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短歌の字余りについてお教えください。
俳句・川柳では同じ字余りでも中八・下六、特に中八が
リズムを壊すとして嫌われますが、上六、上七の字余りには
寛容な傾向があると思います。
短歌にも同じように、五七五七七のうちここの字余りはよくない、
ここならまあ許されるというような定石はあるのでしょうか?

A 回答 (1件)

読んだり詠んだり、短歌好きの者です。


勝手な憶測での回答となります事、お許しください。

字余り、と言うのは原則として「その下の句で解決する」事が求められていると考えています。
もしくは、「余韻」狙いの最終句の字余り。

解決、、、つまりは「すっきりする」と言う単純な気分の問題。

質問者様はクラシック音楽はお聴きになりますでしょうか。
特に古典音楽、宗教曲が分かりやすいと思いますが、
曲の最後の和音から、一つ前。
必ずと言って良い程、「不協和音」です。

細かな楽典はしばらくやっていないので朧ですが、
二つ前の和音の中音(真ん中の音)が、一人で半音動き、和音を濁らせる。
一瞬置いて、最後の和音がやって来る。
濁り無く広がる解決の和音です。

「不協和音」も「字余り」も、その後の「すっきり感」の為の布石かな、と感じます。
或いは、濁りと清さの対比を際立たせる意図、でしょうか。
字余りのじれったさを感じた後の、余り字の無いリズムの気持ちよさ、それを知らしめる為の字余り。

布石か?対比か?を外れた字余りは、読み手に良い印象を与えない為、結果として許されないと言うか、後世に残っていないのではないでしょうか。

素人として、こんな事を考えております。
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この回答へのお礼

つまり最終句を除いては次の句を引たたせる
ための布石ということですね。
興味深いご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/18 22:35

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