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死ぬより善く生きることを選ぶ??

ソクラテスは、不当な判決で死刑を受け、死刑までの間牢屋に入れられました。
クリトンという親友が脱獄を勧めますが、ソクラテスは拒否します。

法に従わなければならない。不正は自分にとっても悪だからである。

しかし彼はなぜ生命よりも善く生きることのほうを最上としたのでしょうか。
その部分の議論がなかったので、どなたか知っていたら教えてください。

A 回答 (5件)

私は「死んでまで信念を貫くとはアホだ。

生きてこそ信念をつらぬくことを継続できるし、生きてこそ奴らの悪政を正せるのに」と思ったのですが、私が勘違いしていた。

あくまで弟子たちの書いたものでしか彼の人物像はわからないのですが、ソクラテスは他者のためにやっていたのではなく、自分だけのためにやっていたんだった。

彼はこの世で一番自分が賢い人だと確認するために、博識者とやりあっていたんでした。

彼は信仰心がものすごくあった。
なんせ神様にお前がこの世で一番賢いという信託をもらったと信じていたので、それが間違いだとなると、自分は一番賢い者だってことにならないじゃないですか。
「自分をこの世で一番賢いと言った神様の存在を信じる。」となっていたわけです。(デルフォイの神託)


で、彼は子どもの頃から何かやろうとしてそれが悪いことだと、必ずダイモン(キリスト教はデーモンと呼ぶ)が止めたと言っていたそうです。
最後の弁明の時に、何故博識者や若者を扇動したのかという問いに、「だってダイモンが止めなかったんだもん。ということは悪いことではない つまり私のやっていることは善いことであるはずだ。」みたいな理論を展開したらしいんですね。

「アテナイの神様を不敬したというが不敬したどころかアテナイの神様の言うことを信じたからやったんです」と弁明したわけです。


そういうお方ですから、牢獄の鍵は開いていたのですが、ダイモンが鍵が開いているからといって脱獄するのは、法をやぶる行為 とばかりにソクラテスにささやいたとソクラテスは思っていたんじゃないかと。

で、彼は多数決で決まったことは、たとえそれが間違えであっていても守るべきだって考えだったんです。
1人の独裁者が政治をやった場合、その独裁者が常に正しければ独裁であってもいいんですが、その独裁者の価値観でその集団の善悪が決まって政治が行われるじゃないですか。
独裁者ですから、他の人々は独裁者の顔色を伺って「おかしいんじゃないか」と口を挟むことができず、悪政さえも黙って従うしかないわけです。
すると国民全体が悪になる。

ところが多数決の場合どうでしょう?
一滴の水は腐ると水は腐ったわけですが、大量の水であればその水全体が腐るってことはありえなくはないが非常の起こりにくい。
これが民主主義の原理なんです。

民主主義はギリシャが発祥の地。
多数決でソクラテスは有罪になったわけです。
一滴の水は腐りやすいが、多量の水はくさりずらい。
多量の水が腐ったとして、民主主義をやめて独裁政治に戻すか?
独裁政治になったほうがひどいことになるので、あくまで多数決の民主主義であるべきだってことで、多数決で決まったルールに従って自殺したわけです。
自殺の際に悪いことをするときはひきとめるはずのダイモンが引き止めなかったんじゃないかと。

つまり「始まりと終わりは同じところにある。善い。全てはこれで善い」で自己完結したんじゃないかと。


で、、、ぜえぜえ、、、、、(ちょっと息切れ)
新世紀エヴァンゲリオンってアニメの内容は哲学なので、これで説明すると。。。
http://homepage3.nifty.com/mana/chu10.htm
キールにとっては元いた世界に回帰することで完全な善になるとして人類補完計画をしたわけです。

ソクラテスは人間はもともとまったくの善(イデアと名づけたかな?)の世界にいて、肉体という悪(有限だから悪)の容器に閉じ込められたために、何が正しいのか間違いなのかわからなくなってしまったとしたんです。
従って有限の悪の肉体から善い魂が脱出して元いたイデア界に戻ることをしようとしたわけです。
なんせ彼は人間はそうだって信じていたのですから。
有限の肉体を持って魂まで堕落したものは、死んでもまったくの善の世界に戻れないが、自分は最後まで神を信じイデアから発せられたデーモンの導きに従って完璧に善く生きたので、死んでも天国 ちがったイデア界に戻れると信じていたんじゃないか と。

つまりソクラテスは裁判すら利用して回帰しようとしたってことで。

こんなんでどでしょ?
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しかし彼はなぜ生命よりも善く生きることのほうを最上としたのでしょうか。



ソクラテス、ナザレのイエス、ちょっと古くはバテレンの踏み絵を踏んで処刑になった人々、近代では内村鑑三などよく似た人はたくさんいますね。
全てに共通するものは「価値観」ですね。まあ80年ぐらいを清濁併せ持って生ききるか、短くても信じることに反せず清く正しく生きるかということだけですね。どちらでもいいんですが、ソクラテスは後者であったということですね。
龍馬伝もやってますが龍馬も同じですね。彼は信じるところを実践して殺されましたが、死に方は別にしてもソクラテスと同じですね。
・・・そのように考えれば見えてくることもあるでしょう。
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本能を克服したんだな


理性的に生きぬいたんだな
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その点に関してソクラテスは哲学をしなかったのではないでしょうか。



法という社会契約は生きるという「目的」をより容易に達成するための「手段」だったはずです。
手段が目的に対して有効である限りいにおいてその社会契約を順守するべきであり、手段が目的を脅迫しはじめたときには万難を排してその手段を停止・抹殺するべきでした。

本当に哲学者が「悪法もまた法なり」なとどいう官僚的発言をするか疑問ですので、ソクラテスその人の発言ではなく後世の人が都合よく作った作り話と信じたいところです。
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ソクラテスの一節は存じませんが、法は、人が社会生命として生きるための契約


(=自己の生存のための選択)であり、「生きるために破る」というのは、論理的
に矛盾(=社会性が崩壊する=長期的には社会生命としての自殺)するからでしょう。
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