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吉原(遊郭)についてですが、江戸当時はHIVはなかったようですが、所謂本番をどのようにしていたのでしょうか。
避妊具もなかったと思います。
遊女が懐妊などざらにあるような気がするのですが、堕ろしまくってたのでしょうか?

A 回答 (3件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸当時はHIVはなかったようですが

HIVが発見されたのは、1983年(昭和58年)にパスツール研究所で初めての報告がなされました。
江戸時代は、「梅毒」が主流で、その他にも「淋病」や「麻疹」(はしか)などの感染症が主でした。

麻疹?と言われるかも知れませんが、
子どもの頃の麻疹は、「三日麻疹」(みっかばしか)と呼ばれ、治りも早く「抗体」ができるので、それほど恐ろしい病気ではありません。
ところが、幼少の頃「麻疹」にかかったことのない大人が罹ると、別名「命定め」と呼ばれ、3~4日発熱が続き、吹き出物が全身に発症します。一旦、熱は下がるのですが、5~6日後からは、熱が再び上昇し、「咳」や「くしゃみ」なども出て、風邪に似た症状ですが、最悪の場合は「死」にいたることもありました。

>>避妊具もなかったと思います。

コンドームの歴史を見ていくと、日本でゴム製のコンドームが出回るのは1909年(明治42年)とのことです。世界の歴史をみてみると、1671年に、チャールズ二世が牛の腸膜を利用して、精子の侵入を防いだ記録が残っています。

>>遊女が懐妊などざらにあるような気がするのですが、堕ろしまくってたのでしょうか?

<洗浄法>
避妊の基本は、やはり洗浄でした。遊女用の浴室や便所には、必ず洗浄用の場所がありました。

<薬>
「朔日丸」(ついたちがん)というものが爆発的に売れました。
これは一般にも服用されていた薬で、毎月朔日(ついたち)に服用すれば妊娠しないというものでした。長屋の総後架(共同便所)などに広告が貼られている絵が残っています。

<お灸>
二月二日、臍下に灸をすえると妊娠しないという言い伝えがあり、廓ではこの日こぞって灸をすえました。

<道具>
甲形(かぶとがた)という男性が使用する、現代のコンドームに近いもので、薄い油紙で男性の性器形をしたものと、詰め紙という女性が使用する、現代のペッサリーに近いものがありました。
甲形は「笑い道具」、つまり現代の大人のおもちゃとしての用途もありました。また、詰め紙というのは、御簾紙という薄い紙を丸め、つばで湿らせて挿入しました。これは生理中、現代のタンポンのような用途でも使われました。男性の精液がその紙に浸み込んで「妊娠はしない」とのことで、流行しました。

<中絶>
農村部などでは日常的に間引きが行われていたように、当時中絶に対してはそれほど否定的な状況ではなかったようです。
よほど売れっ子の高級遊女であれば出産も可能でしたが、妊娠した遊女のほとんどは中絶せざるを得ませんでした。
また、遊女の産んだ子供は、女の子であれば「禿」(かむろ)として遊女屋で育てることもありましたが、たいていは養子に出されました。当時江戸には「中条流」という堕胎専門の医者がいて、妊娠した遊女はその医者によって堕胎させられました。ひどい場合には、遣り手が強引に堕胎させる場合もありました。さらに、何回も階段や箱を積んだところから飛び降ろさせたりもしました。
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ちり紙を挿入してたりしたらしい。


ちり紙は当時は高級品ですし、原理的にはペッサリーと似ている
http://www.kao.co.jp/laurier/health/003/003.html
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>遊女が懐妊などざらにあるような気がするのですが、


>堕ろしまくってたのでしょうか?

 HIVは、無かったようですが
梅毒は、ポピュラーだったようで

 初期梅毒を経た後の妊娠は死産や流産になる確立は高く
遊女も梅毒に掛かり最初に寝込む事は一種のステータスであり
遊女としても価値があがり稼げるようになったようです。

 もちろん堕胎する人もいたようですよ
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