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「緑に包まれて」と「緑に囲まれて」の違い

 日本語を勉強中の中国人です。「緑に包まれて」と「緑に囲まれて」の違いを教えていただけないでしょうか。添付写真のような状態は何と言うのでしょうか。窓の周りは全部つたです。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

「「緑に包まれて」と「緑に囲まれて」の違い」の質問画像

A 回答 (17件中1~10件)

淡雪さん、こんにちは。



「包む」と「囲む」は似た意味ですが、
ニュアンスは少し違います。

私の上下、前後左右を緑が包む
私の前後左右を緑が囲む
と使います。
つまり、上下、前後左右の全域の場合は「包む」
前後左右の平面の場合は「囲む」になります。


*私は親の愛情に包まれて育てられました。 
(親の愛情が、子供の心身の全域を包んでいる)のニュアンスです。
親は、子供の体の前後左右だけではなく、頭上や足下にも危険要因が有るか無いかを配慮したり、
学校や職場で暴力や差別、虐待を受けていないかと心配しています。
常に子供の安全、安寧を願っていますよね。
このように親の愛情が子供の全域を包囲し、庇護することを「愛情で包む」と表現します。

*スター(明星)がファン(明星迷)に囲まれています。 
(スターの前後左右にファンがいても、頭上、足下にはファンはいない) ですよね。
ですので、「包む」より、「囲む」が適しています。

*プレゼントを美しい包装紙で(上下、前後左右を)包む。

*動物園では動物が逃げないように、また、他の動物に食べられないように、
動物の周囲(前後左右)を柵で囲って保護しています。
そして、鳥は籠で「覆って」、飛んで逃げないようにしています。
(陸上動物は柵で囲う、鳥は籠で覆う(あるいは、籠に入れる)、魚は水槽に入れる)と使います。


写真の場合は「建物をつたが覆っている」
または、
「建物をつたが包んでいる」と使います。


例えば、ここに淡雪さんが立っているのなら
「緑に包まれて」と表現するのが適しています。
http://drive400.up.seesaa.net/G7/IMG_53444.jpg

淡雪さんがここに立ってるのなら
「緑に囲まれて」と表現するのが適しています。
http://www.pref.fukui.jp/doc/shizen/kouen/hozent …

この回答への補足

その写真のタイトルを考えています。窓をkentaulusさん自身だと考えてみませんか。窓の気持ちを表現したいと思います。kentaulusさんのご回答によると、「緑に囲まれて」のほうが合うかもしれません。「緑に包まれて」と「緑に囲まれて」以外に、窓の気持ちが表現できる言い方をご存知でしたら、それも教えていただければ大変嬉しいです。

補足日時:2010/06/30 22:56
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この回答へのお礼

 kentaulusさん、こんばんは。いつもご丁寧に教えていただきありがとうございます。「包む」と「囲む」のイメージはよくわかりました。ご親切に説明してくださり、大変助かりました。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/06/30 22:58

PS


>外国人の私に説明するのに、大変な労力を費やして本当に申し訳ありません。

いえいえ、そんなことはないです。気にしないでください。
私は自分の意思で、好んで回答しているのですから。

淡雪さんは日本へ行ったことが有りますか?
現在の日本人は大部分が善良な人たちです。
これは日本の子供たちが、良い教育 ( 道徳教育 ) を受けて育っているからです。

でも以前は、他国を侵略支配し、他国の自由と権利と財産をを奪い、
罪の無い多くの民間人を殺していた国です。
これは日本人の本質ではなく、間違った教育 ( 軍事教育 ) を受けて、育った日本人が行った愚行です。

明治維新以後、日本軍は東アジアの制覇を目標とし、海外へ進出しました。
( 明治時代の頃は、ロシアや西洋諸国が中国や東アジアを支配していたため、
 日本政府は他国に侵略されるのを恐れ、国策として富国強兵化が行われました。
  しかし、次第に軍部が政権を支配し、昭和時代には軍部の暴走が始まった。)

戦時中の日本は、仏教を廃止 ( 廃仏毀釈 ) し、小学生が模擬爆弾を投げ、
中学生が模擬銃で敵を撃ち、銃剣で人形を刺す教育を行っていたのですから。
( 仏教は、全ての生物の生命を奪うことを罪悪だと教えていたため、戦争で敵を殺すことも罪悪になり、
 仏教徒が参戦を拒否しようとした。そのため、新政府は仏教を禁止し、廃止した。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F% …
( 当時の日本人の人口の約九割は農民でした。
  江戸時代の農民は寺子屋 ( 寺院が運営する無料の学校 ) で、仏教と学問を学んでいました。
  皇族や貴族、武士は日本神道を崇拝していました。)

私は日本が他国を侵略・支配したことを、とても恥ずかしく、悲しく、申し訳なく思っています。

間違った教育は、人を悪人に育て、良い教育は人を善人に育てます。
教育はそれほど大切であり、平和の基礎でも有ります。

自国の文化を学ぶだけではなく、他国の文化を学ぶことで、相互理解と世界平和が生まれます。

外国の人が日本語や日本文化に関心を持つことは、日本人として感謝の気持ちでいっぱいです。

武力支配ではなく、こうした文化交流で日本人と諸外国の人たちとが仲良くできることを、
私はとても嬉しく思っています。

だから、疑問が有れば、どんどん質問してください。

中日友好万歳。 v(^o^)v 世界平和万歳。 
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この回答へのお礼

 kentaulusさん、こんばんは。私は日本へ行ったことがあります。でも、とても短かったです。二週間ぐらいの旅でした。日本は本当に美しい国です。私の目で見て、耳で聞いて、心で感じて帰ってきました。異国の土地で出会った人たちも親切な人々ばかりでした。kentaulusさんのような素直な日本の方にお会いできて大変嬉しいです。このような敏感的な話題を日本の方とコミュニケーションをする時に、いつも気を使って避けるようにしています。私はなぜ日本があの戦争を起こしたのか少しわかるようになりました。いつも日本語の勉強を応援していただきありがとうございます。私も日中友好と世界平和を心からお祈りします。両国の輝かしい未来をお祈り続けています^^。

お礼日時:2010/07/17 00:03

淡雪さん、こんにちは。



「包む」と「覆う」の違いですが、
「包む」は英語の wrap や pack の意味です。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%8 …
「覆う」は英語の cover の意味です。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A …

淡雪さんのご指定のとおり、正確な意味では
「壁は、つたで覆われている。」が正解、
「壁は、つたで包まれている。」は誤りになるでしょう。
だから、淡雪さんの意見は正しいです。

-----------------------------------------

(1) - 実状を表す場合の使い方

>そして多くの日本人は、図B、図Cの場合は「壁は、つたに覆われている(包まれている)」と言うでしょう。

この場合の「つたに覆われている」は理解できます。なぜ「つたに包まれている」でもよろしいのでしょうか。上下、前後左右の全域の場合は「包む」と言うのではないでしょうか。これは壁の上だけですね。

私が「(壁は or 建物は)つたに覆われて(包まれて)。」と書いた理由は、
建物は立体物ですよね。
建物は四面の壁と屋根(または屋上)で造られています。
この四面の壁の大部分が つたで覆われていた場合、
「建物は(四面の壁の大部分を)、つたで包まれている。」と言っても**間違えではない**
という意味です。

では二面の壁を、つたが覆っている場合はどうなるでしょうか?
建物は四面の壁が組み合わされて造られています。
四面の内の二面は、50%以下なので、「包まれている。」を使うのは不適切だと思います。
三面の場合も、75%以下なので、「包まれている。」を使うのは不適切だと思います。
建物全体の80%以上(つまり4面の壁)が覆われている場合だから、
「包まれている。」を使っても間違ではないのです。

つまり、
一面の壁 → 覆う
二面の壁 → 覆う
三面の壁 → 覆う
四面の壁(建物自体) → 包む
に変化するのです。
もちろん、「建物は四面の壁を、つたで覆われている。」と言っても正しいです。

-----------------------------------------

(2) - 比喩表現の場合の使い方

>図Dのように、壁全面に つたが繁茂している場合は、
多くの日本人は「壁(の全面)は、つたに覆われている。(or 包まれている。)」と言います。

この場合の「つたに覆われている」は理解できます。なぜ「つたに包まれている」でもよろしいのでしょうか。上下、前後左右の全域の場合は「包む」と言うのではないでしょうか。これは壁の上だけですね。

この意見も淡雪さんが正しいです。

では何故、私が「壁(の全面)は、つたに覆われている。(or 包まれている。)」と書いたのか? ですが、
その理由は以下のとおりです。

日本語の「覆う」には、「自由を奪われる」、「拘束される、束縛される」、「恥の部分を隠す」
のニュアンスが含まれている と私は思います。
そのため、「陰」の比喩場面で時々使われます。

日本語の「包む」には、「保護する」、「見守る」のニュアンスが含まれている
と私は思います。
そのため、「陽」の比喩場面で多く使われます。

「壁は、つたに覆われている。」には、
「壁は、つたに侵略されている。」のニュアンスが**少し**有ります。

「壁は、つたに包まれている。」には、
「壁は、つたに保護されている」のニュアンスが**多く**有ります。

つまり、「保護されている」のニュアンスを含ませたい場合は、
「壁は、つたに包まれている。」の方が良いのです。

このニュアンスの差は、辞典、辞書にも書かれていません。


私は、両親の愛情に [ 包まれて ] 育ちました。- 多くの場面で使われています。
私は、両親の愛情に [ 覆われて ] 育ちました。- ほぼ、使われません。

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上のように、(1)と(2)では、使われ方が違います。
(1)は実状を表す場合に使われ、
(2)は比喩表現の場合に使われます。
そのため、外国人の淡雪さんには、意味の混乱が発生するかもしれません。
この部分は、日本語の難しい部分です。

どうでしょうか、理解できたでしょうか?
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この回答へのお礼

 kentaulusさん、こんばんは。度々ありがとうございます。今回はよくわかりました。比喩表現の場合の使い方にとても興味を持っています。これからも教えてください。大変助かりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/13 22:19

淡雪さん、こんにちは。

返事が遅くなってごめんなさい。

数日間、どの様に説明すれば、淡雪さんに理解してもらえるだろう?
と色々思案していました。

添付の図を見てください。

緑色の四角は、つたの繁茂した建物の壁だと思って見てください。
そして、水色(青色)の四角は窓だと思ってください。

図Dのように、壁全面に つたが繁茂している場合は、
多くの日本人は「壁(の全面)は、つたに覆われている。(or 包まれている。)」と言います。
図Aの場合は、多くの日本人は「窓は、つたに囲まれている。」と言います。

では、この文章の主体は何でしょうか?
図Dでは、主体は壁です。
でも、図Aでは主体は窓です。
囲まれているのは窓であって、壁ではありません。

淡雪さんは「囲む」と「覆う、包む」の使い方の違いが分からないと言っていますが、
その理由は**文章の主体が違っている**からだと思います。
つまり、主体の変化が誤解の原因だと思います。


では次に、図A、図B、図Cを比べてみましょう。
多くの日本人は、図Aを見た場合に「窓は、つたに囲まれている。」と言うでしょう。
そして多くの日本人は、図B、図Cの場合は「壁は、つたに覆われている(包まれている)」と言うでしょう。

図Aと、図B、図Cでは主体が変わっていますよね。
これは1個の窓と、壁全体の面積を比較した場合、壁と窓のどちらが主体になるのか?
を無意識に選択しているためです。

図A、図B、図Cの其々の窓の合計した面積は、ほぼ同じですが、
窓の1個あたりの面積が違います。
多くの日本人は、1個の窓 対 その他の部分(壁) を比較した場合、
無意識に大きい(広い)方を主体に選ぶのです。

淡雪さんの写真の場合は、
主体が窓の場合「(窓は)つたに囲まれて。」になります。
主体が壁( or 建物)の場合「(壁は or 建物は)つたに覆われて(包まれて)。」になります。

どうでしょうか、理解できましたでしょうか?
「「緑に包まれて」と「緑に囲まれて」の違い」の回答画像15

この回答への補足

>図Dのように、壁全面に つたが繁茂している場合は、
多くの日本人は「壁(の全面)は、つたに覆われている。(or 包まれている。)」と言います。

この場合の「つたに覆われている」は理解できます。なぜ「つたに包まれている」でもよろしいのでしょうか。上下、前後左右の全域の場合は「包む」と言うのではないでしょうか。これは壁の上だけですね。

>そして多くの日本人は、図B、図Cの場合は「壁は、つたに覆われている(包まれている)」と言うでしょう。

前のと同じような疑問です。この場合の「つたに覆われている」は理解できます。なぜ「つたに包まれている」でもよろしいのでしょうか。上下、前後左右の全域の場合は「包む」と言うのではないでしょうか。これは壁の上だけですね。

補足日時:2010/07/10 18:15
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この回答へのお礼

 kentaulusさん、こんばんは。度々ありがとうございます。外国人の私に説明するのに、大変な労力を費やして本当に申し訳ありません。添付の図は大変見やすくてわかりやすいです。配色もとてもいいです。だいぶわかるようになりました。私は「壁はつたに包まれている」のイメージはまだよくわかっていません。もう少し教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/07/10 18:25

淡雪さん、こんにちは。



*窓が他の窓や建物と意思疎通ができない場合*

窓の前方と上下左右が つたで塞がれていたら、窓は「つたで覆われている」と思うでしょう。

でも、窓の前方の景色は見えますよね。
窓の前方が見えて、窓の上下と、窓の左右が全部つたなら、
窓は「つたで囲まれている」と思うでしょう。

窓が建物と意思疎通が出来ていない場合、窓は自己以外(外部)からの情報が無いですよね。
そのため窓は、窓(自己)の状況しか分析・理解できません。
そのため、窓はつたで囲まれている と判断する確率が高いです。

------------------------------------------
*窓が他の窓や建物と意思疎通ができる場合*

建物には多数の窓が有りますよね。
建物には、窓以外にも窓が有り、
それぞれの窓が同様に「つたに囲まれている」と思うでしょう。

もし、窓が建物や他の窓と意思疎通ができていれば、外部から情報が入り、
他の窓から見える景色の情報や、建物全体の状況の情報が入手できますよね。
窓は建物や他の窓からの色々な情報を分析して、建物全体に つたが生えている 
と、総合的に判断するのではないでしょうか。

そのため「つたに覆われている・つたに包まれている」と判断する確率が高くなります。

------------------------------------------

同様に、*建物を1個の生命体とし、窓を建物の眼とした場合*は、
建物は多数の窓(眼)からの情報を総合的に分析・判断して、
建物全体がつたに包まれている・つたに覆われている 
と思うのではないでしょうか。

淡雪さんはどう思いますか?

この回答への補足

>もし、窓が建物や他の窓と意思疎通ができていれば、外部から情報が入り、
他の窓から見える景色の情報や、建物全体の状況の情報が入手できますよね。
窓は建物や他の窓からの色々な情報を分析して、建物全体に つたが生えている 
と、総合的に判断するのではないでしょうか。

そのため「つたに覆われている・つたに包まれている」と判断する確率が高くなります。

「そのため」という理由はやはり理解できませんでした。なぜこの場合、「つたに覆われている・つたに包まれている」と判断する確率が高くなるのでしょうか。

>同様に、*建物を1個の生命体とし、窓を建物の眼とした場合*は、
建物は多数の窓(眼)からの情報を総合的に分析・判断して、
建物全体がつたに包まれている・つたに覆われている 
と思うのではないでしょうか。

この場合の「建物全体がつたに包まれている・つたに覆われている」の理由も理解できませんでした。

私はどんな時に「包む」を使うのか、どんな時に「囲む」を使うのか、kentaulusさんが#6で教えてくださった基準で判断します。

補足日時:2010/07/07 14:07
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この回答へのお礼

kentaulusさん、こんにちは。度々ありがとうございます。私はたぶん「窓が他の窓や建物と意思疎通ができない場合」だと考えました。この部分のご説明はわかりました。でも、「窓が他の窓や建物と意思疎通ができる場合」と「建物を1個の生命体とし、窓を建物の眼とした場合」のご説明は何日も考えていましたが、やはり理解できませんでした。もう一度教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/07/07 14:15

#8の補足に対するご回答です。



『緑萌ゆ中に佇みて』みどりもゆなかにたたずみて
・萌ゆ=萌えるの文語です。
 「緑が萌える」は新しい芽が活き活きと伸びゆくさまを表す表現です。
・佇みて=佇んでの文語です。「佇む」はじっと立っている様子です。
 この場合、「佇みて」の後に何かを省略しているのを読み手に想像させる
 という意味合いがあります。
 具体的に例を挙げると、「佇みて我思う」と続いて、
 「ではこの建物は何を思っているのだろう」と想像させたり、
 「佇みて待つ」と続いて「誰の帰りを待っているのだろう」と
 想像させたりすることで、読み手のイマジネーションを刺激します。

『深緑の内より空を想う』しんりょくのうちよりそらをおもう
これはあまり説明しなくても言葉の意味はお分かりだと思います。
深い緑に包まれた建物の窓は、空にあこがれています。
緑を抜け出して空を飛びたいのでしょうか。
それとも、空の向こうにいる誰かに恋焦がれているのでしょうか。

写真のタイトルは、全てを説明してしまうより、このように
見た人の想像力をかきたてる部分があるほうが楽しいと思います。
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この回答へのお礼

 おはようございます。読み方と意味は良く分かりました。特に「緑萌ゆ中に佇みて」が気に入ります。大変参考になりました。何度もご親切に回答していただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/04 08:33

コメントにお答えします。



>>> >「緑の雨戸を外したがごとく」
>>> これはどういう発想でしょうか。

雨戸って知っていますか?
普通のガラス窓よりも外側に配置される不透明な窓のことです。
もしも、元々雨戸をつけた状態で緑色のつたで覆われるとすれば、雨戸を取り外すと窓の部分だけが緑ではなくなります。

「緑の雨戸を外したがごとく」は硬いので
「緑の雨戸を外したような」にしたほうがよいかもしれません。

なお、今回のご質問に限っては、(質問文ではなく)補足欄に書かれている文章が、押し付けがましく見えます。
もう少し丁重な表現にすることを心がけましょう。
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この回答へのお礼

 度々ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。雨戸は日本特有のものですね。私はそのもののことはよくわかりません。何度もご丁寧に回答していただき本当にありがとうございました。押し付けがましい文章になってしまって申し訳ありませんでした。悪意はありません。「包まれて」と「囲まれて」の間に揺れていて、ちょっと焦っているのかもしれません。今後、自分の表現に気をつけます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 22:00

使う場面が少し違います。



緑に包まれて、という方がやさしい表現のように思います。
草や自然を擬人化して草が人を包み込んでくれるようなイメージです。
例えば草原に寝っ転がっている状態は草が包み込んでいるので、緑に包まれていると言えます。
緑に囲まれて、というのは生活環境について言う事が多いです。
たとえば実家の周りが山だったり単に田舎だったりすると、
緑に囲まれて過ごした、と言えます。

つたが周りに絡まった家は、日本では廃屋や人が住んでいない場合も多いので、
緑に包まれているという表現はあまり適さないかもしれません。
もしそこに住んでいる人の自然を愛する人柄が見て取れる場合なら、
それは緑に包まれていると言えると思います。
そのあたりは言葉を使う人の感受性によって使い方が変わります。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。ご意見は大変参考になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/03 19:24

淡雪さん、こんにちは。



なるほど、窓の気持ちで、どう表現するか? ですね。

んー、窓を単独の生物とした場合は、建物と共存(あるいは、寄生)している状態ですから、
「緑に囲まれて」に なるのでしょうか。
窓は建物の表面に付着しているので、建物全体の状況を把握できませんよね。
窓の周囲の状況しか、把握出来ていないはずです。
ですので「緑に囲まれている」と表現するのが良いと思います。

しかし、
窓が建物と互いに連絡し合い、建物全体の状況を把握している としたら、
「緑に覆われている。」または、「緑に包まれている。」と思うでしょう。

淡雪さんは、窓が建物と意思疎通を出来ている と思いますか?
それとも、窓は建物と意思疎通できない と思いますか?

また、別の考え方として、
建物を1個の生命体とし、窓を建物の眼とした場合は、
「緑に覆われて。」、「緑に包まれて。」になります。

淡雪さんの考えで、答えの選択も違ってくるのではないでしょうか。

この回答への補足

>淡雪さんは、窓が建物と意思疎通を出来ている と思いますか?
それとも、窓は建物と意思疎通できない と思いますか?

私は窓と周りの緑のことしか考えていません。建物の立場に立って考えたことがありません。窓と周りの緑の関係を表現したいと思います。やはり「緑に囲まれて」ですね。

補足日時:2010/07/03 19:11
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この回答へのお礼

追加質問ですみません。

>しかし、
窓が建物と互いに連絡し合い、建物全体の状況を把握している としたら、
「緑に覆われている。」または、「緑に包まれている。」と思うでしょう。

>また、別の考え方として、
建物を1個の生命体とし、窓を建物の眼とした場合は、
「緑に覆われて。」、「緑に包まれて。」になります。

上記のご説明がよく理解できていません。なぜその場合、「覆われる」と「包まれる」を使うのか、納得できません。
__________________________________
 kentaulusさん、こんばんは。再びありがとうございます。「建物」を考えたかどうかによって、また答えが違うようですね。それは難しいです。すっきりしていないところを補足させていただきました。もう少し教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/07/03 19:18

No.4のsanoriです。

コメントにお答えします。

>>>事実が的確に伝わるよりも、文学的な香りが感じられる表現を探しています。

前回例示した「緑の壁」は文学的表現ですよ。
再度申しますが、「緑」は文学的。
さらに、「壁」は比喩(ひゆ)ですから。

>>>その写真のタイトルを考えています。

私は「緑の壁に覆われて」がよいと思います。

>>>窓をさのりさん自身だと考えてみませんか。窓の気持ちを表現したいと思います。
>>>「緑に包まれて」と「緑に囲まれて」以外に、窓の気持ちが表現できる言い方をご存知でしたら、それも教えていただければ大変嬉しいです。

ありゃ。
窓の部分だけ蔦がないことまで言及したいのですか。
初耳です。それは困りました(笑)

一つ考えました。
「緑の雨戸を外したがごとく」
(タイトルが名詞で終わらないケースは結構ありますので)

ご参考になれば。

この回答への補足

>前回例示した「緑の壁」は文学的表現ですよ。
再度申しますが、「緑」は文学的。
さらに、「壁」は比喩(ひゆ)ですから。

「壁」から「前進を阻むもの。進展の妨げとなるもの。障害」を連想してしまいます。あまり使いたくない表現です。

>ありゃ。
窓の部分だけ蔦がないことまで言及したいのですか。
初耳です。それは困りました(笑)

窓と周りの緑の関係を表現したいと思います。困らせてすみません^^;。

>「緑の雨戸を外したがごとく」

これはどういう発想でしょうか。

補足日時:2010/07/03 18:54
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この回答へのお礼

 sanoriさん、再びありがとうございます。参考になりました。疑問に感じたところを補足させていただきました。もう一度教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/07/03 18:58

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