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南京大虐殺に関連して質問です。

一般的に言われる南京攻略戦というのはどの戦闘をさすのでしょうか?
南京から蒋介石と貧乏人をのぞく80万人が日本軍の空襲により南京から脱出したとありました。
これは推定の数だと思いますが、今回はこの戦闘においての質問です。

世に言われる南京虐殺は地上部隊が行なったとされているわけですが、この蒋介石と中国人が南京を脱出する原因になった空爆。 この空爆も南京攻略戦の作戦の一環だったのでしょうか?
詳しい方教えてください。

この空爆が始まる前の南京の人口は推定100万人であり、その後、脱出し20万人が残されたと聞きました。
細かい数字には諸説があるのでこだわりませんが、この空爆が南京攻略戦に属する戦闘行為だったのかどうか知りたいのです。よろしくお願いします

A 回答 (3件)

わかりません。


ただ、間違った答えがありそうなので、質問とは無関係ながら以下のURLを参照

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2745625.html
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一般的に南京攻略戦とは1937年12月1日の大本営による南京攻略の大命(陸大命大八号)から南京陥落12月13日までとされていますが、実際は第十軍による南京への独断進撃が11月19日頃から行われていますので11月中~12月中とみるのが妥当だと思われます。



これに対し南京への空爆はラーベ(南京国際安全区委員会代表)の日記によれば8月15日から開始され9月半ば頃から本格的に行われたと記されています。このころから裕福な南京市民から続々と避難をし始め、市民の避難は上海の要塞大場鎮が陥落する10月26日頃にピークを迎えていたようです。ちなみに蒋介石夫妻が南京を離れたのは12月7日。
仰るように南京陥落時点では既に80万人の市民が既に非難しており、南京城が日本軍に包囲された12月10日ごろには残された市民は20万人余りであるとラーベの日記には記されています。

しかしながら、東京裁判時点で中国政府の主張した30~40万人という数字は、盧溝橋事件(1937年7月)から終戦(1945年8月)までの間に南京周辺(範囲不明)で殺された非戦闘員の数を言っているので、「市民が20万人しか居なかったのに30~40万人虐殺できるわけが無い」という論は成り立ちません。
又、近年中国政府の公式数字とされている犠牲者30万人という数字についても、期間がいつからいつなのか、どの範囲なのか、便衣兵は含むのかなどが一切明示されていないので反論のしようがありません。
このあたりの曖昧さが南京虐殺論争を不毛なものにしている一因とも言えます。

ちなみに現時点で最も有力な数字とされているのはラーベのヒトラーへの上申書の中の数字5~6万人です。
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老婆心ながら。

。。

あなたの過去の質問を数件拝見しましたが、
寄せられた回答に対して何の反応も示さないというのはこのサイトのマナー上よろしくない事だと思います。

お礼、補足又は締め切りのしかたは、ご利用ガイドを参照してください。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/info.php3?view=guide
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