源氏物語の「六条御息所」のくだりについて誰か解説してください。
「夕顔」「葵上」との絡みを含めて。

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A 回答 (2件)

この方は巻名になっていないので、位置付けとエピソードということでしょうか。

記憶で申し上げますと、光君は葵の上と結婚した頃もう、御息所の恋人になっています。御息所は、光君の心があちこちにあることにもの思いが深まり、あげく生霊となって、光君が夕顔と忍び逢っているところに現われて夕顔を死なせてしまいます。また、葵祭の見物で、葵の上との車争いに負けたのち、夕霧を出産したばかりの葵の上をとりころします。前後は忘れましたが、御息所は娘の、後の秋好中宮が斎宮となるのに付き添って都を離れ、戻ってきた後亡くなりますが、紫の上が亡くなるときも現われたりします。
正確なところは、以下のアドレスか、
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
の、学術的なリンクでお確かめ下さい。

参考URL:http://www.oap.ne.jp/~spring/
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初心者向けサイトです。

解説がとっつきやすくお勧め。
詳しい方だったらごめんなさい。
「夕顔」と「葵」を読んどけばとりあえず知りたいことはOKでしょう。
源氏物語で検索をかけると、学術系サイトから軽いものまでやまほどあるので
ご自分にあったものを探されてください。

参考URL:http://www.honjo.ne.jp/hp2/shinozaki/genji-index …
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Q就職活動での求める人物像について。

就職活動をしていると求める人物像というものがどおしても付きまといます。会社の求める人物像というのは、例えば3つあったとして2つヒットしているが一つ外しているとします。その場合、社風に一致しないという事になってしまうのですか? また、1つしかヒットしない場合は一致しないということですか?

その企業には行った者は、学歴などを除くと求める人物像に合致した者ということでしょうか?

どうぞ教えて下さい。

Aベストアンサー

1.就職と転職
2.会社と別会社

で違います。
1は前者がポテンシャル、後者は能力(今までの経験と成果)を重視します。
2はいわゆるカンパニーカラーです。

自身は、就職活動等では複数内定を得たのと現状企業で仕事をしていること、
また面接も関わったこと(と言ってもマニュアル持っての1次面接)もあります。

まずシュウカツ本など読んで、まず書き出したり話したりしてみましょう。
僕が言い易い例で言えば
『ビジネスマン』を『スポーツ選手』に置き換えるといいと思います。
つまり「スポーツ選手」として見た時に、
・足が速い
・背が高い
・根性がある
・力が強い

と言うような能力は共通で重要なことです。
プラスして
「野球選手ならボールを扱うセンス」
「体操選手ならバランス感覚」と言うようにスポーツごとに求められる能力は変わって来ます。

これはビジネスでも同じであり、
・ロジカルシンキング
・コミュニケーション能力
とかの基本の軸は「絶対に」必要です。
(そういう意味ではビジネスマンにアインシュタインを求めている会社は無い、と言うことになり
ますね。)
プラスして業種や職種ごとへの資格や性格は必要になりますね。

また上記は口で言うほどカンタンではなく、数日や数週間で解決できるものではないし、
また「性格や嗜好」ではなく、トレーニングで向上できるものです。
よって数ヶ月から数年かけて改善、構築していくべきです。


結論としてあなたの質問に答えると、
「1つしかヒットしなくても十分に受かる」と言えます。

なぜなら、自身の面接官としての経験則や社内外の方と仕事で関わる中で、
満点やそれに近い方は少ないからです。
それでも受かったり、立派に仕事をしてるわけです。
逆に言えば「酷く無ければ受かる」と言う感じになるでしょうか。
これは他者、特に身近な人には冷徹な客観性を持って厳しい目線で見てしまう
日本人ならではだからと思います。
ですから、あなたは不得意なことはもちろん、得意だと思っていることも、
意外なほど他者(面接官)からは評価されてなかったりすることは十分に有り得ます。

だからこそ、
自分はここが得意だ、ここが不得意だと決め付けずに
総合的に伸ばして行けばいいと思いますね。
やってく中で「君のココがいいよね」とか、複数の人に言われる機会が出てきます。
その時に初めて、ああそうなんだ、と思えばいい。
特に最近の学生は客観で見られていない気がしますし、変に偏ってる人も多いと思いますね。
頭のそんなに良くない人ほど「自分は頭がいい枠」で動こうとしてたりしますね。
新人なんてどこでも基本的には1兵士でしかないのに、1兵士であることを嫌がるとかね。
「かわいがられる枠」とか「体力枠」とか意外に余ってるのにそっちに行かない。
で、結果、あぶれてしまう。

変に考えるよりも、行動の中で言われた事や感じた事を重要視した方がいいと思いますね。

それと誤字脱字が多いので少し気になりました。
そういう普段の細かい差で合否がつくと感じます。

1.就職と転職
2.会社と別会社

で違います。
1は前者がポテンシャル、後者は能力(今までの経験と成果)を重視します。
2はいわゆるカンパニーカラーです。

自身は、就職活動等では複数内定を得たのと現状企業で仕事をしていること、
また面接も関わったこと(と言ってもマニュアル持っての1次面接)もあります。

まずシュウカツ本など読んで、まず書き出したり話したりしてみましょう。
僕が言い易い例で言えば
『ビジネスマン』を『スポーツ選手』に置き換えるといいと思います。
つまり「スポーツ選手...続きを読む

Q能「葵上」と源氏物語の「葵」の共通点、相違点

能の「葵上」と源氏物語の「葵」の共通点と相違点、また特徴や効果(ドラマチックに見せている、所作が大きくしてある)などあったら教えてください。
例えば安宅と義経記では、登場人物や場所は同じですが細かい話の展開が違いますよね。

どなたかお願いします。

Aベストアンサー

質問がやや漠然としていて、何をお答えしたらいいのか、あまり良く分かりません。
もう少し具体的に、とくに源氏の葵の巻と能の「葵上」と、どちらに重点を置いてお知りになりたいのか、明記していただけると答えやすいのですが・・・

たとえば、源氏ではこう表記されているくだりは、能ではどのように扱われているのか?
とか、
能でこのように表現されているくだりは、源氏ではどのように書いてあるのか?
とか、
質問者様が、どちらについてある程度の知識的素地があり、どちらに関して少ないのか、それだけでも分かると、答えようもあるのですが。

お急ぎでなければ、補足説明をつけていただけると、もう少し参考になるお話もできるかと思います。

それでも、一応、一般的なことだけ申し上げますと・・・

一番大きな差異は、原作の源氏物語では、六条御息所の霊は、結局浮かばれなかったと言うか、少なくとも葵の巻の車争いや葵上を取り殺す時点では、なんの解決にもなっていないのに対し、能の「葵上」では、シテの六条御息所の霊は、一応、横川小聖に祈り伏せられて「即身成仏」させられる、という結末になっている点だと思います。

「道成寺」や「鐵輪」のように、悪霊は一応退散するが、再来を期する(I’ll be back!の捨て台詞と共に去る)というパターンもあるのに、「葵上」はいやにあっさり成仏してます。
この点は、原作のほうが書き込みがしつこいですよね。
六条御息所の死後に至るまで、源氏の周辺に異変を起こし続けますから。
それに、この時点で、六条御息所が祈祷師に祈られて「死んだ」のなら、この続編となる(?)「野宮」は成り立たなくなってしまう。
「葵上」における六条の「即身成仏」は、どう解釈すべきか、悩ましいところだと思います。

でも、原作の、あくまで後続の章段を想定した長編小説の構想としての、この段の六条の取り扱いと、能の、一幕の芝居、1曲として独立性の高いシナリオとして書かれた六条の取り扱いとが、根本的に違うのは、当然のことかもしれません。
もちろん、祈り伏せられたのはあくまで六条の「執心」とか「煩悩」とかいった精神的なものだけで、六条の肉体そのものが滅んだ、死んだ、とは解釈しない、という考え方もあるかもしれませんが、やや幼稚だと思います。
むしろ、「葵上」の六条と、「野宮」の六条とは、同一人物にして同一人物ではない、それぞれに独立した人格・役柄である、と考えるほうが、能という芸能のありように即しているような気がします。

あと・・・
原作では「車争い」の場面が、非常に劇的に、リアルタイムで叙述されていて、読者の興奮を誘いますが、能では、この段は、六条の述懐の形で、募る恨みの説明として切々とはいうもののある意味冷静に語られる点も、演出上の違いといえるでしょう。
能だって、ある意味、前場に車争いを持って来て、後場で葵上に害をなす場面を、やろうと思えばできたはずです。
それをあえてしなかった能の演出観というのは、興味深いですね。

また、「葵上」と題しながら、葵上は舞台には登場せず、舞台正面に出された小袖だけで、「ここに葵上が寝ている」ということにしてしまう、究極的な省略法の面白さは、すでに語り尽くされた感があります。

前場の見せ場となる、いわゆる「枕之段」は、かなり速いテンポでサラサラと舞われますが、熟練した役者は、六条の「位」を重んじて、決して装束の裾を割るような品格に欠けた運び(歩き)方をしません。
「鬼になってもお嬢様」。
これが、能「葵上」の真髄なのだと、私は信じています。
なぜなら、鬼になって開き直れる程度のアイデンティティーなら、六条が苦悩する理由がなくなるからです。
(能楽師の中にさえ、「六条はすでに人格を失い、鬼になっているのだから」という人がいて、驚いたことがあります。・・・アンタには一生「葵上」は舞えまいよ、と、内心では思いました・・・)。

面は真横にスッと切り、極めて上品です。
大きさを表現する為に上から下へ見下ろすように面を切る「安達原」、蛇体のいやらしさを表現す為に下から上へ舐め上げるように面を切る「道成寺」、と、「般若」の面を用いる3曲は、それぞれに面の扱い方が違うようですが、「葵上」のこの面の切り方の原則は、曲の本質に迫る、具体的な技術の一つだと思います。

「枕之段」の最後に、「♪枕に立てる破れ車」で、葵上の枕元に扇をバシッと叩き付けて、サーッと橋掛かりへすさり、「♪うち乗せ隠れ行かうよ」と、腰巻にしていた唐織を頭から引っかぶって下座する(生霊の姿が見えなくなった、という意味の演出)、このあたりの所作の緊迫した面白さは、なまじ葵上の苦悶を生々しく見せ、やれ「祈祷の声が苦しいからやめさせてくれ」のと、口寄せする不気味さを描いた原作のドロドロとしたいやらしさを、ある意味、芸術的に超越しているようにさえ思えます。

質問がやや漠然としていて、何をお答えしたらいいのか、あまり良く分かりません。
もう少し具体的に、とくに源氏の葵の巻と能の「葵上」と、どちらに重点を置いてお知りになりたいのか、明記していただけると答えやすいのですが・・・

たとえば、源氏ではこう表記されているくだりは、能ではどのように扱われているのか?
とか、
能でこのように表現されているくだりは、源氏ではどのように書いてあるのか?
とか、
質問者様が、どちらについてある程度の知識的素地があり、どちらに関して少ないのか、そ...続きを読む

Qお友だちにしたくない人間像・人物像をお教えください

異性・同性、あるいは双方で、お友だちにしたくない人間像・人物像をお教えください。

※(その逆がそうなんでしょうが……)ネガティヴなことを書くのが不快な皆さんは、お友だちにしたい人間像・人物像をお教えください。

Aベストアンサー

こんにちわ。
私の友達ですが、実際には友達でいたくない人(笑)のことを書きます。その人と一緒にいたくない理由は、
(1)自慢話・のろけ話が多い。ある程度なら我慢できますが、そればっかだと飽きてきます。
(2)ずうずうしい。部屋に呼んだ時、我がもの顔で部屋をあさり、飲み食いして片付けも手伝わずに帰ります。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を知らないのでしょうか。
(3)(1)に関連しますが、自分の話ばかりして、こちらの話を真面目に聞かない。もはや単なるわがままですね。
(4)社会に対してあまり興味を持たず、幅の狭い会話しかできない。話がつまらないです。

逆に私の大親友は、上記(1)~(4)の対極にいます。礼儀と思いやりを持ち、色んなジャンルの話ができ、面白おかしく自分の話をしながらも、しっかりとこちらの話にも耳を傾けてくれます。
人それぞれだと思いますが、やはり「相手に対して、それなりの敬意を払える人」は好かれるのではないでしょうか。

とても興味深い質問なので、他の方の意見も参考にさせていただきます。

Q源氏物語 六条の御息所の生き方

六条の御息所の生き方‥‥届かない思い、気の毒におもうのは自分だけでしょうか。

光の君に出会うまでは、自分らしく静かに生きていらしたのに、光の君に半ば無理矢理恋の相手にされ、結果として自分のほうが思いが強くなり、余生を源氏への届かぬ恋心に悩まされながら送るという‥‥。

光の君と最後に会ったとき、「私の娘には手を出すな」というようなことを言い残して亡くなったのですが、これは女性としての残された娘への嫉妬心からの言葉と解釈される方が多いように感じますが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

カテゴリー違いで一度アンケートに投稿させて頂いております、どうぞよろしくおねがい致します。

Aベストアンサー

こんにちは。

カテを変えられたのですね・・・・
私も先日、「カテ違いのようにも思います」
そう言った手前もありますから少しまたお話させていただきます。

ただ、先日も言いましたが私も随分昔の記憶です・・・
思い違いもあるやも知れません。
どうぞ、それを含んでいただければと思います。

「夕顔」の死を六条御息所の死霊の成せる業と言います・・・
はて?果たしてそうでしょうか?
私は源氏の無意識下での六条への罪悪感なのでは?
そう思っています・・・。

あまり長くなってもいけません・・・。
先日の質問で最後の回答者の方がこう言っておられました。
六条の並外れた自我と自尊心、
そうでしょうね・・・私もそう思います。
元とは言え「東宮妃」であれば、家柄、教養、見識ともに、
人に優れたもののはずです・・・。

最後の「私の娘には手をだすな」
先日私は六条の源氏への最後の愛情表現にも思える・・・
そう言いました。
同時に嫉妬心もある、そうも言いました。

賢い六条が性根を見極めているはずの源氏と言う男に、
それでも尚、可愛いわが子を託するしかなかった・・・。
六条の哀しい親心、想うべきものがありますね。

もう少しお話もしたいのですが、
あまり長い回答も嫌われます、この辺にしておきましょう。

最後にkinect4さんは古典がお好きのようです。
「堤中納言物語」に虫めずる姫君と言う話があります。
六条御息所もそうなのですが、
いくら筆になるとは言え、当時の時代に自我を持った女性、
そのような女性に私は驚いてしまいます。

こんにちは。

カテを変えられたのですね・・・・
私も先日、「カテ違いのようにも思います」
そう言った手前もありますから少しまたお話させていただきます。

ただ、先日も言いましたが私も随分昔の記憶です・・・
思い違いもあるやも知れません。
どうぞ、それを含んでいただければと思います。

「夕顔」の死を六条御息所の死霊の成せる業と言います・・・
はて?果たしてそうでしょうか?
私は源氏の無意識下での六条への罪悪感なのでは?
そう思っています・・・。

あまり長くなってもいけません・・・。
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Q「グランドセイコー」と「ザ・シチズン」が似合う人物像

20歳・男です。
「グランドセイコー」と「ザ・シチズン」が好きでたまりません。

自分も、いつかはこの時計を身に付けたいと思っています。

そこで質問になりますが、、
1)上記2つの時計が似合う年齢は何歳から?
2)人物像
3)これらの時計の定義
4)その他

についてお答えください。
全てではなくても結構です。

また、20代で似合う人物像も教えてくださると幸いです。

アンケートくさい質問ではありますが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

どうもこんばんは
1、年齢は関係ありません

2、自分を持っている、物を見る目がある(高いのがいいというわけでないこともわかっている)

3、定義かむずかしいな・・
時間を正確に示しつつ、オ-ナ-を生かすことができる

4、素敵な人間になってください

グランドセイコ-、クレド-ルをするからといって
車はベンツ、ス-ツはアルマ-ニでなくていいですよ
ジ-ンズにマウンテンバイク時計はクレド-ルでも十分ひきつけられます

時計に食われてはいけない(世のかたがたのように)
自分を生かすモノでなくてはいけない

ご参考までに

Q平家物語の有名な始まりは「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」ですが源氏物語の始まり又は源氏物語を教

平家物語の有名な始まりは「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」ですが源氏物語の始まり又は源氏物語を教えてください。

Aベストアンサー

いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに

うんぬんかんぬん

Q文人画家「大岡雲峰」の人物像に関する書物、資料

江戸時代後期の文人画家「大岡雲峰」の人物像について調べています。
本人の作品が収蔵、展示されている美術館、博物館などが随所にあることは把握しています。
また、WEB上で本人についての断片的なプロフィール文は見かけますが、自身または第三者が
記述した人物像に関する書物、資料などが存在していましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

CiNiiなどを調べるとあると思いますよ。
あとは、有名大学の図書館のデータベースをしらべたりすると出てきます。

Q源氏物語 夕顔

源氏物語の夕顔の巻で、この絵はどの場面でどういった状況での絵でしょうか? また、登場人物たちのことも詳しく教えてください。 ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 この質問の引用された源氏物語絵巻は、国宝源氏物語絵巻よりも、ずっと後世に描かれたものと思います。源氏物語第四帖夕顔の巻の冒頭に当たる箇所と推測します。詳しくは、例えばYAHOO検索で「源氏物語夕顔」で検索してみてください。場面や状況や登場人物たちが如実に把握できると思います。

Qノーベル賞受賞者の平均的な人物像ってどんな感じですか?

ノーベル賞受賞者の平均的な人物像ってどんな感じですか?体格・・平均身長体重とか
スポーツは得意ですか?賞を取って何かスポーツを始めた人は省きます

菜食主義者ですか?
自分のイメージとしては
大柄な人は少なく、小柄な人が多いイメージです
体格も筋肉質や太っているより細い人が多いイメージです
スポーツは不得意で菜食主義なイメージです
例外はあるでしょうが実際どうなんですかね?
案外全く違う感じですかね?
でもこの間の日本人受賞者は普通でしたね
外国はどうでしょうか?
また発明家、技術者などでそれなりに良い意味で名の通った人達の平均的な人物像も知りたいです
同じでしょうか?それとも違うんでしょうか?

Aベストアンサー

単に「没頭」できて、「こだわらない」と「こだわる」が両方出来る人。
スポーツに関してはリチャード・ファインマン先生はボールを前に投げられなかった。ストリップバーが好きだった。
>発明家、技術者などでそれなりに良い意味で名の通った人達の平均的な人物像…
頭が良くて穏健な人。
ただし我の強い人と仙人みたいな人の両方が居る。

Q源氏物語の夕顔の巻について

夕顔の巻のなかに出てくる
「咲く花に うつるて名は つつめども 折らで過ぎうき 今朝の朝顔」
という源氏の歌についてなのですが、文法的にどのような解釈の仕方が正しいのでしょうか?
今朝の朝顔、という部分を踏まえて、
源氏の心がうつるのは

御息所から中将へなのか
それとも御息所から夕顔へなのか・・・・

文法的にだといまいちわかりません。
どなたかお分かりの方、
こうじゃないかなーと言う意見でも結構です。
お願いします。

Aベストアンサー

>「今朝の朝顔」と言う点を踏まえながら、御息所から中将に心がうつる、
>という解釈になることの、文法的理由付けを知りたいのです。

 御息所→中将、の心のうごきは、歌そのものから読みとることは不可能です。歌からはっきりわかるのは「Bさんに《も》心が動かされるなあ」という内容だけで、その背後に「Aさんがいる」ということも「移るてふ名」から推測されるだけです。それをこの歌の詠まれたときの事情と結びつけて考えると、物語のなかでの「Aさん」「Bさん」そして「移るてふ名」をほしいままにする人がだれであるか、これも推測できるわけです。和歌そのものの解釈としては、ここには一切固有名詞はありません。「朝顔」も暗喩です。「心がうつる、という解釈になることの、文法的理由付け」をあえてあげれば(御息所から中将へ、ではなく、AさんからBさんへという一般名詞での「心がうつる」ですが)、それは「移るてふ名」でしょう。「移る」は一方から一方へと移動すること。名はただの名ではなく色恋の浮名です。前後の状況から、「一方」が御息所、「一方」が中将であることはほぼ間違いありませんが、それは推測にすぎません。和歌というのは抽象的なもので、その場その場において具体的な意味づけを得ていくものですので、和歌だけで「だれとだれが恋仲」ということはなかなか言えない。せいぜいそれは「わたしとあなた」くらいの人称代名詞でしかないのです。
 ちなみに正確に言うと、これは心うつりではありません。御息所のような高貴な人のもとに通うには、手引きをしてくれる女房をつくっておくのが便利です。そこで御息所に使える女房の一人と情をかわして、色仕掛けで主人のところへ案内させているわけです(たくさん男がかよう女の人だと、「わたしはAの君のかかり、あなたはB中将のかかり」とこういう女房がいっぱいいる)。中将もおそらく源氏の君とそういう関係であるか、あるいはそういう関係になろうとして源氏の君が口説いているわけです。しかし中将のような女房と源氏の君のような男では身分違いですから、もともと手引きをする女房のほうにも、男のほうにも、相手と真剣に恋をするつもりはありません。男は女房の主人に通うための方便、色仕掛けの袖の下のつもりであり、女房のほうは「役得」という考えかたで、割りきって関係を結ぶわけです。だから心がわりもなにも、もともとそんな真剣な関係ではない。
 この場面でいうと、中将と源氏の君に以前から関係があるという仮定で見れば、女房に案内されて女主人と相逢うて朝帰りする男が、「ごめんごめん、ご主人ばっかりじゃなくて君にもサービスしてあげなきゃならないんだけど、今日は遅くなっちゃったし(暗に御息所の愛情がはげしすぎることを言っている)、また今度ね。君がかわいくないからってわけじゃないんだよ。ほら、寝起きの顔がこんなに魅力的な君に手もふれずに帰るなんて……、ぼくだって悔しいんだよ」と冗談交じりに挨拶しているわけです。もし以前からの関係はないとすれば「ご主人さまだけじゃなくて、君とも仲良くなりたいけど、今日は遅くなっちゃったし……」ということ。むろん、愛情としては、御息所に対するそれと、中将へのそれはまったく別のものです。後者はほんの挨拶代りの、あるいは御息所に通うための「必要経費」のようなもので、おそらく源氏の君にとってはまじめな愛情ですらありません。しかし源氏の君のような高貴な男から、冗談交じりにでもこういうふうに機嫌をとってもらえるというのは、当時の女房にとっては最高の栄誉であるわけですから、「ほんの挨拶代り」でも彼女たちは充分満足なのです(まじめな愛情の対象としては、たとえば源氏の君のお供なんかと仲良くなって結婚するわけです)。しかもそのことを自分でよく知っているから、源氏の君はわざわざこういう冗談を言って中将を喜ばせるわけでしょう。ここで源氏の君が「うつるてふ名」などとまじめくさっているのは、ひとつには和歌の表現上そうしないとしまらないから、ひとつにはそれが女の人に対する挨拶としての礼儀だから(いくら実際は「挨拶代り」でも面と向かって言われると腹が立つ)です。
 ちなみに「源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである」という中将のあしらい方は、源氏の君に口説かれて有頂天になったりしない、分をわきまえた中将の性格のよさをさりげなく描写したものでもあります。式部のすぐれた観察でしょう。

>「今朝の朝顔」と言う点を踏まえながら、御息所から中将に心がうつる、
>という解釈になることの、文法的理由付けを知りたいのです。

 御息所→中将、の心のうごきは、歌そのものから読みとることは不可能です。歌からはっきりわかるのは「Bさんに《も》心が動かされるなあ」という内容だけで、その背後に「Aさんがいる」ということも「移るてふ名」から推測されるだけです。それをこの歌の詠まれたときの事情と結びつけて考えると、物語のなかでの「Aさん」「Bさん」そして「移るてふ名」をほしいままに...続きを読む


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