「科学」、「哲学」が蔓延している。
正確には「言葉」がだ。
この言葉、だれしも知ってて当然であるかのようだ。
また知っていることが前提で話が一人歩きし始め案の定この言葉は彷徨う。
言葉とは語る人の語る所のものであると私は思う。
よって人が「科学」、「哲学」と呼ぶ時、その人は何を指してそう呼ぶのか?
あなたはあなたの指す「科学」、「哲学」を説明出来るか?
暇があったら返答願います。(ひやかしおことわり)

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A 回答 (13件中1~10件)

私が思うところの科学と哲学を説明します。



科学とは再現可能な事象による技術です。しかしこの定義による科学は世の中の出来事のほんの一部でしかありません。
それなのに再現できないからと言って、ロクに内容も見ないで「それは科学的でない!」と切り捨てたり、逆に科学が万能であるかのように崇めたりすると、科学に振り回され、言葉が一人歩きするのでは?と思います。

哲学については私は門外漢なので、上手く説明できませんが、代わりにギリシアの哲学者のエピクロスの言葉を記しておきます。
「哲学しているように見せてはならず、実際には哲学しなければならない。なぜなら必要なのは健康らしい外見ではなく、健康そのものなのだから。」
「空しいのは、人間の苦しみを直すことの出来ない哲学者の言葉である。なぜなら、身体が病気を追い出せない医者には何の取りえもないごとく、精神の苦悩を追い出せない哲学には何の価値もないのだから。」

私が思うに「人の苦悩と向き合う」のが哲学の初歩だと思います。しかし、哲学をしているように見せて実は「言葉遊び」になってしまったとき、「哲学」という言葉が一人歩きを始め、空虚な学問になるのではないでしょうか。
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科学→物理現象を知り、法則化、数式化しようとたくらむもの。


哲学→脳内の観念を知り、解きあかそうとするもの。

註)「脳内の観念を知り、解きあかそうとする」ためには
  己が主観でしかものを捉えられず、その立場においてしか
  語り得ないことを知ることがここにおいては出発点になるのではないか?
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>慾を言えば「哲学とは識る喜びである」と簡明に表記して欲しかった。

(笑)

ある本によれば、「知を愛する者」という意味の「哲学者」という言葉は
もともとソクラテスを指す言葉で、その意味は、「知」を金に替える
ソフィストとは違って、ソクラテスが、何らの報酬も受け取らなかった
からだそうです。この意味でいえば、大学の文学部にいる「哲学者」は、
本来の「知を愛する者」かどうか甚だ疑問だと、その本の著者は書いて
いました。まあ、これは冗談でしょうけれども(笑)
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この回答へのお礼

返信感謝致します。

尚その著作に目を通したことはないけれど、冗談ではないでしょう。(笑) 

お礼日時:2001/04/10 00:40

 えーと、ヘーゲルのことなんですが…。


 私にヘーゲルがわかることは「100%ない」と「誓って言える」との仰せ、ご批判として謹んで拝聴いたします。実際大きな人ですからね、ヘーゲルは。全体像を捉えていると自信を持って言える人が専門の研究者の中でも何人いることか…。
 さてしかし、「100%ない」とのご指摘には何らの根拠も示されていないように思います。恐れながら、これは「強弁」というに過ぎぬものでは?

 ヘーゲルですが、カエサルやナポレオンについて「世界史的個人」と呼んだことはあります。ただし、後者はイエナ会戦直後、ニートハンマー宛ての書簡で述べただけで、用いられている言葉も「世界霊 Weltseele」。そして後年、ヘーゲルはナポレオンを批判するようになっています。
 ヘーゲルが自分自身のことを「世界史的個人」と称したことはないはずです。さらに、「世界史的個人」は歴史に大きな役割を果たす者という意味で「世界精神」の現象ではありえますが、あくまでもmotalな人間、肉体を持った個人にすぎません。「世界精神」そのものとははっきりと区別されます。ですから…
 「自分自身が世界精神であるとヘーゲルが主張した」…とは、ヘーゲルを多少なりとも「わかって」いる人なら決して出てこない言葉だと思うのですが…。

 どのような典拠により、どのような解釈をされて上記のような「自信満々の断言」に立ち至られたのか、改めてお伺いしたいと思います。
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 「条件」との仰せですが、私には「条件」とは読めませんでした。

第一のものは、もったいなくもお褒めの言葉のように読めました。第二のものについては、「知を憎悪…」というのは批判的精神を忘れないというほどの意味です。特に「ルサンチマン」というのではなく。第三のものについては…すいません、よくわかりませんでした。
 いずれにせよ、どれもpikittoさんの私的なご意見として拝聴しました。「同意」と仰られても何のことやら…。

 それに、「議論」などとは思いも寄らぬことです。ひたすら教えを乞うのみ。それで早速ご教示に従い辞書を調べてみました。
 「解明」…ときあかすこと。不明な点をはっきりさせること。
 「説明」…1)事柄の内容や意味を、よく分かるようにときあかすこと。
      2)記述が事実の確認に止まるのに対して、事物が「何故かくあるのか」の根拠を示すもの。
       科学的研究では、事物を因果法則によって把握すること。
と、ありました。『広辞苑』第四版です。
 これでpikittoさんのご見解を読んでみますと、
>哲学が「解明」を旨とするものであって「説明」を目的とするものではない。
は、
→哲学は「ときあかすこと、不明な点をはっきりさせること」を旨とするものであって「事柄の内容や意味をよく分かるようにときあかすこと、ないし、事物の存在の根拠を示す」ことを目的とするものではない。
…と読み替えられます。

 ますますわけがわからなくなりました。「それまでです」と仰らず、どういうことなのか、どうかご教示くださいませ。
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 なるほど、「哲学とは識る喜びである」。

それも一つの捉え方ではあるでしょうね。同意できます。
 しかし、補足要求を申し上げたにもかかわらず、今ひとつpikittoさんの哲学観が不分明に感じられますので、やむなく別室でのご発言を引用させていただきます。質問No.53553「心の哲学:心の哲学的説明と科学的説明の違い」、回答No.1より。

>「心」については確かに哲学が着目した命題ではありますが、哲学は「解明」を旨と
>してテーゼしたのであって「説明」を目的としたのではないと思います。
>最近「○○の立場で・・・」とおっしゃる方が多くて困るのですがこの「立場」のない
>ものが「哲学」することであるため「哲学の立場で説明すること」というのは不可能
>かと思います。「科学」についても同様かと。

 哲学が「解明」を旨とするものであって「説明」を目的とするものではない、とのお考えです。非常にユニーク…いや、「面妖」と感じます。お得意の「定義」なるもので考えますと、pikittoさんは「解明」と「説明」をどのように定義しておいでなのでしょうか。ご説明願えれば幸いです。
 また、「立場のないものが哲学すること」というご意見も「面妖」です。「哲学とは何か」というここでのご質問について御一緒に思索を進めていくにあたり重要なポイントとなりそうな気がしますので、この点についてもご説明の程、よろしくお願いいたします。
 さらにもう一点。心を「哲学の立場で説明することというのは不可能」との仰せです。実は私も「不可能ではないか」との疑念は抱いております。が、確信は持てません。というのは「その不可能性を証明できていない」からです。pikittoさんはその証明をお持ちなのでしょうか。それとも何の根拠もない直感的判断?

 別の箇所も引用させていただきます。同じく「心の哲学…」より、回答No.45。

>>お~い世界精神、どこ行ったんだ~? てなもんです。
>これには異議あり。
>ヘーゲルが主張しているのは「世界精神がどこかにある、ないしどこにあるか?」で
>はなくまして「歴史を所有する意思」でもありません。あくまで彼の主張は「電光石
>火で私(ヘーゲル)が世界精神である」としているに過ぎない。(引用原文ママ)

 「お~い世界精神…」というのは私の書き込みからの引用、「これには異議あり」以降がpikittoさんのご意見です。
 まず「世界精神、どこ行った?」というのは、世界の歴史がヘーゲルが語った通りの「自由の展開」には必ずしもなっていないことについての比喩的表現でした。世界精神がどこか一定の場所に存在している、または存在しうるという意味で述べたものではありません。この点に関するpikittoさんの誤読を、pikittoさんの読解力ならびに知的水準の低さのせいに帰するのは、今はやめておきます。私の表現がつたなかったということにしておきましょう。いちおう。
 しかしながら、さらに問題なのはヘーゲルの主張が「ヘーゲル自身が世界精神である」とするものだったとのご指摘です。私は大学・大学院と、ヘーゲルとは十年近くも付き合いましたが、彼にそのような主張があったとは寡聞にして知りません。この際、私も勉強になりますので、ヘーゲルのどこをどう読めばそのような解釈になるのか、具体的にヘーゲルのテキストを典拠としてご教示いただきたいと思います。是非とも。あれほど自信満々での仰せですので、必ずや有意義なお答えがいただけるものと期待しております。

 他にも何点かありますが、とりあえずこれで。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=53553

この回答への補足

最初にあなたのような輩と議論するにあたり私は条件を出したはずですが。
それはどうなりましたか?
話はそれからとも思いましたがもうする気はなくなりました。
ただこれはこれから「哲学」を志す人の目につくこともありましょうし、
彼らのようにならない為に参考に・・・はならんか!?(笑)

まああんな命題にもならん命題であれほど長々書き散らして悦に入り得るメンタリティ、哲学したいのか女漁りしたいのかわからねー胡散臭さとよくマッチしているといえるでしょう。
ご同志というか・・・太鼓持ちみたいな輩に囲まれて・・・酒より言葉に酔える素敵な体質・・・羨ましい。

馬鹿の相手はもはや面倒。よって一気に行っちゃいます。 

>なるほど、「哲学とは識る喜びである」。それも一つの捉え方ではあるでしょうね。同意できます。

同意出来るわけねーだろてめえのおつむで。はい、これで終わり。

 >しかし、補足要求を申し上げたにもかかわらず、今ひとつpikittoさんの哲学観が不分明に感じられますので、やむなく別室でのご発言を引用させていただきます。質問No.53553「心の哲学:心の哲学的説明と科学的説明の違い」、回答No.1より。

>「心」については確かに哲学が着目した命題ではありますが、哲学は「解明」を旨と
>してテーゼしたのであって「説明」を目的としたのではないと思います。
>最近「○○の立場で・・・」とおっしゃる方が多くて困るのですがこの「立場」のない
>ものが「哲学」することであるため「哲学の立場で説明すること」というのは不可能
>かと思います。「科学」についても同様かと。

哲学が「解明」を旨とするものであって「説明」を目的とするものではない、とのお考えです。非常にユニーク…いや、「面妖」と感じます。お得意の「定義」なるもので考えますと、pikittoさんは「解明」と「説明」をどのように定義しておいでなのでしょうか。ご説明願えれば幸いです。

「解明」と「説明」の違いは辞書を引いてくださいね。またそれでわからなければそれまでです。以上

>「その不可能性を証明できていない」からです。pikittoさんはその証明をお持ちなのでしょうか。それとも何の根拠もない直感的判断?

死ぬまで証明しつづけてください。お似合いです。またあなたのいう「証明」とはなんか根拠でもあるといいたげですな。それで結構こけこっこー。

>>お~い世界精神、どこ行ったんだ~? てなもんです。
>これには異議あり。
>ヘーゲルが主張しているのは「世界精神がどこかにある、ないしどこにあるか?」で
>はなくまして「歴史を所有する意思」でもありません。あくまで彼の主張は「電光石
>火で私(ヘーゲル)が世界精神である」としているに過ぎない。(引用原文ママ)

 >「お~い世界精神…」というのは私の書き込みからの引用、「これには異議あり」以降がpikittoさんのご意見です。
 まず「世界精神、どこ行った?」というのは、世界の歴史がヘーゲルが語った通りの「自由の展開」には必ずしもなっていないことについての比喩的表現でした。世界精神がどこか一定の場所に存在している、または存在しうるという意味で述べたものではありません。この点に関するpikittoさんの誤読を、pikittoさんの読解力ならびに知的水準の低さのせいに帰するのは、今はやめておきます。

>私の表現がつたなかったということにしておきましょう。いちおう。
 私は以前申し上げました。言葉とはその人を語ると・・・以上

>しかしながら、さらに問題なのはヘーゲルの主張が「ヘーゲル自身が世界精神である」とするものだったとのご指摘です。私は大学・大学院と、ヘーゲルとは十年近くも付き合いましたが、彼にそのような主張があったとは寡聞にして知りません。

私も十年以上大学、大学院と在籍しておりましたがヘーゲルをあなたのいうように解釈で・き・る程度の低い同僚、教官に恵まれず幸いでした。この事実は素直に神に感謝致します。またこれは誓って言えますがあなたにヘーゲルがわかるということは100%ありません。以上



まあくだらないことをつらつら書きましたが賢明な訪問者であればいかに哲学と称して世間を欺く輩が学者づらしているかを思い知ったと思われます。
彼の場合ももはや人への中傷がとてもいたについてしまっている。そんなこと暇があったら大好きなナンパでもしておればよいものを。 以上

              これにて喜劇閉幕・・・・パチパチ

補足日時:2001/04/05 21:43
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科学者は答えを求めているが、


哲学者はなぜそれが答えであるか問うている。
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この回答へのお礼

言い得て妙ですな。
両者にとって共通なのは、つまるところ・・・
自分がこの世に生を得ていることの不思議・・・
そのことだろうと思います。

お礼日時:2001/04/10 01:08

お返事ありがとう御座います。


‘金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。‘
が嘘とありますが、‘なければならない‘これが pikittoさんの言う嘘の部分ですか?
また‘学問としての哲学‘確かに存在しません。
でもこれ読む他の人にわかりやすくする為に敢えて書いてます。察してください。
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この回答へのお礼

返信感謝致します。
少々忙しかったもので・・・

>・・・が嘘とありますが、‘なければならない‘これが pikittoさんの言う嘘の部分ですか?

さようであります。

>でもこれ読む他の人にわかりやすくする為に敢えて書いてます。察してください。

お察し致します。あなたも気苦労の多い人なのでしょう。

お礼日時:2001/04/10 00:38

哲学は「真理を探究する学問」学問と言うよりその哲学者自身。

(教わるものではないのかも知れない)「朝聞道,夕可死矣」の心で求めるもの。その結果得られたのもがたった一つ「コギトエルゴスム」であってもよいもの。地位、名声、金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。
pikittoさんの文面から学門としての哲学のことではないと思いましたのでこう書きました。

科学は現実または不可思議な物の真理の探究の一つの方法。人間の存在意義等真理を探究する哲学には及ばない。
数式なら、哲学⊃科学と思います。

この回答への補足

これは秀逸!なにせ分かり易い。

慾を言えば「哲学とは識る喜びである」と簡明に表記して欲しかった。(笑)

)「朝聞道,夕可死矣」の心で求めるもの。
こうでない人が多すぎると思わんかね?(笑)
命根性持て語る「哲学」など「表記」が「狂気」であろう。

>その結果得られたのもがたった一つ「コギトエルゴスム」であってもよいもの。地位、名声、金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。

あなたの「コギト」とはなんですか?(興味あり)
「哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。」とありますが、これは敢えて意地悪すると嘘っぱちだと思います。

>学門としての哲学

こんなものは存在しません。

ありがとうございました。

補足日時:2001/04/04 23:27
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「科学」…正しいかどうか検証できるもの(または検証する行為)


「哲学」…正しいかどうかは考え方による(相反する考えがどちらも正しいことがある)

この回答への補足

返信感謝致します。


ある哲学者の言によると、
{科学とは知りたいことを知る喜びの正に当のモノを指す。そこに如何なる知的欺瞞が見受けられることはない。見てみたまえ!歴史的大発見をした科学者たちのあの謙虚さたるを!よって世に溢れる「科学者」の大半は実は技術者にすぎぬのであり、「科学者」の数だけ踊らされる人の数は増えるのである。}とあります。
私はこれを全面的に支持したい。

さて、>「科学」…正しいかどうか検証できるもの(または検証する行為)

これは検証に用いる方法を指すのでしょうか?
それとも結果が人にとって可知であるか否かを指すものでしょうか?
「検証する行為」については私の考えと近いものを覚えます。

「哲学」…正しいかどうかは考え方による(相反する考えがどちらも正しいことがある)

この「考える」と人のいうこの言葉をもう一度「定義」し直したい。
それを一般の方にこそ考えてもらいたいのです。
この「考え」というのが実に人それぞれに多様であるとすることが私には笑える。・・・「意見」とか「人生観」とかいうのであるならばわかるけれど・・・
「考え」るということのみが人族にとってそもそも唯一平等と呼べる代物であり他は待ったき不平等であるというのが私の率直な感想であります。(例えば1+1=2を誰でも是とする)
次の機会に人が「考える」ということについて共に考えてみたいと思いますがいかがか?(笑)

補足日時:2001/04/04 20:17
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Q【経営に役立つ哲学者の言葉】経営に役立つ哲学者の言葉を教えてください。検索タグ 経営者独国ド

【経営に役立つ哲学者の言葉】経営に役立つ哲学者の言葉を教えてください。

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独国ドイツの哲学者
アルトゥール・ショーペンハウエル

何事も成功するまでには3段階ある。
第1段階、人から笑い者にされる。
第2段階、激しい抵抗と反対に遭う。
第3段階、それまで笑い者にしたり反対したりした人たちが、いつの間にか「そんなことは分かっている」と同調するようになる。

Aベストアンサー

哲学者限定ですね。

幸運がもたらす富や順境は素直に受け入れよ。ただし、それを手放すときは渋るべからず。
マルクス・アウレリウス

失敗する方法ならいくらでもある。しかし。、成功する道はたった一つしかない。
アリストテレス

のようなものが直球ですが

人格は繰り返す行動の総計である。
  それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である。
アリストテレス

生きるために食べよ、食べるために生きるな。
ソクラテス

大きな恩恵は、感謝を生み出さない。
ニーチェ

自分がすることを、全員がしたらと、問え。
サルトル

弱い者ほど相手を許すことができない。
許すということは、強さの証だ。
ガンジー

なども、十分に使えます。
で、哲学者でもそうじゃ無くても、名言のほとんどが経営に使えます。

自分が響くのをチョイスすると、自分を見失わないで
歩いていく励みになります。


思いついて調べました。

『暗黒がいかに広大であろうと、われわれはそこに光を投げかけるべきだろう。』
『世の中に、馬鹿げた考えなどというものはない。』
どちらもキューブリック監督

今の気持ちにマッチしてます。


名言、楽しんで下さい。

哲学者限定ですね。

幸運がもたらす富や順境は素直に受け入れよ。ただし、それを手放すときは渋るべからず。
マルクス・アウレリウス

失敗する方法ならいくらでもある。しかし。、成功する道はたった一つしかない。
アリストテレス

のようなものが直球ですが

人格は繰り返す行動の総計である。
  それゆえに優秀さは単発的な行動にあらず、習慣である。
アリストテレス

生きるために食べよ、食べるために生きるな。
ソクラテス

大きな恩恵は、感謝を生み出さない。
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Q哲学の人文科学及び社会科学の中の位置づけについて

哲学を学ぶということは、人文科学の諸分野を支える根幹的な思想を学ぶということに等しいですか?
例えば、自然科学の中で数学を学ぶというように。数学のあらたなる真理の扉を開けるのは、至難の技にしても、数学は数学以外の自然科学の諸分野の基盤や基盤以上の物を提供しているように。つまり数学が自然科学の諸分野・土台を支えてるいるのとイコールのように、哲学を人文科学・社会科学の研究の諸分野を支える根幹的なものと認識についての是非を教えてください。私のこの議論が全くもって的外れなら、どれ位的外れかまたどのように的外れで実際はどうなのかをご教授ください。

もう一つだけ追加でお願いします。自然科学において真理の扉を開けるということは、その当該分野のフロンティアをまた一つ新しく開拓したと言えると思うのですが、哲学におけるそれは何をもってそれ(学問分野のフロンティアを開拓するという事象)を定義付けるのでしょうか?また、フロンティアの開拓ということ自体、哲学の学問分野にとってはさほど重要度は高くないものですか?

よろしくお願いします・

Aベストアンサー

時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。

まず前提として
日本では学ぶということが真剣に語られていません。

「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。

非効率的学習プロセスが主流になっているということです。

今 定年になろうとしている人たちは
 
勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。

日常的にそのことついては 自覚がありますが 

いざ他人の評価となると 
勉強をしなくても基本ができればいいのだとか 
いい大学を出たのはいいやつだ とかと
いうことをいいだし

 「いい加減=適正ということは=俺に従うことである」 を 基準として持ち出してきます。 

学の基準が その担当者の主観のみに左右されるということです。

つまり 質問者様の述べる 根拠 が 老人中心の身勝手な根拠 と なっていることに 問題があるのです。

本題に入ります。

科学の諸分野を支えているのは ひとです。

2000年に入ってからこの方、序文に掲げた理由で、著しく信頼関係という大事なものが破壊され続けています。

しかしそのすきを見て蔓延している害毒があります。 

『科学の諸分野の根幹をなしているのは思想であり、 
根幹的思想とは 「哲学的経済学である」 という 迷信』です。

まさに はびこっています。

たとえば 日本の哲学は 哲学学である と えらそうに いうひとがいますが、 

その根幹をなす思想は、 (学)は経済学が根幹でありその根幹は 哲学であり 
その根幹が わたくし である 

という 刹那的・唯物論的 部分意識です。匿名キリスト教の「論理的・間接的」布教です。

究極的には 学問は俺よりバカである 俺のほうが偉いという理論です。

唯一絶対の神のまえでは どんぐりの背比べである みんな馬鹿だ
という 傲慢です。

底に横たわっているのは キリスト教的 物質論=燃料資源 と 言語論理=ivGotです。

あたまのわるいおれさまも iGotをおさえていれば 基本をおさえている
どうだ!
もってるか? という のが 

基本として ひつようとされる 行動だ というわけです。

つまり 数学・哲学の素養がない人間の それでも俺様は偉い といいたいがための 言い逃れが

「(アカウントの)所有」である

という現状です。

(布教が失敗した例として セカンドライフ を あげると 
日本人はそこまで馬鹿ではなかった ということもできましょうが・・・)

つまり 簡単に表現するとすれば、

所属と思想 という 中世的思考が 今の世の中では 所有と偶像崇拝 に とってかわられたのです。

書面としては ドグマが 神学から 情報科学 へと移りました。

そういう意味で 質問者様が感じ取った 他人を弾圧し、加害者側となって阻害されないための教義
そして
その根本はどこにあるか という 点では 的を射ているということができるでしょう。

しかし その数学は 情報科学としての 数学 であり

哲学も 情報科学としての 哲学です。

中世では 1教会 2キリスト教 3聖書(神学) であったものが
形を変えて 存在し続け
現状としては
1 SNS 2 端末教 3 WIKIぺ
(情報科学 別しては自然=数学/人文=哲学/社会=経済学) に 変化しました。

新たな真理とは いまでいうと
表現的焼き直しです。

馬が車に 書物がデータに 変わった というだけの 言語的・論理的修正です。

忘れてはならないこととしては
支えているのが「底辺」であり、
上記IT三学
(情報工学としての数学・
ネットオントロジーとしての哲学・
社畜管理のための経営学)を修めているのは

WASPシンパの指導者たちです。

なにも支えてはいません。

「B層には なるな」ということだけが最低限の教訓として存在します。

時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。

まず前提として
日本では学ぶということが真剣に語られていません。

「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。

非効率的学習プロセスが主流になっているということです。

今 定年になろうとしている人たちは
 
勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。

日常的にそのことついては 自覚がありますが 

いざ他人の評価となると 
勉強をしなくても基本ができればいいのだとか 
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Q哲学とは大まかにどのようなことを指す言葉なのですか

なるべく簡潔に書いてくれると嬉しいです。
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貴方も、江戸末期から明治にかけての蘭学者だった西周のへた糞な訳の犠牲者ですね。「生物学」や「社会学」という言葉を初めて聞いて、これが生き物に関する学問かとか社会に関する学問かとを解らない人は先ずいないでしょう。ところが「哲学」と言う字をどう眺めていても、その中身が見えて来ない。こんな馬鹿な訳語は学問の中でも珍しいんじゃないですか。ところが、日本には哲学者と呼ばれる人の数は少なくて、ほとんどが哲学学者か哲学輸入業者の人達のようで、「俺にはこんな難しい言葉が解るんだが、お前には解んないだろう、どうだ、俺って凄いだろう」ってことに生き甲斐を感じている連中のようです。

哲学とはあちらさんのフィロソフィ(ギリシャ語で philos=愛、 sophia=知恵、知、智)と言う言葉の途轍もなく下手な訳なんですね。これを「愛智学」とでも訳しておいたら、まさか

 愛智学とは大まかにどのようなことを指す言葉なのですか

なんて聞く方はいないでしょう。西周って本当に馬鹿だね。

愛って言葉が江戸時代に今と同じ意味で使われていたかどうか心配だったら、せめて「智学」ぐらいの名前にしておくことも出来た筈だ。昔の学者は自分の知識を売って生きていたので、誰が見ても簡単に解っちゃ拙かったのですかね。

まあ、今でも学者もどきの連中はやたらにカタカナを使いたがりますね。漢字に直してあげれば素人でもその意味が大まかにはすぐに解る筈なのに、それをせずにわざわざカタカナ言葉にする。あたしが「マニフェスト」って言葉を初めて聞いたときには全く意味が解らなかった。んで、その意味は「選挙公約」だとよ。何だ始めからそう言ってくれれば解ったのに、ってな感じだったね。「動機付け」と言わずに「インセンティブ」と言ったり、「社会生活基盤」とか「経済産業基盤」と言わすに「インフラ ストラクチャー」だとか、そんな言葉で人を煙に巻きながら、俺は学者だなんて威張っているんだろうね。

インフラストラクチャーなんて11文字も場所を取る何とも締まりのない、更に何を言っているか一目見ても解らない不透明な言葉だね。社会生活基盤だったら、たったの6文字で、意味まで解ってしまう。何なんだろうね今時の学者は。

まあ、西周はそこまで偽物じゃなかったんで、無い知恵を絞りながら一生懸命あちらさんの言葉を翻訳していたんだね。まあ後に続いた愛智学者じゃなかった、哲学学者達がそれに輪をかけて馬鹿だったもんで、未だに哲学なんて言葉が使われいると、あたしゃ思っている。

貴方も、江戸末期から明治にかけての蘭学者だった西周のへた糞な訳の犠牲者ですね。「生物学」や「社会学」という言葉を初めて聞いて、これが生き物に関する学問かとか社会に関する学問かとを解らない人は先ずいないでしょう。ところが「哲学」と言う字をどう眺めていても、その中身が見えて来ない。こんな馬鹿な訳語は学問の中でも珍しいんじゃないですか。ところが、日本には哲学者と呼ばれる人の数は少なくて、ほとんどが哲学学者か哲学輸入業者の人達のようで、「俺にはこんな難しい言葉が解るんだが、お前に...続きを読む

Q「論理学」または「科学哲学」のお勧めの入門書

論理学に関しては、できれば、アリストテレス的な演繹的分野だけでなく、
ベーコンやミル的な帰納的分野も学びたいです。



当方、論理学も科学も哲学も初心者です。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

私の持っている本の中から下記のものがよろしいかと思います。

論理学・・「論理学入門」下記参照
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4313350055.html

哲学も初めてということなので、哲学全般に関して平易に描かれた本が
よろしいかと思います。

哲学・・「分析哲学入門」 5分冊になります。
ちょっと高くなりますが、これを読めばおおよその哲学の輪郭が理解できると思います。
下記参照
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%95%AA%90%CD%93%4E%8A%77%93%FC%96%E5

Q論理学・言語哲学・分析哲学それぞれの言葉の意味や関係

これから分析哲学を基礎から学ぼうと考えているのですが、論理学・言語哲学・分析哲学それぞれの言葉の意味や関係がはっきりとは分かりません。自分で調べてみてもいまいち明確になりません。どなたか教えて頂けませんでしょうか?

Aベストアンサー

あー、なるほど。しかしとても一言では。

でもま、批判と誤解を恐れずにざっくりといってしまえば、言語とは何か、という問いに答えようとするのが言語哲学で、論理学はその一部です。分析哲学は言語を通して世界を見ようとする立場で、言語哲学とは逆といえば逆です。

しかし、すべてを包含して言語哲学といっても構わないでしょう。

そういう意味では、言語哲学はギリシャ・ローマ時代からの伝統があります。パラドクスのゼノンや、アリストテレス、ストア学派などですね。

特にアリストテレスは論理学の創始者と言っていい。ただ一般に論理学というときには非常に厳密で数学的な分析を指します。形式論理学・命題論理学・様相論理学など、p → q のような記号の連続ですね。

さて最後の分析哲学ですが、私の挙げたヴィトゲンシュタイン、ラッセル、クワイン、などはこの仲間です(本人がどう考えているかは別)。こうしたそうそうたる顔ぶれを見ると、現代言語哲学とは分析哲学であるといってもいい。

さらにややこしいことに、この人たちは論理学者でもあり、フレーゲやモンタギューは形式意味論の祖であるとも言える。

というわけで、結論。
言語哲学の中に分析哲学があり、その中に論理学がある。歴史的経緯を一切無視して現状だけ見れば、そう断言しても、いいんじゃないかな。

あー、なるほど。しかしとても一言では。

でもま、批判と誤解を恐れずにざっくりといってしまえば、言語とは何か、という問いに答えようとするのが言語哲学で、論理学はその一部です。分析哲学は言語を通して世界を見ようとする立場で、言語哲学とは逆といえば逆です。

しかし、すべてを包含して言語哲学といっても構わないでしょう。

そういう意味では、言語哲学はギリシャ・ローマ時代からの伝統があります。パラドクスのゼノンや、アリストテレス、ストア学派などですね。

特にアリストテレスは論...続きを読む


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