日本文学史上、代表的な優れた翻訳家というとどういう人がいるのでしょうか。
たとえば、森鴎外のような。

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A 回答 (3件)

文語訳「聖書」


坪内逍遥「沙翁全集」
二葉亭四迷「あひゞき」
森鴎外「ファウスト」
呉茂一「イーリアス」
山川丙三郎「神曲」
河野与一「クォヴァディス」
堀口大學「ドルジェル伯の舞踏会」
渡辺一夫「ガルガンチュア物語」
桑原武夫「パルムの僧院」
小林秀雄「地獄の季節」
山内義男「チボー家の人々」
片山俊彦「ジャン・クリストフ」
米川正夫「ドストエフスキー全集」
中村白葉「アンナ・カレーニナ」
平井呈一「心」
中野好夫「人間の絆」
阿部知二「ポオ短編集」
坂下昇「白鯨」
河島英昭「薔薇の名前」
堀茂樹「悪童日記」
土屋政雄「イギリス人の患者」
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上田 敏「海潮音」


常盤新平:アメリカ文学
最近だと亀山郁夫がドストエフスキーの作品
柴田 元幸
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 有名な人では黒岩涙香ですね



彼の業績はウィキペディアで。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%B2%A9% …
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Q森鴎外はどうして文学に専念しなかったのか?

森鴎外は、軍医総監・医務局長→帝室博物館総長兼図書頭→帝室制度審議会御用掛→帝国美術院初代院長とずっと仕事を持っていました。
文学と二束のわらじで大変だったと思います。
どうして漱石のように文学一本で立とうとしなかったのでしょうか。
金銭的な理由によるのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

興味ある問題だと思います。逆説的ですが、鴎外は本業を形式的にしかしていなかったと思います。脚気の対策の責任者であったのに、犯罪とも言えるほどの失敗をしています。海軍の脚気対策を無視して陸軍の兵隊を無意味に死なせた罪は重いはずです。もう一つは鴎外のエリート志向があります。これは教育ママにいわゆるエリート教育の猛勉強を押しつけられた子どもが成長後もこの価値観を引きずって一生を生きるという例だろうと思います。漱石はお金の価値と限界を知っていて朝日新聞の社員になって経済的な保証を得て、その余裕で文学をやっていたと思います。鴎外は本業を適当にやりながら、やはり好きな文学をやっていたように思います。どちらが文学に専念していたのかわからないところがあります。

Q夏目漱石と森鴎外の代表的な作品について

来年の3月に看護学校を受験予定の者です。
私の受験予定の学校の入試問題(国語)はお寺の住職さんが作成しているとの事なのですが、その方は明治文学がお好きなようで、毎年のように夏目漱石や森鴎外の作品が出題に上がるそうです。
お恥ずかしい話ですが、夏目漱石や森鴎外などの人物は知っていますが、学校の教科書に載っていた作品しか知りません。
作品を読んでみたいのですが、どれを読んだら良いのかも解りません。
夏目漱石や森鴎外の代表的な作品をいくつかご紹介頂けたら嬉しいです。
その他にも明治文学で有名な著人や作品名なども教えて頂けませんでしょうか?
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

川端康成 伊豆の踊り子 
横光利一 機会 
谷崎潤一郎 刺青 
尾崎紅葉 金色夜叉 
永井荷風 あめりか物語 
幸田露伴 五重塔
島崎藤村 破戒 
樋口一葉 たけくらべ 
太宰治 人間失格 
有島武朗 或る女 
志賀直哉 暗夜行路 
武者小路実篤 おめでたき人

などなど、明治時代の有名な文学はたくさんありますよ!

Q森鴎外の雁の意味について

私は、森鴎外の雁を先日読み終わりました。
それで疑問に思ったのですが、なぜ森鴎外は『雁』をこの作品の
題名にしたのでしょうか?シンボリズムなどが関係してるのでしょうか? どなたか回答よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

私が読んだ文献によると、
『雁』の岡田とお玉のすれ違いの運命を、
岡田が適当に投げた石が雁に命中するという
偶然に象徴させることで、
運命の恐ろしさをより浮き立たせられるからだ、
と言うような主張でした。
まあ、色々な考え方が出来るのが文学の面白さなので、
いろんな意見を読み、ご自分でさらに深く考えてみてください。

Q森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よ

森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供が宿っている。豊太郎としては傍にいたかったであろう事は想像に難くありません。まさに『究極の選択』を描いた問題作とも言えるでしょう。また、作家でもあり医者でもあった鴎外だからこそ、このエリスの救い様の無い悲劇を表現できたとも思えます。この作品は、豊太郎は、結果、愛するエリスよりも仕事をとり、相沢は二人の仲を引き裂き、エリスには悲劇しか残らなかった、という三人の環境を取り巻く要素を心理的に複雑に絡め、豊太郎の「この世に相沢よりも友人と呼べる人間はいない。しかし、彼に対し憎悪の感情がある事もまた事実だ」という人間が誰でも持ち得ている「煩悶」を見事に導き出す鴎外の複雑な思いを描いたものと言えるでしょう。時代背景を考えても、敢えて国際恋愛の難しさを描写した鴎外。エリスは、その現実に対し何を感じたのでしょうか。

(594文字、句読点を含む)

下手な文章ですが、こんな感じで如何です?

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供...続きを読む

Q森鴎外 ペン・ネームの由来

久しぶりに、”雁”を読み返しまして、そういえば、森鴎外というペン・ネームには、なにか、友人の使っていた雅号を借りた、とか、若いときのあまり名誉にならない思い出にまつわっている、と聞いた事があります。どうも、うやむやになっていたようです。

はっきりとした事情をご存知の方がいたら、教えていただけないでしょうか。

こんな説もある、というようなことでもかまいませんので、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

#6です。

>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
 :
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂吉は「童馬山房夜話. 第2」の「179 「鴎外」の雅号」において転載しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141874/63

ちなみに、斎藤茂吉はこの後も「190 再び「鴎外」の號に就て ​」、さらに「192 鴎外の號に就て(三たび) ​」において、あらゆる角度から鴎外漁史の来歴研究を行っており、これを以て結論として捉えて構わないと思ってます。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141874/75
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1141874/80

これらを具に調査報告した茂吉の報告を集約してみると次のようになるでしょうか。
1.明治13年7月28日付「桂林一枝 第36号」に載った「泛品海」では、「佐藤應渠(元萇)曰。合作」との注が付記されていること。(少年一人のそれでなく、あくまでも義父の手が入っていること。)
2.「雁」の文中にて当時「桂林一枝」を「岡田」が読んでいた記載があること。
3.火災に遭ったせいもあり千住の父の医院に引越しした鴎外と、岩代から当時は千住に移住していた佐藤父子との交流も通り一遍のそれではなかったこと。
4.鴎外の人柄からして、佐藤父子の「鴎外漁史」の後追いの形で、密かに自身の雅号に用いていたとは信じ難いこと。
5.唐詩選中の杜甫の五言律詩が出所と思われること。
ちなみに中西梅花 (幹男) 「新体梅花詩集」博文館(明24.3)の「鴎外漁史」においては杜甫を踏まえたものか、次の文句があります。
「…
柳ねふりし空を高み、
空をたかみて鳴くと云ふ、
かまめの外に知るよしあらじ。」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876384/48
(蛇足ですが、万葉時代の鴎は「加万目」でした。)

およそペンネームもその発端には怪しくも覚束ない草草・来歴があるもので、であればこそ正岡子規の100を超す雅号は例外としても幾十ものそれらの中から定着したただ一つという次第なのでしょう。

半村良のペンネームから一年後に、イーデス・ハンソン(良いです、半村)が活躍。両者は全くの偶然とのことです。

漱石が初めてその名前をペンネームとして記した際、サンズイに「欶(サク・ソク/すう)」なのに、その「束」の旁が「欠(あくび)」ではなく「攵(えだにょう)」の「敇(サク)」にしてしまい、慌てて訂正を入れて詫びた事。その際に「実名を曝すは恐レビデゲスと少しく通がりて当座の間に合わせに漱石となんしたり」などと言い訳しています。
とまれ、若き頃の鴎外といい漱石といい、当座間に合わせのペンネームがこうも重い歴史を持つに至るとは知らぬ仏だったのでしょう。
もはや小倉で森少将閣下となっていた時代のご本人にとっては、いまさら「鴎外漁史とは誰ぞ」なのでしょう。そのレトリック多用の文調からして真面目に裏打ちされており、まあむしろ可愛いもんなのですが…。

#6です。

>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
 :
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂吉は「童馬山房夜話. 第2」の「179 「鴎外」の雅号」において転載しています。
http://dl.ndl.go.jp...続きを読む


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