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「イエスはキリスト教徒でも、キリスト教という宗教の教祖でもない。つまり、キリスト教文化とは、イエスの宗教的教えではない。むしろ現世や文化を否定した。」というのです。
では、イエスとキリスト教は一体どのような関係にあるのでしょうか?イエスの終末論と現世(文化)否定との関係とは何でしょうか?

A 回答 (6件)

#2ですが、補足をさせてください。



イエスが終末思想を打ち出していたのは当然知っています。
私が言いたいのは、キリスト教の信仰の根本は
終末論にあるのではない、ということが言いたかったのです。
言葉が足りなくてすいません。

「心を尽くし、魂を尽くし、あなたの主である神を
信じなさい。そして、それと同じようにあなたの
隣人を愛しなさい。これに勝る律法はありません」

イエスが福音書の中で語っています。

ですから隣人を愛することが
>イエスの終末論と現世(文化)否定

という前提がそもそも成立するかどうか??? です。

この回答への補足

補足をします。
イエスが終末論を唱え、ラディカルに文化や現世の否定を行ったのにも関わらず、キリスト教や、キリスト教文化という文化が誕生したという、歴史的アイロニーのメカニズムを具体的に知りたかったのです。

 大学の教授には、#4さんのように、
「イエスは終末論を唱え、現世や文化を否定した。しかし、この世の終わりは来なくて、イエスは十字架にかけられ、処刑された。この世の終わりは訪れなかったが、いつか来る。すぐには来ない。そこがキリスト教の文化や信仰の始まりの基礎です。」とおっしゃる人もいました。

だから、キリスト教と、イエスの考えは皮肉にも真逆で異なる、と言う前提において見れは、
「キリストは、文化の肯定していて、世俗化している。」
「イエスの思想のメインはこの世の終わり。文化否定。」と2分することになり、そうなってしまった過程は一体何?そこにどう隣人を愛することがつながるの?という疑問が生じます。

補足日時:2003/07/11 11:47
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この回答へのお礼

参考になりました。
キリスト教の信仰の根本という点でも知っておく必要があるとわかったので、福音書もみてみます。
ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/15 20:23

ご質問の内容が変わっているので、新しく投稿された方がよいかと思いますが。



>「キリストは、文化の肯定していて、世俗化している。」

「キリスト教は」ということでしょうけど、だいたいその通りです。というか、一向に
来ない神の国を待って、教団を保持しようとすれば、そうなるしかないのです。
ですから、現代の大方のキリスト教団では、終末思想に殆ど重点をおかず(おけず)、
キリスト教は単なる倫理になってしまっていますね。しかし、それも仕方のないこと
でしょう。

>そうなってしまった過程は一体何?

これは Nr.4 に書きました。繰り返しますが、自己保存のためです。最初に
切り出したのは、恐らくパウロでしょうね。彼自身は、彼が生きている間に、
世の終わりが来ると信じていましたが、やはり教団の運営上、ある程度、
現世に妥協せざるを得なかったのです。今日のことしか考えない人間が集まれば、
最初は財産があっても、消費しかしないわけで、教団を食い尽くしてしまうのです。
そのためにお金持ちの人間が、財産を保ったままでも参加できるようにしたり、
まあ、色んなことをやったりしていますね。現世の権威にも媚びたりしてます
(ロマ書 13-)。ちなみに、キリスト教が決定的に世俗化したのは、いわゆる
「教会の勝利」以後、ローマの国家権力と結びついてからです。

>そこにどう隣人を愛することがつながるの?

簡潔に言えば、イエスはみなが神の国に住める、なんてことは言ってません。
悪に生きたら、地獄に放り込まれる。神に従い、善く生きたものだけがいける、
とこう言ってるのです。つまり、「隣人愛」等は、人が来るべき神の国に入るための、
行うべき条件なんです。

というか、大学の講義ってことならば、この辺りは、ご自分で福音書なり
研究所なりを読んで学ばれたほうが良いでしょう。では、がんばってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。項目ごとにこと細かく答えて頂けたので、非常にわかりやすく、参考になりました。

お礼日時:2003/07/15 20:18

>イエスはキリスト教徒でも・・・・ない



イエスはユダヤ教徒ですね。イエスの死後形成された最初期のキリスト教も、当時
はユダヤ教の一派とみなされ、またやっている本人たちもそう思っていました。

>キリスト教という宗教の教祖でもない

これは2の方の回答通りですね。

>キリスト教文化とは、イエスの宗教的教えではない。むしろ現世や文化を否定した。

イエスという人は、当時の社会体制・秩序を大変ラディカルに批判した人です。
そのことは福音書を読めば、分かるでしょう。例えば、当時収税人というのは
ユダヤ教徒にとっては悪(ローマ)の手先だったわけだ、それと飲食を共にしたり、
また不可触選民(地の民)を治療をしたり、また律法主義を批判したり、
当時のユダヤ教のエリート(サドカイ派)を酷評したり、等々。

イエスがある程度、現世を否定的に捉えていたのは当然でしょう。第一に、
前述したように、現在の社会状況に不満だったから彼は現れたのであり、
第二に、彼は神の国がやがて来ると考えていたわけです。ただし、彼の思想が
(後の苦行僧などのような)ラディカルな現世否定だったかというと、ちょっと
疑わしいですね。まあ、現在では、何が真のイエスの思想だか結局わからないので、
あまりこういうことを言ってもしかたがないのですが。

最初期のキリスト教教団は、比較的イエスの教えに従って行動していたようです
(そうじゃないところもありますが)。彼らは神の国がすぐにでもやって来ると思って、
殆ど世を捨てたような共同生活を行っていました。ところが、何時までたっても
神の国がやってこない。そうすると、どうしてもお金の心配をしなければならない。
それと、権力争いもでてくる。そんなこんなで、結局、キリスト教は、自己保存
の本能が働いて、イエスの教えとはかけ離れた、一世俗的組織になってしまった
わけですね。それは現在も進行中です。まあ、仕方のないことです。

>イエスの終末論と現世(文化)否定との関係

これは前述しましたが、一応。つまりイエスは「神の国がやって来る、神による
新しい支配体制がすぐにでも到来するんだ!」と考えていたわけですから、
同然、現世の社会体制には、ある程度否定的になるでしょう。そういう発言が
福音書中に幾つもありますので、ご自分で読んでみてください。

なお、2の方が誤解なさっているようなので一応言及しておきますが、イエスは
終末論者です。終末論こそがイエスの思想の核である、とする学者もいるほどです。
彼は「神の国の到来」(福音書では「福音」とも呼んでいる)を叫んでいますが、
これがそれです。というか、イエスだけではなく、この当時、ユダヤ教全体が
終末論に染まっていたようです。メシア思想なんかも終末論の一部ですしね。
ヨハネ黙示録のような、おどろおどろしい世界の終わりだけが「終末論」では
ないのです。(実は、イエス自身もかなり恐ろしい終末を考えているんですけど)
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1、2の方と同じことですが仏教で考えてみるとより分かりやすいかもしれません。



お釈迦様は「真理の法則」を見いだし、実践しましたが
信仰の人ではなかったと思います。
お釈迦様が
だれか仏さまを祭ったとか、神さまを信仰した、という話は聞いたことがありません
むしろ無神論者だったと思います。

お釈迦様は
モノ(事物、現世、文化を含みます)は幻のようなもの、実体がないもの(肯定できない=否定されるもの)で
「法則(ものとものと関連性=因果関係)」だけが真理で実在と考えました。
法則だけが真理なら神仏の存在する余地はありませんよね(無神論)
(極端な言い方をすればお釈迦様は
宗教というより科学的、分析的考察をし、実践したのです。)

弟子たちはお釈迦様の死後
教えをまとめ、編集し、解釈し、
それらを教えてくれたお釈迦様(仏)を尊びました。
仏教徒の誕生です。

仏教はお釈迦様の教えを背景に
弟子たちが作り上げた宗教なのです。
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この回答へのお礼

仏教徒キリスト教を結びつけて考えてみるのも、視野が広まっていいですね。わかりやすかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/15 20:26

こんばんは。

#1です。

ご質問の趣旨がわかりました。ありがとうございました。

そういったことなら、宗教的、聖書学的アプローチではなく、
歴史的アプローチの方がわかりやすいかと思います。

キリスト教、というのは歴史的に見ると、イエスを
教祖として作られた「教団」ではありません。
イエスの死後、ペトロ、パウロはじめ、弟子たちが
集まり、イエスの教えをなぞりながら、次第に教団としての
体を成していきました。

聖書も当然、イエスの死後に書かれました。もちろん
キリスト教では「聖書は神の霊感によって書かれたものである」
とされてはいますが、言うまでもなくイエスが書いたもの
ではありません。のちの弟子たちが書いたものです。

キリスト教はご存じのようにヨーロッパを中心に広まっていきましたが、
キリスト教文化の核心はずばり「神中心主義」です。そこで発達したスコラ学派もまた、同様です。
したがって、ヨーロッパ文化はあらゆる学術、芸術、科学の面で
神とその当時完成された聖書のドグマに侵されたわけです。

イエスの教えを世俗的な権力と結びつけたのは
すなわち「人間」です。これは大きな悲劇であり、
イエスの教えそのものでは決してありません。
現在のキリスト教は、その反省の上にあるのです。

さらに、終末論については、時代は飛びますが、テクストと
なるのは主に新約聖書の「ヨハネによる黙示録」です。
これには難解な詩的文章にあふれており、社会が不安定になったり閉塞感があったりするときに
必ずと言っていいほど「利用」されます。

イエスは終末論を主張したわけではなく、聖書の一部として
書かれたものであり、それは聖書全体から読み解かなくてはなりません。黙示録ひとつだけをクローズアップしても
何の意味もありません。

延々とつづくオカルティックな終末論は、ヨハネによる黙示録の
極端なクローズアップからすべてが
始まっていると言ってもいいでしょう。

なお、この議論はさまざまな見方、考え方があり、
奥の深い問題です。

補足質問がありましたらどうぞ。
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こんばんは。



補足説明を願います。
キリスト教はイエスご自身が作った
教団・教義ではありません。

>イエスの終末論と現世(文化)否定との関係とは何でしょうか?

もう少しわかりやすく質問してください。

何が聞きたいのですか?

この回答への補足

わかりずらくてごめんなさい。
簡単に言うと、「キリスト教やキリスト教文化は、イエスが作ったのではないなら、どのようにできたのか?実際イエスがどう関係しているのか?」ということと、「イエスのラディカルな終末論と、キリスト教の成立とその概要」について詳しく知りたいのです。

補足日時:2003/07/08 23:37
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