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日本の戦国時代の「のろし」と「かがり火」と「伝令」について教えて下さい

日本の戦国時代には伝達手段として「のろし」や「かがり火」が使われたそうですが、それらはおよそ何キロ先まで届いたのでしょうか? もちろん地形によっても違うと思いますが、遮蔽物がない場合で教えてください。

それから、長篠の合戦で鳥居強右衛門が命がけで伝令を務めた話が有名ですが、その時に長篠城から「のろし」や「かがり火」を使って援軍を要請することは出来なかったのでしょうか? 武田軍に気付かれるから駄目だったのでしょうか?

あと、敵に囲まれた状態の城から伝令が出る場合、どのようにして敵の包囲を突破したのでしょうか?  

質問が多くてすみませんが、教えて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

何キロおきかというのはわかりませんが、例えば武田信玄の場合、次のように狼煙台を


設置したと言われれています。

当然、山の頂上などできるだけ遠方からみえるように、また次の狼煙台からの
視界も確保して設置されたことでしょう。

「例えば、宿敵上杉謙信との決戦場である善光寺平から躑躅ヶ崎までの距離は約160kmあるが、
もしこの区間を早馬で伝達すると十時間以上もかかったものを、烽火を用いると約2時間程度
で伝達されたという。 」
http://www.hokuto-kanko.jp/furinkazan/noroshi.html

>その時に長篠城から「のろし」や「かがり火」を使って援軍を要請することは
出来なかったのでしょうか?

狼煙台はあくまでも事前の設置が必要ですから、戦時に的に囲まれた状態では
意味をなさないということです。

また、細かな情報伝達には向かないので、あくまでも、敵が来たとか、
そういうことをできるだけ早く伝達する手段として用いられたと思います。

>どのようにして敵の包囲を突破したのでしょうか?  

長篠の合戦の小説などには夜間に水連達者な人間が川中を潜って。。
というような描写もあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変参考になりました。興味深いサイトを紹介して頂けて嬉しいです。

お礼日時:2010/06/21 14:46

かがり火は照明装置ですから、昼間は使えません。



夜、大きなかがり火を焚いたとして直線で21kmまでしか見えませんから、21kmごとにかがり火を焚けばどこまでも連絡できますが、予めその地点に兵員を用意しておく必要があります。

狼煙は昼間使います、夜は見えない(^_^;


のろしやかがり火は予めその使い方を取り決めておかなければいけません。
狼煙が上がったら援軍を寄こせ、と約束しておけばいいですが

狼煙が上がったら勝ったぞー、という約束だったら、意思が伝わらないです。

ですから、伝令が必要なんです


城の裏からこっそり、山や森伝いに出る方法と
早馬を10数奇一挙に出して、何人か死ぬかもしれないけど、一人ぐらい生き残るだろーという方法もあります
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。直線距離で21キロも届くんですね。正直、両方ベストアンサーにしたいぐらい参考になりました。

お礼日時:2010/06/21 14:48

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Q昔、(戦国時代など)最も早い情報伝達手段は「のろし」?

中央と地方、前線(戦場)と参謀などの連絡に最も早い伝達手段は早馬とかより「のろし」だった・・・と聞いた事があります。実際はどうだったのでしょうか?

Aベストアンサー

>最も早い伝達手段は早馬とかより「のろし」だった・・・と聞いた事があります。実際はどうだったのでしょうか?

その通りで、意外な事に幕末まで「のろし(狼煙)」でした。
藩領域を越えても、「のろし」は確認する事が出来ます。
「のろし」自体は、藩領国運営上でも利用しています。
謀反・一揆・他藩動乱・他藩からの攻撃など、国境(くにさかい)から本城に向かって「のろし台」が設置しています。
当時は、関所の番人と同様に「のろし番人」が存在しています。
学術的な発掘調査を行っている県は少ないですが、地名からも存在を確認できます。
各教育委員会では、中世城郭館等調査報告書を作成しています。
「のろし跡」の所在地・現状が載っている報告書もありますよ。

>誤報ののろし(妨害)を上げたりとかはなかったのでしょうか?

のろしは、各藩毎に異なっていたようです。
ただ「煙」を上げるのではありません。
時刻・煙の色・のろし時間など、詳細に決まっていたようですよ。
のろし番人を倒した間者が誤報の「のろし」を上げても、誤報と分かったようです。

余談ですが、琵琶湖周辺の研究家・愛好家が「琵琶湖一周のろしリレー」を実際に行っています。
非常に短時間で、情報が伝わりました。

>最も早い伝達手段は早馬とかより「のろし」だった・・・と聞いた事があります。実際はどうだったのでしょうか?

その通りで、意外な事に幕末まで「のろし(狼煙)」でした。
藩領域を越えても、「のろし」は確認する事が出来ます。
「のろし」自体は、藩領国運営上でも利用しています。
謀反・一揆・他藩動乱・他藩からの攻撃など、国境(くにさかい)から本城に向かって「のろし台」が設置しています。
当時は、関所の番人と同様に「のろし番人」が存在しています。
学術的な発掘調査を行っている県は...続きを読む


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