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 学問の神様として祀られている菅原道真は、いつ頃から学問の神様として祀られ受験生の参拝の対象となったのでしょうか。

 かつては、京の重職を左遷されたことで怨霊となり、事ある毎に災害や異変が起きると京都の人々は、菅原道真の怨霊だと恐れていましたが、怨霊封じで神社を建立し、英霊とすることで怨霊封じから学問の神様という流れになってきたとも思いますがどうでしょうか。

 分かる方おりましたらご回答ください。

A 回答 (2件)

学問の神様と広く言われるようになったのは江戸時代からです。


徳川綱吉が湯島に学問所を作って以来、学問所の近くに元々からあった湯島天神が、学者さんや学生さんに信仰されるようになりました。その後、寺子屋でも祀られて庶民にまで浸透しました。

ちなみに湯島の学問所では、公式には孔子を祀っていました。
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この回答へのお礼

 こんにちは。

 ご回答ありがとうごさいます。
江戸時代から学問の神様と言われるようになたのですね。

 それと湯島天神ができて学生も信仰するということで分かりました。

 参考になりました。

お礼日時:2010/06/06 12:27
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この回答へのお礼

 こんにちは。

 ご回答ありがとうございます。

 大宰府天満宮のサイトを拝見しました。
「その後、朝廷でも罪なきことが判明し、人から神の御位に昇り、天満天神、学問の神・文化の神として現代に至るまで永く人々の信仰を集めています。」

 サイトではこのように記載されていますが、具体的にいつ頃から学問の神して祀れらたということが残念ながら分かりません。
 平安時代なのか、鎌倉自体なのか、室町時代か、安土桃山時代なのか、江戸時代なのか、それとも近世なのかという大まかでも良いのですが、年代辺りなど知りたいという質問内容です。

お礼日時:2010/06/06 11:07

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