すでに神の正体はわかっているのではないのか?

昔、ある短編小説で神の正体を知るために、全世界のあらゆる神についての
情報をコンピューターにいれて、神というのは一体何なのか、ということを
解読するというのがありました。

僕が思うに、これは情報量が相当多いでしょうから、その作業が大変にしても
もしかしたら、本当にある程度は、神の正体がわかるのではないかと考えています。
もちろん100%神はこうだというのは、わからないかもしれませんが、
神というのはこの可能性が高い。というのは推測できるのではないでしょうか。
と、いうよりも、もうそれを実行した人、組織、政府があるのではないかとも思っています。

ただ、それを公表するとたいへんなことになる可能性があります。
神がいても、いなくても、神がどんなものであっても大騒ぎになるでしょう。
それで極秘に解読し、その結果を隠蔽している可能性はありませんか?
陰謀、隠蔽といえばアメリカあたりがクサイと僕はにらんでいるのですが。

ちなみに、映画「インデペンデンスディ」で有名になったアメリカ・ネバダ州にある
エリア51は、墜落したUFOを回収し、その研究をしているそうです。
その基地内では宇宙人もいるのに、アメリカ政府は隠蔽しているという、うわさです。

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A 回答 (27件中1~10件)

私は日本人のカトリック信者です。


自分なりには敬虔なクリスチャンだと思っております。

さて、「神=宇宙人」説がよく聞かれます。
また、イエス降誕の際に空に輝き、乳飲み子イエスの居場所を示したベツレヘムの星(クリスマスツリーの天辺に付ける星)ですが、これも空にホバリングしていたUFOであるという説さえあります。

まあ実際のところどうなのか分りませんが、そのうち人類は真実を知る時が来ると思います。

米国のアポロ計画の宇宙飛行士の中で月まで行った人経ちは神がかりな経験をしたとよく聞きます。
そして、その理由としてよく言われるのが月で様々なUFOを見、常にそれらに監視されていたり、また月面の基地や文明の跡を見た影響で宇宙飛行士達の精神にかなりのインパクトを与えたからではないかと推理する人達もいます。
ここで、アポロ10号、17号で月に行ったジーン・サーナン氏の有名な言葉を引用させてもらいまず。

「神の名は宗教によって違う。しかし、その名前がどうあれ、それが指し示している、ある同一の至高の存在がある。それは人間の祈りを聞く人格神だと思う。これは宇宙体験から与えられた確信だ。」

この文中の「人格神」をどう解釈すればよいのか分りませんが、例えば月で地球文明を超越した崇高な存在の地球外知的生命体に出会った時、宇宙飛行士たちの精神面に何があったのか、私の勝手で下記の二つのケースを推理したとします。

ケース(1):彼らが地球人類創世に係わる神の存在であことを悟らされた。

ケース(2):彼ら自身も宇宙の創造主なる神(姿なき人格神)の存在の元に存在していることを悟らされた。

旧約聖書の創世記の「天地の創造主なる神」の存在が地球外知的生命体と同じ認識であったとすれば、旧約聖書を共通の書とするユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒としては上記ケース(2)であればいいと思いますよね。<笑>

そこで、米国の情報公開法を盾にCIAが持っているUFOの情報が1978頃でしたか、CIAが裁判に負けて公開されました。
それ以降、米国政府の情報操作の一貫と思われますが、権威ある人たちを使って、例えば月面に立った元宇宙飛行士のゴードン・ミッチェルや元NATOの諜報機関の人によってテレビ等のメディアを通して、ロズウェル事件が事実であり、政府は60年に渡りその事実を隠蔽してきたことや、色々な種類の宇宙人が地球にやって来ている事実を証言しています。
彼らの発言は紛れもない事実と受け止めるべきと私は思います。
そして、複数の宇宙人が地球を訪れているのなら、上記ケース(1)で考えると「地球人類創世に係わる神の存在」の宇宙人はいったいどの種類の宇宙人?ということになります。

彼ら多種多様の超知的生命体である宇宙人が、それぞれ何時ごろ、どこから、何のために、何をしに地球に来たのか分りませんが、ケース(1)から考えると、地球に一番乗りした宇宙人が地球人類の神になったのか、それともケース(2)のように、彼らは既に「宇宙の創造主」として共通の神の存在を受け入れた崇高な聖神性を持つ者たちとも考えられます。まあ、素の様な中にも、米政府と密約を結んだと噂されている宇宙人グレイがいますが、噂通りに、地球上の生体実験を行っているのが事実であれば、質の悪い宇宙人でしょうね。
キリスト教的にいえば「悪魔」ですね。

そんなこんなで、クリスチャンである私としての神の正体は「天地(宇宙)の創造主である父」と「その御子イエス」と「聖霊」であることを信じています。

そして私もANo.24のWagHoustonさん同様に、「神は研究するものではなく信ずるものです。」に同感です。

ですから「宇宙人=神」とは考えたくないですね。


<文字制限がありますので一旦ここで書き込みは中止し、次の回答と致します。>
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コンピュータは人智の「論理的思考」というごく一部の機能を模倣したものにしか過ぎません。

その挙動を「知っている」がゆえ、「ンピュータが暴走した(壊れた)」といった判断が可能なわけですから、そのような範疇で「人間が思索する神」について、コンピュータを使って解読するということは、とりもなおさず、端から「神とはなんぞや」を知っている(と思っている)人間の判断が介入すると言うことです。

ようするに、コンピュータを使う前から「答えを知っている」という訳です。

「神」という概念がどんなものであるかは、そこら辺の2,3人に聞いてみるだけで、「やっぱり」と思うならば、そういうものなのです。「あれ?、ちょっと違うぞ」と思うなら、そういうものなのです。

私自身が「やっぱり」と思うのは、「俺にとっての神は・・・」「私達にとっての神は・・・」と、「○○にとっての」という限定句が付くことです。「○○」には「○○民族」とか「人類」とか「万物」とかいった言葉が入ることでしょう。
私自身が「ちょっと違うぞ」と思うのは、それぞれが「敵」(信じない人々)を想定していることです。

その程度のみで知ることのできるのが(神そのものではない)「神という概念」であり、その程度でしか知り得ないのが(神という概念ではない)「神」ということです。

(信じるにしても信じないにしてもそれぞれなのでしょうが、)例えば、アインシュタインが量子力学の不可思議な世界を覗き見て「神はサイコロを振らない」といったということですが、その「神」は「スピノザの神」と呼ばれる概念ということです。
また、「神は○○ではない」という否定のみを重ねることで神概念に向かおうとする否定神学的な概念もあるということです。

参照:汎神論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E% …
バールーフ・デ・スピノザ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC% …
スピノザの神とは何でしょうか?
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1730729.html
否定神学ってなんですか?
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1273280.html

この回答への補足

皆さん、ご回答まことにありがとうございました。
たいへんな数のご回答をいただきまして、まことに恐れ入ります。
すべてのご回答を読ませていただきました。
本来なら、一人一人にお礼を書き込むのが礼儀ですが、
あまりにも数が多いため、横着させていただき、まとめて
一つのお礼とさせていただきます。

たいへん勉強になりました。
またよろしくお願いいたします。

補足日時:2010/07/19 11:27
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ANo.25で回答したJustice_ghです。



さて、引き続き回答させて頂きます。

御質問者様の「エリア51は、墜落したUFOを回収し、その研究をしているそうです。
その基地内では宇宙人もいるのに、アメリカ政府は隠蔽しているという、うわさです。」

これについ述べたいと思います。
前述した通り1978年頃にCIAの持つ大量のUFO情報が公開されました。
但し、CIAの保有する情報の一部分については米国の国家安全保障上、国家の存亡に係わるので公開したくないとの主張を裁判所が受け入れたため、情報の全ては公開されませんでした。
そして、公開された資料には、皆が一番期待していたロズウェル事件(UFO墜落、機体及び宇宙人の死体回収)についてはありませんでした。
このロズウェル事件や、宇宙人の存在については、先も述べたとおり、元アポロ宇宙飛行士のゴードン・ミッチェルや元NATOの諜報機関の人によって証言されています。
おそらく、情報操作の一貫として、米国政府の情報リークエージェントとして容認されている人達だと思います。
但し、その発言の中には、米国政府と宇宙人グレイとの密約についてはゴードン・ミッチェル氏は触れませんし、元NATOの諜報機関の人は「そういう噂は聞いている。」と言うレベルです。
また、墜落し、回収したUFOを元にUFOを研究している噂こについてもこの両者は触れておりません。

おそらく、CIAの情報の内、公開されなかった情報の内の国家の存亡に係わる核心「宇宙人との密約」の部分を除いた情報をこれら情報リークエージェントによって公にしているものだと思います。
しかし、ロズウェル事件は事実ですから、当然のことながら回収したUFOを分析、研究し同じものを作ろうとしているのは確実でしょう。
また、生きた宇宙人グレーがエリア51にいる可能性もかなり高いと思います。
しかしそれを認めてしまうと、「密約」があることを確実に認めることになりますので、政府の情報リークエージェントである上記両氏も「エリア51に生きた宇宙人が確実にいる。」とは口が裂けても言えないでしょう。

●もし、噂となっている「宇宙人のハイテクを手に入れるための交換条件として地球上の生物の生体実験を容認した。」という密約が事実だとして、それが世界中にばれてしまったらどうなるか想像できるでしょう。

それは、米国政府は、米国国民も含めた全人類の生命を脅かすことをしてしまったことになります。そうです、米国と悪魔グレイとの契約です。
いくら世界一の大国とはいえ、いったい何の権利があって全人類の生命を脅かす密約を宇宙人としていまったのか、とうことになります。
言い換えれば、米国政府は、米国国民を含めた全世界の地球人類に対して人類史上最低最悪の背信行為をしていたことになります。
あくまでも私の勝手な想像ですが、「UFO情報について国家の存亡に係わる重大情報」ということはこれぐらいしか思いつきません。
これが事実であれば、米国政府は世界から完全に孤立するでしょう。
更に政府に裏切られたことにより、元々正義感に富んだ米国民は政府に対して想像を絶する抗議行動を起こし、そこから数々の大暴動が派生し、米国は内部崩壊するという最悪のシナリオを描くでしょう。

それを考える時、私自身、「米国政府と宇宙人の密約」は単なる噂話であって欲しいと心から願います。

最後に参考までにYouTubeに公開されている、NASAが宇宙空間にてスペースシャトルから捉えた驚愕の映像を紹介します。(既に御存知であった場合には申し訳ありません。)

(1)NASA UFOs: STS-75 The Tether Incident
  この映像はスペースシャトルから発射したケーブル長約20Kmもある人工衛星を撮影する際に
  それに群がる無数の正体不明のスペースクラフトを偶然捉えた映像です。
  まるで蛍光灯(人工衛星)に群がる虫の大群です。

   

(2)UFO, Never Doubt Again
  この映像はスペースシャトルを追尾(観察)する複数の正体不明のスペースクラフトと
  地球を背景に捉えられた正体不明のスペースクラフトです。
  
   http://www.youtube.com/watch?v=e0jpUPLqLhA&featu …


この様に、彼らはいつも我々の頭上にいるのです。
この現実を地球人類は真剣に考えなければなりません。
UFO問題は、全人類に係わる重大な問題なのです。
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ちなみに私はアメリカに住むキリスト教徒です。

これでもアメリカは先進国ですからもうすでに済んでしまったことよりもこれから起こるであろう未来に心を砕きます。

具体的に聖書で言えばズバリ黙示録です。

7つの封印は一体何を意味するのか、あるいは大いなる邪悪とは具体的にどこの国またはどの人を指すのか、私のような一般庶民でも9・11のようなことがあるとこれは何かのしるしではないかと疑ってみます。人類の終末のしるしです。

世界の終わりがやってくると、イエスキリストが大いなる邪悪を滅ぼし彼の信者を神の王国にみちびいてくれるのです。これがアメリカにおける神の正体です。

たぶんこんなことはとっくにご存知でしょうl。ただその信仰の基盤を無視するとアメリカ及びアメリカ人の発言や行動は胡散臭い信用ならないものに見えます。一貫性がないのですね。

神は研究するものではなく信ずるものです。アメリカ人もその原点に立ち返るときが来ているように思うのは私だけでしょうか。
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「神」がいない、永い永い時間がありました。

138億年?現在は、「神」の存在が必要な時代です。そして、時間がたつと、「神」という言葉さえ、死語になる時代がきます。
人類の歴史も、ほとんどすべて、家族と共同体で暮らしてきました。国家をつくるようになって、支配するものと、支配されるものができてから、苦労が始まります。人間が敵味方に分かれるときから、不幸が始まります。
「神」も進化します。最初は、自分たちの肌の色をした、自分たちの言葉を話し、自分たちの歴史をすべて知っている氏神さまから、始まったのでしょう。民族、言語、宗教は、共同体の財産です。
キリスト教も、ユダヤ教からでてきた、過激な新興宗教でした。祥伝社「ユダの謎 キリストの謎」三田誠広著を読んでみて下さい。
「神」は、父・母、信者は、子ども、兄弟姉妹です。将来、「神」を考えなくても、支配・被支配の関係がなくなるときに、自由の王国が始まります。自然になるわけではありません。人類の努力が必要です。
哲学の歴史か、「ソフィーの世界」NHK出版を読んでみて下さい。真理は、多数決ではきまりません。
「自らかえりみて、直からずんば、カツカンパクといえども、おそれざらんや。自らかえりみて、直くんば、千万人といえども、我ゆかん。」孟子。
「神」の正体がわかったら、世の中のために、お励みください。未来の多数派です。
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神は妄想です


100%神は妄想です
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おはようございます。


えーっと、これは一つの考え方なのですが、近代になって数学の発達により
色々なことが解決できるようになりました。

前提として、人が信じる神とは人の脳が神の存在を作りそれを伝統的に受け継いだ
と考えます。ようは、親から子へとか、時代から時代へです。

まず、私には小さい時に十字型のもうこはんがあったそうです、これを
ある宗教の方がみればそこに奇跡を感じるでしょう。
ただ、私の両親は十字型としか感じません。

といった具合に自分の知識というのは物事を判断するとき過去の情報
から手繰り寄せます。

次に、人々の死への不安についてですが、他の生物よりも発達した人間の
脳では、体を動かす機能を制御するシステム(本能)以上の計算をすることが
できます。時間という概念の認識であったり、娯楽の為に道具を使うことで
あったりです、そのなかに死を認識する能力も含まれます。
ようするに、客観的に死があることを受け止めることです、
例えとして一般的例として、お化け屋敷で考えてみましょう、あなたはまず
入り口からちゅうちょします、その後暗闇の中なにがでてくるかわからなくて
不安を感じます、そしてなにもないところからいきなり声が聞こえてきて
驚きます。
ここで不安について考えましょう、なぜ不安が走ったか?
それは、なにが出てくるかわからないからです。もしこれが二度目でしたら
あなたの不安は恐らく軽減されます。
ここで、死について考えて見ます。
人間は死を認識できます。しかしながら、死を経験した人からは体験をきけません
ということは自分の感覚では想定ができないのです。
そこで不安を感じます。そこで現れるのが死後の世界の物語です、
ある人がそれをつくって、話を聞かせ人を安心させます。
それに安心させられた人間は、その人を崇拝します。

古代の祈とう師について考えていきましょう。彼らが、なぜ崇拝されたか、
仮定として考えられるのが、彼らは気象などの記録を取っていて、統計的な判断能力
に優れていたのではと思います。雨の時期を当てるとかです、
要するに、ある事象の記録をもとに計算をし仮説を立て証拠をだす
のです、そうすると証拠を出された人間は祈とう師を信じます。
ここで、祈とう師はそのノウハウを隠すために神を作り出します。

ということは、神とは計算をつきつめれば割り出せる可能性は出てきます。
定義としては、神は完全なものであるということです。
そこで、数学の数論を突き詰めれば神を定義できるのではと人々は考えました
そこで、色々な数学者がその証明にあたりました、色々な数式を
考え出しました。人々は世界の数々の問題を解決する理論体系、
世界の真理 それを数学に求めました。

しかし、安心してください。
残念なことに20世紀のはじめにゲーテルという人によって
数学理論は不完全で、決して完全にならないことが証明されました。
ゲーテルの不完全性定理については簡単に説明してあるサイトが
あるので探して調べてください。

ですから、すべてにおいて完全な事象はありえない、神はいない
です。
ちょっと説明が下手でごめんなさい。

宇宙人や未知の物質は神ですか?

私はそうは思いませんが。

未知の物質・・・あって当然です。昨日もはやぶさが微粒子を持ち帰ったと
ニュースになっていました。

rin00077さんが仰っている、100%は分からない、そこはかなり重要
だと思います。それが答えですよ~

私は宇宙人はいると思ってますから。

色々考えることは楽しいですね。

一度、苫米地英人先生の本をお読みになられたらいかがでしょうか。
色々なことをわかりやすく教えてくださり勉強になりますよ。

ちなみに、ゲーテルの不完全性定理ですが簡単にいうと

仮に「私は嘘つきだ」と言ったとして、
これが嘘なら、私が真実を言ったから、
おかしなことになる。
逆にこれが真実なら、私は嘘つきではないから
これまたおかしい。
自分では自分のことを表わすことが絶対にできない

これと同じことが数学でも起こるということ。
これを証明したんですよ。
我々が理性で創りだしたことが真理に到達することはない。です。

ゲーテルさんすごい。

長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
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この回答へのお礼

おはようございます。

長い文章にもかかわらず、上手にまとめられていますね。
実に読みやすい。
まず神は完全である。しかし完全な事象はありえない。
したがって神はいない。という事ですね。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/07 10:01

神の正体・・・解析ですか? 申し訳ないが笑いが止まりません!


スーパーコンピューターを何億台使って解析して正体がわかったつもりでも、「群盲象を撫でる」が如しでありましょう。
それに、正体を見せるバカはいません。神が正体を隠しているからこそ、奥が深いのではありませんか?
神の琴線に触れない限り、誰が暴こうとしても無駄に終わるでしょうね。
ただの凡人が川原の石ころや水の流れを見て神の一面を発見するのと同じぐらいかもしれません。
神を知る方法は、たった一つしかありません。
神になった者がいるなら、その全てを理解できるのです。
神になる道は、あまりに果てしないと思います。
あなたから出発したとして、その動機を100%受け継いだ子供、そして100%受け継いだ子孫がいることを前提としても、何百億代かかってもどうでしょうか?まず100%受け継ぐこと自体がどこかで崩れます。
客観的に分析して「神の正体は○○だ」と理解することが理解ではありません。
そんなことより、神そのものになってしまえさえすれば、神の全てが瞬時にわかるのです。
てか、神になってみるしか他に方法はないのです!!
笑っちゃうでしょ?
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自分の存在様態についての全情報を解析できた場合、


自分が知りまた思う神についてならその正体がわかるだろう。
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最近僕は神なんじゃないかと思うんですがここで言う神ってのは世界の中心とかそういう感じのやつです
まぁ世界の核ですね俺中心に世界は回ってる的な

中学2年生のときの現代文の最初のページに
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とかそんなようなことが書いてありました

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つまり自分が死んでしまったらこの世界は死滅する、と

お前が死んでも別の人間が観測するだろあほと言われるかもしれませんが
僕は観測者というのは自身しかいないと思っています
もしどっかの知らないおっさんが何かを観測したところでそのおっさんの
話を聞かなければ(自身が観測しなければ)それは僕にとって観測されてない
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コーヒーだったり日本酒だったり
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あるか?

2. ない。つまり あるかどうか 人間には分からない。分かるか分からないかが分か
らない。

3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。

4. 《分かるか分からないかが分からないこと――これを〈非知〉とよぶ――》は カ
ミという言葉で交通整理して捉えあおうと。

5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》として
のあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。

5-1. 山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身である。分身も神ので
あると言っても それぞれ《神の依り代》と呼ばれる補助線である。

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7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無
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8. このような《自然神 / 創造主神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分から
ないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。

9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによっ
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11. ただし人びとは この補助線の向こうの神を意識するときにはおのれの内面にお
いて この神と(つまりは 神という補助線についての己れの意識と)しばしば向き合う
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13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ
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14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・また人びとそれぞれわが心なる
《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足
りている。(と推測される)。

ご教授ください。

1. 時空間ないし世界という存在に――時間的にも考え方の上でも――先行するものは 
あるか?

2. ない。つまり あるかどうか 人間には分からない。分かるか分からないかが分か
らない。

3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。

4. 《分かるか分からないかが分からないこと――これを〈非知〉とよぶ――》は カ
ミという言葉で交通整理して捉えあおうと。

5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》として
のあり方であ...続きを読む

Aベストアンサー

今回の印象を簡単に言ってみます。

源泉と大海。
湧き水は澄んできれいですが、大海に行着く迄の道中で様々なモノを身に付けてしまいます。
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Q中国語の「読む」の念。 读。 看。の違いについて

ネットでこの3つの違いを質問したところ、簡単にまとめると下の3つの違いになりました。

(1)我念书。 声を出して読む。 音読。「勉強する」という意味もある。
(2)我读书。 声を出して読む。 音読。「勉強する」という意味もある。读书の方がやや硬い表現。
(3)我看书。 声を出さずに読む。黙読。雑誌や趣味の小説などを読む場合。勉強で本を読むではない。

では、参考書を読む場合は、どうなるのですか?
参考書は勉強で読むので、念、读を使います。
しかし、参考書を読む時に声に出して読んだりしません。
あえて、声に出して参考書を読む場合は、問題ないです。

参考書でも、声に出さずに読む場合は、看を使うのか?
それとも、念、读を使うが、黙って読む。のように中国語の「黙って」という単語を入れるのですか?
念、读を使ったからと言って、必ずしも声を出して読まなければならない、訳ではないなら大丈夫ですが・・・

(1)念、读でも絶対に声を出して読む訳ではないのか?
(2)それとも、声を出さない場合は、勉強で本を読む場合でも、看を使うのか?

細かい部分ですが、知っている方がいれば教えてください。

ネットでこの3つの違いを質問したところ、簡単にまとめると下の3つの違いになりました。

(1)我念书。 声を出して読む。 音読。「勉強する」という意味もある。
(2)我读书。 声を出して読む。 音読。「勉強する」という意味もある。读书の方がやや硬い表現。
(3)我看书。 声を出さずに読む。黙読。雑誌や趣味の小説などを読む場合。勉強で本を読むではない。

では、参考書を読む場合は、どうなるのですか?
参考書は勉強で読むので、念、读を使います。
しかし、参考書を読む時に声に出して読んだりしません。
あ...続きを読む

Aベストアンサー

中国語学習経験者です。

「我念书。」は音読、「我看书。」は黙読、「我读书。」は音読黙読どちらにも使えるんだったけどうだったっけ、と覚えていました。
そこで、中国で出版されている基本的な辞典「现代汉语词典」でご質問の3つの単語を調べてみました。

まず「读」から。
意味が4つ載っていました。原文で書きます。
(1)看着文字念出声音 (文字を見ながら声を出して読み上げる)
(2)阅读;看文章 (閲読;文章を見る)
(3)指上学 (学校で学ぶことを指す)
(4)(この質問には関係ないので省略)

次に「念」。
2つ意味が載ってまして、(1)は「读」(1)に同じ、(2)は「读」(3)に同じです。

最後に「看」。
たくさん意味が載っていますが、この質問に関係あるのは
 使视线接触人或物 (視線を人や物に触れさせる)
です。

まとめると
★「念」は必ず声を出して読む
★「读」は音読する場合(意味1)と黙読する場合(意味2)とがある
 #读(2)に「默读」という用例が載っていました
★「看」は「見る」ことであって「声を出す」という意味はないので本を読む動作に使うときは黙読の意味になる
となります。

また「读(书)」や「念(书)」は上の读(3)にもあるように「勉強する」というよりは「学校に行く」というニュアンスです。
家などで自習する場合には使わないと思います(その場合は「学习」を使う)。
大昔に中国留学経験がありますが、そのとき「学校に行く(通学する動作を指すのではなく学校で学ぶことを指す)」という意味で「读书」という表現をよく聞きました。

なので、勉強のために参考書を黙読するのは
「我看参考书。」
という表現でいいと思います。
質問文で書いていらっしゃるように一般的には参考書は勉強する目的で読むので、動詞「看」には「勉強する」というニュアンスはありませんが「看参考书」という表現で「勉強のために参考書を読む」と普通の人は理解すると思います。
「勉強のために」というのを強調したいのであれば
「我为了学习看着这本参考书。」
と表現すればいいでしょう。
逆に、楽しみのために参考書を読む(黙読)のであれば
「我为了取乐看着这本参考书。」
と言えばいいでしょう。

中国語学習経験者です。

「我念书。」は音読、「我看书。」は黙読、「我读书。」は音読黙読どちらにも使えるんだったけどうだったっけ、と覚えていました。
そこで、中国で出版されている基本的な辞典「现代汉语词典」でご質問の3つの単語を調べてみました。

まず「读」から。
意味が4つ載っていました。原文で書きます。
(1)看着文字念出声音 (文字を見ながら声を出して読み上げる)
(2)阅读;看文章 (閲読;文章を見る)
(3)指上学 (学校で学ぶことを指す)
(4)(この質問には関係ないので省略...続きを読む

Qある国を愛すれば、その国の政府も愛することになるか

 日本語を勉強中の中国人です。ある国を愛すれば、その国の政府も愛するという結論に導くことができるでしょうか。たとえば、日本を愛することは、日本政府も愛することになるでしょうか。中国を愛することは、中国政府も愛することになるでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんばんは。

「祖国」という言葉があります。
祖国を愛するとは、育ってきた自然や文化を愛するということです。

「国家」という言葉があります。
国家の三要素として、「領域」「人民」「権力(法・政府・軍など)」があり、政府は、「国家権力」を行使して、国の社会秩序を保とうとします。
「人民」を抑圧する場合もありますし、対外的には、「領域」を守るために、権力(軍)を行使することもあります。「人民」は、その国の政府を支持する・支持しないはあっても、愛するという表現はしないと思います。

国を愛するといった時、祖国愛はいいのですが、集合体になると、ひとつの意識として、国家主義(ナショナリズム)に陥る危険性があることを、忘れてはならないと思います。
それは、日本でも中国でも同じです。国家主義同士がぶつかりあっても、平行線で、解決にはならないでしょう。
お互いの祖国を知りあうことが、まずは大切ではないでしょうか。

前回の質問「世の中の仕組みは何でしょうか」で、ご紹介した本「君たちはどう生きるか」は、中学生だけでなく、大人が読むのにもいい本です。

Q英語で11:15はどう読むの?

よく本を読んでいると時間が出てきます
そこで質問ですが時間はどのように読むのですか?
速く読むためにイレブンフィフティ-ンなどというのでしょうか?
11:00などはイレブンとするのでしょうか?
背の高さで6フィート7インチはどう書きどう読むのでしょうか?
それぞれ速く読むときの読み方とゆっくり読むときの読み方を教えてください
ゆっくり読むときとは学校で先生に声を出して読まされている場合です
速く読むときとは自分で小説等を速読している場合です

よろしくお願いします

Aベストアンサー

#2です。

>6フット7インチとか6フット7とか6ダッシュ7ダブルダッシュとか言わないのでしょうか?

フィーとはフットにかえられますよ。 インチは言わなくとも言っても。ダッシュは言いません。

ハイ、今日は、tuppenceさん。きにいってくれてありがとう! これからも、頑張りますね。 tuppenceがおっしゃった、pastとtoとアメリカでも言いますね。でも、頻度はかなりありません。

これで良いですか?

Q日本人の神とその信仰

 1. 神という言葉で言っているのは ふつう 神本体の依り代である。神な霊(び)なる山や磐座(いはくら)なる石などであり そして神社であっても神殿に神のシルシはなく ただ奥の山や杜が 依り代となっているだけである。

 2. 依り代つまり神を理解するための補助線が けっきょく八百万の神々として受け留められている。に過ぎないのではないだろうか。

 3. むろん神は ひとつです。つまりこの一という数は 全体を表わしている。一同の者とか関東一円とか言って使う。

 4. つまり言いたいことは この神の《依り代》とは 大ざっぱな捉え方にはなるけれどもけっきょく神の使いなのである。すなわち 《天使》のことだと思えば話が早い。主体的な存在だとは むろん 捉えられてはいない。だけである。

 5. だとすると 図式としてどうなるか。これまでに 神とその信仰は 次のように捉えて来たけれど さらに詳しく見るとどうなるか?

 ○ (非経験の場=非知 なる神を受け容れる《非思考の庭》)~~~

  信じる:《非思考の庭》:信仰なる動態;ヒラメキ直観
  ---------------------- 
  考える:《思考の緑野》:理性←→オシエとしての宗教
  感じる:《感性の原野》:知覚;直感ヒラメキ


 ○ (信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えられる) ~~~~~

  ・《非思考の庭》は 次の二層構造を成すと考えられる。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ


 6. クリスチアニズムでは 天使を――必ずしも必要とは思わないけれど――説明に加えると 次のごとく:

 D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

 ○ 自然本性におけるヒラメキの位置 ~~~~~~~~~
  (――または ロゴスの階層――) 
  (――または 《非思考の庭》と《思考の緑野》とのあいだに何があるか――) 
  ( ひどっち=ぶらじゅろんぬの定理 )



  神なる聖霊:スピリトゥス=ロゴス(α)
  
  -----------【天使(α’):ロゴス(α)の使い】-----------

  神の宮なるわれ:クレド(信じる;非知なるナゾ⇒非思考の庭)
  -------------------------

  インスピレーション=ロゴス(β):異言
       :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ       

  インスピレーション=ロゴス(γ):預言
       :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化
         :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?

  ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考〔の緑野〕:経験合理性に
        もとづこうとする論理



   * ~~~~~~~~~~~

   ・ロゴス:ことば
   ・スピリトゥス:霊。聖霊
   ・クレド( credo = I believe. 我れは信じる)
   ・異言(シャリバリ):意味の分からないことば
   ・預言:解釈。経験思考で分かるように表現する。
    〔もともと 予言= pro-phetia(予‐言)として成ったことば〕
   ・ラチオ( ratio ):理性
    〔 = reason 。《 re-or =思う・考える・数える》から〕

   ~~~~~~~~~~~~~~
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 7. では 日本人の信仰のかたちは?

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)



  神なる霊: 大いなる《?(なぞ)》
  -----------《依り代=補助線》-----------
  われの内なる霊:信じる(=きよらかなおそれ)
  -------------------
  われ(自然本性):思考の緑野・感性の原野




 8. 違いは 天使は目に見えないが 依り代は 山や石や目に見えている物であり しかもその物をとおして神なる霊を見る。つまり 目に見えない。心の目にも見えないと思う。





 以上を問います。

 1. 神という言葉で言っているのは ふつう 神本体の依り代である。神な霊(び)なる山や磐座(いはくら)なる石などであり そして神社であっても神殿に神のシルシはなく ただ奥の山や杜が 依り代となっているだけである。

 2. 依り代つまり神を理解するための補助線が けっきょく八百万の神々として受け留められている。に過ぎないのではないだろうか。

 3. むろん神は ひとつです。つまりこの一という数は 全体を表わしている。一同の者とか関東一円とか言って使う。

 4. つまり言い...続きを読む

Aベストアンサー

☆ おごそかな感じ。あるいは こうごうしい(かみがみしい)。という接点から始めますか。理論として耐え得ますか。
◇これは、「おそろしく」主観的なものなので、
おそらく、学問的、特に哲学的な意味での普遍性はないのでしょう。
その意味では、理論としては耐えられない、と思います。

ですが、
何故だか分からないけれど、
この感性{?}的なもの、直観的なものは、我々の経験として現に存在しており、
そして、
そこには、人種、民族、文化、宗教的な違いを越えた、ある種の共通性があるのも事実であり、完全ではないけれど、ある種の普遍性はあるのでしょう。
 ───これがたとえマヤカシであったとしても、構いやしない。このマヤカシ発生の機構が存在することだけは事実なのでしょう。ですが、これがマヤカシであったとしても、理性や悟性といわれるものよりも、より本源的、原始的で、より人間の本源に基づいているのだ、と思う。───
であるから、
従来の哲学的体系とは異なるけれども、
こうした経験を基にした、新しい体系を作ることはできるのではないか。

このように考えております。

Q小説を読む時

自分だけが特殊なのか・・

この前、いとこと話をしていて、いとこが本を読むのが楽しいというので、どんな本を読むのと話をしたらほとんど漫画を読むのが好きだと言いました。小説はたまに読むと言っていました。

その時、本を読む時に想像しながら読んでいるんでしょう?というと、本人曰く、いや、ただ字を読むだけと言われました。

わたしは本を読みながら頭の中で想像しながら読み進めるんですが…

皆さんはどうでしょうか?

Aベストアンサー

小説を読むときは、その情景を想像しながら読んでます。

とある漫画では朗読についてですが「想像が好きな人の天国」と書かれてました。

人は本を読んだらみんなそれぞれの本について想像をし
自分だけの世界を作り上げるものだと思っています。

あなたのいとこさんも「字を読むだけ」とは言っていても、
内容を理解するためにはある程度状況を想像しているのではないでしょうか?
そうでなければ、何が書いてあるのか理解できないと思うのですよ。

Q《アルケーの神》は 《信じる》のではないのか?

 1. アルケーの神とは 宇宙の法則であると言う。けれどもこの表現による規定は あくまで仮りのもの・すなわち《補助線》を引いただけのことではないか?

 2. すなわち もし神が宇宙の法則であるとすれば 一方で たとえば山に登り 虹が出てきれいな自然を見ると それは アルケーの神の意志の現われだということらしい。
 他方では ではもし雪崩に遭ったりクレバスに足をすべらせたりしたら それは 引力という宇宙の法則であるから やはりアルケーの神の意志の現われであると言えるか?

 3. 言えまい。ならば 宇宙の法則だという説明は あくまで仮りのもの・単なる補助線だと捉えなくてはならない。本体は 分からない――つまり分かるから分からないかが 人間には分からない――と想定し規定するのが 哲学としてかなっている。

 4. すなわち 《アルケーの神》は 《感じる》ものであって《信じる》ものではないと高らかに宣言しているようであるが 《感じる》のは 単なる補助線としての経験事象であるに過ぎない。のではないか?
 《本体》については けっきょく《感じる》ではなくまた《考える》でもなく やはり《信じる》ということではないか?

 5. 《信じる》というのは 《思考:考える》や《感性:感じる》をも超えたところのナゾの何ものかを それでもわが心に受け容れるということである。
 受け容れるのは ふつうの経験事象としての人間の意志行為であり その対象は 何であるかが分からないナゾの何ものかである。これが 《信じる》という行為である。

 6. かくのごとくして わが心なる《非思考の庭》における・雲をつかむようなコトが起きていると 人間という人間にかんして 普遍的に言える。のではないか?




  ○ 参考:《非思考の庭》のわが存在における位置 ~~~~~

   非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。直感・ヒラメキ)
   ____________________
   思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市)
   感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)
   ____________________

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 7. なお この《信じる》をオシエにして組織をつくり その信仰の度合いを基準にして組織内外の人間を評価し さらにはこれらのよわく薄い信仰の者らをみちびくと言っているのは じつは・じつに《信仰》の自殺行為である。
 教義化・組織化は 仮りの補助線を現実の神としてしまうおそれに満ち満ちている。そのヒエラルキアは 聖なるものでも何でもない。むしろ人間に対する支配欲によってみづからが支配され 信仰を利用して世界を心としての自殺行為にみちびく準犯罪行為である。


 ご見解をどうぞ。

 1. アルケーの神とは 宇宙の法則であると言う。けれどもこの表現による規定は あくまで仮りのもの・すなわち《補助線》を引いただけのことではないか?

 2. すなわち もし神が宇宙の法則であるとすれば 一方で たとえば山に登り 虹が出てきれいな自然を見ると それは アルケーの神の意志の現われだということらしい。
 他方では ではもし雪崩に遭ったりクレバスに足をすべらせたりしたら それは 引力という宇宙の法則であるから やはりアルケーの神の意志の現われであると言えるか?

 3...続きを読む

Aベストアンサー

相対と絶対は言葉ではセットになっているが、相対でも絶対でもないものというのはあり得る。
それが何かと問われれば答えるのは難しいが、おそらく無数にあり得る。例えばカオスの内容物が計り知れず得体もしれないように、謎の何物かというのは、善悪はおろか、一切が謎であるのであるから、その性質を想定する主観を持った人間に、どのようなものであるかという想定は、一意に預けられる。
ここに、その主観の好き放題に謎の何者かを設定できる隙がある。


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