えた・非人は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったのではないか?


 部落民の起源を考えました。ただし まったくの憶測です。典拠も根拠も何もなく ただあたまにひらめいただけのものです。

 論拠をあとづけするとすれば 一定の単位体としての社会(つまり 国家)の中で 最高位と最低位とを同じ血筋の者が占めるということで それなりの秩序をかたちづくりそれによって体制を維持しようと考えたのではないか です。

 

 もともとは 死のけがれにかかわる仕事に従事するものとして このえた・非人は そういう身分としてつくられた。人にしろ牛馬にしろ屍の処理は 血のけがれとともに 忌み嫌われていたようなのです。ちょうど学校で検便の係に いやで嫌いだと思っている者をつけるように ただし みづからの血筋からそのキヨメ(清め)の作業に 身分として 小さい子どものときにすでに親子の縁を切らせ つけるようにしたのではないか? 

 源氏や平氏が 天皇家から臣籍降下して家筋を成したのと同じようですが ただし名もなく最低の身分に落としめられるかたちである。

 そういう遠きおもんぱかりがあったのではないか?

 それなら たしかに家産国家であると考えられる。領土もそこに住む人も 天皇家の財産であるという特異な社会を築こうとした。のではないか?

 この夢想について ご見解をお示しください。

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A 回答 (43件中1~10件)

歴史を新しい見方で考える というのは興味が湧きます。

このQ/Aも注目しております。質問者の考えを裏付けるには相当な資料が必要と思います。
話の中核に志貴皇子、春日王、浄人王、あるいは桓武天皇の話が展開されています。少し 調べたところ
www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-9280.htm
の第5号に吉田栄治郎氏の『奈良町北郊夙村の由緒の物語』という論考があります。それを読む限り 天皇制の強化のために 最底辺クラスを補強していくという話ではないように思いました。一資料だけですので結論づけるのは問題かもしれませんが。
 人種の特定に科学的手法としてDNA、とりわけ 人種の特定に男子のY染色体、女子のミトコンドリアを調査する方法があるようです(一人の遺伝子は一つのパターンです、例えばある人はD2とかであります。だからある程度母集団が大きくないと信頼性は落ちます)。ご存知のようにY染色体は男系にのみ伝達される遺伝子で同じ遺伝子を持つ人は同一の祖先男子である といえますが まだ生きている人でしか調査できないとか 天皇家系の調査は調査が問題であるとか 結果の解釈が妥当であるかとか 等々 まだまだ発展途上と思われます。ミトコンドリアも同様難しい問題があるようですが 過去の人骨からも採取され得るということ、細胞はどの細胞からでも取れるとか 一歩進んでいるようです。私は DNA人種特定で 先生の裏づけデータをとるというのは かなり無理があるようにおもいます。
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この回答へのお礼

 なるほど。説得的です。夙村の件はよく分かりました。

 オウケイ9608さん ご回答をありがとうございます。

 ★ 吉田栄治郎氏の『奈良町北郊夙村の由緒の物語』
 ☆ ひととおり読みました。ほぼおっしゃるような結論になるようです。
 ★ それを読む限り 天皇制の強化のために 最底辺クラスを補強していくという話ではないように思いました。一資料だけですので結論づけるのは問題かもしれませんが。
 ☆ 言いかえますと 底辺の身分に甘んじて来た人びとは――捻じ曲げたような解釈になるかも知れませんが―― このわれらの最低辺なる身分というものは 雲の上の天子さまのそのくらいを縁の下の力持ちのごとく支えているんだ 取りも直さず 天子さんがえらいのであれば わしらもえらい。こういう見方を持つようになるような居心地なのだ。となるように思いますが いかがでしょう?
 そのような人びとの気持ちの共同性が 社会の一端をになっているとなります。
 そういう内実が 天皇制にはある。ということを 公人は知ろうと知るまいと 指摘を受けたなら 自覚しなければならない。こう考えます。ひとのあり方としてです。つまり そういう身分制(そういう慣習)は 無効だと考えます。憲法にしたがって 政府がそれに対処するべきだと考えます。目に見えないならわしだとしても 違憲状態になっているのではないか。こう考えます。


 一気に 言いたい放題になっただけかも知れませんが そういう帰結にはなると思っています。

 * 奈良つ日子という人物も架空なのか。このうたがいがわづかに残るでしょうか?


 ★ 人種の特定に科学的手法としてDNA、とりわけ 人種の特定に男子のY染色体、女子のミトコンドリアを調査する方法があるようです。・・・
 ☆ あの参照サイト《日本人の起源》 この文章を前にしてなら その内容はなるほどと思いますね。鵜呑みに近いです。そこから先は わたしには分かりません。ひどっちさんももっと詳細をおしえてくれるかと思うのですが。

 ★ 天皇家系の調査は調査が問題であるとか 
 ☆ 古墳の学術調査もままならないようですから。

 ★ 先生の裏づけデータ
 ☆ すみません。《先生》とは誰のことを言うのでしょう?

お礼日時:2010/07/16 00:05

 こんばんは、ご返答いただきましてどうもありがとうございました。

Hidocchiでございます。

> ☆ 応神ホムダワケは 搦め手からも攻めようとしています。近江のほうを回ったり 敦賀(その当時 ツヌガ)の有力者とも同盟を結んだりしています。そのときには 互いに名前を取り換えっこしたと言います。ツヌガのほうは イザサワケと言いますから 応神のほんとうの名は こちらのほうであるかも知れません。ヤマト・ミワの包囲網を確立しようとしています。? そして実際にあたらしいオホキミは 近江で生まれ実家の三国(福井県)で育ったという継体ヲホドが立つことになったとしるします。ミワもカワチもすべて後継ぎが絶えて このヲホドだけが残ったという話です。そうして 応神ホムダワケの五世の孫だという記述になっています。

 愚生は、騎馬民族の侵略と耳にしておりましたので、武力によるものかと勘違いしていたようでございます。

> 江上は 天皇陵を調べれば 天皇氏は韓人の扶余系だという証拠が出ると言っていました。かれは 天皇に御進講にもおよんでいるようです。大嘗祭の儀式が 扶余ないし北方のトゥングース系だという指摘も出ています。うんぬんです。

 おそらく、江上氏の説は当たっているものかと推察しております。以下にその理由の概略を示させていただきます。

「ミトコンドリアのハプログループに注目すると、日本には世界で(主に)日本人にしか見られないM7aというグループがある。これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布をしている」
(Wikipedia 日本人からでございます)

 そして、この日本人特有の"M7a"の分布の詳細は、以下のようになっております。? 下記サイトの”M7aとN0bの地理的勾配”というグラフがございますが、概ね、本州の中心部に多い傾向が見られます。残念ながら、近畿地方の統計は載っておりませんが、おそらく、かなり低い傾向にあると推察されます。つまり、日本人特有の"M7a"が減少し、逆に、別のパターンが多くなっていたかと考えられます。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_ … からでございます)

> 一学年が 550人ほどいてその三分の一ですから そうとう多いでしょ? 団塊の世代のひとつかふたつ前です。?
 そんなにおられたのでしょうか?! 愚生の田舎も多かったですが、それほどではございませんでした。

> たらこ氏については 応答の場を開けておきますが ほとんど取り上げるほどのことではないようですので きちんと判断できたときには 閉めることにしたいと思います。?
 おそらく、女性の真似をしておりますが(Kさんのもの真似?)、実際は、例の”三つ子さん”あたり(男性)のように推察しております。
 愚生が行き届かないところがありまして、誠に申し訳ございませんでした。

> この質問のほうも 一たん閉めとまいりましょうか。もう一二日開けています。

 どうもお疲れ様でございました。またよろしくお願い申し上げます。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ おそらく、江上氏の説は当たっているものかと推察しております。
 ☆ がぜん風向きがあやしくなってまいりました。
 どんなもんでしょう。事実経過として述べますが わたしはPCを扱うようになってインタネットも使うようになった頃から自分の主題についての勉強を再開しましたが それまでの十年間は空白でした。仕事がいそがしくなったこともあるのですが 余暇にもまづ本を開きませんでした。その間に読んだ本と言えば 大野晋の『日本語の形成』です。一万円もしたので 覚えているのです。
 何が言いたいかと言いますと 言語学にしてもそんな程度でしたし 古代日本にしてもその間 研究書を追うという動きが途絶えたということでした。
 
 空白の前に江上説について一応のまとめをしておいたのは 佐原真による批判を受け容れたというかたちにおけるものです。
 (1) なるほど日本では 4世紀から5・6世紀にかけて馬の骨や馬具の考古学上の遺物が出てくる。けれども それは 漸進的な増加であって 騎馬民族がやって来たから増えた ということを裏付けするとは思えない。
 (2) 牛馬にしても去勢の習慣が伝わっていない。人については宦官という制度が中国にあるのに そして韓・朝鮮半島ではこれを採り入れているのに 日本には まづ入って来ていないと考えられる。
 ☆ この二つの理由を捉えていました。
 ・江上波夫・佐原真:『騎馬民族は来た? 来ない?!』1990
 ・佐原真:『騎馬民族は来なかった』1993

 ☆ なお騎馬民族は 300年ごろ筑紫に上陸し 400年ごろヤマト(カワチ)に入ったということですので ちょうど300年ごろから古墳時代に入ります。その前までは弥生時代ですから 渡来弥生人というのは 騎馬民族と同じ系譜であるかも知れないけれど やって来たその人びと自身ではないと考えられます。
 江上は 騎馬民族は その土地に馴化し人びとと同化し 農耕民化さえするとも言っています。融通無碍なようですので――いい意味でもわるい意味でも―― しっかりと取り組んでいかなければならないとは思います。もしそのつもりになったときには 別にその質問を挙げてみたいと思いますが いまのところ何故かまだ気が乗りません。

 ・一学級が50人で十一クラスありましたから。
 ・たらこ氏の正体についての推測をなされているようですね。

 ・騎馬民族説については これまでけっこうわたしはほかの質問において投稿したはずです。


 ◆ (江上・佐原:文化の征服・人の征服) ~~~~
 (佐原) 古墳時代にも とうぜん向こう(半島)から人が渡って来た。ただ 馬具や数々の宝物だけ来ているのだと言うなら ごく少数の人と共に馬に乗る風習も渡って来たと言えるかもしれませんが 土器も来ていますから むしろ私はかなりの人が来たと思います。ただ その人びとが天皇にまでなる人だったかどうかについては疑問ですね。 
  それはだから 明治時代は欧米文化が日本を征服したと言えば言えるというくらいのものでしょう。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というくらいに受け取っていました。そのスメラミコトになるような人びとも来ているかどうか ということになるようです。


 どうもお疲れさまでした。あらたに出発したいと存じます。よろしくどうぞ。

お礼日時:2010/07/20 23:27

 こんばんは、ご返答賜りまして、厚くお礼申し上げます。

Hidocchiでございます。

??> ★ ・・・ですが、「もうそろそろ、同和問題につて、根本的な解決策を打ち立ててもいいのでは?」とも思ったりしております。? ☆ そうですね。そして そうなんですよね。――そして今考えたのですが ひょっとして《解決策はない》もしくは《すでに解決している》というところから出発するのがよいかも知れない。こう思いました。 ?

 発想の逆転と申しましょうか。愚生には気づきませんでした。仰られますように、お示しになられました方向性も非常に有用かと存じます。

?> いまちらっとさらにひらめいたのですが どんどんこの問題は機会あるごとに あぁこれは 同和問題だよねとか口に出し表に出して言い合って行く。それだけで 夢遊病からの目覚めを得て 問題はあるようで何もないのだと分かるようになるかも知れない。?? 

 元来、同和(部落)の方達は、ひとが避けてきた仕事に携わってきたかと思います。現在でしたら、消防士等(命の失う危険性が高い職業でございます)にも多いと耳にしております。何分、田舎は、差別がとても強いところでしたので、大まかではございますが、実情をある程度把握しているつもりでございます。
 そうでございますね。差別の大元の根拠はなく、また(身分の)相続はしない ということを機会があるごとに、確認し合える そして、自然と形骸化させていく そういう必要性があろうかと思われます。
 

> ”侵略説”? 
 ”江上波夫の騎馬民族政征服説”のご説明を賜りまして、厚くお礼申し上げます。

「また、武力で奪取するというシナリオよりも可能性のありうるものだというのではなく この友好〔と暗殺の〕路線しかないというもののようです。」? 
 愚生も、Wikipediaにて少し調べてみたのですが、
「江上は、その勢力が5世紀の初めころに畿内の大阪平野に進出し、そこで数代勢威をふるったとの仮定の上で、従来大和国にいた豪族との合作によって大和朝廷をつくったものであると、持論を展開している」

 つまり、(圧倒的武力を持ってではなく)老獪な(?)路線・方法を用いたものだったのですね。これならば、あり得るかと思われます。

 まお、tarako様の件につきましては、勝手な駄文をつづってしまい、誠に申し訳ございませんでした。愚生も少し様子見したいと思っております。もちろん、ご質問者様の判断で閉じていただきましても、よろしいかと思っております。

 駄文ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 こんばんは ひどっちさん。ご回答をありがとうございます。

 ★ つまり、(圧倒的武力を持ってではなく)老獪な(?)路線・方法を用いたものだったのですね。
 ☆ 応神ホムダワケは 搦め手からも攻めようとしています。近江のほうを回ったり 敦賀(その当時 ツヌガ)の有力者とも同盟を結んだりしています。そのときには 互いに名前を取り換えっこしたと言います。ツヌガのほうは イザサワケと言いますから 応神のほんとうの名は こちらのほうであるかも知れません。ヤマト・ミワの包囲網を確立しようとしています。
 そして実際にあたらしいオホキミは 近江で生まれ実家の三国(福井県)で育ったという継体ヲホドが立つことになったとしるします。ミワもカワチもすべて後継ぎが絶えて このヲホドだけが残ったという話です。そうして 応神ホムダワケの五世の孫だという記述になっています。
 奥の手を使っている。そういう印象です。
 昔からなんですね 寝技と言いますか 政治的手腕は。
 江上は 天皇陵を調べれば 天皇氏は韓人の扶余系だという証拠が出ると言っていました。かれは 天皇に御進講にもおよんでいるようです。大嘗祭の儀式が 扶余ないし北方のトゥングース系だという指摘も出ています。うんぬんです。

 ★ そうでございますね。差別の大元の根拠はなく、また(身分の)相続はしない ということを機会があるごとに、確認し合える そして、自然と形骸化させていく そういう必要性があろうかと思われます。
 ☆ とうぜん専門の組織もあるでしょうから 努力を重ねて来ているのでしょうけれど。
 また別の角度からも取り上げたいとも思っております。

 ★ 現在でしたら、消防士等(命の失う危険性が高い職業でございます)にも多いと耳にしております。
 ☆ その仕事には差別されないというよりは このような仕事へと差別され追いやられているのでしょうか。消防士は知りませんでした。
 その昔 中学生のころそのひとつの村がみなそうであるところへ 夏祭りに呼んでもらって行きました。一部に二三人 たしかに猜疑心を隠さない人たちも じつは いました。感じました。でもそのほかの友だちやその友だちらは わたしよりも底抜けに明るかったです。終電車に乗り遅れて 泊めてもらったりしました。(一学年が 550人ほどいてその三分の一ですから そうとう多いでしょ? 団塊の世代のひとつかふたつ前です)。

 たらこ氏については 応答の場を開けておきますが ほとんど取り上げるほどのことではないようですので きちんと判断できたときには 閉めることにしたいと思います。
 この質問のほうも 一たん閉めとまいりましょうか。もう一二日開けています。

お礼日時:2010/07/19 22:36

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiでございます。

> そう言えば 前方後円墳と言えば ふるさとではなくても ひどっちさんは なじみがふかいでしょうか? とてつもないのが ふたつ並んでいるのでしょう?

 仰るとおりでございます(笑)。自宅から一番近いのは、ニ○○○○古墳でございます(墳丘長288mと、S市で3番目に大きい古墳だとのことです)。

 ok9608様のご指摘にもございましたが、これらのDNA分析の知見は“有力説” に過ぎません(つまり、定説ではございません。“ほぼ定説”になっているものもございますが)。ただ単純に、各世界各国(地域)の“系統分布”が分かるというものに過ぎないかと考えています。
 ただ、少なくとも青銅器時代の日本人と韓国人は、それなりにうまくやっていたかと考えております。つまり、”侵略説”を否定致したく存じます。
 なお、DNA多型分析による親子間の判定精度は、99.999%以上と言われています。従いまして、原理的には、一代ずつ遡って調べていけば、直系か否かの区別は可能かと考えられます(あくまで、理論上の話でございます。因みに、約100代前の欽明天皇との一致度は0.99999^100 ≒99%となります )。もちろん、かような調査には、宮内庁の許可はおりないと思われます。
 なお、mtDNA等につきましては、Wikipediaにも、ほぼ同様の記載が見られます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% … 「分子人類学による説明」からでございます。

 西部邁氏のお話がでてきておりましたが、ご心証を害するサイトを添付してしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。別段、西部氏とは、個人的な関係は全くございませんので、この旨ご了承いただければ幸いでございます。どちらかと申しますと、経済学者の竹中平蔵氏とは、同郷ということもあり、関係があるやもしれません(氏は、小学校から学位をとったところまで、大学を除けば、愚生の先輩にあたります。もちろん、血縁関係にはございませんが)。そこで、“竹中平蔵”でGoogle検索しますと、409,000件、それに“同和”くっつけますと、255,000件ヒットします。氏の実家の履物屋も知っておりますが(今はもう閉めており、昔の面影は全くございませんが)、少なくとも、その場所は“同和地区”ではございません。ですが、こんなにも、ヒットするのです(真偽すらわかりませんし、もし正しいとしましても、このような情報をどこから入手したのかは全く不明でございます)。

 これは、愚見ではございますが、天皇と天皇の子孫が部落民であったとしますと(決定的な証拠は未だみつかってはおりませんが)、皇室と部落民との婚姻が成就すれば、もしかしますと、差別がある程度はなくなるかもしれないのでは? と思っております。確かに、副作用も幾分は発生するかもしれませんし、これで根本的な“差別”がなくなるとは思われません。ですが、「もうそろそろ、同和問題につて、根本的な解決策を打ち立ててもいいのでは?」とも思ったりしております。

 愚生も少し感情的な発言となってしまいまして、深くお詫び申し上げます。

 もしよろしければ、ご意見等賜れば、幸甚に存じます。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 そうですね。わたしは山の辺の道と飛鳥に行った程度で 古墳もほとんどそれとして見ていません。いづれにしましても 学術調査が入るようになるとよいと思っています。

 ★ 分子人類学
 ☆ いづれにしましても 精度があがるとよいと思います。期待します。

 ★ 西部邁
 ☆ 朝まで生テレビで昔からその主張は知っています。見解は対立しますが 話し合えると思っています。見解の対立や批判は とうといものと思っています。
 わたしの反応は 髪を振り乱しての絶叫調になるやも知れませんが。竹中平蔵も 同じような位置関係のように思えます。それぞれ思想は違うでしょうが。

 ★ ・・・ですが、「もうそろそろ、同和問題につて、根本的な解決策を打ち立ててもいいのでは?」とも思ったりしております。
 ☆ そうですね。そして そうなんですよね。――そして今考えたのですが ひょっとして《解決策はない》もしくは《すでに解決している》というところから出発するのがよいかも知れない。こう思いました。 
 つまり そのことは取りも直さず 問題は何もない。ないのに 人びとは 夢遊病のごとくにその言葉や観念に対して反応している。それだけなのだ。というようにです。
 ですから ひょっとすると――つまりいま考えたことですので そこのところを大目に見ていただかないとなりませんが―― 提案された《皇室と部落民との婚姻》ですとかも 〔なるほどと思ったそのあと思い浮かんだ考えによるとしますと〕 ただそうしなくてもよいところを条件反射のごとくに反応していることになる。のではないか? こんな――全否定のような反応ですが――思いも浮かびました。

 ですから いまちらっとさらにひらめいたのですが どんどんこの問題は機会あるごとに あぁこれは 同和問題だよねとか口に出し表に出して言い合って行く。それだけで 夢遊病からの目覚めを得て 問題はあるようで何もないのだと分かるようになるかも知れない。

 たとえば輪廻転生。これは 文学としてはおもしろいかも知れませんが 哲学としては 最低です。まぁ せいぜいが あきらめの美学です。これは これも 観念なのです。根拠はないはずです。だから感染しやすいとも言えるのでしょうが ことあるごとに あぁ それは 輪廻転生の共同観念だよねと言い合っていけばよいのではないか。すべて口に出し表に出して行けば それだけでも ずいぶん違うようになるのではないか。

 促されて こんなことを思いました。ご批判をたまわればさいわいです。

 ★ ”侵略説”
 ☆ 仮りにもし江上波夫の騎馬民族政征服説を指して言っておられるとすれば それについて次のようであることは 念頭に置いておくのがよいと考えます。
 すなわち 西暦300年頃 扶余の王族が まづ対馬海峡を渡って北九州に上陸した。そこでそれなりの体制をつくり力を蓄え 遠くのヤマト国の奪取をもくろむ。それに三代百年をかけた。したがって 400年ごろ応神ホムダワケのときに――母の神功オキナガタラシヒメとともに―― 東上する。(これが のち記紀神話において 神武東征の物語になったか)。
 ヤマトでは 婚姻政策という道におちつく。ヤマトのミワ政権から仁徳オホサザキを自分たちのカワチに呼び込んだ。そして この全国制覇大作戦もさらに百年をかけた。やがて 500年になろうとするころ 雄略ワカタケルは 決起する。邪魔者は消す。ミワ政権を乗っ取り全国に覇をとなえんとする。
 ミワおよびカワチの家系を ただひとりひそかにミクニ(福井県)で育てさせたわが息子継体ヲホドを除いてみな一人残らず絶やした。
 継体ヲホドの擁立もたやすくは行かなかった。二十年をかけてやっとヤマシロなどの地を経てヤマトに入ることができた。さらにその後も その子の世代にも両系譜のあらそいが絶えなかったが 欽明天皇のあたりでひとまづ安定を見た。
 ――いくつかわたしの推測を交えていますが たとえば江上の言う征服というのは こういう経過をたどっているし それは 武力で奪取するというシナリオよりも可能性のありうるものだというのではなく この友好〔と暗殺の〕路線しかないというもののようです。
 というのも参考になるかと思いました。

お礼日時:2010/07/17 00:42

質問者の『このわれらの最低辺なる身分というものは 雲の上の天子さまのそのくらいを縁の下の力持ちのごとく支えているんだ 取りも直さず 天子さんがえらいのであれば わしらもえらい。

こういう見方を持つようになるような居心地なのだ。となるように思いますが いかがでしょう?』のご指摘は その通りだ
と思います。家系図が天皇家に繋がっているという話は 全国にかなりあると思います。あるいは今も同様の考えは根強く残っているようです。 だから 質問者は このような 民衆の風土をどう考えるか、重たい問題としてとりあげ 答えを出しておられると推察いたします。理解できます。
しかし、一方では 日本が始まって以来天皇は えらい えらい人だ ということで 今日にいたり 象徴天皇として認められております。これは 歴史を貫いているのです。が、問題あるので 象徴天皇としてみとめることを再確認すべし という議論があります。この議論は ここでは 質問から かなりはずれますので 深入りは しません が 私の意見は 象徴天皇として再確認すべしです。
また DNA分析云々の中で『先生』とは ひどっちさんとか DNAで部落起源を追求している人を意味しています。私は 別件から 以前 皇室関係者(男性)にY染色体の分析が有用なものであるか 問うたことがありましたが 丁重なお断りを頂きました。決定的なだけに天皇陵発掘よりむつかしいかもわかりません。
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この回答へのお礼

 オウケイ9608さん こんにちは。あたたかいご回答をいただきありがとうございます。

 ★ 私の意見は 象徴天皇として再確認すべしです。
 ☆ その点は 次の質問にて問うています。よろしかったら どうぞ。
 【Q:果たして《天皇》は何なのか?】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5622791.html
 ☆ 国王や大統領と同じ位置づけになるであろうと。積極的にではなくても 言うとすれば元首であると。

 ★ 私は 別件から 以前 皇室関係者(男性)にY染色体の分析が有用なものであるか 問うたことがありましたが 丁重なお断りを頂きました。決定的なだけに天皇陵発掘よりむつかしいかもわかりません。
 ☆ そうでしたか。わたしは ただ思弁的に考えているだけなのですが。

 ★ DNA 分析云々の中で『先生』とは ひどっちさんとか DNAで部落起源を追求している人を意味しています。
 ☆ あぁ でしたら ひどっちさんは 答えてくれると思います。

 ★ 家系図が天皇家に繋がっているという話は 全国にかなりあると思います。
 ☆ まづ 未練として言いますと 天皇家からも (1) 双子が生まれ一方を捨てるということがあると思いますし (2) レプラなどの病気に罹るということもないとも限らない。それらの扱いがどうであったか。ここにわづかに未練を残します。
 これを払って考えるとすれば けっきょく天皇家もしくは藤原家など外戚となって政治に当たる者たちの考えとしては 一般の市民をなめてかかっているということになるようです。つまり 貴種も底辺に追いやられることがあるのだといった思いを人びとにわざわざ抱かせなくても じゅうぶん統治することはできると思っていることになる。こう思われてなりません。

 いえ それもこれも 西部邁の思想を解説するサイトで 明治天皇の場合には 国民一人ひとりにその《所を得させる》ことを旨とすると言っているということを紹介していましたから わたしはこれに引きつられたかも分かりません。
 ◆  (人権思想のお国ぶり) ~~~~~~~~~~~
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog …
 ■9.相互的個人主義に立った日本流人権思想を■

 近代に至っては、たとえば明治元年に出された「国威宣布ノ
宸翰」に、「天下億兆一人も其所を得ざるときは皆朕が罪なれ
ば」(国民の一人でもその所を得ないような事があれば、それ
は天皇である私の罪であるから)という言葉がある。「所を得
る」とは、家庭、職場、地域などの社会のネットワークの中で、
一人一人がかけがえのない存在となり、その役割を通じて自己
実現を図る、という理想である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ たしかに 新しい《平民》になったことはなったのでしたけれど。

 これだけ人びとは その非戦論の腹の底をみすかされて いいようになぶられていて 何も起きないというのは ないのではないかと思ってしまいます。絶望も憤怒もわたしは 一度ならずその極に達しさせましたので 今は何もしない闘いになっているのですが この情況は そばが延びきったというどころではないように思えてきました。
 つまり 質問趣旨のように天皇の子どもを非人の身分につけたといったことがおこなわれていれば また行なわれたゆえに 世の中はこれでもおだやかなのだと思うようになっていたのです。

 いやぁ すみません。愚痴でした。
 またお考えをお聞かせください。

お礼日時:2010/07/16 16:09

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiでございます。

 この度、Kyra1998様 愚生の引用サイトにおけます詳細情報をご教示いただきまして、厚くお礼申し上げます。

> ご回答・ご指導をありがとうございます。

 愚生は、そんな、大人物でもなければ、またたいそうなことはしてはおりませんので、ご遠慮なく、ご意見くださいませ。

> ( A ) ◆ 部落問題・人権辞典:賎民

 以下、要点をまとめていただきまして、厚くお礼申し上げます。

> ☆ 非戦論の民たちでしょうか。? ■ 我々が住むこの日本列島は、本来食料資源が豊かで、住んでいる人々も平和を愛する、世界に誇り得る地域であることを再認識したいと思う。

 また一方では、前方後円墳も、韓国でもみつかっているようでございます。「当時の先進文化は韓国から日本に渡ったものであり前方後円墳もその一つであるという認識が80年代の韓国にはあったが、それは間違いであり、韓国の前方後円墳は5~6世紀に日本から韓国に伝わったものであると指摘している」と ございます。つまり、これらの知見も“非戦民”であることを示しているかと考えられえます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9% … 「朝鮮半島南部の前方後円墳」からでございます)

> 《種族にとって特徴とする亜型が複数に及んだりする場合》には むつかしいでしょうか。あるいは 資料の数が 判断をなすために有意かどうかも なお絡むでしょうか。
南インドのタミル人は来ていないとも考えられてきますが?・・・

 まず、複数に及ぶときは、確かに困難かと予想されます。また、必然的に、試料の数も問題になってくるかと考えられます。
 なお、C系統はシベリアにも高い集積地があることから、日本へのC系統の由来はシベリアの可能性が高いと思われます(C系統は“海”と“陸”の2つの経路を採ったとされております)。

> ☆ ということは この《三大グループ》以外の《その他の亜型》が何であるのか 気になりますね。

「Y染色体はAからRまでの18の大分類とその下位グループとして、153の亜型が登録された。(今後その数は急速に増えると予想されている。)」との文章がございます。
 そして、その下の背景がブルーの図には、“枝分れの系統図”が載せられております(一般に、Y染色体は、抽出が困難でございます。抽出・解析技術の向上により、さらに亜型が見つかっていくかもしれません。例えば、ネアンデルタール人のmtDNAの解析はできているようでございますが、Y染色体では現時点では不可能のようです)。
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012 … からの「Y染色体亜型の分岐時期と世界的拡散」の箇所でございます。)

> (12) あるいは 黒田俊雄によると 主従の人格的関係から抜け出そうとしてみづから非人に落ちた。主従の関係を切るのは 人で無し? 薄情? 身分というつながり――それが むしろ反人間的な すでに 疎外状態――をその外に出ようと言う。乞食をしてでも。美学?

 太宰の「人間失格」のような一種の美学(?)もあったかとも思われます。

> あるいは 前項で 前科者や罹患者を もしも前世の因果が報いたものだと言うなら それは 狂人だとわたしは思う。

 意見を等しく致します。確かに、昔はDNAの存在を知らなかったかもしれませんが、こんなことを言い出してしまいますと……

 ご参考になれば、幸いでございます。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 今回は ていねいに受け止めてまとめていただいたと思います。
 で 特別 反応することがなくなりました。

 分子人類学が さらに DNA についてどこまで明らかにするかも見ものですね。

 韓国の学者は まだむつかしい位置にいるのかも知れません。自国の有利にならないことは 発表しがたいところがあるかも知れません。

  ( A ) ◆ 部落問題・人権辞典:賎民
 ☆ この解説の文章について行間をうめる作業があると思います。
 いまは 天皇の子どものかかわりを問い求めていますが 一般的な言い方をすれば ほかの韓国や中国あるいはインドにおけるそれぞれの賎民の事情と 日本のそれとはどう違うか ここにあるかと思います。

 ★ “非戦民”
 ☆ これの事例をさらに知っておくとよいかも知れないと思いました。

 そう言えば 前方後円墳と言えば ふるさとではなくても ひどっちさんは なじみがふかいでしょうか? とてつもないのが ふたつ並んでいるのでしょう?

 中休みか踊り場になるかと思います。

お礼日時:2010/07/15 22:46

 ANo.34のHidocchiさんの

http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/k … の筆者などが分りませんでしたので、勝手に検索してみました。
 http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/kiyou_00 … に行き当たりました。
 この研究所はhttp://www.bll.gr.jp/links.htmlにものっていました。
 この機関には私も若い頃出張(1970年代前半)でお世話に為りました。
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この回答へのお礼

 そりゃようございました。

 ○ 社団法人・部落解放・人権研究所
 Buraku Liberation & Human Rights Research Institute

 ☆ 役員の中の顧問に 上田正昭の名を見つけました。日本古代史のわたしの師匠です。むろん 私淑です。

 研究論文がいろいろ見られるようです。

お礼日時:2010/07/15 09:49

 ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiでございます。

> ☆ というこの一つのタイプから 一人のヒトが成っているという意味ではなく すべてのタイプを一人が持ち その頻度もしくは割合の分布が 地域もしくは民族によって特徴があるということでいいのでしょうか?

 仰られますように、“これらすべてのタイプを一人が持ち その頻度もしくは割合の分布が 地域もしくは民族によって特徴がある”ということでございます。

> ☆ 韓人によって日本人がスペイン人の征服のあった中南米のごとくには征服されたのではないとしても――わたしには思われるのですが―― 日本人の頻度分析のものとそして韓人のそれを示すものとが 両方とも 現われてもよいと思うのです。

 以下のサイトにもございますが、“O3亜型”は、“金属器時代以降”との記載がございます(背景が青色の表でございます)。これがおそらく、韓国由来のものと考えられます(本州人(159人の“平均”)の約23%を占めます)。つまり、それ以前の日本人と紀元後の韓国人との交わりはあったと考えられます。一方、その上にございます「日本列島におけるY染色体亜型の頻度」の図がございますが、国内におきましては(アイヌは除きますが)、ほとんど均一となっております。従いまして、意外とこのパターン(D2が主体で、O2bそしてO3が混ざっている)が日本人内では、均一化しているように推察されます。

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_ … 「日本列島に流入した多様な文化とそのルーツ」からの図をご参照くださいませ)

> ☆ いま唐突に言いかえると たとえば南インドからやって来たタミル人の染色体の影響が 仮りになくても そのことが タミル人が日本に来ていないという結論を導くことはできない。こう言えるかに思われます。

 「染色体の影響が仮りになくても、タミル人が日本に来ていないと断定することは不可能」と考えられます。

> ★ “部落の起源論争

 ただ、近畿圏内に多いということ、また“和太鼓・鼓(動物の皮を用いて作られます)”は雅楽には必要な楽器であったこと等から、天皇とは関係があったものと推察しております。雅楽の歴史でございますが、「天平勝宝四年の東大寺の大仏開眼法要の際には雅楽や伎楽が壮大に演じられるなどこの頃までは大規模な演奏形態がとられていた。」とのことですから、以外に古くから存在しているものかと察せられます(下記サイトをご参照くださいませ)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E6%A5%BD

> ☆ というように 公式の制度には現われないところで 慣習法として決められたかも知れない。

「五色の賎は、令制の崩壊とともに解放されますが、平安以降高まる触穢思想や種姓観念のために、代わって「非人〔ひにん〕」などの中世賎民身分が形成されます。」
 いわゆる賎民の子孫がそのまま(系譜的に)「非人」なったとは断定できませんが、イデオロギー的(慣習的に)に、かような身分制度を生んでしまったかと考えています。
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/e_taihoy … 「五色の賎」からでございます)

> ケガレにかかわる職業を必要とし これをもの忌みの対象とすることが どこから・いつから 現われたか。

 おそらく、宗教的(仏教・神教的)観点が強いと考えられます。以下のサイトをご参照くださいませ。

http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%EC … 

> アイヌの人たちとの関係-言語として違う点をはっきりさせておくのがよいかと思います。

 承知致しました。

“9” と “10”は、後日ご返答できれば と思っております。

 ご参考になれば、幸いでございます。

この回答への補足

 ( A ) ◆ 部落問題・人権辞典:賎民
  ○ (社)部落解放・人権研究所
  http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%EC …
 ☆ これは ヰキぺをしのぐ骨太な説明であるように思います。ただし びっしり中身が詰まっているので それらをくわしく捉えなければならない。

 ( B ) ■ ミトコンドリア& Y 染色体による人類のその誕生以来の世界における移動情況の検証
  ○ 日本人の起源
   http://www.geocities.jp/ikoh12/index.html
 ☆ この DNA による検証というのは おっそろしいものですね。全人類の有史以来の行動軌跡が分かる!!

 さすが 科学者でいられる。方法論から無駄がなく着実。隔世の感ありです。
 ひどっちさん お早うございます。ご回答・ご指導をありがとうございます。

 ★ このパターン( 〔 Y 染色体の亜型として〕D2 が主体で、O2b そして O3 が混ざっている)が日本人内では、均一化しているように推察されます。
 ☆ (1) けっきょくひとりのヒトにおける亜型の頻度は その特定の亜型を特徴とする種族(?)が一定の社会においてどの割合で分布しているかをほぼ表わすとも言えそうなのですね。《種族にとって特徴とする亜型が複数に及んだりする場合》には むつかしいでしょうか。
 あるいは 資料の数が 判断をなすために有意かどうかも なお絡むでしょうか。
 とすると 南インドのタミル人は来ていないとも考えられてきますが?・・・

 (2) ★ 〔亜型として〕O2b そして O3 が混ざっている
 ☆ これが 韓人の系譜がちゃんと入っていることを示すのですね。ちなみに アイヌには この O 系統は入っていない。縄文とそれ以前に来た人びとであることを表わすと。

 (3) しかもほかに D2 の亜型を残していて これが縄文以来の日本人の系譜を示す。
 ■ (崎谷満) 大陸の混乱で難民化した人々が、日本列島に渡来したことでDNAの多様化が進む一方、渡来人も先住の人々も共に平和共存の道を選んだため、多様なDNA集団が列島に残ることになった。
 ☆ 非戦論の民たちでしょうか。
 ■ 我々が住むこの日本列島は、本来食料資源が豊かで、住んでいる人々も平和を愛する、世界に誇り得る地域であることを再認識したいと思う。

 (4) すなわち 
 ■ ~~~~~~~~~~~~~~
 日本列島に現在居住するヒト集団のY染色体亜型は、C系統、D系統、O系統の3大グループでほとんどを占める。
 たとえば、ヨーロッパ地域は、極めてDNAの多様性の高い地域であるが、それでも出アフリカ3大グループのうち、二系統しか見られない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということは この《三大グループ》以外の《その他の亜型》が何であるのか 気になりますね。

 この《日本人の起源》 大部ですのでゆっくりと読んでみます。

 ◆ 世界における賎民・差別の問題
 ☆ (5) ヨーロッパは 阿部謹也によれば 現在では 難民として入って来た人びとおよびロマ(ジプシー)と呼ばれる人びとに対する問題を残すのみだと。
 
 (6) インドは 極めて多くの人びとが根深く差別を受け続けている。けれども 極端に言ってそれは もはや慣性の法則によるのみである。何が障害になっていると言って 特にないのではないだろうか?

 (7) 中国における特徴としては 賎民を規定していても 屠殺や食肉業・皮革業に従事する者を 不殺生戒にもとづく不浄観によって差別してはいないと言います。世の中には身分というものがある。その身分を明らかにするといったかたちが基調なのだと。現在はない。

 (8) 朝鮮では 犯罪者などとして非人格的存在と見なされた賎民と 屠者・芸能人(妓生)など職業によってそう見なされた賎民とがある。そこでは 身分解放を求めて反乱を起こしたとある。それが――日本にくらべて―― 特徴だと思われる。

 (9) さて日本ですが 古代・中世・近代とそれぞれが専門家によって解説されています。
 必ずしもしっかりと把握したわけではありません。精髄が簡潔にしるされているのだと思います。

 (10) 古代の《五色の賎》という賎民の規定 これは まづは中央集権制の古代国家がととのった段階で中国の律令制を見倣ったという程度なのではないか。いづれにしても法制としてはくずれた。《官司に属する農民と化していく》とさえされている。

補足日時:2010/07/15 11:34
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この回答へのお礼

 (11) 中世。観念の共同(あるいは 共同幻想?)として賎民視は つづく。貴賎という身分制の観念と 職業にまつわる賎視と。ケガレという観念は それ以前の昔からつづくならわし。
 その視点のひとつとして 仏教にもとづく《異類異形》視。たとえば 刑期を終えた者である《放免》や レプラなどの病者を非人と見る。
 ★ いわゆる賎民の子孫がそのまま(系譜的に)「非人」となったとは断定できませんが、イデオロギー的(慣習的に)に、かような身分制度を生んでしまったかと考えています。
 ★ おそらく、宗教的(仏教・神教的)観点が強いと考えられます。


 (12) あるいは 黒田俊雄によると 主従の人格的関係から抜け出そうとしてみづから非人に落ちた。主従の関係を切るのは 人で無し? 薄情? 身分というつながり――それが むしろ反人間的な すでに 疎外状態――をその外に出ようと言う。乞食をしてでも。美学?
 《明恵上人などのように異端的な僧侶の中には 非人を自称する者もいた》とか。むしろそれが 正統かも知れない。身分制にあぐらを掻いている坊主が 異端である。
 あるいは 前項で 前科者や罹患者を もしも前世の因果が報いたものだと言うなら それは 狂人だとわたしは思う。 DNA が人びとのあいだで共通して継がれていくとは言え 一人の人間が 同じかたちの DNA で生まれ変わることはありえないのでは?

 (13) ケガレに対してそれをキヨメる。掃き清める。そして 芸能もキヨメである。
 ワザヲキ(業招き):神々のワザを招くために歌い舞い演奏する。俳優。
 アメノウズメがそのワザをおこなっているとき 見ている人たちは笑った。ヲキ(招き)→ヲカシ:おかしい(可笑しい)。ユク(行)→ユカシ:ゆかしい(床しい)。その人の仕草を見てわたしの心にそのもとへ寄って行きたい気持ちが起きるユカシさ。神々のわざを招き寄せたいヲカシさ。わたしの心にもそのワザヲキのしわざを招き寄せたい気持ちが起きるヲカシさ。
 ★ また“和太鼓・鼓(動物の皮を用いて作られます)”は雅楽には必要な楽器であったこと等から、天皇とは関係があったものと推察しております。
 ☆ 現代では 毎日テレビでは ワザヲキたちによるキヨメのための番組がいとなまれているというべきか。

 (14) 近世。江戸時代。江戸では 取締りの役がきちんと決められ その一元的な管理のもとにさまざまな賎民が置かれた。そして一部には その管理を逃れようとしていた者もいた。
 職能人・芸能人のあらゆる人びとが配下に入った。警察の仕事にも使われた。参照サイトではその職種がずらーっと連ねられています。
 近世についても 未解明の部分が多いのだとか。


 この主題じたいがその解決にむろん長いときを見ておかねばならない課題を持っているわけですが このいまの質問としまして いま少しいろんなくわしい情報を集め交通整理したいと思います。
 そしてみなさんに対しても なにぶん素人ですのであやまちのご指摘や批判のほうをよろしくお願いしたいと思います。

お礼日時:2010/07/15 12:43

 ANo.33


 素晴らしい着想で、ともに考え自己のものとしたくて参加したのですが、何もお役に立つことができませんで申し訳ありませんでした。
 rupapo氏や木胡桃さん、多数のご回答もあると存じますので、無学の私は草葉の陰で見守ります。
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この回答へのお礼

 るぱぽ氏とは 大筋で同じ見解のようですが その歴史的な背景についての解釈は だいぶん異なっているようです。
 木胡桃さんの見解は わたしは 使えない。と思います。歴史学の研究成果を含みますが その活用の仕方は 必ずしもわれわれがついて行っていいものかどうかがはっきりしません。また 歴史学からは離れた文学の世界において表現されたものをも まったく同じ歴史観の中に採り入れています。たとえ仕分けしたとしても まだまだなるほどと合点の行く状態での見方にはなっていないと考えます。よく言っても玉石混交である。こう見ます。

 ぢゃあ わたしのいた草葉の陰をおゆづりしましょう。

お礼日時:2010/07/14 18:03

 こんばんは、お世話になっております。

Hidocchiでございます。

 まず、被差別地域分布でございますが、以下の資料が見つかりました。戦後すぐの資料ですので、古さは否めませんが、現在でもある程度はその傾向が窺えるかと存じます
 この資料からも、もちろん、近畿地方に多く見受けられます。また他では、四国、中国地方、そして九州では、特に福岡の多さが目立ちます。もしかしますと、邪馬台国の時代まで遡るのかもしれません(残念ながら、推測の域を出ておりません)。
http://blhrri.org/info/book_guide/kiyou/ronbun/k … の最後から3ページの資料Aをご参照くださいませ。)

 一方では、“部落の起源論争”なるものがあるようでございます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD% …

 おそらく、“中世”までは、遡れることはほぼ確かかと考えられます。ですが、“異民族起源説”、“異人種起源説”には、意見を異に致します。

 一般に、“分子人類学”の観点から、以下のように説明されております(完全には未だ解明はされておりませんが)。
(1)ミトコンドリアDNA(mtDNA)
特徴:母性遺伝しかしないこと(父親のmtDNAは次世代には全く関与しません)
 そこで、日本と韓国のmtDNAの亜型にみられる頻度分析からは、ほとんどその違いは見られません(M7a というタイプは、基層人(縄文人)を代表するタイプであるとの(有力)説があります)。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_ … の一番下の図からでございます)

(2)Y染色体
特徴:mtDNAとは異なり、父性遺伝しかしないこと(父親からその男の子に継がれるだけです)
なお、D系統(別名YAP)は縄文人(古モンゴロイド)特有の形質だとされています。

 そこで、日本と韓国人のY染色体亜型分析の比較結果を以下のサイトに示しております。
http://kuroneko.blogdns.net/HP/aicient-Japanese/ … 「Y染色体から見た日本人 (日経サイエンス2007年6月号より) からでございます」

 この結果、日本と韓国人では、Y染色体の分析結果からでは、あまり似ていないことが分かります。そこでこの結果をいかに考えるかなのですが、ラテンアメリカの例を挙げますと、現在のラテンアメリカ諸国は16世紀以降スペインやポルトガルに征服(侵略)されました。やってきたのは主に男性(兵士)です。その結果、ラテンアメリカ諸国では白人系のY染色体が多いのに対し、mtDNAなどでは白人由来は少なく、先住民のものが多くなっています。
 ですが、日本では、上記ラテンアメリカの例とは逆のパターンとなっているのです。つまり、日本では、mtDNAの韓国由来のものがほとんどなく、逆にY染色体の影響は限られたものとなっています(世界ではただ日本にしか現存していないD2(YAP)系統が主でございます)。
 つまり、韓国では、女性兵士が日本に侵略してきたのか、それとも、夫婦揃って、韓国から来たのか のいずれかとなります。前者は考えにくいので、おそらく、後者かと考えられます。つまり、多少のドタバタはあったかもしれませんが、韓国からの侵略的要素はほとんど存在せず、案外、うまくやっていたのではないかと推察されます。つまり、恐らく、“異民族起源説”、“異人種起源説”には問題があると考えております。

 お役に立つところがございましたら、幸いでございます。

この回答への補足

 さすが科学者 事実としての資料からの検証を一歩一歩すすめるというところ これまでのやり取りにはとぼしかったのでした。こんにちは ひどっちさん。ご回答をありがとうございます。

 こうなりますと 質問は 日本人とはどういう人間類型か?や 日本社会とはどういう成り立ちであるか?を基本的には扱っていますので ひとつには 
 ○ 大野晋の《タミル人(タミル語)の到来による日本語および弥生時代の形成》なる仮説は どこまで史実か?
 ☆ というふうに特定して検証するという作業――つまりほかにも主題を特定した質問――が必要になるかも知れません。
 いまはこの質問ですすめますが その仮説は 一方で言語の視点からは ほとんど反証の為し得ないほどの妥当性を持つとわたしは考えます。ほかの側面として たとえば血筋としてつながるかどうかや どうやってインド南部からやって来たかなどの問題があります。
 縄文時代を弥生時代として切り拓いたのは 水田稲作に鉄の使用 また 機織りがあったと言われます。それらの日本語が タミル語と対応しているというのが 大野説ですが それはいま措いて そのように大きな変革があって それには当然のごとく これらの文明が 人とともに 入って来たであろうと推測されます。
 けれども 考古学からも そして 分子人類学でしょうか それによる検証としても そのような時代を画する内容が知られるということのようです。
 ミトコンドリアおよび Y 染色体 ですか。
 昔も 科学的な方法がもちろん用いられています。たとえば頭骨の長さうんぬんはもちろんですが 考古学のほかにも 人種や民族の区別として 蒙古斑・指紋・血液型あるいは近くは B 型肝炎ヰルスの分布でしたかによる方法などがありました。最近年(十年か十五年)わたしは おろそかにしていました。そのつけが回って来たようです。

 ですが いまはまだ そのような科学の成果に挑戦するような心構えでなお問うてまいりましょう。
 まづ小学生の質問からです。
 (1) 《 mtDNA の亜型にみられる頻度分析》は 一人のヒトの中に見られるということですね?
 ★ M7a というタイプは、基層人(縄文人)を代表するタイプであるとの(有力)説があります。
 ☆ というこの一つのタイプから 一人のヒトが成っているという意味ではなく すべてのタイプを一人が持ち その頻度もしくは割合の分布が 地域もしくは民族によって特徴があるということでいいのでしょうか?
 (2) ミトコンドリアに関しては 朝鮮半島から男女ともにやって来たことを物語ると見られますが Y 染色体については まだよく分かりません。
 ★ この結果、日本と韓国人では、Y染色体の分析結果からでは、あまり似ていないことが分かります。そこでこの結果をいかに考えるかなのですが、
 ☆ 韓人によって日本人がスペイン人の征服のあった中南米のごとくには征服されたのではないとしても――わたしには思われるのですが―― 日本人の頻度分析のものとそして韓人のそれを示すものとが 両方とも 現われてもよいと思うのです。
 ★ 〔韓人の〕染色体の影響は限られたものとなっています。
 ☆ 参照論文を見ると ジンギスカンの Y 染色体が世界に広がっているとあります。ならば 日本における韓人の染色体が 《限られたもの》だというのは 解せないというのが 素人の第一反応です。
 いま唐突に言いかえると たとえば南インドからやって来たタミル人の染色体の影響が 仮りになくても そのことが タミル人が日本に来ていないという結論を導くことはできない。こう言えるかに思われます。
 知る人にはあほな疑問だと分かっていることかも知れませんが よろしくお願いいたします。

 ★ 内閣統計局 1946年人口調査 に見る部落民の各県別分布割合
 ☆ ありがとうございます。
 ○ 福島を別として――ただしそこでもわづかな人口のようです――東北・北海道には部落はなかった。
 ○ 九州も 福岡(割合が2.61%)を除いて 率が低い(みな 0.何%)のもおどろきです。
 ○ 関東・中部では 埼玉・栃木・群馬そして長野(それらは 1%台)を除いて 少ない。
 ○ 近畿・中国・四国は 島根と山口・香川が約1%で あとは2%から5%台です。
 ○ 全国合計約100万人。全人口7,300万の1.37%を占めた。
 ☆ この文脈で
 ★ もしかしますと、邪馬台国の時代まで遡るのかもしれません(残念ながら、推測の域を出ておりません)。
 ☆ とおっしゃっていますが それを含めて 次の主題に移ります。
 ★ “部落の起源論争
 

補足日時:2010/07/14 14:26
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この回答へのお礼

 ☆ ここで分かることは:

 1. 近世起源説は――戦国時代の戦乱のあと 統治の一策としてその制度をつくったということのようですが―― 退けられている。

 2. 制度を問題とするならば 古代の終わりころに出来た律令制がそれとして定着してきたころに たぶん 身分制としての非人は現われたと考えられます。そのぶんでは中世とも言えると思います。ただ 実際に非人もしくは 原初のそれは どこまで遡るか。

 3. 言いかえると。古代の《五色の賤(ごしきのせん)》(良民と賎民を規定)は やがて公地公民制が有名無実化するとともに 崩壊したという。したがって
 4. ▲ (ヰキぺ:部落の起源論争):部落の由緒を書いた「河原巻物」のなかには醍醐天皇の子が悪病に冒され、漂着して先祖となったというものもある。
 ☆ というように 公式の制度には現われないところで 慣習法として決められたかも知れない。醍醐天皇は 志貴皇子の子や孫の光仁天皇や桓武天皇からも十代ほどあとの天皇である。木地師の里に赴いた・文徳天皇の子の惟喬親王(権力闘争に敗れた)は その中間に位置する。

 5. この質問の当初のひらめきは このように中世のいづれかに天皇の同意のもとに その子が地位を落とされ 非人の身分に就いたというものです。

 6. それが しかしながら 木地師と言い河原者と言いそのような社会的な立ち場にある者は それ以前からいたということでもあるとき どう見るのがよいのか。


 7. 身分があるということは 社会が分業(=協業)の組織をかたちづくることであろう。そのネットワークのどの位置を占めるかで 上下や支配関係を決めたいというような心理にからむ。

 8. その中から 経済力の問題――つまり余剰を貯えることから その剰余を得るためにはたらくようになる――や 政治力の問題――単純にひとを説得しひとびとの間を調整しみちびく――がからむであろうが 分業の一角に ケガレにかかわる職業を必要とし これをもの忌みの対象とすることが どこから・いつから 現われたか。

 9. 死と血についてケガレと感じそう思うというエートスは そうなったというのであれば それとしてあぁそうなのかと受け取らねばならない。その上で ケガレをキヨメるために 制度をつくる。
 あるいはまだそこまで行かないとすれば その職業〔の者〕を特別視するというのは どういう心理か? たとえば葬送は 誰にも必要でそれとして大事である。それなのに いやしむべきものとして特別視するのは なにゆえか?

 10. 戦争奴隷および債務奴隷が そのようないやしい職につけられるというのも それとして分かる。だがそもそも いやしい仕事と思うその気持ちを 成文法ではなくても慣習法としての制度にわざわざ なぜ表わしたのか。


 11. 高橋貞樹(cf.回答No.1)は 異民族起源説だそうな。征服されたから 先住民は被差別民となったと。インドを初めとして アウトカーストの発生はそうなのだと。(これで 魅力が薄れた)。
 
 ★ 分子人類学
 ☆ によると アイヌと縄文日本人とが近いということで 言語も文法が似ているところと違うところがあると 基本的に書いていると思いますが――残りのスペースで―― 言語として違う点をはっきりさせておくのがよいかと思います。

 ▲ (ヰキぺ:アイヌ語) ~~~~~~~~~ 
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …


 ○ usa-oruspe  a-e-yay-ko-tuyma-si-ram-suy-pa .

 これを直訳すれば

 ○ 《いろいろ-うわさ  私(主語)-について-自分-で-遠く-自分の-心-揺らす-繰り返し》

 つまり「いろいろのうわさについて、私は遠く自分の心を揺らし続ける=思いをめぐらす」という意味になる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 二つ目の語句の中の -e- (=について)は 一つ目の語句の usa-oruspe (=いろいろの噂)を承けているのだ。ふつうの現象である。語順あるいは助詞があることなどなど 多くの点で似ているのだけれども。

  * 非人の制度を 天皇制とつなげて見るのには 批判があるようです。韓国では 牛馬の解体・皮革産業に従事する白丁という被差別民は 天皇制がなくても 存在しているゆえにとか。
 わたしは仮説としては 社会全体の空気が力を持つといった情況を問うています。

 雑多になりましたが よろしくお願いします。

お礼日時:2010/07/14 15:57

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Q士農工商穢多非人はなぜ無くす必要があったのですか

江戸時代に士農工商穢多非人の身分の区別を無くそうという大きな世論があったのでは無かったと思いますが、それなのになぜ士農工商穢多非人の区別を無くす必要があったのでしょうか。

Aベストアンサー

士農工商という制度は身分制度としては存在しませんでした。
これは、そういう中国の思想です。
士農工商の士とは、本来は武士ではなく、科挙を合格した
キャリア官僚のことです。
士農工商は、いわば役割分担で、正確に身分制度と言えるかは
疑問です。
現代では士農工商という身分制度の存在は否定されています。
詳しくはWIKを参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86


そういうことで、なぜ士農工商という「思想」が
無くなったのか、ということで回答します。

西洋列強が強かったのは、彼らが国民国家
樹立に成功したからです。

かつて、国家は王侯貴族だけのものでした。
それを国民総ての国家、としました。
これを国民国家といいます。
この国民国家は、国家の力を総動員できる
ので強力なのです。

アジアで最初に、この国民国家化に成功した
のが日本です。
中国は、これに遅れを取りました。
中国では大正時代の留学生ですら、中国人という
意識はほとんどありませんでした。
皆、北京人、上海人という意識だけでした。
中国人という意識を持っていたのは、政治家や
一部の知識人だけでした。

だから、日清戦争で、清国は日本をはるかに上回る
軍事力を有していたにも関わらず簡単に負けて
しまったのです。
戦争の実体は 全日本VS李鴻章 みたいなものでした。

この国民国家化にとって、士農工商のような思想は
弊害だったのです。
このような思想があったら、国民が一体化できません。
日本国民だ、という意識が育成できません。
だからそういう思想が廃れていったのです。

士農工商という制度は身分制度としては存在しませんでした。
これは、そういう中国の思想です。
士農工商の士とは、本来は武士ではなく、科挙を合格した
キャリア官僚のことです。
士農工商は、いわば役割分担で、正確に身分制度と言えるかは
疑問です。
現代では士農工商という身分制度の存在は否定されています。
詳しくはWIKを参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86


そういうことで、なぜ士農工商という「思想」が
無くなったのか、ということで回答します。

...続きを読む

Q《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》

《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》

 ◆ (高橋貞樹:被差別部落千年史) ~~~~~~
 安政六年 江戸の山谷(さんや)の真崎稲荷の初午の祭礼の日である。浅草亀岡町の穢多が一人参詣のために稲荷の鳥居をくぐった。山谷の無頼漢はこれを見つけて
  ――穢多が神詣りに来た 汚れる汚れる。
 と連呼し若者大勢を呼び集めて喧嘩を吹き掛けた。穢多は言い放った。
  ――俺だって人間だ。神詣りするに何の不思議があるかい。
 ところがいいも終わらぬうちに
  ――畜生だ! 殺してしまえ!
 と叫びながら 寄ってたかって袋叩きにしてついに殺してしまった。これを聞いた部落のものは煮えかえるような痛憤を感じた。弾左衛門は下手人の処分を時に願い出た。しかし日を経ても何らの音沙汰もない。度々催促するとやっと白洲が開かれた。このとき奉行池田播磨守はいう。
  ――およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当する。穢多七人を殺すに
   あらざれば 町人一人の下手人を出すことはできぬ。
 弾左衛門は抗弁したが駄目であった。
  ―― 一人の下手人が欲しくば あと六人殺して来い。
 これが最後の判決であった。
 穢多七人に平民一人 一人の下手人が欲しくばあと六人殺して来い! 弾左衛門は涙で黙した。部落の民も沈黙を守った。しかも武士階級に絶対服従した当時の江戸の民は これを《名裁判》として賞め讃えた。まことに人間のあさましさを語るものである。
 (沖浦和光校注 1992 pp.141-142) 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《非人》という言い方もありますが 穢多はそれでも存在の《七分の一》は 《人間》であったか。という感慨を持ちます。いまそれは措いて そして時代の違いを見なければなりませんが この事件やそれを招きかねない社会の情況について 何がわるいのでしょう?

 1. 《人間のあさましさ》

 2. ひとえに封建身分制。民主制以前。

 3. 《あさましさ》と言うよりも 付和雷同性もしくは思考停止という状態。

 4. 革命を起こすという気概の無さ。

 5. そのほか。

 5. 何もわるくない。

《およそ穢多の身分は平民の七分の一に相当》

 ◆ (高橋貞樹:被差別部落千年史) ~~~~~~
 安政六年 江戸の山谷(さんや)の真崎稲荷の初午の祭礼の日である。浅草亀岡町の穢多が一人参詣のために稲荷の鳥居をくぐった。山谷の無頼漢はこれを見つけて
  ――穢多が神詣りに来た 汚れる汚れる。
 と連呼し若者大勢を呼び集めて喧嘩を吹き掛けた。穢多は言い放った。
  ――俺だって人間だ。神詣りするに何の不思議があるかい。
 ところがいいも終わらぬうちに
  ――畜生だ! 殺してしまえ!
 と...続きを読む

Aベストアンサー

ご質問の趣旨が良くわからないのですが、仰る「何が悪いのか?」とは何についてのことでしょうか。

>まことに人間のあさましさを語るものである。

ご提示の文章のこの部分については疑いを挟めませんが、

>そして時代の違いを見なければなりませんが この事件やそれを招きかねない社会の情況について

このあたりも含めて、質問者様は現代の、今の社会の状況と比較されておられるようにも思うのですが、それにしても、以下の1から6までの条項は何を示しておられるのでしょうか?

まさかこの中から”差別が悪いことではなかった”?!という選択肢も含めて適切な(差別の)原因を選べなどとおっしゃって折られるわけでもないのでしょうね。

> 弾左衛門は涙で黙した。部落の民も沈黙を守った。しかも武士階級に絶対服従した当時の江戸の民は これを《名裁判》として賞め讃えた。

このあたりはたしかに

2.封建身分制。民主制以前。 時代が悪かったといえばそれはたしかに間違いのないところでしょう。

 3. 付和雷同性もしくは思考停止という状態。

こういったものに原因を求めるのも間違いではないと思います。ことに 3.についてはすぐれて現代に通じる問題性もあると思います。

 4. 革命を起こすという気概の無さ。
当時の被差別民にそれだけのちからがあったかどうか、彼らの無気力に原因を求めるのは無理でしょうね。

高橋貞樹氏のその著書は悲しいことにまだ読んではいませんが、被差別民の発生を含めた身分制度の歴史的ななりたちは、私のような浅学のものでも、ここには一息では書けないようなさまざまな要因があり、複雑な状況があったと記憶しています。ただ、高橋氏が、ここで「まことに人間のあさましさを語るものである。」と見事に表現されておられることでそのすべてとまではいわないまでも、非常に多くのことをその中に含んでしまったという意味で、すばらしいことであると思いました。つまり、人間が人間を差別し、お互い(の心)を平気で傷つけあうということは、人間のおろかさ、無知、人間以下の行いをしているという以外のなにものでもないということをこの言葉が簡潔に表現していると思うからです。

ご参考になれば。

ご質問の趣旨が良くわからないのですが、仰る「何が悪いのか?」とは何についてのことでしょうか。

>まことに人間のあさましさを語るものである。

ご提示の文章のこの部分については疑いを挟めませんが、

>そして時代の違いを見なければなりませんが この事件やそれを招きかねない社会の情況について

このあたりも含めて、質問者様は現代の、今の社会の状況と比較されておられるようにも思うのですが、それにしても、以下の1から6までの条項は何を示しておられるのでしょうか?

まさかこの中から”差別が...続きを読む

Q穢多・非人の禄について

以前本で、穢多や非人が禄として、死者の衣類や牛馬の死体などを得ていたということを読んだのですが、他にはどんな禄があったでしょうか。
また、その禄は「暗黙の了解」として認知され、その禄を得ることもまた、蔑みの対象となったでしょうか。

昨年大阪で、河川の拾得物を着服していた不祥事がありましたが、
もしかして、背景にこのような「禄」という感覚があったのを、現代にまで引きずっていたのではないかと思いました。
私の歴史的な関心からの勝手な推測なので、何かご意見いただけたらうれしいです。

当方は同和問題にはあまり詳しくなく、この質問も同和問題や同和政策の是非を問うものではありません。
不快な質問となっておりましたら申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
bungetsuです。

まず最初に断っておきますが、序列としては、「非人」の次に「穢多」となります。

非人は、心中のしそこない等で、人間としての権利を剥奪された者を指します。
また、非人溜りと呼ばれる所に集められ集団生活をさせられていました。
江戸で有名なのは、荒川土手の非人溜りで車善七が率いる集団がもっとも活躍し、死罪になった者の首を洗ったり、寺へ運んだりして駄賃を得たり、土手の痩せた土地を開墾して食料を得たりしていました。
また、非人は「銭」さえ出せば「庶民」になることもできました。従って、親兄弟や親戚が裕福であれば、非人から庶民に戻れたのです。ただし、一生涯庶民に戻れない人も多かったのです。

穢多は、手っ取り早く言ってしまえば、「狩猟民族」を指します。
江戸時代では、仏教や儒教の精神で、「動物の肉を食べる者」が一番「汚らわしい」とされていたためです。
従って、穢多は「マタギ」などを生業とする人たちでした。狩猟をし、動物の肉を食い、皮は革製品などにして販売をしていましたので、非人よりも裕福な家もありました。


>>「穢れた糧を得る」「汚い(または卑劣な)仕事をして収入を得ている」といった見下しはあったのでしょうか。

当然、非人であれば「人間に非ず」。また、穢多も「肉を食する穢れ者」として軽蔑されました。

>>清掃作業で拾ったものは、そのままもらえるといったことはあったのでしょうか。
(仮にそうであっても、あまり価値のあるものは、頭なり、武士?なりに取られてしまいそうですが。)

これは、見つけた者の「役得」でした。
ただ、非人溜りでの序列もあり、子どもなどが見つけて拾ってきた物などは、頭に取りあられたりしました。

こんにちは。
bungetsuです。

まず最初に断っておきますが、序列としては、「非人」の次に「穢多」となります。

非人は、心中のしそこない等で、人間としての権利を剥奪された者を指します。
また、非人溜りと呼ばれる所に集められ集団生活をさせられていました。
江戸で有名なのは、荒川土手の非人溜りで車善七が率いる集団がもっとも活躍し、死罪になった者の首を洗ったり、寺へ運んだりして駄賃を得たり、土手の痩せた土地を開墾して食料を得たりしていました。
また、非人は「銭」さえ出せば「庶民」になる...続きを読む

Qマイクラwindows10版 (PE) 地図の拡張のされ方

マイクラをしているのですが毎回地図の拡張される方向が同じで困ってます
写真の左の地図が本命 上の地図の左下と 下の地図の左上が中心(地図作成した場所)
なので残りの左上と左下の部分の地図がほしいのに
右にある中途半端な地図があるように自分のほしい方向に拡張してくれません
地図の拡張の仕組みを教えてください

Aベストアンサー

地図の範囲外で地図を作成しないと、新しい範囲の地図はできませんよ?

QYahoo地図の等高線について

 地図が好きで、ネットでもよく地図のサイトを見ている者です。
 最近気付いたのですが、Yahoo地図と電子国土ポータルの地図とでは、同じ場所の地図でも等高線の引き方や池の輪郭線などが少しずつ異なっているのです。
 Yahoo地図はゼンリンの地図データをもとにして作られているようですが、では、ゼンリンの地図はどのようにして作られているのでしょうか?
 僕はてっきり、日本の地図は、全て国土地理院の地形図をもとにして作られているものとばかり思っていたのですが、そうではないのでしょうか?

Aベストアンサー

ゼンリンの地図も国土地理院の2万5千分の1地形図がベースになっています。

>同じ場所の地図でも等高線の引き方や池の輪郭線などが少しずつ異なっている

Yahoo地図(ゼンリン)の地形は、国土地理院数値地図50mメッシュという大雑把なデータを基に作成されていますから、コンピューター処理の等高線や湖岸の位置は、平均値化されたデータになりずれるのは当然です。

ちょっと試しに河口湖を、電子国土、Yahoo、google航空写真とで比べてみましたが、湖の地形はいずれも異なります。
ゼンリンは50mメッシュなんで元々大雑把になるのは仕方ありませんが、池や湖の湖岸の形状はデータを取ったときの水量によっても大きく変わってきます。
なだらかな岸辺の部分では特に大きく変わります。航空データと違うのもそのためです。

ところで電子国土も大きい縮尺では道路幅など正確ではなく、視認性を重視した表示をさせています。

▼Yahoo!地図について
地形表現等の地図の作成に当たっては国土地理院発行の数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用
http://www.yahoo-help.jp/app/answers/detail/p/566/a_id/41119/~/yahoo!%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

<道路建造物: ゼンリンサイトから抜粋>
2次元地図の各種データと、専用車両(タイガー・アイ)で収集・計測したデータを、独自のソフトウェア処理によって3次元デジタル地図作成システムに取込み、入力・編集作業を行なっています

ゼンリンの道路建造物作成方法: 建造物や狭い道路などは人による目視
http://zenrinchou.blog88.fc2.com/
http://hirokijourney.blog35.fc2.com/blog-entry-443.html
計測車両で走行し、高精度な地図データを作成
http://www.zenrin.co.jp/brand/knowledge/collecting02.html

ゼンリンの地図作り(1ページ~7ページ)
http://dime.jp/genre/57477/

ゼンリンの地図も国土地理院の2万5千分の1地形図がベースになっています。

>同じ場所の地図でも等高線の引き方や池の輪郭線などが少しずつ異なっている

Yahoo地図(ゼンリン)の地形は、国土地理院数値地図50mメッシュという大雑把なデータを基に作成されていますから、コンピューター処理の等高線や湖岸の位置は、平均値化されたデータになりずれるのは当然です。

ちょっと試しに河口湖を、電子国土、Yahoo、google航空写真とで比べてみましたが、湖の地形はいずれも異なります。
ゼンリンは50mメッシュなん...続きを読む


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