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「です・ます」調と「だ・である」調の混在についての質問です。
文章の書き方について習うと、必ずといっていいほど「です・ます」調あるいは「だ・である」調で統一しなさいと教えられます。

しかし、名文家と名高い三島由紀夫のエッセイを見ても、両者の混在がみられます。
彼の著作「不道徳教育講座」は終始この調子で、例えば以下引用します。

-----------------
 私はどうもこういう風潮も一概にわるくないのではないかと思う。ルネッサンスのころのイタリーはこうだったのです。大犯罪も人間のエネルギーの産物だから、大いに尊敬された。王侯は毒殺を常とし、天才は同時に悪漢であった。「善にむかっての秩序」と同様に、「悪にむかっての秩序」というものもあるようなので、コチコチ頭の道学者が考えるように、悪が直ちに社会不安と、社会的無秩序を招くとはかぎりません。悪がむしろ、社会秩序をととのえることだってあるのです。
-----------------

さすがに、リズムが良いですね。
「思う」「だったのです」「であった」「かぎりません」・・・と「です・ます」調「だ・である」調が混在しています。
三島由紀夫に限らず、両者混在の文章はたまに見かけます。
私が思うに、「です・ます」調は冗長になりすぎることがあるので、「です・ます」調を基本としている場合でも時折「だ・である」調で簡潔に述べる場面があってよいのではと。例えば次の2つの文章、

(ア)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくいです。」
(イ)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくい。」

(イ)の文章は混在形ですが、「訳しにくいです」よりも「訳しにくい」のほうが簡潔で日本語として美しいと思います。

皆さんは、「です・ます」調と「だ・である」調の混在についてどう思いますか。

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A 回答 (4件)

本来は、「ですます体」「だ体」「である体」って言いますけどね。



さて、こういうことではないでしょうか。

「私はどうもこういう風潮も一概にわるくないのではないかと思う。」
  ⇒ 「私は一人で勝手にそう思っています。」

「ルネッサンスのころのイタリーはこうだったのです。」
  ⇒ 「こうだったのですよ!」と読者に訴える。(「のです」の「の」には強意の働きがある。)

「大犯罪も人間のエネルギーの産物だから、大いに尊敬された。」
  ⇒ そういう事実があった。

「王侯は毒殺を常とし、天才は同時に悪漢であった。」
  ⇒ そういう事実があった。

「悪が直ちに社会不安と、社会的無秩序を招くとはかぎりません。」
  ⇒ 「かぎらないでしょう?」と読者に訴える。

「悪がむしろ、社会秩序をととのえることだってあるのです。」
  ⇒ 「あるのです!」と読者に訴える。(「のです」の「の」には強意の働きがある。)


>>>皆さんは、「です・ます」調と「だ・である」調の混在についてどう思いますか。

読み物であるならば、読者に語りかけたいときだけですます体を用いるのも、かまわないのではないでしょうか。
違和感もないです。
念押しですが、あくまでも読み物であるならば、です。

ちなみに、最近、こんなQ&Aで回答しました。
若きエネルギーあふれる現役大学生さんの質問です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5968027.html
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。
具体的に、よくわかりました。
リンク先のQAも合わせて拝見しました。熱い議論はなかなか読み応えがありました。

お礼日時:2010/07/30 16:12

小学校の作文の時間にです・ます調とだ・ある調のどちらかで統一しなさいと言われるのは、


両者が混同するといけないからなどと言うわけではなくて、形式がまとまっていればリズムも
よく聞こえるだろうし、統一感も出るから、と言うだけの理由で、まさに質問者さんが上げられた
三島由紀夫などプロの作家たちにかかれば語尾に統一を持たせなくてもセンスのよい、耳(目)に
心地よい流れの文章がかけるため、そんな必要性はないわけです。

また、更に言えば、質問者さんがあげてらっしゃった例についていうと、

例文(イ)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくい。」
は形として正統な日本語であるけれども、
例文(ア)「彼は確かにそう言いました。でも、これはちょっと訳しにくいです。」
は正しくなくはないけれど正統な日本語の語尾の形ではないのです。

だから、おそらく質問者さんも違和感を感じられるんでしょうし、三島由紀夫しかり、プロの作家たちは
ちょっと気まずく聞える(イ)のような用法はめったに使わないように、意識的にか無意識的にか
避ける傾向にあるのではないでしょうか。

詳しく掘り下げると、こうです。形容詞は基本的に文末では「ーしい、ーい」の形で終わりますよね。
その場合、丁寧語をつけた正しい形というのが、また非常に堅苦しく聞えますが、

「ーしい」で終わる形容詞の場合は「・・・しゅうございます。」なのです。
《例》美しゅうございます、苦しゅうございます、楽しゅうございます。

「・・・い」で終わる場合は「い」の前の音に左右されて、
《例》柔らこうございます、もったいのうございます、とんでものうございます、となります。

ものっすごい時代がかってますが、これらの形が正統な形なのです。
あえて、正しくない形と申し上げないのは、言葉は時代とともに変化するものと言うのが学術的にも受け入れられている事実であるため、どれが正しくてどれが正しくないというのは、特にこの例の語尾の形のような経年による変化には当てはまらないんじゃないかと思うからです。

たとえば、可能を表す意味での「食べれる」という言葉、形として正統ではないけれど、みんな使いますよね。だから、正しくないって言い切ってしまうのはなんか違う気がしますが、ただ文章にしてその表現を書き表してみると、そのインフォーマルさが目立ってしまい、なんとなく変だな、質問者さんが例文(イ)に感じられたような、なんかおかしいな、という感覚をその語形が正統でないゆえにもってしまう、ということなんではないでしょうか。

よって、要するに、彼らプロの作家たちは、カジュアルな文章や表現を使っているように見えて、ちゃんときちんとした日本語を熟知しているからこそですます調・である調の混在した、かつまとまった文章がかけるんではないでしょうか。

長/乱文失礼いたしました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。
形容詞の箇所はまさに目から鱗でした。
文法的には本来、
×「訳しにくいです」
○「訳しにくうございます」
なんですね。
どうりで違和感があったわけです。

お礼日時:2010/07/30 15:50

外国の人が日本語を習うとき、丁寧形の文型「~です。

」「~ます」から習い、
次に普通型と呼ばれる、た だ である、動詞の終止形などを学ぶ、
何故ならこちらの方が分かり易く、簡潔で、この後に「です、ます」を覚えるのは、
とても困難になるからだそうだ。

殆どの小説や、エッセイにしても、普通型で書かれている。その方が読み手にとって、
明快で読みやすいからだと思う。
 
三島由紀夫も他の小説ではそうしているはずだ。
この作品は「不道徳教育講座」と銘打っているから、読み手に説明し、説得をする
スタイルでかくため、敢えて少し柔らかく、丁寧にですますで書いていると思う。
しかし全体の文章を引き締めるため、あえて、普通型系もを使っているのだと思う。
文章を書くテクニックうが優れていれば、混在しても違和感はない。


私は です ますを入れようと思いましたが、面倒になりました。失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
「不道徳教育講座」の例は、説明口調のですます調で書きながら、文章を引き締めるために普通型も取り入れてるんですね。

お礼日時:2010/07/30 16:09

「です・ます」と「た・である」を混ぜるなという教えは、文章を書く上での基本です。

何を習うにしても、最初は基本の型を叩き込まれるものです。
巧い文章だけを見れば、統一しろという教えは愚直で無意味に見えるかもしれませんが、ヘタクソな混在文に一度でも触れる機会があれば、この基本がいかに大事かということも分かると思います(笑)

基本をマスターした上で、必要に応じて型を崩すのは自由です。
要するに、依頼人(学生ならレポートの提出先)に「ですます体で書け」「た・である体で書け」と要求されたら応じられる腕前のある人なら、状況と目的に応じて混在させてもいいでしょう。

ちなみに(ア)と(イ)はどちらが「美しい」ではなく、それぞれ微妙にニュアンスが異なります。
「ですます」体に「た・である」体が混ざる時は、基本的に「そこで口を挟むな!」というニュアンスがあります。その理由は、説明の途中だからだったり、そこを突っ込まれたくないからだったり、いろいろです。
つまり(ア)は「訳しにくい」という箇所に異論や反論が入っても構わない、それは織り込み済みだ、という余裕があるのですが、(イ)は何らかの理由で「ここで異論を挟まないで欲しい」という意志が働いています。前後の文脈があれば、その理由が判別できるでしょう。

「ですます」体に「た・である」体を混ぜない理由のひとつはコレです。文章にメリハリを付けて読者を酔わせ、支持を集めやすくなる一方で、読解力の高い人に自分の文章の弱点をバラしてしまう可能性があるのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
混ざるときには、それなりの理由があるんですね。
確かに「た・である」体は断定の口調に近いと思います。

お礼日時:2010/07/30 16:11

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論文での「です・ます」調
当方、文系の大学生です。
今度演習で自分の論文(卒論とかではなく、その準備段階としてあくまで演習用のもの)を発表するのですが、研究内容の実践・或いは一つの試みとして、論文に「です・ます」調(敬体)を用いることを考えています(徒な興味ではなく、内容にかなり深く係わっているからこその試みです)。

そこで一先ずネットで調べてみるに、「論文は『である』調で書くべし」という結果ばかり出てきました。
しかしその理由はというと、「それが一般的だから」とか「論文に文体の丁寧さは必要ない」といったもので、「皆そうしてるから」以上のものではないように思えました。
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自論でも、どこかからの引用でも構いません。
いわゆる論文ではなく、専門分野を扱っていても「○○入門」といった書籍では、「です・ます」調の物が少なからずありますよね。そういった本は実際の難易度にほぼ関係なく取っ付きやすい印象を与えますが、「である」調に変えるだけで一気に「難しげな論文」調になります。その程度の感覚なのではないかと自分は思うんですが…

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Aベストアンサー

ANo.6です。
敬体を用いる主な理由を「(論文は)とっつき易く、平明である(必要性がある)」としたうえで書き込みます。間違っていたらごめんなさい。

>「私たちの「意識の部屋」には番人が許可したものしか入れないのです。」
という内田樹さんの文の引用がありましたが、例えばそれが
「われわれの「意識の部屋」には番人がいます。入室許可権を掌握する絶対的存在です。」
だとしたらどうでしょう。なにやらややこしいですよね。番人の方に論旨が移行してしまいそうな文になってしまったのはお見逃し下さい(笑)。ANo.5さんのご意見ともやや重なりますが、内田さんの文章が読みやすいのは単に敬体であるだけでなく、用いる語彙や字面の印象にも工夫がなされているからです。

>どうやら論文というものは、門外漢に分からないよう、厳めしく書くことが必要なようだ
黒田龍之介さんの文の引用で、専門家たちがむやみやたらと難解な文章をこさえて、自家薬籠中のものとして情報を手放さない姿勢を指摘した一文ですが、果たしてその姿勢は非難されるべきことなのでしょうか。

私は、論文や研究書の類は門外漢に分からないよう書く必要性もあるのではないかと思います。インターネットの登場以降、情報の非対称化がぐんぐん進んでいますね。これは専門分野の知識をより多くの人が共有できるという点で非常にいい傾向でもあるのですが、問題点もあります。それは、ずばり曲解がおきるということです。とっつき易い情報に変換されることによって、うわべだけのペダントリーに利用され、誤った知識が蔓延してしまう可能性があるのです。

論文に話を戻しますと、難解な論文を読む/書くことができるというのは、専門分野に取り組む資格があるかどうかの指標にもなるのではないでしょうか。例えば、この質問のページを小学生の男の子が閲覧したとします。私たちの書いている内容が、彼には理解できません。つまり、彼にはこの問題に取り組む資格がないのです。仮に私たちが小学生にも分かりやすく、かつ興味を惹くように書いた場合、彼はなんとなく理解した気になって最終的にベストアンサーの意見を我が物顔で言いふらすことでしょう(ちょっと意地悪な書き方ですが笑)。

極端な例でしたが、実のところ、その逆のパターンともいえる事例があります。有名なのでご存知かもしれませんが、ソーカル事件というものです。詳細:下記URL↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これは、アラン・ソーカルという大学教授が難解な数式などの権威主義的使用を批判するために、科学用語と数式をちりばめたでたらめな疑似哲学論文を評論誌に送り、それが掲載されてしまったという珍事件です。

以上の事柄を総括すると、「とっつき易く、平明である」ことと「とっつきにくく、難解である」ことのどちらにも問題点があるようです。両者を折衷した「とっつきにくく、平明である」文章というのが理想形なのかもしれません。いずれにしてもどちらか一方ということでなく、中庸を探し当てることが最重要であるというのが、私の意見です。

ところで、質問者さんは敬体の入門書として内田樹さんの著書をあげていますね。彼の文章というのは敷居が低く、読み終わったあとに高次の考え方に至るよう書かれており、上質な啓蒙書・入門書だと思います。それと似た作風として、村上春樹さんと宮崎駿監督が挙げられます。このお二人は「敷居が低く、高い出口を用意する」ことを意識して作品に取り組んでいるようです。もちろんエンターテイメントであるので意味合いは変わってきますが、難解なものを単純化し、考えるという行為に興味を持たせるという点では共通しているように思われます。これはとても素晴らしいことだと思いますので、質問者さんの試みにも同じようなものを感じ、大変興味深いです。論文はぜひ「です・ます体」でやってほしくなりました。

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ANo.6です。
敬体を用いる主な理由を「(論文は)とっつき易く、平明である(必要性がある)」としたうえで書き込みます。間違っていたらごめんなさい。

>「私たちの「意識の部屋」には番人が許可したものしか入れないのです。」
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Q常体と敬体が混在する文章

常体か敬体、どちらかで統一するのが基本だと思いますが、常体と敬体を混在させる(混在しても自然な文章になる)テクニックがあれば教えてください。

Aベストアンサー

感情をこめる文は敬体で、内容を際立たせたい文は常体と使い分けると、自然になるかもしれません。

例えば、「常体と敬体を自然に混在させるのは難しいです。でも、日常会話で敬体ばかりだとちょっと窮屈でもある。だから、時に常体を織り交ぜて、相手から意識をそらしているとわかる瞬間を作れば、集中が途切れることで緊張が緩和する。人間関係のちょっとした緩衝材になるかもしれません。」

上の文章では、常体を思考過程の箇条書きのように使っています。
混在は困難だという個人的感想に対して、それでも混在にも以下のような効果がある、と常体で述べています。要するに、コンテンツの羅列ですね。敬意を排除し、端的な羅列にすることで、コンテンツの内容を際立たせることを狙っていることになります。

これを全部、敬体にすると、「常体と敬体を自然に混在させるのは難しいです。でも、日常会話で敬体ばかりだとちょっと窮屈でもあります。だから、時に常体を織り交ぜて、相手から意識をそらしているとわかる瞬間を作れば、集中が途切れることで緊張が緩和します。人間関係のちょっとした緩衝材になるかもしれません。」

上の文章だと、読む方には書き手の意識がこちらにずっと向いているように感じられるんじゃないでしょうか。
目をそらさず、まっすぐ見つめられているような、ある種の緊張感があるだろうと思います。そういう文章は時に読むのに疲れてもしまいます。
だから、常体をはさんで、書き手の意識を読み手から外し、あたかも独り言を言っているかのような印象を与えることで、読み手の緊張感を緩和します。
そうすることで、多少長い難解な文章を読んでも疲れにくくなるんじゃないかと思います。

感情をこめる文は敬体で、内容を際立たせたい文は常体と使い分けると、自然になるかもしれません。

例えば、「常体と敬体を自然に混在させるのは難しいです。でも、日常会話で敬体ばかりだとちょっと窮屈でもある。だから、時に常体を織り交ぜて、相手から意識をそらしているとわかる瞬間を作れば、集中が途切れることで緊張が緩和する。人間関係のちょっとした緩衝材になるかもしれません。」

上の文章では、常体を思考過程の箇条書きのように使っています。
混在は困難だという個人的感想に対して、それでも混...続きを読む

Q「である調」について

「である調」の文章の書き方がよくわからないので教えてください。

「~ください」は「である調」でどう表記すればよいのでしょうか。
例えば、「ごらんください」とか「ご理解ください」とかは
「見てほしい」「理解してほしい」でいいのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>「~ください」は「である調」でどう表記すればよいのでしょうか。

「~なさい」あるいは「~せよ」でしょうね。

>例えば、「ごらんください」とか「ご理解ください」とかは
>「見てほしい」「理解してほしい」でいいのでしょうか。

「ください」は動詞「くださる」の命令形ですから,自分の感情を表す「ほしい」という形容詞とは対応していません。

「ごらんください」から丁寧語を除いて対応するのは「ごらんなさい」(丁寧語を取っても尊敬語は付いたままです),「ご理解ください」に対応するのは「理解なさい」でしょう。「なさい」もなくすなら「ご覧じよ(ごろうじよ)」,「理解せよ」であり,「ご覧」という尊敬語もなくすなら「見なさい」「見よ」になるでしょう。

上記は丁寧語をなくすとどういう言い方に対応するかという話で,他人に読んでもらう文書でそういう表現がいいかどうかとは別な話です。「ほしい」も含め,状況しだいで対応していない別な言い方がふさわしい場合もあるでしょう。

Qである調に使っていい語尾

ブックレポートの概略を常体(である調)にしましょうと言われたのですが、である調で文章を書いたことがないのでよく分かりません。

とりあえず、すべての語尾を「~である。」「~のである。」にしてみましたが、違和感を感じる箇所もあるうえになんだかくどいです・・。

「~してきた。」というように常体で終わらせている部分もあるのですが、そこも「~である。」にしましょうと言われたので、常体の中でも、である調しか使ってはいけないみたいです。(そんなこと可能ですか?)

である調の「~である。」「~のである。」以外の使っていい語尾を教えてください。

Aベストアンサー

「である体」は、しばしば「だ・である体」とも言われるように、通常の文章は簡略に「~~だ」「~だろう」で止めて、強調したい部分だけ「~である」「~のである」で良いと思います。

「である体」だから何が何でも末尾を「である」にしなければならないと言うことはありません。
文末の文例(1)に、ためしにご質問文をすべて「~である」にしてみましたが、こういう文章が
> 違和感を感じる箇所もあるうえになんだかくどいです・・
と感じられるのは当然の間隔と思われます。

> 「~してきた。」というように常体で終わらせている部分もあるのですが、そこも「~である。」にしましょうと言われた
とのことですが、もし質問者さんの文章を指導している方が文例(1)のような文章に違和感を覚えないとしたら、その方の言語感覚には疑問符を付けた方が良いように思われます。

文例(1)(すべて「である」調にしたもの)------------------------------
ブックレポートの概略を常体(である調)にしましょうと言われたのであるが、である調で文章を書いたことがないのでよく分からないのである。
とりあえず、すべての語尾を「~である。」「~のである。」にしてみたのであるが、違和感を感じる箇所もあるうえになんだかくどいのである……。
「~してきた。」というように常体で終わらせている部分もあるのであるが、そこも「~である。」にしましょうと言われたので、常体の中でも、である調しか使ってはいけないようなのである。(そんなことが可能であるのだろうか?)
である調の「~である。」「~のである。」以外の使っていい語尾を教えてほしいのである。

文例(2)(「だ・である」調で簡潔にしたもの)---------------------------
ブックレポートの概略を常体(である調)にしましょうと言われたのだが、である調で文章を書いたことがないのでよく分からないのである。
とりあえず、すべての語尾を「~である。」「~のである。」にしてみたのだが、違和感を感じる箇所もあるうえになんだかくどいのだ……。
「~してきた。」というように常体で終わらせている部分もあるのだが、そこも「~である。」にしましょうと言われたので、常体の中でも、である調しか使ってはいけないようなのだ。(そんなことが可能なのだろうか?)
である調の「~である。」「~のである。」以外の使っていい語尾を教えてほしい。

「である体」は、しばしば「だ・である体」とも言われるように、通常の文章は簡略に「~~だ」「~だろう」で止めて、強調したい部分だけ「~である」「~のである」で良いと思います。

「である体」だから何が何でも末尾を「である」にしなければならないと言うことはありません。
文末の文例(1)に、ためしにご質問文をすべて「~である」にしてみましたが、こういう文章が
> 違和感を感じる箇所もあるうえになんだかくどいです・・
と感じられるのは当然の間隔と思われます。

> 「~してきた。」というように...続きを読む

Q作文は「だ・である」調 or 「です・ます」調のどちらが良いのでしょう

作文は「だ・である」調 or 「です・ます」調のどちらが良いのでしょうか?
論文の場合は、「だ・である」調だと思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
辞書には「ですます体」「だ体」「である体」という見出しで載っていますが、
NHKのアナウンサーが「だである調」「ですます調」と言ってましたので、‘あり’なんですかね。

さて、本題。

小学生が書く作文だと、ですます体が多いかと思いましたが、自分が小学生の頃の卒業文集を今見て確認しましたら、9割方の人が、だ体で書いています。

しかし、先月私が参加したQ&Aをご覧ください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6036856.html
なんと三島由紀夫は、一つの文章の中のところどころで、ですます体を混ぜています。
読者への語りかけを意識している箇所で、ですます体を用いている様子です。

まー、三島の真似をして書いても先生に直されるかもしれないので、ですます体は使わない方が無難ではないでしょうか。

Q急いでいます!!引用部分が「です・ます」調

さらに質問ですみません。
書物を引用した場合、その書物は、「です・ます」で書かれており、論文は、「である」で書いています。この場合、引用なので、「です・ます」で記載してもよいのでしょうか?

Aベストアンサー

わかんないけど 引用の部分を わかる記号で括ればよいのでは??

Q「であるのです。」を、である調か、ですます調どちらかに統一できますか?

私の書いたインターネット用の文章をある人に校正してもらったら、下の文章を「である調」か「ですます調」に統一すべきですと指摘されました。私個人は、例えば「であるのです。」はそもそもですます調だと思っていたのでびっくりしてしまいました。どなたか次の文章を見て、これは正しいですます調であるのかどうかをご指摘ください。

例文1「彼らを大きな喜びに包ませているのです。」
例文2「その表情の豊かさと個性を前面に押し出そうと努め発展させてきた結果であるのです。」

Aベストアンサー

「である」を敢えてですます体にするのなら、
「であり・ます」になると思います。
そもそも「です」自体がこの「であり・ます」を
略したものと言われていますので、
「であるの・です」に違和感が生じるのも、
「である」にさらに意味の重なる「です」を
重ねたことに因るのではないでしょうか。

Qレポート・感想文 「である」調 敬語の使い方

レポートや感想文を書くときに「である」調で書いています。
「である」調のときは敬語をつかいますか?

「担任の先生が以前…と言っていた」

敬語を使わずに「先生が…と述べていた」と言うと失礼な感じがするのですが…

「先生が…とおっしゃっていた」というのもしっくりきません。

初歩的な質問ですみません。アドバイスよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「先生が…と述べていた」ではなく「先生が…と述べられていた」と書けば良いのです。

Qだ体とである体の印象の違い

 だ体もである体も,どちらも常体ですが,両者の印象の違いをご回答願います。

Aベストアンサー

「だ」は主観的断定・「である」は客観的断定。
論文など客観性を重んじる場合は後者を用いる。
ただし、「だ」は簡潔なので、新聞記事など簡明を重んじる場合は普通に用いる。

Q「ですます」 調と 「だである」 調

「ですます」調と「だである」調の違いが良く分かりません。
この点ご教授願います。

「みた、聞いた、~でない、聞かない」などはどちらに属すのでしょうか。
他にも「だった、であった、~した、であります、きれい、美しい」などはどうなのでしょうか?

どちらでも使えるような気がするものもあるのですが……

最近、舞城王太郎、綿谷りさなど読んでいると日本語が分からなくなりました。


気にせずに好きなようにかけ、などの回答はご遠慮ください。

Aベストアンサー

#2です。

>「聞くところによると……」
>というのはどちらかに分類できるものなのでしょうか?

「聞くところによると」がそもそも文語調ですよね。
「聞くところによると、ナウシカは青き衣をまとっていたそうである」 しっくりきます。「である調」ですね。

「聞くところによると、ナウシカは青き衣をまとっていたとのことでした」 使えなくはないかもしれませんが、少し変です。
「聞いたところによりますと、ナウシカは青き衣をまとっていたそうです」こちらの方が自然に感じます。どんどん長ったらしくなりますけどね。^^;


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