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「神」はどのようにして発明されたのでしょうか。人が「甦り」を信じたのはなぜですか?

世界には様々な「全知全能の神」がいます。
日本にも神道の「八百万の神」がいます。

そもそも「神」はどのようにして発明されたのですか?
神の名のもとに戦争を起こしたり、神への捧げものとして生贄がささげられるというバカげてるとしか言いようがないことも平気で行います。

その時代の人間にはささげ物をすれば豊かになるというのが常識だったのかもしれませんが、同じ時代に生きている、人間と同じように社会生活を営む犬には「神」なんてものはありませんし、ささげ物の儀式なんてこともありません。


1.なぜ神は発明されたのでしょうか。
2.なぜ人は信仰するようになったのですか?

3.ミイラにしておけば死後よみがえるなんて、バカげたことがなぜ行われていたのでしょうか。
死んだものが生き返らないことは犬畜生だって知ってます。

A 回答 (9件)

人の出来る事、理解できる事と、実際に関わっている世界で


すべき事、考えねばならない事の間にギャップがあり、
出来ないことに対しても何とかしようとし(祈り)、分から
ないことに対しても意味づけようとした結果(世界観)です。
その便宜的な由来において、どんどん発達する社会性と、
人の意識の自己中心性の間をつなぐ(=他律的社会性)モラル
の根拠としても利用された。
(元々集団主義的なジャポニカ米(集約農法)稲作農耕文化圏
では、そうした強制がなくても社会行動をとるので、厳しい
戒律を持つ一神教ではなく、儀式宗教的な仏教が広まった)

ゆえに、無から全ての“現実”を導け、またそこにおける
他我性=愛による自律的社会行動において最大充足が可能に
なる事によって、宗教は役目を終えたと言える。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ヒトの能力と理想とがかけ離れていたことが、神が発明された要因なんですね。
確かに今は、神は全知全能ではなく心のやすらぎどころとしてあるような気がします。
このすさんだ現代社会に、別の目的で宗教や神があるような気がします。

お礼日時:2010/07/06 21:15

>そもそも「神」はどのようにして発明されたのですか?



 自分の親の悪しきものを多量に受け継いだ人がそれを外世界に当てはめた。

 「反抗期」などと言う言葉にだまされ、誤魔化され、懐柔させられてしまった人が、親から受け継いだ悪しき在り方や人間関係などに対する考え方を改めずにむやみに進み、大人になったはいいが、しかし心のどこかで納得できず、「完全な統治する神」を想定して外世界に当てはめ、つじつまを合わせて自分の心を納得させた。旧約聖書の「神」の在り様を見ればそれはそのまま脅迫症の親を思い起こします。年齢の低い人やまだ子供をもっていない年齢の人は恐れや囚われなども少なく、「神」を想定したり作り出すことはしないでしょう。大人や、人を押しのけて権威になった人が作り上げるのでしょう。

 もちろん、穏やかな関係を持ち、悪しきサガを受け継がなかった人たちもたくさんいたでしょう。しかし、親からの「こうあれ」などといった条件付けや、幼い頃に受け取ったあらゆる刺激が強い人ほど感覚が麻痺し、他者に強く働きかけても平気になり、実際にそうなります。今の時代も、他者に強く働きかける人にろくな人はいないでしょう。善人であれば、少ない刺激やモノで満足し、謙虚で控えめであり、他者に強く働きかけません。

 失ったものが多い人ほど他者に強く働きかけるのではないでしょうか。そういった人たちが旧約聖書に代表されるような暴力神を作り上げるのは自然の成り行きであると考えられます。


>ミイラにしておけば死後よみがえるなんて、バカげたことがなぜ行われていたのでしょうか。

 宇宙の法則が神であり、それに照らし合わせれば生き返るはずだ と思っていたからでしょう。「宇宙の法則」が 「絶対神による統治」であれば、生き返るかもしれないと思ったのかもしれません。

 今の時代でも「宇宙の法則が神である」と言う人もいます。その真偽はともかく、自分の知らない宇宙の法則などないと考え、独善的であるという点については同じようなもの、でしょうか。

 視野が狭くて偏屈であり、独善的なのか。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%9F%B7% …
 (抜粋)偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア、英: paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。

 「体系立った」がポイントでしょうか・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ヒトが罪のなすりつけ先として神を作ったということですね。
あとは、「偏執病」というのも要因ということですね・・。

なかなか難しいですね。

お礼日時:2010/07/07 09:50

動物から人間に脳が3倍になったのが、何かしらの要因とも考えられます。


自分が創造する人格の完成の姿なのかとも、
 しかし、言葉ではいえないでしょうね。
 創造の脳が関係してるかもしれません。
 まぁ、脳は体同様、使わないと退化するのはわかってます。
 ですから、外的刺激がない状態で、内的刺激を作るために「考える」ということが起こるようです。
 ですから脳科学では「下手な考え、休むに似たる」という古い言葉は、そのとおりだと、研究でわかったそうです。
 仏法では、助ける働きを諸天善神といって、人の行為行動にみることがあるそうです。
 また、あなたも、あなたの周囲も助ける働きをしているので、この相互依存の宇宙の補い合いの働きをみんなときどきやってると思います。
  しかし、安易に他力本願の思想に走って、誰かが幸福を作ってくれるという間違った思想に陥ると危険です。
 大事なことは、人格を高めることで、昔の人は、人間は変化すると思ってましたし、その近道が学問と捉えてました。脳科学からは、それは間違ってないです。
 仏は誰でも修行をすればなれるということが、忘れられてるようですね。
 ですから、お経などは誰でも読むためにあるわけで、またこれがいろいろと分かれてわかりにくくなってますが、真実の教えと仮の教え(衆生を導く)ものとに別れているそうです。
 今は末法時代といわれて、その時代に唱えるものがあるそうです。
 すべては自分の中にあり、自分自身を教えてるのを、正しい宗教だと思います。
 しかし、決して観念で終わるものではないということです。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ヒトが複雑すぎる思考をする頃が可能になった結果ということですね。

お礼日時:2010/07/07 09:48

理論的にうまく説明できませんが、自然崇拝みたいなものとコンプレックスしたんじゃないかと。



今、クリミナルマインドってアメドラ見終わったとこですが、、、
あるエピソード。
ある物理学博士は小さい頃からお友達がいて、彼に助けてもらっていろんな理論を編み出したようなんです。
で、そのお友達のおかげで有名になれたので、すっかり彼のことを信用していたんですね。
そのお友達は彼に身体にマイクロチップが埋め込まれると教えてくれた。
そのせいで常に政府に見張られていると。
だから、それを取り出してもらいたくて物理学者は列車強盗をしたんです。

Dr.リード:「彼は自分の身体にマイクロチップが埋め込まれていると思っている。よくあるキリストの再来と同じ妄想ですね」

(アメリカ政府は国民にマイクロチップを埋め込む計画を確かにしていますが、今はまだ行われていない)

妄想といえば統合失調症。
現代病ではなく恐らく古代からあった病気。
何のために古代からDNAの中に埋め込まれているのか、まだわかっていない。
しかし、この妄想のおかげで愉快な文化が育まれたことは事実。


人間は農耕を発明してから、太陽と密接な関係を持つようになったと思える。
太陽と生命が密接な関係にあると知ったので、太陽を崇拝するようになったと思えます。

太陽の子ホルス。太陽がシンボルマーク。
オシリスとイシスの間に生まれた子で、オシリスといえば死後イシスによりミイラとして復活を遂げた者。
死者の国の王として君臨し死者を裁く者となったという神話がある。

古代エジプトでは十戒にようなものがあり、「私は盗みを行っておりません」とか死後告白し、マアトの羽と釣り合いが取れたらオシリスの住む死者の国に行けると信じられていたようなんですね。

古代の人はラーが死後復活し、自分たちを救ってくれると信じていた。
ラーの再来を望みラーの死後、ラーをミイラにして肉体が滅びて再来できなくならないようにしたようなんです。

古代ではラーのみが復活して人々を救ってくれる だったのですが、何故か伝言ゲームで、イエスが再来したとき、死んだ人が蘇えさせられ、さばかれ、一部はオシリスの住む死者に国じゃなくて、イエスが治める死者の国(天国)に行く ってなったんです。


ってなことを つらつら考えると

1は、生命と太陽は密接に関係してると発見したから。

2は 太陽と生命は密接な関係にあると古代の人も知ってたから。

3は 太陽は一度死に掛けるが又復活すると知ってたから。


北半球じゃ12月頃が冬至でしょ?
冬至あたりって太陽が南半球にかなり行ってて、日照時間が短いですよね。
草木は枯れていて地上の生命がなりをひそめる。
太陽が死にかけると生命も死にかけたようになるが、冬至をすぎると太陽はまた北半球に戻ってくる。
すると地上の植物も蘇ったかのようになる。

これは地球の軸が太陽に対して35度傾いているから起こるわけです。

しかも太陽が地球のまわりをまわっているんじゃなくて、実際は傾いた地球が太陽の周りを365日かかって1周し、その際に北半球が太陽に広く面していた場合が北半球は夏とかになるわけですよね。

まあ そんなこたー どーでもよく、実際冬になると太陽は死んだかのようになるが、3日後にまた上昇して日照時間が長くなりだすので、太陽が復活したとなり、完璧に昼の方が夜より長くなるのが春分点を通過したときだから、春にイースター(復活祭)が行われていたわけです。

この古代の異教の太陽信仰や儀式やシンボル(十字架)を真似てその異教のやり方をしだしたのがキリスト教。
つまりいろいろ宗教ありますが、ほとんど同じ。古代人の太陽崇拝と同じ。

太陽と人間は違う。
そこらがわからず、太陽のことなのに実際にいた人物だと妄想を起こしているわけです。
統合失調症の人は、病識(自分が病気で、実際には存在しないものを存在していると錯覚しているという認識)が 無い。
陽気な統合失調症の場合、気づかれにくい。
社会に適応した統合失調症患者なので。
これが爆発して「俺はイエスの再来じゃ」と言い出さない限り、発病して妄想を起こしていると気づきにくい。


まあ 宇宙人が地球人の一部のDNAにチップを埋め込んだために、一定の確率で発病し、だからずっとそのような妄想を起こす人が古代よりいるってことにした方が愉快で笑えますね。

真剣にそんな種類のことを言いだす人が現れたら笑えないが・・・。
「こいつ 人間の皮をかぶった宇宙人だな 正体現せ!」とか皮をむこうとしたら、私が病院に連れていかれちゃうしね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

太陽の動きと人間を重ねあわせた結果というわけですね。
犬ではそこまでは考えられなくとも、人間ではそこまで妄想してしまうことができたと。

どちらにしても愚かしいことには違いないですね・・・。

お礼日時:2010/07/07 09:46

>ミイラにしておけば死後よみがえるなんて、バカげたことがなぜ行われていたのでしょうか。

死んだものが生き返らないことは犬畜生だって知ってます。

それは、死んだ者でも生返って来るという教育を受けていたからですね。

それは、丁度その反対に、死んだものは生き返らないと言う教育を受けたお陰で、それを信じている人がいるのと同じ理由です。

貴方ご自身の中でも、他の人や他の文化や他の時代から見ると馬鹿げたことをやったり、信じたりしていることがいっぱい在りますよ。でも、それを教育され、信じるようになってしまうとそれに気がつかない。さあ、貴方はどんな馬鹿げたことを行ったり、信じているか、一先ずご自分の外に立って、そして、この現在から離れて観察しながら、それを列挙してみて下さい。意外に、それも結構大切なことで、そう信じていることもいっぱい在りますから。

有名な例では、「日本人は水と安全はただで手に入ると思っている」というのがありますね。

思い付くままに他の例を挙げておきましょう。

先ず卑近な例から。

多分貴方は、お茶碗をちゃぶ台に置いたままご飯を食べるのは見苦しいと思っているかも知れません。でも、お茶碗を手にもって食べる方が見苦しいと言う国もあります。

多分貴方は、物を買う時に一々値切るのは、はしたないことだと考えているかも知れません。しかし、国によっては、値切らないで買う人は馬鹿だと思っている文化もあります。

例えば大学入学などである大学の奨学金の援助に付いての情報が、貴方の行っている高校にわざわざその大学から届いた状況を想像してみて下さい。ところが、そのことに関して高校からのアナウンスが一切無かったら、多分貴方はおかしいと思うかもしれません。でも、アメリカではそんなアナウンスは無く、どんな情報が入っているかを自分から事務所に聞きに行かなければ誰も教えてくれません。

アメリカの多くの人は、国民健康保険制度は貧しい連中が真面目に働いている人からお金を盗む制度だと本気で信じていて、いつまでたっても国民健康保険制度が受け入れられていません。こんなのも教育の結果です。

ある時、フランスでは国政に関することで国民によるストが頻繁に起こるのに、アメリカではそれが殆ど起こらないことに関して、あるアメリカ人が「フランスでは政府が国民を怖れているが、アメリカでは国民が政府を怖れているからだ」と言っていました。この考え方の違いも、教育による結果ですね。

以上の例は、そんなことは誰でも知っていると思っているが、そんなのは教育による洗脳と、単なる習慣の結果、何も考えずに信じるようになったと言う好例ですね。極端な話し、何が美味しいかと言うことだって、洗脳の結果です。

もっと真面目な例では、

多分貴方は、今を大切に、そして自分を大切に生きることが、自分が幸せになる為に大事なことだと思っているかも知れません。でも、それでは人間は誰も仕合せにはなれません。ところが、現在ではテレビでも学校でも自分を大切になんて言われて、そう信じている人が一杯いますね。こんなのは、今の人が、あたかも、死んだ者でも生返って来るという教育を受けているような物ですね。昔は、トコトン自分を滅して人に尽くすこと以外に自分自身が幸せになることはできないということは誰でも知っていました。だから、自分のためとは言わずに、大は世のため、小はこの人と思った人のため、と言ってたんですね。

多分貴方は、自分の夢を叶えることが自分が幸せになれる為の条件だと思っているかも知れません。しかし、自分に何が起こると自分が幸せになれるか分かっている人はこの世にいません。だから、見ようによっては、こんなのは馬鹿馬鹿しいことなのですが、私も含めて、皆さん自分の夢を叶えようと必死になっていますね。なんか、人間の業の深さを感じさせられてしまいますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

『教育されていた』というのが大きいのはわかりました。
でも、その始祖はなぜそう教えるようになったんでしょうね。

私は「自分を大切に」というのはあまり信じていません。
よく「自分を大切に」って言われてはいますけどね。

「夢」ですか・・・。
なかなか難しいですね・・・。

お礼日時:2010/07/07 09:43

一言に「神」と言ってもいろいろとあります。



質問者様は「全知全能の神」が世界に様々いるとお考えのようですが、厳密に言えば「全知全能の神」とはキリスト教などの一神教に於ける「創造主」のみを指すと捉えるべきです。

そしてこの「全知全能の神」以外の「神」というのは、例えば北欧神話などが良い例ですが、能力はともかく極めて人間に近い性質を持っています。
ゼウスなんかはヘラという后がいるにも関わらずしょっちゅう人間の女性にちょっかいを出す始末ですし、神々同士が諍いを起こして死んだりすることもざらです。

さて、「全知全能の神」はさておき、このような神々の中には善い神もいれば、邪神と言われる悪い神も存在するわけです。
少なくとも、まともな神なら生け贄など許容しないと考えるべきでしょう。
したがって、これを要求したり、見返りとして恩恵を与えてくれるような神は、実は邪神であると心得なければならないのですが、そこが人間の愚かしいところなんでしょうね。

神の名のもとの戦争も、人間が勝手に起こしているに過ぎません。
そもそもキリスト教によれば人間は人間を救うために現れた神の子(キリスト)を殺してしまうほどの愚かさの持ち主であるのだから、極端な話、救いようがないわけです。
だから、神は逆にその存在を示しながらもかたちとして存在しないことで、人々の心の救いとなろうとされたのでしょうね。

要するに・・・

・「なぜ神は発明された」
⇒発明されたのではなく、存在していた。
⇒もしくは、存在する何らかに仮に姿を与えて「神」とした。

・「なぜ信仰するようになったのか」
⇒信仰するようになったというか、信仰と神という存在の発見は
⇒セットであると考えるべきでしょう。
⇒存在を「信仰」するから、かたちとして神が発明された、と。

・「ミイラ」
⇒ミイラというのは、死んだ人が「もしも」生き返った時に、
⇒器となる体がないと困るからという発想で作られたのだと記憶しています。
⇒逆に言えば、生き返ってほしくない人のミイラは作られない、と。
⇒生き返るというのがどの範囲のことを指すのかにもよると思います。
⇒器として体が必要なだけで、必ずしも人間として生き返るわけではないのかも知れません。

余談ですが、質問者様の質問はいろんな宗教がごちゃまぜになっていて何とも回答しにくい部分もありますので、そのあたりの整理をもう少しされたほうがご自身での理解もしやすいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

生贄の見返りに恩恵を与えるってのは確かに邪神ですね。
それを崇め奉っていた古来人のなんと愚かしいこと・・・。

この質問では、世界のいろんな神や宗教を対象にしています。
ゴチャ混ぜ・・・というよりもひっくるめて質問いたしました。

お礼日時:2010/07/07 09:40

 こんにちは。



 神はアブラムというひとりの男の身と心に最初に現われたようです。
 その後 アブラハムと名を改めますが かれがその《神のあらわれ》に自信をもっておのれをゆだねるようになったきっかけの一つを 聖書記者は 記しています。

 《主》というのは 面識のないよその人(また 旅の人)に向かって うやまって言っているものです。そのふつうの人間である旅人の内に アブラハムは神を見たという物語です。ですから 話は アブラハムがすでに旅人らを神だと見なしているかたちにおいても 語られています。
 ▲ (旧約聖書 創世記 18:1-15) ~~~~~~
 主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現われた。

 暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。
 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。
  ――お客様、よろしければ、どうか、僕(しもべ)のもとを通り過ぎないで
   ください。
   水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みな
   さってください。
   何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけく
   ださい。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。

 その人たちは言った。
  ――では、お言葉どおりにしましょう。

 アブラハムは急いで天幕に戻り、〔* 妻の〕サラのところに来て言った。
  ――早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。

 アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。
 アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。

 彼らはアブラハムに尋ねた。
  ――あなたの妻のサラはどこにいますか。
  ――はい、天幕の中におります。
 とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。
  ――わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あ
   なたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。
 サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。

 アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。

 主はアブラハムに言われた。
  ――なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずが
   ないと思ったのだ。
   主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻って
   くる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。

 サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。
  ――わたしは笑いませんでした。
 主は言われた。
  ――いや、あなたは確かに笑った。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ このようにして 信仰はひとに与えられたようなのです。理屈抜きです。どうでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど・・・。
旧約聖書では、そうなっているのですね・・・。

旧約聖書に書かれていることが事実かどうかはわかりませんが、では神はどこから来たのでしょうね・・・。
謎です。。。

お礼日時:2010/07/06 21:12

NO.1ですが、補足です。

スミマセン。

他の集団生活をする動物に神は存在しない…ということですが、これは人間が恐怖や苦悩を感じた時に、深く複雑に考える脳の構造をしている動物だから…という理由だと思っています。

単純で申し訳ないですが(>_<;)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かにヒトの脳は複雑で深い思考をすることができます。
動物では神を作らないのではなく作れないのかもしれませんね。

お礼日時:2010/07/06 21:08

まず私は無宗教主義者ですが、宗教から生まれた美術品や言葉は好きな物もあったりします。



けれど、聖戦はとても愚かな戦いだと思っています。

そんな中立(どっちつかず?)な私の意見ではありますが…。


(1)人の頂点に立つ者は人では都合が悪いからではないでしょうか?ある意味、神は王様よりも大統領よりも天皇よりも上に立つ存在ですよね。

必然的に「全能」であらなければ、みんな納得しません。けれど、全能な人間なんてこの世に存在しません。

全てを統べる者は必要だけど、人では都合が悪い…という理由な気がします。


(2)何人かの人間が洞窟の中で迷ってしまったとします。どちらへ進めば良いか分からないし、一般人なので洞窟で迷った時の対処方など知りません。

この人達が感じる恐怖感やストレスは相当なものだと思います。「分からない」という状態が一番怖いのでは無いでしょうか。

その中で誰か1人が「自分は出口を知っている。どうすれば助かるか分かる」と言えば、皆その人に着いて行くと思います。

その状況なら私もそうするかもしれません。
その人が本当に出口を知っているかどうか、私達には確かめようもないことですから。


いわゆる死後の世界も同じようなものではないでしょうか。誰も知りようがなくて、分からなくて怖い。

昔の天災にしろ、自分達の力ではどうしようない…解決法すら分からない事が起こった時、人は「分かる」という者に縋るんだと思います。

ミストという映画が、まさにそんな感じの内容でしたよ。




(3)これに関しては、死を恐れている=死を拒絶している=動物としてある意味、健全な思考な気がします(笑)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分たちがついていくリーダーは、自分たちと同じ「人」では都合が悪い、ということでしょうかね。

将来への不安から何かに頼りたい、それで神が発明されたということでしょうか。

動物は死を恐れるというよりも、子孫を残すために生きるときいたことがあります。
人間は生に執着する習性があるらしいです。
でも、なぜミイラにすることで生き返ると考えたのかが疑問です。

お礼日時:2010/07/06 21:07

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