助かっています。
総大将が逃げ出しても、徳川軍が崩れなかった時点で、勝負は付くのですが、大きく傷つき真田隊を始め多くの部隊が全滅していて、敗軍のはずの大坂方は、大坂城まで撤退することに成功しています。
これも、他の戦いではまず見られない動きです。

なお、ご存じかどうか分かりませんが、この大坂夏の陣は、単一の局地戦としては、世界史上、最大の人員で行われた合戦です。しかも、片方の大坂方は、寄せ集めのうえ、絶望的な状況で戦いに挑むという特殊な状況です。
唯一、大坂方が描いた作戦通りに動かなかった軍があります。合戦のターニングポイントになるときに出軍をする予定だった、総大将 豊臣秀頼が、最後まで城を出なかった点です。大坂方の中の大将の中で、ただひとり、大坂城がまだ鉄壁だと信じていたのでは?と私は思っていますが、通説では、淀君が引き留めていて機会を失ったともされています。
勝利の女神には後ろ髪がないといいますが、勝利まで紙一重だった故に、この「もしも」は知りたいですよね。
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なんだかゲームによくありそうな状況ですね。


一番いいのは降伏だと思いますが、戦うを前提にして・・

敵軍は圧倒的な軍事力ということで慢心が生まれています。
そこを利用して戦うのが一番効果的です。
まあ、私見ですが、自軍の戦力じゃ全くかなわないようなので
自然の力(おもに火計や水計)を利用します。
相手を誘い込む時も少数だから逃げてると思わせやすいですから。
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( 敵軍は圧倒的な軍事力があり )


 ( 自分の軍は軍事力ではまったく歯が立たない )

とは一度戦った? 自軍の認識?

兵数でも兵器の質でもかなわない?

とは 質もだめなら まるで 縄文人と戦国人の差?

自国の滅亡を防ぐための最後の決戦の総指揮?

腹を切って首を差し出す か、(降伏)。

真田も何度もそうしたように、だいたい歴史的にみんなそうしてきた。

机の上で勘違いしないでね、

桶狭間では織田は互角(織田の締め付けに対抗するために出張ってきた紛争戦)

真田は北朝鮮(1ケ月ほどしか戦えない)と同じ、小競り合い(局地戦)で優勢でも

長期戦では勝てない。

つまり、食べるものが先に尽きる方が負け

フランスのレジスタンスのように、内ではゲリラ戦を取りつつ、

友好国と連携しての、長期戦。

ゲームなら、話は別 血も涙も出ないし餓死もないからね。

歴史を、観たければ そう、例えば1日でどれぐらい歩けるものかとか 

実体験する、 そうすれば 奇策?

3Dのように見えるんじゃないかな
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