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脱藩についてです。脱藩の身でありながらなぜ全国を周遊できるのでしょうか?関所は書状が無ければ通れないのですよね。全国を回るのに関所破りを繰り返していたということなのでしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

恐らく幕末期の頃を指してのご質問かと思います。


幕末にもなると、関所のほとんどは効果を消してしまいました。
関所が重要な役割をしていたのは、徳川政権がまだ落ち着いてない頃の江戸初期の
頃です。

家康は天下を治めたものの、いつ諸藩がクーデターを起こすか常々心配していました。
そこで、参勤交代という制度を実施します。これは、各藩の大名が江戸に別邸を設け、
そこに妻や子供を住まわせていました。ようは人質ですね。反乱を起こしたら、江戸に
いる嫁と世継ぎの子供が殺されるってことです。「入り鉄砲と出女」という言葉がある
ように、関所では「江戸に入る鉄砲、江戸に武器を持ちこませない=入り鉄砲」「江戸
から女を出さない、変装している大名の妻が逃げないように=出女」として、厳しく
取り締まったのです。
江戸も中期になると、徳川政権は安泰をみせ、徐々に関所の取り締まりも薄れてきて
おり、比較的関所が通りやすくなり、「東海道中膝栗毛」などの滑稽本も手伝い、旅行
ブームも巻き起こります。

幕末の頃には、関所の取締りが薄れていたことも背景にありますが、もう1つの要因
として、必ず脱藩を補助する人がいたのも大きいかと思います。なんのツテも
なく単身で脱藩する輩はそういなかったかと思います。すでに脱藩した者が
関所を通らずに通れる道や、脱藩者=尊皇攘夷の志士、を手助けする有力者も
いたので、後は書状や手形を発行してもらい、全国を駆け巡っていたかと思い
ますよ。
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 まず最初に



関所のイメージはテレビドラマで誤解されているようだが、人の行き来を厳しく規制する性質の関所ではない。
 関所は、荷駄の統制がメインであって、人の往来に関しては、犯罪者だけを取り締まる程度のもの。

 ちなみに、脱藩者が出るのは、藩の恥なので、地元の藩の関所を抜ければ、他の関所は、スルーは簡単。

 そもそも、関所そのものは荷駄がなく人間だけの移動ならば、関所をすり抜けることは簡単。修験者などに変装したり、薬売りに変装すれば、脱藩者とも疑われない

 イメージしているほど関所も厳格ではないし、脱藩も難しくないことです。
ウルトラ技ですが、”仇討ち免状”を得てから脱藩すれば、地元の関所でもスルー可能。
 

 
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関所を避ける間道も各地にありますし、ようは通行手形を入手すればすむので、そう難しいことではなかったと思います。


勤皇の志士と言われる連中には、公家や長州が手形を乱発していたでしょう。
長州や三条実美以下が失脚した後でも、今日の町では志士は人気があったので、寺などが手形を発行していたとお思います。
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