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日本語では文と文、パラグラフ間の関係が英語に比べてはっきりしないと聞きます。また英語は文のはじめのほうで言いたいことが言われるのに対して日本語では最後まで話を聞かないと言いたいことがわからないともよく耳にします。
1.上記の2つの日本語と英語の違いはどうして生まれたのでしょうか?言語の構造上なのか、考え方の違いなのか、地理的、環境的なものなのか、、、
2.英語の論理がしっかりしてると上にも書きましたが、私の勉強不足故あまり実感がわきません。このことに関してなにか体験(実感)されたことのある方、教えてください。
お願いいたします。

A 回答 (14件中1~10件)

今度は、こんばんは。

朝、私が書いてから、たくさんの方々が回答しておられたので吃驚しました。もう一つ驚いたことは、私が後で述べようと思っていたことをズバリと書かれた方が多いということです。

#2さんの「一般的には和文と比較して英文の方が論理的にしっかり書けているものが多いですね。これは文章の書き方について日本の学校などではあまり教えないのが原因のようです。」については、同感です。日本もこれからは情報発信型のコミュニケーションを目指さなければならないので、大事なことですね。

#3さんの、狩猟民族Vs.農耕民族説も大変面白いのですが(ひょっとして真実かもしれませんよ)、世界中の民族とその言語にそういう傾向があることを誰か証明して欲しいですね。

#4さんは全体に鋭い指摘が多いのですが、特に以下の部分に唸りましたね。「ある言語は外国人のために作られたり発達してきたわけではないので、自国民が意志の疎通が出来れば、論理性云々という問題はないと思います。」

実は私も、砂漠の民(遊牧民)は砂の種類を表す語彙を豊富に持っていること、イヌイットは微妙な雪の違いを表現できることに触れようと思っていたのです。つまり、文化によって、その言語の得意分野が違うということですね。

#5の方の指摘も大事だと思います。日本語の得意分野ですね。「英語では、I/youとしか書かないものを、日本語では、言っている・言われている人の背景をその単語ひとつで示す事が出来ます.男女の差だけではなく、その時の状況、また、としなりを知ることが出来ます. また、人間関係ですら示す事が出来ますね。」

日本はほぼ単一民族で、他民族との抗争も割と少なかったため、集団的、ムラ的社会を形成した。だから、その言語は「状況言語」となった、と私は考えるのですがどうでしょうか?主語が何であるかも状況で判断しますよね。いわゆる、以心伝心でよしとしたのでしょう。

一方、他民族との抗争を避けることが出来ない民族は、主義主張をはっきりさせることが必要だった。つまり、論理性を要求されたと思うのです。これからは日本も、より論理性を求められると思いますね。

#6の方の、『一言で言うと、英語は「誰が使ってもそれなりにうまく操れる車」、日本語は「うまく使わないとエンジンもかからない、でも走り出したらすごいポテンシャルを発揮する車」ではないかと私は思っております。』を読んだ時には、いやー参りました。

#7の方の、「欧米では何でも白黒はっきりさせるという傾向があり、日本を含むアジア文化では、多様性を重んじて灰色を認める文化の違いがあります。この事からあまり言い切る形を取らず、曖昧な部分を許容する傾向があります。」も重要な指摘だと思います。

これは、宗教によるところもあろうかと思います。つまり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は兄弟宗教の関係にあり、ともに一神教です。一方アジアの仏教や、日本や韓国などにも影響を与えた中国の儒教は、それに比べれば寛容的ですね。

などと、仕切ってしまいました。皆様、ごめんなさい。

で、私は今回は(1)に対する考えを述べるのでしたね。そうですね。

上に述べたことをまとめますと、キーワードは、『自立的社会』対『ムラ的社会』あるいは『相互依存社会』、『交渉言語』対『状況言語』、地理的、風土的違いにより生まれた宗教の違いでしょうか。

長々と書きました。では。
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この回答へのお礼

1つ1つにコメントを入れてくださったので総括というような感じでとてもわかりやすく、おもしろかったです。私もこんなに多くの方に書いてもらえるとは思ってなかったので大変うれしく満足しています☆ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/14 23:32

日本語「教育」が悪いわけですね。



えーと。決してあげあしをとりたいのではないのですが、

文法教育のしにくい言語ではないでしょうか?日本語って、自由すぎて。

決して日本語が嫌いなわけではありません。
ただ、英語の文法の良さを生かした日本語を使うひとがすきだ、という感じです。

それと、心理学・コミュニケーション学てきに見たときに、いちいち主語がある言語脳のほうが私は平等性が教えやすいとも思います。

もっとわたしも勉強したいです。
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#12さんへ・・・。



おっしゃる通り日本語では主語(正確には主格目的語)を必須としません。
だからといって、主格目的語をつけてはいけないわけではないのです(ここが重要)。
必要であれば、「私はそう思う」といえばいいし、文脈上必要でなければ「そう思う」だけでもいいわけです。特に会話では、この特長は役だちます。ふたりだけしかいないのに、いちいち「私は」「私は」というのもなにか間抜けです。文脈上、必要と考えればつければよいわけです。

たまに必要なのに主格目的語をつけない人がいますが(#12さんのご家族の例)、これは、日本の国語教育に問題があるためであると私は考えています。ご家族ではなく、ご家族に日本語を教えた人が悪いと言うことです。

逆にいうと、英語ではイヤでも主語を必要とします。つけたくないときでも主語がいるのです。英語を母語とする人が主語をつけるのは、つけなければいけないと思ってつけてるわけではなく、つけなければいけないのでしょうがなくつけてるのです。
だから、二人でもいちいち「I ...」「I ...」と会話することになります。雨が降ってきただけなのに「It is rain.」になってしまうわけです。Itってなんなんだろう・・・。

どうか、「現代日本人の日本語に対する無知に起因する問題」を「日本語の問題」と勘違いなさらないようにしてください。
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ご質問の内容とかみあっているかどうかこころもとありませんが、ひとこと。



わたしは、家族(特に親世代)との日常生活において、
「あー。全部英語で話したほうがうまくいくなあ。」と、ため息が出るときがあります。

それは、英語には必ず主語があるから。

「誰の気持ちなのか」が明確になるからです!

日本語ではよく、
「似合わないよー」とか言いますよね。
英語なら、多くの場合、誰がそう思っているのか、明確に言うわけです。
「あなたがそれを着るのは
僕は好まない」てきに。
あくまでも「僕は」なわけで、決め付けた言い方にならないので、人を傷つけにくい。逆に言うと、日本語はともすると決めつけ言いになりがちで、傷つけやすいとさえいえそうなわけです。

何かの映画で、日本語字幕では「なんでだろう?」に対して
英語の台詞の直訳では、「これがなにを意味すると
君は思う?」
だったのに気付いてあらためて感動したことがあります。「君の考え」を求めているわけで、それが正解かどうかはまたあとで考えるわけだなと。

日本語では、(もちろん使う人の性格によると言ってしまえば何もかもそれまでですが、)主語がなくても成り立つがゆえに、「誰の気持ちか?」「誰の考えか?」「それは真実か?主観か?」を考える機会が極端に少なくなっている、といえなくはないでしょうか。

英語では、
「僕はうれしいよ、君がそうするのを見て」とか当たり前に言いますよね。いわゆる「わたし言葉〔主語が自分である言い方〕」が多く、コミュニケーションが平等に進みやすい、とある心理学者も言っています。
日本語では、「それは良いね」てきなきめつけことばになりがちな表現です。

自分の気持ちを、万人のものだと勝手に思い込まずにすみやすそうで(?)、わたしは英語でのコミュニケーションに近い日本語を使うことや、使うひとが好きです。

また、英文では、ひとつのセンテンスの中の主語はひとつに、統一することをなるべく心がけるようになっています。
日本語にはその意識は皆無に近い。

うちの母親なんてよく、
「(あなたが、を省略して)そう言うから
(私が、も省略して)出来ないのよ!」とか言います。

英語であれば、
「わたしはあなたにそう言われると出来なくなるのだ」とか
「あなたはそう言うことで私にそれを出来なくさせているのだ」
とか、主語を統一して言うところです。

普段の何気ない会話から、主語、主語、主語、と考えないで済んでしまう日本語は、英語から学ぶべき要素をたくさん残しているとわたしは思います。
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この回答へのお礼

考えてもみなかった意見にたじたじです(笑)見方を変えるとこういうことも考えられるんですね。思いっきり納得してしまいました。回答ありがとうございました☆

お礼日時:2003/07/16 01:56

文章構造の違いは主に文化の違いによるものだと思います。


>言語の構造上なのか、考え方の違いなのか、地理的、環境的なものなのか、、、
とありましたが、すべての要素が絡み合っているはずなので、どれも否定できないでしょう。言葉は文化ですから、長年の間にいろいろな要素の影響を受けて少しづつ形づくものです。よって一つの特定の理由(原因)というのは存在しないと思います。投稿数が多いので全部は読めませんが、#7さんの回答が簡潔で的を得ていると思います。

また、言葉を比較する事は無理だともとれるような意見もあったようですが、談話分析(Discourse analysis)、会話分析、テスクと言語といった言語学分野の研究では、そういったバラグラフ、会話や対話などの大きな単位を形成する構造の違いの分析は常に行われています。

大まかに言うと、アジア方面の文章と欧米、欧州の文章の構造では大きく違いが見られます。おっしゃるように英語では結論が先頭にくることが多いですが、日本の文章だうずまきを描くように、まわりくどく外側から攻めていき核心に最後に到達するという傾向が見られるようです。これは論文というジャンル特有の傾向なので、日本の文章は一概にはそうだと言うわけではありません。インドなどでは「らせん式」といった、起承転結が何度もぐるぐる繰り返されるという文章構造もあるようです。

文化の違いによる文章構造の違いを研究するのもおもしろいと思います。
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この回答へのお礼

知らないことがたくさんでてきました。談話分析、テスク、らせん式~~起承転結が何度も繰り返されたら要旨がわからなくなりそう。アメリカ人が日本語の起承転結で書かれた文の「転」の部分で混乱すると聞いたことがありますが、なんとなく気持ちがわかる気がしました。

お礼日時:2003/07/15 02:11

>2.英語の論理がしっかりしてると上にも書きましたが、私の勉強不足故あまり実感がわきません。

このことに関してなにか体験(実感)されたことのある方、教えてください。

 文ではないのですが、あるとき1日3本くらい
毎日集中的に映画を見ていたことがありまして、
なんか日本映画には独特のくどさがあるように
感じて、脚本の書き方に関する本を読んで
みて分かったのですが、日本人は起承転結
(ABCDの順)で物事を説明するクセがあるの対し、
アメリカ人はABCの3ステップで物事を説明する
クセがあるので、それが映画の話の進行に出てい
ることが分かりました。
 論文の書き方や、ビジネスレターの書き方の
注意にも同じような説明が出ていることが分かり
ます。
 どっちがいいのか分かりませんが、アメリカ
方式のほうが簡潔に結論に繋がっていくと行く
ので分かり安いと思います。
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この回答へのお礼

英語では「転」の部分がないと聞いたことがあります。他の方のコメントにもありましたが、言葉を使う人によって違うのだろうけれど、そういう体験って貴重だと思います。いいなー。体験談も聞きたいと思っていたんで、とてもうれしかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/14 23:39

1.言語間には上下はないと思います。

日本語も英語も言語学的には同じ言語です。生成文法理論なる言語学理論は普遍文法って言って人間の言語は一つだと考えています。言語間の違いと言うのはパラメター値の差だと考えています。たとえば、SVOかSOVかの相違だけなのです。
って言うことで、言語の違いではないはずです。

2.文と文、パラグラフ間の関係って言うのは、教育とか文化的なことかもしれません。

アメリカではライティング、ロジック(論理学)、パブリック・スピーキングを勉強するのがふつうかもしれません。人前できちんと言いたいことを言えるように訓練される機会が多いはずです。そのために、文章の組み立て方を学ぶのです。それがライティング(文法)であったり、ロジックであったりするのです。だから、文法をよく知っていることは人前でお笑いの種にならないためにも大切なのです。ちょんとした文章を書くためにも大事なのです。

ただ、日常的に論理的に話す訳ではないと思います。人前で話す場合や書く場合だと思います。きっと大統領の演説などは専門の人が書き、まとまった文章と言えますが、ニューヨークの街の人の会話を録音してそれを見直した場合、たぶん、論理的でないはずです。
意味だけが通じればいい訳です。


以下はhttp://www.sietarhouston.org/articles/articles4. …より

"Low-context cultures stress clarity, and favor a straight and to-the-point communication style. The strong tendency is to avoid any ambiguity and uncertainty. Linear, logical and rational ways of communication are strongly preferred. Emotions and feelings are downplayed, where objectivity is over subscribed. In addition to
mainstream Americans, Germans and Scandinavian cultures are also low-context cultures. "

日本社会はhighな文脈で、アメリカはlowだと言えます。lowだと、テキパキと的を得たやり取りが好まれます。あいまいなことや不確かなことは避ける傾向があるのです。直接的思考で、論理的で合理的なやり取りがずっといいのです。逆にhighな文脈社会では、きっとあれが欲しいって言ってわかる社会のことでしょう。ことばでないやり取りで意思疎通が可能かもしれません。

蛇足ながら、個人的にはセンテンスについてですが、意味ある情報は後ろの方に持ってくる傾向があり、前はトピックスを持ってくるものと考えています。ここでトピックスとはI know that.を話題化したThat I know.のことです。通常の意味の重みはセンテンスの後ろの部分にあるからで、いつもの語順のI know that.のthatが前にある違いだけでトピックスされる訳です。

また、headは主要部と呼ばれ、NPやVPのNやVのことであり、その句の中で先頭かどうかです。日本語は後で、英語は前です。

この文章はきっと論理的ではありませんので、ご了承ください。

参考URL:http://www.sietarhouston.org/articles/articles4. …
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この回答へのお礼

記事を載せていただきわかりやすかったです。日本と英語の教育には結構違いがあるようですね。論理性の質問からいろいろな話しまで聞けたので良かったです。ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/14 23:47

これまでの沢山のご回答内容に私の言いたいことはほとんど含まれていますので、補足的に述べますね。



1.日本語でも英語でも論理的な文章が書けると言うことは先のご回答者の方々が説明しているとおりです。

2.一方欧米では何でも白黒はっきりさせるという傾向があり、日本を含むアジア文化では、多様性を重んじて灰色を認める文化の違いがあります。この事からあまり言い切る形を取らず、曖昧な部分を許容する傾向があります。この事が1の論理性に欠けているという誤解(中には不必要に曖昧にする場合もあり、実際には非論理的な書き方をしている場合も多いのですが)を招いていると思われます。

3.日本語の語順と英語の語順
日本語の語順は Head to Last rule といい、重要度の高い物ほど文の最後の方に来ます。この法則は非常に厳密で、しかし文の初めの方に重要な情報を盛り込みたい場合は「が」などの格助詞によりそれを明示します。そのため動詞Vが必ず最後に来るというのもそれから来ています。

英語の場合は基本はHead to First で重要なものを前に持ってくると言う傾向がありますが、必ずしも厳密ではなく、多少いい加減です。たとえば、
I met him who was a student in the school.
では、him を後ろから関係代名詞でより詳細情報(重要度の低い情報)を伝えていて、Head to first ですが、 beautiful flower とも flower that is beautiful でもきれいな花であることを伝えることが出来るように、必ずしも厳密には守られていません。

4.日本語文法は非常に論理的
 もちろん日本語にも例外というのは存在しますが、英語に比較すると非常に覚えやすい文法構造をしています。動詞の変化などもパターンが決まっていて極わずかな例外しかありません。英語は不規則動詞が多数ありますね。日本人が苦手に感じている日本語の敬語も実は論理的な構造をしており、日本語学習者にとってはそれほど難しい物ではありません。

5.何故日本語はHead to Lastなのか?
残念ながら確定的な定説は存じません。一つ想像するに日本は侵略もなくのんびりした国だから、最後に重要なことを言っても良かったという考えかたもありますが、日本と同じSOV構文(Head to Last)である韓国語を考えると、朝鮮民族は騎馬民族であり、過去よりなんども侵略などの歴史をたどったことを考えると、あまり有力な説とは言えません。また、アジア圏でも中国語はHead to Lastではありませんので、アジア文化の影響とも言い難いのです。
日本語の由来と共に謎の一つでしょうね。
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この回答へのお礼

1つ1つ簡潔に箇条書きに書かれていてわkりやすかったです。Head to first、Last rule というの語は初めて聞きました。なぜ日本がLastのほうになったか、なぜ英語がfirstのほうになったか。語学の深さに触れた気がします。

お礼日時:2003/07/15 02:04

1.については#3さんのフィクションが面白いので信じたいですね。



2.については、英語が論理的な言語と言うわけではなく、日本語の文法構造が柔軟すぎるのが原因であると考えています。

英語は基本がS+V+O(+C)と形式が決まっているのに対し、日本語はO+VでOは何でも持って来れます。たとえば、

日本語では「私は彼にお金を借りた」でも「彼に私はお金を借りた」でも「お金を私は彼に借りた」でもいいのです。この場合、「私は」「彼に」「お金を」がO(目的語)で「借りた」がV(動詞)です。Oの順番を自由に変えられるのが日本語の柔軟性です。
英語ではこの場合「I borrow him money.」としか言いようがありません。
また、日本語では英語と違いS(主語)がありませんので、これを省略することができます。よく「主語がない」とか言っている人がいますが、日本語にはそもそも主語は必要はりません。必要に応じて主格目的語(「私は」など)をつけることが可能、と言うだけです。
日本語では「彼にお金を借りた」と言うことができますが、これに相当する英語を作文することはできません。主語がないからです。英語では嫌でも主語が必要です。
たとえば、日本語では「雨です」という文章が作れますが、英語では「It is rain.」となります。Itとisは一体どこから沸いてきたんだろう・・・?これは、英語ではSとVは絶対省略不可能だからです。

ということで、英語のほうが「型がきっちりしている」言語で、日本語は「きわめて柔軟性の高い」言語なのです。
このため、日本語をちゃんと勉強していない日本人が日本語を作文すると、変な文章になってしまいます。ちゃんと勉強している人であれば、変な日本語にはなりません。
英語の場合文法構造がきっちりしている(悪く言えば柔軟性がない)し、また米国などでは小中学校での文法教育もきちんとしていますので、文盲でない人ならちゃんとした文章がかけます。
日本人が英語を勉強するときも、なぜかちゃんと文法を勉強しますので(日本語の文法は勉強しないのに!)、それなりにちゃんとした英語になることが多いのです。

一言で言うと、英語は「誰が使ってもそれなりにうまく操れる車」、日本語は「うまく使わないとエンジンもかからない、でも走り出したらすごいポテンシャルを発揮する車」ではないかと私は思っております。
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この回答へのお礼

また1つ新しい意見でした☆ここまで見てきて、英語って言葉1つとってもいろんな見方があることを痛感しました。

お礼日時:2003/07/14 13:38

アメリカに35年ほど住んでいる者です。



私にも書かせてくださいね.

私もみなさんと同様な考えをもつものです.

言葉と言う物をそのまま比較する事は非常に難しいことであるわけで、この場所で、詳しく書くわけには行かないでしょう。

つまり、ある例をとって、英語はこうだ、日本語こうだ、と断言できない、ということでもあります.

私は、ここの常連の方々の中で、martinbuhoさんのご回答はすばらしいご回答をなさっている、と思う一人です.

英語では、I/youとしか書かないものを、日本語では、言っている・言われている人の背景をその単語ひとつで示す事が出来ます.男女の差だけではなく、その時の状況、また、としなりを知ることが出来ます.

また、人間関係ですら示す事が出来ますね。

言葉である限り、それを使う人也の使い方があるわけで、それを、違う言葉と較べる事は、また、無理があると言う事でもあると思います.

確かに、英語の文章の多くは、動詞が前のほうにくると言う構造上の違いで、通訳者が苦労するところでもあると思います. 

しかしながら、それらの違いがどう生まれたのかを、理由立てる事はとてもできる事でもないと思います.

少し考えてください. よく日本人が、日本人の正確を「島国感情」と言う言いかをしますね. しかし、日本人の中で、どれだけ、自分は島国に住んでいると思う人がいるでしょうか. 

他の島国国家の人たちはどうでしょうか.

また、東京弁と関西弁の違いをどう説明するのか、ということに多様な事と思います.

回答にはなっていない事をとりとめもなく書いてしまいましたが、何かの参考、または、ヒントになれば、嬉しいです.
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この回答へのお礼

確かに断言できない問題ですよね。けれど考えてみたり、ここでお話しを聞いたりして、自分にとってプラスになると思いました。

お礼日時:2003/07/14 13:33

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