非常に抽象的な質問で申し訳ないのですが、歴史の「相対性」とは一体何なのでしょうか。思いついたことならささいなことでもかまいませんので、ご意見を聞かせてください。お願いします。

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A 回答 (5件)

superhawksさん、こんばんは。


大変面白いご質問だったので、辞書を調べてみました。

相対
1.対立すること
2.物事が、時、所、見方によって違っており、絶対でないこと。

相対主義
絶対的な真理を否定して、すべての真理を相対的と考えること。

・・のように載っていました。
「時、所、見方によって、違っていて、絶対ではない」
というところが、相対性なんだと思います。

例えば、今現在では、人を殺したりすることは、悪ですよね。
どんな理由があろうと、してはいけないことですね。
でも、戦国時代とかだと、人を殺して、その人の領地を分捕るのが当たり前。
やらなければ、こっちがやられる世界でした。

男尊女卑の考えだって、日本だってつい最近までは(今でも少し?)
男は女よりも数段えらい生き物。男は絶対でした。
でも、今、そんなことを堂々と主張しようものなら、女性から総スカンを食うでしょう。

時代が変わるだけでも、こんなに考え方が違ってきています。

また、日本は昔、鎖国をしていました。
それまでは、異邦人なんか、とんでもない、と思っていました。
ところが、明治になって、文明開化で、牛鍋とかが大流行で
何でもかんでも文明開化、西洋かぶれじゃないけど、踊らされていました。
これも、所が違う文化を受け入れたことによる、
今までの絶対的だと思っていたことの崩れだと思います。

簡単に言えば、その時々や、生活している場所、ものの考え方によって
「これが正しいんだ」ということはない、ということになるのでしょうか。
ご参考になればうれしいです。
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この回答へのお礼

回答していただきどうもありがとうございます。「相対」とは、「絶対」の反対語というのは知っていたのですが、歴史の「相対性」となると何のことか想像しようとしても、なかなか頭の中に浮かんでこなかったので、とても参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/07/12 22:04

いい実例が現代にありますよ。


某所掲示板などで「日本はウリナラに謝罪しる~」とか
書いている(書いている人々は冗談でやっている人が多いでしょうが)
日本と朝鮮の戦前の問題。

あれは、かつての主観では、侵略されたほうは弱いから
侵略されざるを得なかった。
もし、日本が人道主義を奉じて侵略しなくとも、
ロシアなり他の欧州列強なりが侵略していた可能性が高い。
当然、強国は植民地を得、国力をつけるのが当然とされていたから
日韓併合も問題視されなかった。
(朝鮮人民が反感を持っていたとしても無力であった)

しかし、今の視点で当時の事件を見ると、
侵略行為は国際的に非難の対象である(イラクのクウェート侵攻など)

相対性(時代背景・主観の違い)を無視して、昔の出来事に
今の主観を当てはめると歴史認識の問題が発生する。
と、いえると思います。

ちょっと脱線ぎみな回答ですが、今話題になっている
事ですので実感しやすく、調査も容易かと思います。

(中国&韓国&北朝鮮の主張は大半が、「一事不再理」や
「法の遡及適用の禁止」に反する動きなんですよね…
この、「法の遡及適用の禁止」は歴史(といっても、
数年程度のものですが)の相対性を排除し、
罪刑法定主義を貫くための重要な決まりですね)
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簡単に言ってしまえば、歴史の記述には真理とも言えるような絶対性はないということです。

人間が歴史の外部に立てないことが歴史に相対性をもたらします。歴史が相対的なのではなくて、歴史に価値判断を持ちこむ人間の側が絶対的な立場に立てない、ということです。

歴史そのものは出来事の総体ですから、原理的にいえば事実の積み重ねとして善悪などの価値の彼岸に存在するものです。しかし、歴史を記述する際に価値判断を持ちこもうとするのが人間の常ですし、その価値判断を下す人間の側も歴史の一部であることから困難が生まれます。

人間は歴史から超越的な神の視点に立つことができないために、歴史的事実の価値判断は、その事実と観察者の距離、観察者の位置といった諸条件に左右されてしまうからです。つまり歴史という純粋で絶対的なものは少なくとも我々の手の届くところには存在せず、ただある条件のもとにおいてのみ姿をあらわすもの、その時々に応じて光を当てられた形がカッコつきの「歴史」として相対的に浮かび上がるに過ぎない、ということです。

このことはよく政治家が政策の是非について言う「後世の歴史家に判断を委ねたい」といった言葉の背景とも少しレベルが違います。どこまで時代が下ろうとも常に「歴史」の相対性はついてまわるからです。

私たちの考え方というものは、いくら客観的であろうとしても、また自覚はないとしてもある時代的な考え方や雰囲気に浸っている場合が多いのです。それは思考パラダイムとかエートスとか場面に応じて呼び分けられると思いますが、いずれにしても「客観的であろうとする時の思考の枠組み」そのものが、既に意識されざる大きな時代性に影響されているわけです。

一例としてフーコーのアルケオロジーを挙げておきます。
彼はヨーロッパの思考の大きな枠組みや秩序の変遷に注目して、16世紀以前は「物と物との類似性」が重視されたこと、17、18世紀には言語とか分類、交換が重視される認識になったこと、さらに19世紀以降には歴史だとか労働という概念を中心にして、それぞれ思考の枠組みが変質したことを実証しています。
彼の論考で重要なことは、それぞれの思考の形態はちょうど地層のように、他の時代との差によって後からしか発見(認識)されないものだ、という点です。つまり、その渦中にいるものは自分たちの思考を基底的に支配している枠組みそのものを自覚できない、ということです。

私たちが歴史から自由でない、というのはこういう意味においての問題です。私たち自身が常に歴史のなかにある以上、私たちが切り取り価値を付与する「歴史」が、「私たちという歴史の地点から見れば」という相対性にとどまらざるを得ないのは、いわば当然のことと言えるでしょう。

※意味がない回答と思われればどうぞ無視してください。質問者氏の回答履歴がなくポイントを絞りにくいことに加え、無理解による厳しい言辞を受けるのに疲れてしまいましたので。
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この回答へのお礼

僕の回答履歴がなかったために、ポイントが絞りにくく回答しにくかったと思います。どうもすいません。哲学に関して知識の少ない僕にとっては、かなり難しい内容ですが、頑張って少しでも理解できるようにしたいと思います。お忙しい中、回答していただきどうもありがとうございました。

お礼日時:2003/07/12 22:13

#1です。


補足します。

「同じ出来事でも」、一方は正で、もう一方が悪になることがあります。

戦争では、敵を殺した側は正と受け止め、殺された側は悪と受け止める、という事です。
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この回答へのお礼

「相対」とは、「絶対」の反対語というのは知っていたのですが、歴史の「相対性」となると何のことか想像しようとしても、なかなか頭の中に浮かんでこなかったので、とても参考になりました。回答していただきどうもありがとうございました。

お礼日時:2003/07/12 22:17

こんばんわ。



「相対」というのは、「絶対」の反対の意味です。
歴史の「相対性」というのは、多分、一方的な見方ではないですよ、ってな事だと思います。

いい例えかどうかはわかりませんが、戦争はお互い「正義」を掲げてやってるものです。
一方では正しくても、もう一方では悪になる事があります。
宗教戦争なんかは、全部そうだと思います。

あいまいな答えですいません。
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