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 聖書では人は神の子といい、仏教ではすべての人に仏心が宿る
といいます。また、聖書では全知全能のGOTの存在を、仏教では空の
論理を展開します。このように一方では似たような響きをもち、一方では
全く違う教えを説く。聖書と仏教の違いについて簡単に回答することは
無理なことと存じますが、決定的な違いについてあえて質問します。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

>仏教ではすべての人に仏心が宿る



 大乗仏教の考え方であってお釈迦様の教えではありません。

>このように一方では似たような響きをもち

 人間は時、所に関係無く同じようなものですから時代が下がって都合よく解釈
してしまった結果、似たようになってしまったのでしょう。

>決定的な違い

 信仰かそうでないかです。例えば、お釈迦様も聖書の聖者(ヨブやイエス)も
悪魔の誘惑と対峙し、これを破ってますが、聖書の聖者が信仰の力で退けたのに
対し、お釈迦様は智慧の力で退けられました。
 例えるなら、おいしい事だらけで何のデメリットもないように見えるマルチ商法
の勧誘を受けたとします。それを信頼する人の警告の方を信じて後ろ髪引かれる
けど断ったのと、からくりを全部見抜いて相手にしなかったとの違いです。
 仏教は信仰でないのなら何かと言うと、「仏教は仏教」なのですが、考え方が
科学や哲学に近いと言えます。(でも科学でも哲学でもありません)
 しかし現実の仏教は残念ながらそうではないですが。
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この回答へのお礼

 さっそくありがとうございます。GOTを信じることは簡単ではないと
おもいます。かといって科学・哲学に近い仏教では、無理が先立ちます。
質問自体が軽薄でしたが、わかりやすく答えていただき勉強になりました。

お礼日時:2001/04/05 12:06

chikaminさんには申し訳無いですが、まず誤解を正しておきます。



聖書での「神の子」というのはイエス=キリストを指します。決して、
普通の人間一般ではありません。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の
神はすべて同一の神であって、そのとき「人」は神の被造物です。

また、仏教も釈迦の唱えた「原始仏教」と日本に伝わってきている「大
乗仏教」とは名前こそ「仏教」ですが、内容は違っています。
「すべての人に仏心が宿る」というのは、大乗仏教系の中でも日本仏教
で明確に唱えられた考え方で、平安時代の最澄が「一切衆生悉有仏性」
と言って強く主張しました。これが後の鎌倉新仏教に影響して、一般化
しています。
また「空」の理論も大乗仏教のものです。

キリスト教などの一神教と仏教の相違については、それぞれの名前で
呼ばれるものが現在では多くの分派にわかれてしまっていますので、
何と何を比較するかによって答えが異なってきます。

例えば、一般に仏教はひとつの「世界観」であると同時に生き方の実
践であるから、信仰ではない。というようなことが言われたりします
が、大乗仏教系は「阿弥陀仏」の力にすがって往生しようというもの
であり、特に浄土真宗では絶対他力の考え方でこのとき「阿弥陀仏」
はGODと大差ないものとなっています。(宇宙を造ったかどうか
は大きな差ですけれど・・)

蛇足ですが、宗教はその教えを通じて、その社会のモラルを形成しま
す。社会の中で人がして良いこと、悪いことを具体的に示しますから、
人間社会のあり方は古今東西を問わず、似たようなものですから、具
体的な実践において大差ないことを示すのは当然であると思います。
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この回答へのお礼

なるほど!前から牧師さんの話を聞いていますと、親鸞聖人が思い浮かんで
きましたことが、これで合点がいきました。アメリカ人の伝道者に、日本の仏教も
同じですよ!と無責任に話してしまうのですが、これも少し安心しました。
私はいずれの宗教団体にも属していませんが、親鸞聖人が最も身近に感じます。

最近、気になることですがアメリカ人には日本の仏教がビジネスとみえるらしく
困ってしまいます。普通の日本人は仏教とお寺さんを割り切って考えることが
できると思いますが、多分、アメリカの人に理解を求めるのは難しいと思います。

それから、この紙面をお借りしてGODをGOTと誤記したことを訂正しお詫びします。

お礼日時:2001/04/05 14:12

決定的な違いとして私が感じているのは、



仏   教 : 人間を含めて全ての生物(植物も動物も)は、死んだ後、再び別の生物として生を受ける。この「死-生-死-生-」と繋がっている物を「輪廻」と呼び、悟りを開き涅槃に至ることを「解脱」と呼んでいる(のですが、正しいですか?)。
キリスト教 : 生を受けるのは一度のみで、生まれ変わりはない。但し、死後、時を経て全ての人が復活し、神の裁きを受け天国に行けるかどうかが決まる。

ここで重要なことは、仏教は全ての生物を同一視しているのに対し、キリスト教は人を他の生物に対して特別視していることです。この「人」の解釈により、「白人」のみを人としているKKK団の様な集団や、韓国人のみが選ばれた人であるとしていた「統一教会」が現まます。では、仏教の方が良いのかというと、そうでもないんですよね...。

以上。
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この回答へのお礼

 輪廻があるとすれば、この世の生命体の数は普遍であり、もしも解脱者が
続出すれば生命は、いずれなくなってしまうのでは、ということで信じてません。
天国や地獄・極楽となると、さらに信じがたく空想の世界へと行きそうです。
でも、あったらいいな!ともおもいます。

お礼日時:2001/04/05 14:39

えーと、「お礼」がつきましたので、その内容について補足的に。



>最近、気になることですがアメリカ人には日本の仏教がビジネスとみえるらしく
>困ってしまいます。普通の日本人は仏教とお寺さんを割り切って考えることが
>できると思いますが、多分、アメリカの人に理解を求めるのは難しいと思います。
ということについてですが、
それはアメリカ人にとって異国の宗教だから客観的に見ることができる、
という意味だと思うのです。キリスト教の教会にしても、いろいろとビジ
ネス的なことを行っているように思えます。私は、実際に現地へ行って、
自分で実態を調べたわけではありませんから、断定することはできません
が、小説・映画などで教会組織の内幕を読んだり見たりすると、やはり
教会の維持、施設の拡充などで「寄付」をつのったり、いろいろと事業
を行っているように見えます。さらに中世ヨーロッパにおいて、教会や
修道院が世俗領主であったこと、(現在のローマ教皇庁=バチカン市国
が一つの独立国家として認められているのはその直接的な帰結です。)
などの面を忘れてはならないと思います。アメリカで主流のプロテスタ
ントはこの世俗領主としての教会に対して抗議したことも忘れてはなり
ませんが。

ただ、chikaminさんが、このようなことを直接相手の方にお話しても、
おそらくそれは宗教的行為であるとか、信仰心に裏打ちされているなど
の返事が戻ってくると思います。そこで、お互いの正しさを言い合って
みても仕方ありません。ですから、こういう見方については、「あなた
は日本の仏教や寺のありかたについてまだ判っていない、」としておけ
ば良いのではないでしょうか。

なお、輪廻については、釈迦およびそれ以前のインド思想においては、
「いかにして魂が輪廻のサイクルから解脱するか」が問題であり、釈
迦の唱える、四諦・八正道はそのための方法でありました。ですから、
仏教思想の根底(というか背景)にそういう思想があることは確かで
す。しかし、

>輪廻があるとすれば、この世の生命体の数は普遍であり、もしも解脱者が
>続出すれば生命は、いずれなくなってしまうのでは、ということで信じてま
>せん。
というのは、本来の意味からはずれた解釈であると思えます。「魂」と「生
命体」を同一に考えてはならないでしよう。
(「普遍」は「不変=一定数を保つこと」の意味ですよね)
なお、この世界の本質を示すブラフマン(梵)は一つの魂でもあり、個々の
生物に存するアートマン(我)=魂もこのブラフマンと同じものであると言う
こと(梵我一如)を悟れば輪廻転生から抜け出せるとされています。つまり、
そのように考えたときには、魂の数は表面的な生物の数にかかわりなくブラ
フマン1つしかありません。
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この回答へのお礼

私が時折行く教会はプロテスタントで運営されています。私も少しですが寄付に応じますが、その運営費用は主にメンバーの寄付でまかなわれているようです。
牧師さんや伝道士さん、托鉢して歩く僧侶を思い浮かべますと
異宗教でありながら、どこかに共通するものがありそうな気がします。
お寺さんや教会のマネジメントについてはよくわかりませんけど、昨今、葬儀がショーのようになり、結婚式がクリスチャンでもないのにそれっぽく行われたり
何か変ですよね。真実が遠くなりすぎてるような気がします。

輪廻転生について深く考えたことはありませんが、人の一生は朝露のように、どこからか生まれどこかしらに消えるものだ、という言葉が頭のすみに残っています。
短い一生と思えばこそ悔いのない日々を送りたいと思います。

お礼日時:2001/04/07 09:36

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