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米国の重巡洋艦「インディアナポリス」は、広島、長崎へ投下予定の原子爆弾用の部品と核材料をなぜ単独で輸送したのでしょうか。

Wikipediaによれば「インディアナポリス」は、これらの重要部品・材料をサンフランシスコから真珠湾を経由してテニアン島まで単独で運んでいます。
テニアンにこれらの荷物を届けた後、「インディアナポリス」はレイテ島へ向かう途中、日本海軍の伊58号の雷撃で沈没されています。
このときも単独行動でした。

制空権も制海権も奪っている海域なので、しかも重巡洋艦であるので単独行動したのは当然と理解してよいのでしょうか。
それとも単独行動ではなかったのですか。
それとも何かの理由があって、単独行動したのでしょうか。
よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

インディアナポリスはイ58に撃沈される4ヶ月前まで、マリアナ沖海戦、硫黄島作戦と連戦し沖縄作戦に参加していました。

そこで彼女は日本軍の特攻攻撃を受け大きな損害を出し、すぐに慶良間泊地で応急修理を受けたのち本国のメア・アイランド工廠で修理を受け、ついで特攻機対策のための最新の対空電子兵装(つまりは最新型のレーダーですが)や対空兵器の強化を受けています。

 その後の予定としてはまっすぐ沖縄の戦闘へ復帰することはせず、死傷した乗組員の補充兵の訓練と換装した新型の電子兵装や対空兵器の習熟訓練のため、フィリピンへ向かうことになっていました。

 そのときちょうどテニアンへ原爆関連部品を輸送する必要が出てきたため、アメリカ軍部はフィリピンへ出港を間近に控えていたインディアナポリスに目をつけたということです。当時のアメリカ海軍は沖縄での激戦によって保有するあらゆる艦船が底を着きかけていましたので、たとえ一隻の駆逐艦でも戦闘可能な艦船は貴重でした。

 つまり原爆関連の部品であっても所詮はたんなる輸送任務のために、何隻もの艦隊を組むことは非現実的だったということで、テニアンが本国とフィリピンの中間的な位置にあるということで、行きがけの駄賃的な感覚でインディアナポリスに白羽の矢を立てたということです。

 インディアナポリスが単独行であった理由はとくになく、そういう事情からだということです。さらにいえば彼女が撃沈された事情にしても、後世イ58が第3の原爆を積んだ軍艦を撃沈したとか、はじめから重要任務を帯びた軍艦だとわかっていて、待ち伏せで見事撃沈したとか、さまざまなフィクションが面白おかしく伝えられることがありましたが、真実は単なる偶然です。

 夜間浮上航行で敵を求めていたイ58が偶然インディアナポリスを発見して、これを撃沈したということが全てです。傍証にしかならないかもしれませんが、戦後アメリカで開かれたインディアナポリス沈没原因を究明する公聴会に召喚された橋本元艦長は、それまで自分が撃沈した船はニュー・メキシコ級戦艦だとばかり思っていたのが、じつはポートランド級2番艦のインディアナポリスであったといういことを初めて知りましたので、最初から彼女を狙っていたのだという論理は成り立ちません。

 蛇足ですが橋本元艦長はアメリカ海軍史上最悪の犠牲者を出した当事者であるにも関らず、召喚は強制ではなく極めて丁重な招待をうけ、紳士的なもてなしを受けたということです。
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この回答へのお礼

「死傷した乗組員の補充兵の訓練と換装した新型の電子兵装や対空兵器の習熟訓練のため、フィリピンへ向かうことになっていました。」

なるほど、そういうことですか。
私は、何か面白い裏事情があるのではないかと思って質問しましたが、下衆の勘ぐりでした。
「原爆関連の部品であっても所詮はたんなる輸送任務」と言えますね。
納得しました。
ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/27 20:34

漫談です。



橋本艦長は「伊号58帰投せり」という本を上梓しています。インディアナポリス撃沈のことなどよく書かれており、敗戦の報を受けて内地に帰る時の描写などが印象的ですが、この本の真価は戦後すぐ、橋本氏が渡米する部分でしょう。

おそらく、敗戦後にもっとも早く渡米した日本人であること。その理由が、インディアナポリス艦長の軍法会議(戦闘海域における指揮について、怠慢がなかったか)の証人として、というのがおもしろいです。アメリカ側はインディアナポリス艦長への責任追及法廷のため、インディアナポリスを撃沈した日本潜水艦艦長の証言を求めたのです。夜間に之の字運動(ジグザグ航行)していたか、警戒配置を敷いていたか、漫然と走っていたのではないか、などについて、橋本氏は証言しています。

アメリカで、橋本氏は靴を家族分おみやげに買いました。アメリカ兵が、靴をそんなに買うのか、とたずねるので、氏は、
「日本の靴の裏は紙なんだ」
といいます。なんでそんなになるまで戦争したんだ、と聞かれ、
「物がないから(欲しくて)戦争したんだ」
と応えると、物がないのに戦争するなんて、と、あきれられます。

アマゾンで古書ですが、求めやすい価格で買えます。よろしければ、ぜひ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「伊号58帰投せり」は、市の図書館にありましたから、
「敗戦の報を受けて内地に帰る時の描写などが印象的です」
という部分を読んでみようと思います。

漫談は大歓迎です。
靴の話をネタにして私は「知ったかぶり」でしゃべりますから。

お礼日時:2010/06/28 10:25

 あの時の「インディアナポリス」って超極秘任務(原子爆弾の輸送!!)を遂行中 or 完了直後ですから、目立つ様なマネは出来ません。



 なお、米国は太平洋上では一般輸送は護送船団方式は採用していません。
 (軍艦はおろか民間船だって、西海岸からハワイやオーストラリア行きは単独航行)

 ある日突然サンフランシスコに複数の軍艦が寄航し、秘密裏に何かを積み込み、積み込んだ艦を護衛するように複数の艦が出航して行ったら、それだけで耳目を集め、当時米軍が警戒していたスパイ(中南米人を使いるのではないかの疑惑が…。)によって日本へ伝達される事が…。

 どれ程インディアナポリスの航行を秘蔵していたかと言うと、当時米海軍に存在していた安全航行システム(艦船の現在位置を把握し、もし撃沈されても直ちに航空機や艦船を急行させられるシステム)から外されていた位です。
 その為、インディアナポリスが撃沈されても気付かれずに、乗組員は数日間も鮫のいる海を漂う事になります…。

 米軍としては、原子爆弾を使用するまでは可能な限り秘蔵(レイテ行きも隠密に)したかったでしょうし…。
 (帰還を無視した航空機を使った切り込み[第1御楯特別攻撃襲撃隊とかの様に]も有り得ますし…。)

 なお、当時の潜水艦だと鈍足な商船なら兎も角、高速な巡洋艦だと発見しても魚雷を発射する射点(魚雷の届く位置や命中させやすい位置)に先回りする事が出来ません。潜水状態(浮上して接近したら簡単に撃沈されてしまう)だと数ノットしか出ませんし…。
 (米潜水艦はレーダーや偵察機の情報で先回り出来ましたけど…。)

 伊58号の場合は、先回りする必要が無い状態でインディアナポリスを発見するという奇跡的な幸運を得ましたが…。
 また本来、絶望的な困難を伴う潜水艦による軍艦攻撃を、積極的にやってしまい大被害を被ったのが第二次大戦での帝国海軍の潜水艦の不調に繋がります。
 (被害の割りに戦果が少ない)
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この回答へのお礼

「軍艦はおろか民間船だって、西海岸からハワイやオーストラリア行きは単独航行」
は理解できますが、ハワイからテニアンへも単独航行したのは、何か理由があったのではないかと思って質問しました。
例えば、政府・軍部内で対立があって単独航行させたとか。
魚雷攻撃でアッという間に沈没してしまいますが、SOSは打電しています。
受電したにも拘わらず、日本軍の偽情報だと判断していますね。
その程度の暗号解析しかできなかったのか、ということは、
何か、変だと思いました。

「当時米海軍に存在していた安全航行システム(艦船の現在位置を把握し、もし撃沈されても直ちに航空機や艦船を急行させられるシステム)から外されていた位です。」
とのこと、全く知りませんでした。
Wikipediaには、
「アメリカ海軍自体が船を危険な状態に置いたという確かな証拠があった。」
と書かれていますが、このことなのですね。
「極秘行動」と「確実に輸送する」を天秤にかけて、「極秘行動」を選択したということですか。
ハワイ出港後、洋上で駆逐艦と合流すればスパイの目も防げたはずだと思っています。

詳しく教えて下さってありがとうございました。
疑問はかなり解けました。

お礼日時:2010/06/27 15:33

 あまり航行しない航路ですし、当時の日本海軍の戦力から考えますと、危険は少ないという判断はあったと思います。

生存者の救助に時間がかかっていますので、単独航行だったのは間違いないでしょう。

 伊58潜水艦は、アメリカ軍の航路を想定して待ち伏せていました。回天を積んでいましたが、魚雷を使いました。
 戦後、伊58潜水艦の艦長はアメリカ軍に呼ばれて事情聴取されます。日本軍は原爆を運んだ船と知っていて、待ち伏せて沈めたと思ったようです。
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この回答へのお礼

「危険は少ないという判断はあった」ということですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/27 15:29

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Q喪に服す・・・とは?

「喪に服す」とよく聞きますが、喪に服すとは何をすることですか?
または何をしないことですか?
よく聞きますが、まったく知りません。分かりやすく教えていただければと思います。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「喪」というのは、『人の死後、その近親の者が、一定の期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むこと。』で、その際の「死者を弔う」の儀式を「葬式・葬儀」といいます。
この場合の「服す」というのは、『従う』ことを指します。
ですから、「喪に服す」というのは、『人の死後、その近親の者が、一定の期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むという風習に従うこと』を指します。

実際には、亡くなってから「忌明け」(宗教・宗派によって異なります。一般的な仏教の場合は七七日=49日間とされていることが多いです)までの『服忌期間』と、それ以降で喪に服している期間の『服喪期間』に分かれます。
亡くなってすぐ家の玄関には「忌中」という貼り紙を出しますし、年賀状を出せません-という年賀欠礼状に「喪中につき」などという言葉が遣われているのをご覧になったこともあるかと思います。

いずれにせよ、近親者が亡くなった場合、遺族はいろいろと行動を慎みます。
何をするか-というよりも、こんなことはしない・控える-というカンジです。
こちらのサイトなどにも書かれていますので、ご覧ください。
http://www5.ocn.ne.jp/~nanko/hukumokikan.htm
http://sougi.oriaca.net/2005/05/post_155.html
http://www.if-u.co.jp/memorial/chart0121.html
なお、服喪期間については、諸説様々あります。
3か月、半年、1年、いや血縁の近さによって違う、同居・非同居で違う、家単位で考える、個人で考える…などなど。
「一般的」という言葉がこれほど通用しない世界もないと思います。

現在では、葬儀が終わるまでと法要の際に喪服を着る程度ですが、昔は服喪期間中はずっと喪服を着ていたようです。
喪服から衣装を改めることを「除服(ぶくぬぎ)」といい、源氏物語などにもその記述があります。http://www.xiangs.com/Genji/Fuuzoku/fuuzoku02.shtml

「喪」というのは、『人の死後、その近親の者が、一定の期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むこと。』で、その際の「死者を弔う」の儀式を「葬式・葬儀」といいます。
この場合の「服す」というのは、『従う』ことを指します。
ですから、「喪に服す」というのは、『人の死後、その近親の者が、一定の期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むという風習に従うこと』を指します。

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