人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

旧日本軍の兵士は、いつ頃から丸刈りするようになったのでしょうか?

太平洋戦争当時の将官や兵士の写真を見ると、陸海軍を問わず全て頭髪を丸刈りにしています。

ところが、もっと昔の日露戦争時代の、たとえば大山厳や東郷平八郎、それに乃木希典などの写真をみると、頭髪は普通の短髪です。

無論、短めにはしていますが、少なくとも丸刈りではありません。

日本兵が丸刈りにするようになったのは、いつの頃なのか、また陸軍と海軍で違いはあったのでしょうか?

海軍の兵士は (戦争前) 軍艦で世界中を訪問する機会が多いため、西洋人に奇異に見られないように、丸刈りではなく、普通の短髪にしていたという話を聞いた事があるのですが、本当でしょうか?

あと、すみません、太平洋戦争時代の一般男性 (教師とかサラリーマンとか) も丸刈りにしていた人が多かったと思うのですが、それでも短髪にしていた人はいたのでしょうか?

もしかして丸刈りにしないと、非国民とか言われて批判されていたのでしょうか?

ちょっと疑問に感じたので質問してみました。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

海軍の場合、諸例則(しょれいそく)という日常のお約束で、「頭髪はこれを梳る(くしけずる)べし」とあり、キチンとしていれば問題ありません。

兵学校にも海軍省にも、大型の軍艦にも床屋が傭人(雇われた民間人)として乗っています。
昭和13年ごろから丸坊主が海軍でも多くなります。が、強制ではありませんでした。笑い話ですが、
「丸刈りはサッパリしていいぞ。お前もそろそろやったらいい」
「そうですか? でも米内大臣は髪の毛があるし、教官はヒゲ生やしているから、それでアイコですよ」

翌日、教官がヒゲをそってきたそうです。言われた方はそれをみて、素直に丸刈りにしたそうです。

丸刈りは衛生面で有利(水で簡単に清潔が保たれる)なので、特に戦地で髪を整髪する余裕のないことが多い陸軍では丸坊主が一般的です。バリカンをお金出し合って分隊で1個買い、お互いにのびたら刈っていたそうです。私の祖父は陸軍の師団軍医長でしたが、やはり丸刈りです。

丸刈りは私も剣道の重要な試合で負けて、全体責任で2回経験しましたが、軽く、水とセッケンで簡単にキレイになるので、これはこれでいいと思いました。

ソ連軍は丸刈り強制です。

一般の人は、戦前でもポマード、シャンプーなどが競争で売られていたので、普通にのばして整髪していました。戦時中に物資不足になると、丸刈りがおおくなったそうですが。あと、学生は基本丸刈りです。だからといって延ばしていても非国民呼ばわりはまずないとおもいます。
不潔だったら、いつの時代でも批判されるでしょう。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

有難うございました。
興味深いエピソードに感謝します。
ソ連軍は丸刈り強制だったのですか ・・ 
日本のように入隊すると俗世間とは縁が切れるという精神面の要素は無いとしても、やっぱり衛生面や手入れの簡単さが重視されたのでしょうね。
イメージでは今でもアメリカの海兵隊は思い切り刈り上げて、頭頂部だけ少し残した、いわゆるGIカットにしていると思います。
ドレッドヘアーやロングヘアーの兵士なんて髪型ばかり気にして、戦場では使い物にならないのでしょうね。

ご紹介の笑い話に出てくる髭ですが、これは髪の毛と違って何の指導も強制も無かったのでしょうか。
明治時代の将軍たちの写真をみると、どれも立派な髭を伸ばしています。武士の名残りで、多分、下級兵士も同じかなと思うのですが、ある意味で髭も手入れが大変だったのではないでしょうか。
食事をすると食べ滓が髭についたりして、いつも注意をする必要があるはずです。
また万一、取っ組み合いの白兵戦になった時、相手に長い髭を掴まれて苦戦するとか無かったのかなと思います。

すみません、疑問が深まるばかりです。

お礼日時:2010/06/16 09:51

>ヒゲ



笑い話の人は、時局が厳しくなるから気合をいれるために坊主はどうだ、坊主にしない理由がわからん、と部下にいい、私はあなたがヒゲをそんなに立派にしている理由がわかりません、とツッコミをくらって、意地になりヒゲをそったら、言い返した部下も、のばしていたヒゲを自分の一言でそってしまったのだから、坊主にしないわけにはいかなくなった、といういみです。

陸海軍ともヒゲについて規制はなかったので、立派にしている人がいます。例えばキスカ撤退作戦を成功させた木村少将は、後ろから見えるほど立派なヒゲで、ネコがサンマくわえているようだから、「ネコサンマ」とあだ名されたそうです。お味噌汁飲むとき、片一方のヒゲをお箸でつまみあげていたそうです。カレーライスをどうやっていたのか、私も知りたいです。
無精髭は陸海どちらも糾弾されますが、中にはこれから生やすのです、と言い逃れしていた人もいます。
抜いたりするとそこからバイキンが入って化膿する面疔(めんちょう)という病気があり、抗生物質がなかった当時は、これにかかったら大変なことになりました。そるならキチンとひげそりでそれ、ということだったようです。
白兵戦でヒゲをつかむということは、手にした兵器がもう、ない、ということですから、やる方も必死でしょう。

この回答への補足

有難うございました。
なるほど、無精髭は厳しく問われていたのですね。
さすがに「帝国軍人ともあろう者が、なんと汚らしい、みっともない」という事だったのではと感じました。
ただ、南方戦線で苦労した兵士の当時の写真をみると、ぼうぼうに無精髭を生やした人もいましたが、厳しい戦いで髭を剃る余裕など無いという事だったのでしょうね。
興味深いお話に感謝します。 有難うございました。

補足日時:2010/06/17 11:27
    • good
    • 1

官僚の丸刈りについては、「日本の近代 13巻 官僚の風貌」に


いろいろ書いてあります。興味がありましたら、一読してみてください。
日中戦争~太平洋戦争突入で丸刈りが増えたようですね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

有難うございました。
機会がありましたら、是非読んでみたいと思います。
アドバイスに感謝します。

お礼日時:2010/06/16 09:52

将校が丸刈りにするのは、戦争突入の発表があって、宣戦状態時だけです。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

有難うございました。
将校が丸刈りにするのは戦争中だけだったのですか。
勉強になりました。

お礼日時:2010/06/16 09:34

海軍の飛行機乗りには最後まで丸刈りでなかった人々がいます。


この人の場合、頭を怪我から保護するためとか言っていたようです。
http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub10-3.4.html
城山三郎の『指揮官達の特攻』(新潮文庫)という本が出ています。
(最後までちゃんと読んでないのですが・・・・)

山本五十六なんかは戦前、大使館付き武官として欧米に行っていましたが、どうなんでしょうね。おじさんになってからの写真だと、米内光政も井上成美も、みんな短髪ですけれども。あ、でも米内さんはちょっと長めでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%86%85% …

ウィキペディアには、高木惣吉さんは丸刈りの写真が出ています。
以上、海軍です。

ちょっと覚えていないのですが、新潮文庫から出ている『兵隊たちの陸軍史』という本が、徴兵検査の中から抽選で選ばれて現役入隊で2年間兵役に付く場合(戦時でなく平時)の暮らしぶりが出ているので、もしかしたら入隊時の髪型のことも書いてあるかもしれません。

フィリピン戦線に大隊長候補(予備?)として送られた陸軍大佐の若い頃の写真を本で見たことがありましたが、丸刈りでした。

国民学校の先生なんかの写真を見るとたいてい丸刈りに国民服ですけど、一般人には丸刈りでなかった人もいたと思います。国民服はこんな感じ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91% …

ちょっと前まではテレビドラマでもしばしば見かけた服装です。

国民服令(昭和15年勅令第725号)
というのがあったそうです。昭和15年11月2日に公布・施行だそうなので、開戦の1年ぐらい前ですね。
http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs15-725.htm
こちらだと11月1日になってます。こちらのほうが漢字+平仮名で読みやすい。
http://www.city.suwa.lg.jp/scm/dat/kikaku/data_f …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

有難うございました。
国民服に関する法律を読ませて頂きました。
当時の言葉使いって面白いですね。
ズボンまたはパンツの事を「袴」と呼んでいたのですね。
上着ですが、スケッチを見ると映画などで見たような気がします。
少し前まで中国では一般人は人民服を日常的に着用していたようですが、もしかすると日本の真似をしたのかも知れません。

頭髪ですが、丸刈りにすると、たしかに洗髪も乾燥も楽だと思います。
冬は寒いでしょうが ・・・
入隊すると俗世間と縁を切るという意味合いとは別に、戦場での実用性も考えられたのでしょうね。

とても面白いお話に感謝します。有難うございました。

お礼日時:2010/06/16 09:33

#1です、補足質問にお答えします^^



★旧陸軍では軍規によって将校(士官)も兵も丸刈りが基本であったのに対し、旧海軍では准士官以上は原則自由として長髪が許されていた。しかしながら陸軍でも外国大使館附の駐在武官や留学者、私服捜査を行う一部の憲兵や特務機関・中野学校のスパイ、その他一般軍人でも西竹一など一部の将校は長髪であり…

とウィキにありますから、要するに「お偉いさん」は長髪で、さらに部署によっては長髪が認められていたんでしょうね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、陸軍でも一部では長髪が認められていたのですね。

それと、ちょっと気になったのですが、下級兵士に全員丸刈りを強要しているのは世界でも日本だけだったのでしょうか?
いわゆるGIカットとか、スポーツ刈りのような短髪にしている兵士は古い映像などで見かけますが、日本のように丸刈りの兵士って見た事がありません。
丸刈りの兵士って、旧日本軍だけだったなのでしょうか?

お礼日時:2010/06/15 13:34

私の伯父(叔父)二人は海軍だったので丸刈りではなかったです。

(写真確認済)
そもそも、太平洋戦争は1941年(S16)に開戦ですから、海軍は4年足らずしか戦争をしてませんが、陸軍は1931年の満州事変から戦争をしてた経緯があるのです。
1937年の支那事変(日中戦争)あたりから陸軍の士気を高める為に将校達が丸刈りにしたようですから、丸刈りは陸軍に限られてたようです。
赤紙で召集された伯父達は陸軍に入隊したので出征時には丸刈りにして戦地に向かいました。
これには、陸軍14年間の戦争の歴史と海軍の4年足らずの歴史の違いがあると思ってます。
残念ながら、伯父達は全員故人になってるので本人達から詳しい理由は聞けませんが、当時は床屋なんぞ行ってられない風潮があったのでしょう。
家庭でバリカンで刈れる丸刈りは軍人に限らず一般男子国民にも浸透してたようです。
因みに、私の父親は軍属技師だったので丸刈りではなくオールバックの髪型でした。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

有難うございました。
へー、お父上も、海軍に召集された叔父様たちも丸刈りとは縁が無かったわけですか。
イメージでは、何だか日本人全員が丸刈りにしていたように思ったのですが、実際には違うのですね。
でも、丸刈りにしなかったのは、やっぱり当時でも「丸刈りはカッコ悪い」という考えがあったのでしょうか。
この辺、興味があります。

お礼日時:2010/06/15 13:29

Wikipediaによると^^



1873年(明治6年)に徴兵令が公布されると、軍人の標準的な髪型である丸刈りの習慣が国民に定着していくこととなった。軍人の丸刈りは俗世間からの訣別の気構えや規律の維持などの他に、虱や頭垢の予防といった衛生上の目的、戦闘で頭部を負傷した場合の手当てのしやすさ、軍帽・略帽や鉄帽着用時の蒸れの緩和といった実際上の利点があり…

あとはコチラからウィキをご覧下さい^^

質問の答えが全て載ってます
★ja.wikipedia.org/wiki/丸刈り
    • good
    • 2
この回答へのお礼

有難うございました。
明治6年から丸刈りが強制されていたのですね。
ただ不思議なのが、質問に挙げた日露戦争当時の将軍たちの写真では、全員が普通の頭髪をしています。

日露戦争当時の陸軍トップの大山厳の写真を例に挙げます。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/39.html

他の将軍たちの写真も同じです。
この辺が不思議だなあと感じています。

お礼日時:2010/06/15 10:49

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q世界各国の軍隊。兵士の髪の長さって男女で決まってるんですか?

なんだかえこひいきな発言ですが…
韓国や台湾の兵役に行く俳優さんたちが、
頭を坊主にしてしまうのがとっても悲しいです。
ソン・スンホンだってドラマ「夏の香り」での、
パーマがかかった茶髪が好きだったのに~!
ロイ・チウだってF4に負けず劣らずのロン毛がステキだったのに~!

でも、イ・ビョンホン主演の韓国映画「JSA」に出てきた、
イ・ヨンエ演じる女性兵士は肩までの長さの髪形でした。
だったら別に男性兵士だって、坊主にしなくてもいいんじゃないですか?
ドラマ「戦国自衛隊」の女性自衛隊員だって髪長かったですよ。
戦うのに髪がジャマだから…って考えは通用しませんよね?
だったらなぜ男性は坊主刈り!?
ロン毛でもいいんじゃないのですか?

よく北京五輪の時のダルビッシュみたいに、
気合を入れなおす目的で思い切って坊主にする、とかありますよね。
けじめをつけるとか、出家するとか…。
そういう類の理由があるんですか?

源平合戦の時代だって、武将は髪が長いまま兜をかぶっています。
あれもぶっちゃけ戦闘にジャマそうじゃないですか?
巴御前は長い髪を後ろで束ねてたようですが。
現在の世界の軍隊はどういう決まりなのですか?
職業軍人と一般人の兵役では、違いがあるのですか?
軍事事情に詳しい方、詳しくなくてもよいので教えてください。

なんだかえこひいきな発言ですが…
韓国や台湾の兵役に行く俳優さんたちが、
頭を坊主にしてしまうのがとっても悲しいです。
ソン・スンホンだってドラマ「夏の香り」での、
パーマがかかった茶髪が好きだったのに~!
ロイ・チウだってF4に負けず劣らずのロン毛がステキだったのに~!

でも、イ・ビョンホン主演の韓国映画「JSA」に出てきた、
イ・ヨンエ演じる女性兵士は肩までの長さの髪形でした。
だったら別に男性兵士だって、坊主にしなくてもいいんじゃないですか?
ドラマ「戦国自衛隊」の女...続きを読む

Aベストアンサー

 まず、映画とかの情報は捨ててください(邦画は特にひどい。ま、JSA限らず韓流もオイオイって感じの設定は多いが)。

 下っ端が頭をぐりぐりと刈られるのは、いろいろな側面(シャバと違うところであると認識させるとか)がありますが、一義的には衛生のためです。長髪で不衛生な塹壕にでもこもったら一発で虫が湧きます。
#いまは違うかもしれないが明日はそうなるかもしれない
当然、徒手格闘の際不利になるという面もあり、あとは管理が楽という点があるでしょうが。

 女はといえば、実際のところ軍に進出してきたのはごく最近(早くともWW1の英ぐらいから)であって、しかも現在に至るまでかなりの国が戦闘職種-詰まるところ薄汚い塹壕に立てこもって掴み合いをするような-への配属を制限しています。性別関係なく徴兵するイスラエルですら、ね(ちなみに、それが元でサベツであると訴えられ、負けています)。 
 なので、それほど丸刈りにする必然性もないし、それをするほどの蛮勇も組織としては振るえなかった、というところでしょうか。
 それでも、下っ端のウチは、短めに統一されているようです。

 ただし、国や軍種によってはまちまちですし、偉くなれば当然自由度が増すのは一般世間とそう変わりありません。
 たとえば、旧軍でも海軍は比較的長髪OKでした(といっても、ロン毛じゃない、普通の髪型ぐらい。船の中は狭いので頭部保護という意味合いもあるらしい)。戦末期に「みんな坊主だ!」というお触れが出ていますが、偉い人やベテランの人は結構な勢いで無視しています。
 中には、兵隊にポマードを配っていた国、なんてのもあります(ドイツ。どうも好きな国民性らしい)。

 まず、映画とかの情報は捨ててください(邦画は特にひどい。ま、JSA限らず韓流もオイオイって感じの設定は多いが)。

 下っ端が頭をぐりぐりと刈られるのは、いろいろな側面(シャバと違うところであると認識させるとか)がありますが、一義的には衛生のためです。長髪で不衛生な塹壕にでもこもったら一発で虫が湧きます。
#いまは違うかもしれないが明日はそうなるかもしれない
当然、徒手格闘の際不利になるという面もあり、あとは管理が楽という点があるでしょうが。

 女はといえば、実際のところ...続きを読む

Q太平洋戦争中に街で見かける男性たち

テレビなどで太平洋戦争前後の映像を見ていて疑問に感じる時があるのですが、当時は日本国男子の全員がある年齢になると徴兵の義務が課せられていたように聞いています。 いわゆる赤紙というものですね。

もし拒否したり逃亡したりすると、非国民として厳罰が待っていたはずです。

ところが戦争末期になっても、当時の映像では普通のサラリーマン風の男性が街中を歩いたり、家族と買物や散歩したりしている光景を見る事があります。 おそらく年齢的には徴兵に取られておかしくないような世代かと思われます。

考えれば、あの戦争中でも男性が必要となる職場が多くあったように思います。 たとえば鉄道関係者、警察官、消防士、医師、自治体の公務員、電気・ガス会社の社員、あるいは建設関係 ・・・ などなど、女性だけでは運営出来ないと思うのですが、これらの男性たちには徴兵義務が免除されていたのでしょうか? 

それとも、形だけ一旦徴兵に取られてどこかの軍部に属し、その後に 「派遣」 という形でまた元の職場で以前同様の仕事を続ける、そして家から通う ・・・ こんな制度だったのでしょうか? たしか軍艦を建造する造船所の技師や職工はそんな身分になっていたと、どこかで聞いた覚えがあるのですが、ハッキリしません。

もしそうなら、そんなラッキーな職業には具体的にどんなものがあったのでしょうか?

健康上の問題で徴兵が免除された人は除くとします。

テレビなどで太平洋戦争前後の映像を見ていて疑問に感じる時があるのですが、当時は日本国男子の全員がある年齢になると徴兵の義務が課せられていたように聞いています。 いわゆる赤紙というものですね。

もし拒否したり逃亡したりすると、非国民として厳罰が待っていたはずです。

ところが戦争末期になっても、当時の映像では普通のサラリーマン風の男性が街中を歩いたり、家族と買物や散歩したりしている光景を見る事があります。 おそらく年齢的には徴兵に取られておかしくないような世代かと思われま...続きを読む

Aベストアンサー

高等文官試験に合格した官僚(今で言うキャリア)は基本的に徴兵免除だったそうです。また、軍といえども、徴兵関係は役所(陸・海軍省)の仕事ですから、本省勤務の人間は、他省庁でも、キャリア組でなくても「余人を持って代え難い」という名目で徴兵免除、或いは徴兵されて即日帰郷などの措置が取られたそうです。この時に、上司や同僚に嫌われているとその措置をしてくれない、なんてこともあったとか。これはコネの方ですね。

金の方ですが、まぁ、人間の世界ですから露骨な袖の下で徴兵名簿の書き換えなどということもあったでしょうが、45年には徴兵検査を受けた者の9割が実際に動員されたということですから、それほど多い事例ではなかったと思います。
むしろ、金持ちの子弟は、高学歴ですし、働く場所も親の力などで選べますから、軍属名目の勤務先に勤めたり軍関係の仕事に従事したり、満州国政府に勤めるとか、ということで結果的に徴兵逃れが出来たケースが多かったのではないでしょうか。

アメリカではこれが結構多くて、大統領選挙の時の経歴で問題になったりしますよね。徴兵逃れのため州兵の、しかも空軍(一番戦場に行かないポジション)に親の力で入隊するとか、カナダに移住しちゃうとか。

高等文官試験に合格した官僚(今で言うキャリア)は基本的に徴兵免除だったそうです。また、軍といえども、徴兵関係は役所(陸・海軍省)の仕事ですから、本省勤務の人間は、他省庁でも、キャリア組でなくても「余人を持って代え難い」という名目で徴兵免除、或いは徴兵されて即日帰郷などの措置が取られたそうです。この時に、上司や同僚に嫌われているとその措置をしてくれない、なんてこともあったとか。これはコネの方ですね。

金の方ですが、まぁ、人間の世界ですから露骨な袖の下で徴兵名簿の書き換えな...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q日本陸軍将校の拳銃

「帝国陸軍の将校に軍制式の拳銃は支給されなかった」
「拳銃を私物として購入・携行することは許されていた。戦前の日本では今のように銃刀法の規制が厳しくなく、拳銃が街で販売されていた」
「将校の中で希望する者は、自分で拳銃を購入して戦地に持参した」
「将校の装備は、軍服、軍刀、軍靴など、全て私費購入であった。これは他国の軍隊でも19世紀以来同じ」

と聞いています。上記が事実とすると、

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」
「例えばドイツ軍では、将校には軍から制式の拳銃が与えられていたようだ(支給か私費購入かは不明)。イギリスやアメリカでも同様であろうか。日本がそうならなかったのは、『将校は軍刀で護身せよ』という発想か。将校全員にいきわたるほど信頼性のある拳銃を作る能力がなかったからか」
「現実には、帝国陸軍の将校の多くは、所持を義務付けられた軍刀だけで護身していたのか?」
といった疑問が湧きます。よろしくお願いいたします。

「帝国陸軍の将校に軍制式の拳銃は支給されなかった」
「拳銃を私物として購入・携行することは許されていた。戦前の日本では今のように銃刀法の規制が厳しくなく、拳銃が街で販売されていた」
「将校の中で希望する者は、自分で拳銃を購入して戦地に持参した」
「将校の装備は、軍服、軍刀、軍靴など、全て私費購入であった。これは他国の軍隊でも19世紀以来同じ」

と聞いています。上記が事実とすると、

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは
旧日本軍の制式拳銃に関しては、小銃に比べるとかなり資料が限られており、いくつかの専門誌や文献に点在した形であるのはあるのですが、
体系的に研究された文献もほとんど存在しませんので、多少記憶に頼った回答になることをお許しいただきたいと思ます。

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」

 これまでに他の回答者さんが回答なさっているように、将校の拳銃は原則自己調達でした。ということは予備弾薬もそれに準じて自己調達していたということになります。都合よく旧日本軍の制式拳銃の弾薬と同じ物を使う拳銃を購入すれば流用も考えられます。ただ8ミリボルトネック弾は世界的に見ても稀な実包だけに、流用できるものは当時の軍の将校の間で最も好まれていたモーゼル社にもなく、いったん戦場に出れば補給は不可能でした。
 さて旧日本軍の制式拳銃は明治以降3種類が存在します。つまり制式第1号の二十六年式、第2号の十四年式、そして最後の制式拳銃となった九四式です。明治26年制式化された二十六年式は別にしても、太平洋戦争を戦った十四年式と九四式の弾薬や消耗部品の補充は?ということですが、基本的に旧日本軍は拳銃に対して兵器という概念はかなり希薄なところがありました。つまり拳銃は兵器といった存在よりは、将校や准士官と呼ばれることもあった下士官(特務曹長)たちの象徴的な存在であり、かつ他の回答者さんが言われたようにいざというときの自決用といった存在であったと考えても良かったのです。
 そういうこともあり、弾薬や消耗部品の補充もめったに使うこともないのですから、必要性も少ないということでかなりおざなりにされていたと考えても決して間違いではありません。
 めったに使うこともないということのひとつの証明的なエピソードとしては、部隊が玉砕するほかないといった場合、指揮官のほとんどが自決をした例がありますが、その際十四年式や九四式を携えた多くの指揮官が、必ず試射を行ってちゃんと弾が発射されるかどうかを確かめたという事例が多く残っています。いかに普段使っていないかという良い例ですが、それだけ自軍の拳銃に信頼を置いていなかったということなんですね(^_^;)

「例えばドイツ軍では、将校には軍から制式の拳銃が与えられていたようだ(支給か私費購入かは不明)。イギリスやアメリカでも同様であろうか。日本がそうならなかったのは、『将校は軍刀で護身せよ』という発想か。将校全員にいきわたるほど信頼性のある拳銃を作る能力がなかったからか」

 これも前の回答に重複したお答えになるのですが、ただ日本軍が将校に拳銃を支給しなかったということは正確ではありません。制式拳銃の主流であった十四年式に限って言えば、その生産数は269000挺という記録があるので、他の拳銃もあわせて考えれば数的には不足はなかったといえます。
 日本軍が最初の制式拳銃二十六年式拳銃を明治27年に支給した兵科の最初は実は憲兵隊でした。これは当時の憲兵隊が将校だけだったという事情もあります。その後騎兵部隊(騎兵は乗馬した状態で片手で撃つためという事情から)、砲兵部隊、そして輜重部隊の兵たちに順次装備されていきました。
 旧日本軍の制式拳銃の信頼性に関しては安全性やセーフティ機構という概念が薄かったためか、その性能や威力と同じくらい悲惨な状態だったというしかありません。それでもきちんと作っていたならまだましなんですが、戦争末期になるにしたがってその作りも粗雑乱雑になるしかありませんでした。アメリカ兵から下手に使えば撃つ方が死亡したり大怪我を負うといった意味から、スーサイドガンと呼んで馬鹿にされていたことからもわかります。九四式がその最たるもので、世界的に見ても例がないほどの稚拙な構造をしており、安全面に関しては致命的な欠陥を持っていました。ここで詳しく書くことは避けますが、簡単に言えば引き金を引かなくとも銃本体の左側面の露出しているある部分を叩くだけで発射できるといった具合です。
 ただ初期のきちんと作られた時代のものは命中率がなかなか良く(威力は最低評価ですが…)、アメリカのコレクターの間ではそれなりの評価を得ているのが救いといえば救いですが。

「現実には、帝国陸軍の将校の多くは、所持を義務付けられた軍刀だけで護身していたのか?」

 これも軍刀を護身用と考えるのは無理があると思います。
 拳銃は第1次大戦の西部戦線での塹壕戦の教訓を得て、拳銃の存在意義が高められたのですが、旧日本軍では軍刀は拳銃と同じように象徴的な飾り物であり片手に軍刀、もう片手に拳銃を持って最後の玉砕突撃を行うといった光景が、太平洋の島々で繰り広げられていました。一般的に日本軍の将校は自身の身を守るという考えは薄く、常に部隊の先頭に立って指揮をすべきものとされていましたので(どの国の軍隊の将校もそう教育されていますが)、自己護身という概念はありえなかったと思います。ただそうは言っても例外的に臆病で卑怯な高級将校はたくさんいましたが、それはまた別の話ですので(-_-;)
 また他の回答者さんへの補足質問にお答えするのはルール違反かもしれませんが、8ミリJAPはアメリカの旧日本軍拳銃コレクターへの実弾の販売を行っていた弾薬メーカーが、その名称に戦争当時の日本人への蔑称であるジャップをそのままつけたものです。
 最も今ではその名称はあんまりだろう(笑)という意見がアメリカのコレクターの間に出てきて、その後は「8ミリNambu」に統一されています。旧日本軍の拳銃は当たり前のことですが日本では所有や撃つことも出来ませんが、アメリカでは結構な数のマニアが存在します。しかし8ミリのボルトネック弾は非常にレアな実包で、アメリカではオリジナルはかなりの高価で取引されているので、弾薬メーカーが他の実包を流用して生産していました。しかしそれも最近では生産もされなくなっていますので、マニアはリロードといって、自分で弾薬をしこしこ作っているのが現状です。
 長くなりましたがご参考になれば幸いです。

こんにちは
旧日本軍の制式拳銃に関しては、小銃に比べるとかなり資料が限られており、いくつかの専門誌や文献に点在した形であるのはあるのですが、
体系的に研究された文献もほとんど存在しませんので、多少記憶に頼った回答になることをお許しいただきたいと思ます。

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」

 これまでに他の回答者さんが回答なさっているように、...続きを読む

Q戦争に行かなくて済んだ人達って?

昭和10年代後半、大学生でさえ召集されたあの時代に五体満足で健康な20~30代の男子で
戦争に行かなくて済んだのはどんな人達なんでしょうか?
わざと徴兵回避して村八分になった人達を除いて召集されなくても
堂々としていられた人達の場合です

Aベストアンサー

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するものです。
 また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
 これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
 比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

 この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
 これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、特有の技能が記入されています。

 充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
 他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
 海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

 さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、召集令状は来ることがありませんでした。
 これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です。
 この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
 ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

 例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1.侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2.陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3.鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4.船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5.民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6.国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7.陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8.都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9.帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10.帝国議会の議員
11.国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12.上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、教師も一部が召集対象から外れています。
 また工場の熟練労働者も対象となっています。
 但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて、召集延期者として選出させた事例もあります。
 この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

 1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって、召集を延期されています。
 また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています。
 この制度も1944年から開始されています。

 これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

 また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

 これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は1943~45年で4。3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
 戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。
 また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に召集されなかった人も多かったようです。(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの母方の祖父。福井出身で戦争当時大阪にいた。
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた。(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)

 休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り、薬を配って換わりに越前米をもらう。
 ↓
 福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る。
 ↓
 米を売ってお金に換えて大阪に戻る。

と、いうのを延々とやっていたそうです。(生活板)

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年...続きを読む

Q陸軍士官学校卒の昇進の限界について

陸軍士官学校(明治期)を卒業し、陸大には入らなかった場合、一般論としてどの階級あたりまで出世できたのですか。

ご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

 こちらでも失礼します。
 一般論として聯隊長までと考えてよろしいかと思います。歩兵科で大佐、騎兵科で中佐です。
 陸軍大学は「陸軍大学条例」で、その目的を設立当初には「将来の参謀職に堪ゆべき者を養成」と定められていました。その後、条例は数度改正され、
「高等兵学を教授し、将来参謀官、高等司令部副官及び教官に充つるを目的とし並に高等職務に堪ゆべき学事上の基礎を修習せしむ」(明治19年改正)
「高等兵術を教授し、参謀其他枢要の職務に充つべき者、または高等指揮官となるべき者を養成する」(明治24年改正)
「高等用兵に関する学術を修めしめ、併せて軍事研究に須要なる諸科の学識を増進せしむる所とす」(明治29年改正)
と、一貫して高等用兵を教え、参謀官、高等指揮官を養成することを目的としていたからでしょう。
 実際、陸大未卒業者の将官昇進は、平時では1%に満たなかったそうです。ちなみに、陸大卒業生は、その内少将昇進80%弱 中将50%強 大将10%強だそうです。
 また、士官学校の卒業成績がその後の昇進のスピードに係ってきますが、陸大を卒業すると、過去の成績に関わらず自動的に士官学校卒業時の成績序列の上位に位置し、その期の進級時期に来ると未卒業者を追い越して一斉に進級したそうです。

 こちらでも失礼します。
 一般論として聯隊長までと考えてよろしいかと思います。歩兵科で大佐、騎兵科で中佐です。
 陸軍大学は「陸軍大学条例」で、その目的を設立当初には「将来の参謀職に堪ゆべき者を養成」と定められていました。その後、条例は数度改正され、
「高等兵学を教授し、将来参謀官、高等司令部副官及び教官に充つるを目的とし並に高等職務に堪ゆべき学事上の基礎を修習せしむ」(明治19年改正)
「高等兵術を教授し、参謀其他枢要の職務に充つべき者、または高等指揮官となるべき者を養...続きを読む

Q戦闘機や航空基地 : どうして陸軍と海軍でバラバラだった?

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理由があったのでしょうか? 陸軍がまとめて防空の構えをすれば事足りるように感じたのですが ・・・

それと、海軍と陸軍でどうして戦闘機の機種を統一しなかったのでしょうか? 

もちろん、戦闘内容が違うので両軍が求める性能を統一するのは難しいのは理解できるのですが、すごく不経済だし合理的ではないように思いました。

たとえばゼロ戦を陸軍も使用するとか、逆に隼を海軍も使用するとか出来なかったのでしょうか?

歴史書を読んでいて、ふと感じたので質問させて頂きました。

先の大戦における歴史書を読んで気がついたのですが、当時の陸軍と海軍では、それぞれ独自の戦闘機を保有したり、各地に専用の航空基地を構えていましたよね?

調べると、たとえば有名なゼロ戦や紫電改は海軍、隼や飛燕は陸軍の所属になっていました。

シロウトなので教えて頂きたいのですが、もし海軍所属の戦闘機が空母艦載を目的とするなら、折畳み式主翼にするとかの特徴があるかなと思うのですが、海軍所属の全ての戦闘機はそうなっていますか?

それと海軍が各地に航空基地を構えたのにはどんな理...続きを読む

Aベストアンサー

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では「イエス・サー」といいますが、海軍では「アイ・アイ・サー」といいます。かように「はい」という答えひとつでも違う言い方をしたがるほど陸軍と海軍はときに対抗します。いわんや航空機の仕様については他の方も回答されているように陸軍と海軍では要求するスペックが違いますから自ずと機種が違ってきます。
それは現在でもそうで、例えばアメリカ空軍が使うF-16と海軍/海兵隊が使うF-18は大きさといい性能といいよく似ています。大きな違いは、F-16が単発エンジン、F-18が双発エンジンという点です。一時期、海軍でもF-16を採用してはどうか、という声も上がったのですが、海上で活動することが多い海軍機はエンジンがひとつ故障(あるいは損害)を受けてももうひとつのエンジンで基地や空母までたどり着ける可能性がある双発機のほうがふさわしいとのことで海軍/海兵隊はF-18を採用しました。しかし実際は長年米海軍とお付き合いのあるノースロップ社の「ロビー活動」のたまものです。

合理的精神の塊であるアメリカ人でさえ空軍(陸軍)機と海軍機の統一ができません。ロバート・マクナマラが機種を統一しようとしてF-111という戦闘爆撃機を作りましたが、これは海軍と空軍の猛反対を押し切って強引に進められたものでした。海軍はよっぽど気に食わなかったのか、何かと理由をつけてちゃっちゃとF-111を退役させました。

今でも、ゼロ戦と隼とどっちが優れているか議論させたら答えは出ませんよ。カタログスペックではゼロ戦が優れていますが、ゼロ戦はかなりクセの強い戦闘機だったようです。じゃじゃ馬だったんですね。それに比べると隼のほうがはるかにマイルドで乗りこなしやすかったそうです。ゼロ戦はホンダ車、隼はトヨタ車みたいなもんだったのかもしれません。

そもそも航空部隊の設立の経緯を考えればよろしいかと思います。第一次世界大戦のときに「空の戦い」が始まります。このときは、航空部隊は陸軍所属でした。そもそも、航空部隊は陸軍の偵察隊として生まれました。
やがて海軍でも偵察機があると便利だなとなります。そのとき陸軍の飛行機を借りるより、自前で航空部隊を作ったほうが手っ取り早いし便利です。かくして「海軍航空隊」が誕生します。

日本に限らず、世界中で海軍と陸軍というのは対抗意識を持っています。例えば、アメリカとイギリスの陸軍では...続きを読む

Q日本陸軍将校の"完全軍装"というのはどんなものなんですか?

例えば、日本陸軍歩兵科の小銃中隊の中隊長の"完全軍装"がどのようなものか知りたいです。
普通の兵や下士官の完全軍装なら分かりますが、どうしても下級将校の完全軍装というものがどんなものか分かりませんでした。
小円匙、銃剣、雑嚢はしないと思いますが、他はどう兵や下士官と違うのでしょうか?
ご存じの方宜しくお願いします

Aベストアンサー

 将校の完全軍装ということですが、兵科によって微妙に差異があるのですが、いちおう平均的なところを説明します。

 頭からいけば、鉄帽は将兵ともに変わりはありませんが、略帽でもある戦闘帽は夏冬とも素材は同じですが、帽章の星が将校は刺繍で兵は布になり、あご紐も将校は本皮製で兵は代用革になっています。
 戦闘服も上下ともデザインは将兵同じですが、自前で調達する将校はオーダーメイドで材質や仕立てに大きな違いがあり、色調も兵よりは青みがかった色が強くなっていました。ただしこれは戦闘中に敵の狙撃兵のいい目標になるということで、実戦ではあえて兵用の上下を着ていたようです。

 軍靴は将校は黒または茶色の牛革製の長靴で、乗馬の際はこれに拍車を取り付けていました。ただこれも前線、とくに南方では使い勝手が悪く、ほとんどの将校が兵用の布製のゲートルに布ゴム製の地下足袋を好んで履いていたそうです。
 装備類に移ると、まず軍刀ですが帯刀バンドを左腰の軍服の下につけて下げ、唯一の実践的武器である拳銃(私物)は革嚢(ホルスター)を左肩から右腰に掛けます。
 小円匙、銃剣などは携帯しませんが、雑嚢に近いものは携帯します。それは将校の必携装備である図嚢(地図や書類、筆記用具などをいれる皮製のかばん)です。図嚢は吊革または環で右腰に下げます。またこれも将校の必携である双眼鏡も革ケースに入れ、これは右肩から左腰に吊ります。
 背嚢(これも雑嚢代わりといってもいいでしょうね)ですが、これは兵と同じで将校も携帯しますが、兵用よりは小型で上質の牛革で作られており、飯盒もやはり兵用よりは小型ですがこの背嚢に入れて持ち運びます。水筒もありますが、これも小型で吊革で右肩から左腰に下げています。

 ほんとうはもっとこまごましたものがあるのですが、ざっとした説明ですがご参考になれば幸いです。
 

 将校の完全軍装ということですが、兵科によって微妙に差異があるのですが、いちおう平均的なところを説明します。

 頭からいけば、鉄帽は将兵ともに変わりはありませんが、略帽でもある戦闘帽は夏冬とも素材は同じですが、帽章の星が将校は刺繍で兵は布になり、あご紐も将校は本皮製で兵は代用革になっています。
 戦闘服も上下ともデザインは将兵同じですが、自前で調達する将校はオーダーメイドで材質や仕立てに大きな違いがあり、色調も兵よりは青みがかった色が強くなっていました。ただしこれは戦闘...続きを読む


人気Q&Aランキング