今の学校教育は必要性があるのでしょうか?私はテストで学力を見るというやり方から暗記的になっているような気がして必要性がないような気がします。

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A 回答 (13件中1~10件)

私は現状はベストとはいえないと思います。

しかしテストで学力を見ること事体は間違っていないと思います。

そもそも、学習の本分は「工夫や努力によって成長すること」でしょう?テストが無かったら、どうやって個人の成長を見極めようというのでしょうか?

よく「その人の特性を尊重する」等と言って、面接やら何やらによる「総合評価」なるものがありますが、私に言わせれば、あんなものは無駄とさえ思います。大体、面接で自分本来の表現をしている人なんてどれくらいいるのでしょうか?大抵は「面接対策」なるものが登場し、悪く言えばよく見せる演技を練習しているわけでしょう。それよりもテストで評価したほうがよっぽど客観的でよろしい。

不味いのは「テストの点が価値観の大きなウェイトを占めている点」です。確かにテストができるのはよいことですが、テストで100点取っても明日が保証されることはないですし、逆にテストが苦手であっても、一人前に自立している人は沢山いるわけです。要は「テストも個人評価の一面に過ぎない」と言うことを分かればよいのだと思います。
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「今の学校教育」と限定するなら、必要性はないに等しいといっても良いでしょう。

教員採用試験という公務員試験に合格していながら、小学生である生徒と性的な関係を合意の上でなく持ったり、不適切な発言をする教師が多いことが、私がこう考える理由です。元来学校は一つの社会でありながら、構成している人間の年齢層が一般社会に比べてとりわけ公立の学校において特殊であり顕著です。例えば小学校では最上級生が12歳、一番若い先生で10歳前後年上な訳です。これでは「教育」の「教」は大丈夫であったとしても「育」の部分が成り立ち難いと思います。私個人はどんなレベルのテストであれ、テストの存在は必要だと思っていますが、実施する先生の側がその立場にあぐらをかいたり勘違いをしたりしている現状では、「今の学校教育」の必要性はあまりないと考えています。
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大昔は学校自体が無くても育った訳です。


必要なのは正しい人間(?)を育てることでしょう。

テストは必要ですが、中身の問題だと思います。
「今の学校教育」と限定すると全面的に肯定できないです。
高度成長期の時期の教育が良い結果をだしていたのではと
個人的に思います。
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学校教育の基本は国家にとって役に立つ(あるいは都合の良い)人材の育成です。


勉強というものは暗記から始まります。必要なものも暗記せずに思考は無理です。もっとも暗記できれば思考できると言うわけではありませんが。現在の学校教育に必要なのは暗記アンド思考の訓練です。ちょっと前まで暗記に偏りすぎたのでいまはゆとり教育で…なんて言ってますがゆとりを与えたって思考能力は挙がりません。暗記させた後で思考させるトレーニングが必要なわけです。テストはこれらの成果があがっているかを確かめるものです。
現在でも学校という制度以外では国民すべてに対し実現させる方法はありません。

また、副次的なものとして社会ルールを守らせるためのトレーニングという意味もあります。

価値観が「学校制度」にしばられてしまうというデメリットがありますけどね。所詮は国家が押し付けた価値観なんですから、本当は別に行かなくても良いし、テストが悪かったからといってもそれだけのことなんですけど。
結論としては国家は国民をつくるために学校を必要としている、国民は国民として認められるために学校を必要としているというところでしょうか。
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教育というのは、子育ての一環です。


学校教育が教育のすべてではないのですが、子供に対する
教育は必須かと思います。

別に学校教育でなくても、ヨーロッパの貴族のように個人
で家庭教師を雇ったり、日本の大名のように専属の師範を
付けれるような家庭はそうしてもかまわないと思うのです
が、そういう家庭は数が少ないので、効率上、どうしても
学校という形式になってしまうかと思います。
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「今の」学校教育は…必要性はあるけれども,良いものであるとは言えないでしょうネ。


過去のように,もっともっともっともっと暗記せねばならないものは暗記するようにしなければならないでしょう。
特に小学校という時期は物事の基本となる部分を暗記することから始まると思います。
基礎教育時期,つまり,義務教育の対象となっている時期は基本事項を暗記し,その範囲内での少しの応用力を養う時期ですから,基本知識の確認としてのテストは正しいものでしょう。
高等教育から専門教育にかけての時期も,やはり基礎学問分野は暗記していなければどうしようもないところが沢山ありますネ。
それらの基礎学問を身につけた上で,初めて専門の学問に進むことができるものだからです。
そこから先は,応用力・感性・基礎知識といったものを駆使していくことになりますから,単なる暗記中心のテストというのでは学力を測ることは困難です。

ただ,成績表の数字や評価というものは,学力を示すものではないと思っています。
テクニックに長けた人が有利なだけですし…。
以上kawakawaでした
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こんばんは。



レポートを書くということなので、まず「教育」を定義されると良いと思います。「教育」で辞書を引いてみてください。その上で学校教育の定義を行う。
[ヒント]
意図的な働きかけを行う・人間を望ましい方向へ変化させる・家庭教育・学校教育・社会教育に分けられる

また、今の学校教育を問うのであれば、過去の教育を調べる必要性があります。時代によって教育の目的も違うはずです。なおかつ、今の学校教育が本当に暗記的になっているか立証するデータが必要です。

今回のassiさんの質問ですと、テスト・学力ということが学校教育の要素として挙げられていますが、参加型学習・地域協力学習など学校教育が変化しています。変化の理由と今後の学校教育の行方を考察としてはどうでしょうか?

私の意見
学校教育は必要である。
「何故か」という点は長くなるので辞めておきます。
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教育の必要性があるかないかと問えば誰しも必要と答えるのではないかなと。

要はその手段でそれぞれの意見があるだけで。

で今のというか、本当に今現在進行形で行われている学校教育の実情はご存知でしょうか? 昔に比べて随分様変わりしましたよ。そういう意味では「今の」学校教育は必要ないと思います。
暗記的なものであればそれはそれで必要かと思いますが。
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個人的にいろいろ考えや意見はありますが、ひとつの見方として、コメントさせてもらいます。



果たして本当に「テスト」=「暗記的」でしょうか。
それは、あなたの「テスト」に対するイメージが「暗記モノ」になっているからではないでしょうか。
考え方や解決法、創造性や的確性を問うテストもあるはずです。
それが英語であっても数学であっても歴史であっても。

要は、「どういう学習目標をたてて」「どのようにそれをテストして」「どうやって評価するのか」でしょう。
そういう観点で一度考えてみてはどうですか。
何も○×やマークシートだけがテストではありません。

この回答への補足

質問の補足をします。教育の必要性をレポートで書く問題が出され質問しました。テストについてよりも教育の必要性について参考にしたいので、意見をしていただきたいです。

補足日時:2003/07/10 23:26
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学校の勉強は社会に出ても直接には役に立ちませんが、一番重要なのは、興味の活性化だと思います。

自分の頭がどっちの方向に適性があり、興味があるか。文才に優れているのか、計算が速いのか、記憶力が良いのか・・・。同じ勉強を同じ年代の複数の人と同時期にすることで、自分の能力が判定できます。

それから、若いときの暗記力って凄いです。いくらつめこんでも入ります。その後忘れちゃうのですが、大人になって改めて見たら、あー昔覚えたこれ!って思い出す事がたくさんあります。

社会に出て思うのは、勉強の仕方を知らない人が多いこと。情報はあちこちに転がっているのに、探せない、重要度を選別できない、自分に必要な情報がどれか分からない。

逆に勉強の好きな人ってこれがちゃんと出来るんですよ。こういうのって学校時代の鍛錬ですよね。興味のあることをちゃんと自分で追いかけたかどうか。

うまく言えませんが、毎日ゲームだけして過ごしている子供は、社会に出てもあまり使い物にならないだろうなって思います。せめて自分の好きな分野の本を読んだり、テレビやインターネットで調べたりして欲しいなって思います。

学校の勉強はきっかけと動機付けに過ぎませんが、重要な事だと思いますよ。
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