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哲学とはどういう学問で人にとってどのように役立つものですか。

ウィキペディアなども読んでみましたがいまひとつよくわかりません。
ここの質問や回答をいくつか読んでみましたが
どうでもいいようなことをああでもない、こうでもないとやりあっているようなもの
抽象的であったり難解な文章が並び、これで本当にコミュニケーションがとれているのか
と驚くようなものがありました。
それで哲学とはどういうものなのか
さっぱりわからなくなってしまいました。

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A 回答 (26件中1~10件)

哲学は宗教と倫理と三点セットじゃん



それぞれではなく総合的に判断するべきだと思います

冷徹に真理のみを突き付けるだけじゃなく、すべては人間の存在が前提なのだから、生活にも本能にも配慮すべきだと考えてます

この回答への補足

哲学では全てをカバーできないので
他のもので補うという意味だと思いました。
大変妥当な考え方であると思いました。

補足日時:2010/07/22 10:50
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この回答へのお礼

再回答をありがとうございます。

無学なものですいません。
哲学は宗教と倫理と三点セットなんですか。

無宗教の場合は二点セットですね。

>冷徹に真理のみを突き付けるだけじゃなく、すべては人間の存在が前提なのだから、生活にも本能にも配慮すべきだと考えてます

そのとおりですね。

お礼日時:2010/07/19 00:52

>哲学者は神を何によって考えるのでしょうか。



哲学者も色んな仮説をしてきて、まず神は大まかに二通り(?)があるようで
絶体絶命の時に信心で救って下さる相対的な人格神と、
独り人格として生きた存在は認められないが、
永遠無限なるの神の生に取り込んで頂ける絶対の神です。

人間以外の動物については定かではないですが、人間は主客対立の世界で生きています。
世界の輪郭からの逃避を自由というかもしれませんし、自己克心というかも。

人生の目的が「アンチエイジング」だったとします。
いろんな手段があるけれど人間は必ず死ぬ運命にある。
生きたからには死にとうなくても選択肢がない真理(逆にいうと焦って死ななくてもよくて)
達成されない、あるいは努力範囲を超えて以外に速く達成してしまう目的もあります。

目的や手段がうまく達成されようが、中途半端に不発に終わろうが
合理的な人生というのもよくわからない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
(1)絶体絶命の時に信心で救って下さる相対的な人格神
(2)永遠無限なるの神の生に取り込んで頂ける絶対の神

そうですか、哲学では神をそのように定義づけるのですね。
それではどのようにしてそれを定義づけたのか、が気になるわけです。

科学で神を考えるとき、『データ』『史料』、それから前回書き忘れていましたが
『観察』などの手法によって考えます。
哲学の手法はどのようなものなのか。

もしも科学と同じく、『データ』『史料』『観察』などの手法を用いるのであれば
科学と別の学問とする理由がよくわかりません。

ちなみに、神を観察した結果、それは天体の動きを比喩的に表現したものであったとする科学者がいます。

観察というのは大変客観性のあるものだと思います。

それに対して哲学の手法は洞察力とかそういうもののような気がします。
そうだとするとそれは大変主観的なものですね。
主観的なものの見方をすれば、つきつめると何でも正しい、ということになってしまいませんか。

正直言って自由な発想というよりは、勝手な思い込み、だと思ってしまうのです。
(逆らうようなことばかり書いてすいません。)



回答者の皆様には親切に回答くださったことを心より感謝いたします。

お礼日時:2010/07/22 00:28

>哲学とはどういう学問で人にとってどのように役立つものですか。



物事を「整理整頓」していくこと。
日用品であっても手に入れるより正しい処分が難しいってことありますね。
保存すべきものや余裕があって処分しなくていいなら別ですが、
不用品ばかり多くては、新たな物を入れることも、何かをする自由も制限されます。


>手段と目的って明確に区別するのが難しいですね。

手段は別の選択肢もある、代用が効くものがある。
目的は唯一で絶対という区別でします。

例えば善人として有意義な人生を得たいとしても、政治家や宗教家に皆が目指すべきことでもない。
心理学や経済学、純粋思考である数学でも導くことは出来ないでしょう。
前提として完全な人間像が定義できないからです。
いや、出来たとして不完全さから喜びを得る人間味に繋がると思いますし。

哲学が予備知識や難解なものなら私は全く興味を持たなかったと思います。
そうじゃなく、哲学はみんなが空気のように知っていはいても気付いていないだけなんだと思いますよ。
これほど生活の多くをカバーし密着して日々活用出来る態度を示せるものは。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6

●問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問の一分野。

なるほどこれは整理整頓といえるかもしれませんね。
どなたかは「仕分け」だと書いておられました。

>手段は別の選択肢もある、代用が効くものがある。
>目的は唯一で絶対という区別でします

目的も複数ある場合が多々あると思いますし、複数あっても全く構わないと思いますが。
哲学はそれではいけない?

仏教ではかつて南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土へ行ける、と説いていたようです。
本当は現世で思うように生きたいのだけれど、それが叶わない世の中であった。
それで生きるために別の目的が必要になり、極楽浄土へ行くという目的をたてた。
これ手段でもあると思うんです。
生きていくためにはそうでも思わないと生きていけなかったわけでしょうから。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6

●学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、世界、存在、時間、空間、現象、経験、人間一般、理性、自由、因果性、世界の起源、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、、霊魂、などがある

ここに「神」と書いてあります。

科学者は神を文献や史料から考えると思います。
では哲学者は神を何によって考えるのでしょうか。

そこのところがよくわかりません。

お礼日時:2010/07/21 18:59

自然をどのように見るか、どのように考えるか?


社会をどのように見るか、どのように考えるか?
人生をどのように見るか、どのように考えるか?
生きるとは、働くとは?幸せとは?
なぜ、金持ちと貧乏の格差があるのか?
同じ人間の労働なのに、時給1000円の人間と、時給10000円の人間がいるのか?
「問い」には、必ず「答え」があります。
現在の日本では、いろんな問題が山積していますが、幕末でも、似たようなものでした。
大河ドラマ「竜馬伝」いよいよ面白くなってきました。
幕末の思想家に、熊本の横井小楠という実学者がいました。実際に越前藩の改革に成功して、明治政府にも参加しますが、竜馬暗殺の翌年、同じ京都で暗殺されます。

「抽象的で難解」とくれば、「哲学」と「数学」へのほめことばですね。ちんぷんかんぷん、外国語と同じ。
学問の成果は、NHKスペシャルなどで、わかりやすい番組にしてくれます。
「宇宙の歴史は、137億年」だそうです。ハッブル宇宙望遠鏡の最新画像の話を、NHKスペシャルで見ました。恐竜と哺乳類の話も面白かった。昔、アインシュタイン・ロマンという、相対性理論の番組もありました。ビデオと本を持っています。
抽象的で難解なものを、わかりやすく解説する啓蒙書も、たくさん出版されていますが、NHK高校講座の倫理と現代社会、理科総合を視聴してみてください。
昔、NHK高校講座の国語の授業で、坂田昌一博士の「科学の現代的性格」という文章を学習しました。ノーベル賞を受賞した、小林・益川両教授が、名古屋大学の理学部で学んだときの先生でした。正しい理論に導かれて、研究を続けることができたそうです。坂田昌一さんの文章は、岩波講座哲学6「自然の哲学」(1968年)にも収録されています。「自然の弁証法」とか、「弁証法的唯物論」といいます。
社会、歴史、人間について、唯物論の考え方をまとめたものに「史的唯物論」があります。
「科学の目」で、自然と社会と人間をみつめてください。
現在の少数派でも、未来の多数派になる人々をさがしてください。
世界が大きく動き始めています。「核兵器の廃絶」が、現実政治の日程にのぼってきました。人間が創ったものは、人間の手でなくすことができます。世界中の人間が望めば、かなわないことはありません。
「至誠にして動かざるは、未だこれあらざるなり」孟子の言葉です。吉田松陰の松下村塾を見学したときの、しおりに書いてありました。義とか、大義といいます。「核兵器の廃絶」、この課題は、日本人に課された課題です。21世紀は、日本国憲法9条が、世界中に広がるでしょう。そういう政府にしなくては、竜馬に会わす顔がありません。死後のことは、死んでみないとわかりません。
一緒に、大いに励みましょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

>「抽象的で難解」とくれば、「哲学」と「数学」へのほめことばですね。
「抽象的で難解」であることは、容易に人を寄せ付けない、という以外に何か役にたつことがあるんでしょうか。

NHKで先日恐竜をテーマにした番組を見ました。
その番組に限らないのですが、NHKの番組は理由を説明しないから好きではありません。

昔は恐竜が絶滅した理由は氷河期がきて食糧不足に陥ったから、と言われていました。
隕石がぶつかったという説もあったのですが、とんでも説だと考えられていました。

なぜ隕石がぶつかったことが恐竜絶滅の原因だと考えられるようになったのか
個人的にはそういうことをきちんと説明した番組を作ってほしいです。

>「科学の目」で、自然と社会と人間をみつめてください。

そのとおりと思います。
哲学的なものの見方は危険なように私には思えます。

お礼日時:2010/07/21 02:02

 No.13&16です。



 ★ (No.16お礼欄) ~~~~~~~~~~~
  (1)なるほど事業仕分けするのが哲学であると。
  その方法はどのようになさいますか。
  その方法が大切なように思われます。

 ここからなぜ、

  (2)つまり ご自身で回答をおこなったことになりませんか?
 
 となるのでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なぜでしょう?
 
 方法と言うと 単なる手段のことを言う場合もありますが 一般に《方法論》と言えば その人の思想(つまり 生活態度)の基本的な方程式を言います。知恵と言ってもいいでしょう。もろもろの知識を生かす方法ですね。
 その方法が大切だとおっしゃったから もう哲学の役目についてご自分で答えを出したかたちになったのではないかと思いました。どうですか?

  
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

えっと、そういう意味ではなかったんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6

●問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問の一分野。

●学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、世界、存在、時間、空間、現象、経験、人間一般、理性、自由、因果性、世界の起源、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、などがある

と書いてあります。

ここに「世界の起源」とあります。

これを科学ならば発掘調査の結果や、史料をもとに仮説を出していくことになると思います。
ではこれを哲学はどのような方法で検討し研究するのでしょうか。
これがわからないわけです。

先日友人に聞いてみたら、「信念」で考えるのだ、と言っていました。
それでは間違いが生じる可能性があります。

聖書なども哲学的に読まれてきたために、そうとう誤った解釈になっているのではないでしょうか。
(イエスキリストは太陽で、十字架にかけられるとは冬至のころ南十字星の上に太陽がくることを比喩的に言ったものだという説があります。)

私には哲学という学問は非常に危ない学問だと思えます。

お礼日時:2010/07/21 01:44

念のため、宗教=神の存在を信じるのは違います



宗教は本来、より良い生活のためにあるもので現在の一般認識のように怪しいものではありません

僕は神の存在は否定しますが宗教は否定しません。論理を神に依存してるものを否定します。それは説明も証明もなく明確にできていないためです
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>宗教=神の存在を信じるのは違います

たとえば
南無阿弥陀仏と唱えさえすれば、誰でも極楽浄土へ行ける、とする考えは
神の存在を信じよ、という考え方だと思うのですが。

南無阿弥陀仏・・・阿弥陀仏に帰依せよ
ですよね。

詳しくは知りませんので勘違いをしているかもしれません。
また他の宗教は違うかもしれません。

お礼日時:2010/07/21 01:19

>それから哲学(人生の目的)はどのようにして考えるのでしょうか。



人それぞれ・・・「こうしたいと考えること」 それが目的 たとえそれが他の人から見た場合
無意味に見えたとしても その人にとっては 意味のあること 人それぞれ 千差万別

例えば アフリカの子供が伝染病・栄養失調で死ぬのを 目の当たりにして、この子を何とかして助けたい、と思うこと。たとえその子供を助けた所で、南北格差をなくすことにはならないから、意味がないとしても、ただただ・・助けたいと思うこと、そしてそのことに自分の人生を掛けたりすること。そういう事が、人生の意味ではないでしょうか?(ある人の意見の受け売りですが)

哲学とは少し離れる考え方ですが・・・
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この回答へのお礼

何度も回答をありがとうございます。

例えであげていただいた目的はたいへん素晴しいものです。
しかし、誰しもそのように素晴しい目的をもてるとは限らないのではないでしょうか。
回答者様もおっしゃっておられるように「人それぞれ」ですから。

それだと人の迷惑になったり、他人を傷つけるようなことも
哲学だといえてしまうと思います。

するとやはり哲学とは自己満足の道具にすぎないのでは、と思ってしまうのです。

お礼日時:2010/07/21 01:14

哲学と言っても今では二つあるでしょうね 



学問としての主に過去の哲学者が書いた理論体系と我々が人生や社会を考え人生観 世界観を探る哲学と

大学に行けば哲学の教授などは「私はトインビーが専門で研究し教えている」と言います

私が私の哲学を聞いてくれと言ったら「あなたもトインビーの研究をするのですか?」という感じです。

たしかに倫社の本をみれば世界中の紀元前からの哲学者の極ありがたいところが紹介されています。

私も参考書を6冊以上読みました 言いことが一杯 宝の箱のように書いてありましたよ

それから私が独学で我流の哲学を考え続けました 大学も中退して(父が哲学を許さなかった)考えました

漁師の哲学 労働者の哲学 教師の哲学等などあることと思います

だから考える必要は在りますが自分の立場で考えれば良いのですよ。

自分とは何か 何故生きているのか どうやって生きて行くのか そういうことに自信が付けば良いのではないでしょうか。

私のも難しいです 存在性理論 と言います。検索されると分かりますよ。

僕からの贈り物です 人間は存在する為に 人間存在として存在する為に生きています。

存在してるだけでも価値があるのです。存続 その追及・・・とありますが。要は人間の目的です。

それが分かれば 皆でそれに合意すれば世界は一つになるかもしれません。

どうぞ哲学の世界を充分吟味して生きる指針にして下さい。必要十分な競争でゆっくりの進化で

永遠への追求をして行きましょう 目的は未来に在ります(^_-)-☆

この回答への補足

お礼が遅くなってしまって申しわけありません。

哲学には、
(1)過去の哲学者が書いた理論体系
(2)我々が人生や社会を考え人生観 世界観を探る哲学
のふたつがあるのですか。

>漁師の哲学 労働者の哲学 教師の哲学等などあることと思います

>だから考える必要は在りますが自分の立場で考えれば良いのですよ。

たくさんの回答を読んでいて気がついたのですが
哲学とはなにをもとに考えるのか、がわからないのです。

先日、友人に聞いてみたところ
「データなどを基に考えるのが科学、信念で考えるのが哲学。」だと言っていました。

信念で考えるんだったら間違うこともあるし、やはり自己満足にすぎないのでは、
と思ってしまいました。

>どうぞ哲学の世界を充分吟味して生きる指針にして下さい。

哲学を生きる指針にするにはまだまだ理解が足りないようです。

補足日時:2010/07/21 01:09
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
すいません、よく考えてからあらためてきちんと返事をいたします。

お礼日時:2010/07/19 01:02

事業仕分けと主張しながら、


他人の作り出した価値を浪費する迷惑老人のたわごとが哲学。
学問ではないし、役に立ったことはない。

定義的に見て迷惑の拡大。サイドエフェクトとして税金のばら撒きが生ずる。

ごくつぶし青二才の哲学は、どこまでいっても主観的仕分けにおわる。
「命令」がそのコミュニケーションの形態。
経済学以下の屁理屈。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

哲学とはたわごとのような気が私にもします。
私はあれこれいろいろ考えるほうですが
直感で行動する人に勝てたためしがない。

お礼日時:2010/07/19 00:49

お礼の形でまことに鋭い突込みをされたので、補足の形で書かせていただきます。


ともかく哲学が有用な、実学でもありうるということを強調するあまり、かなりアバウトな書き方になってしまいましたのでちょっと軌道修正します。

>ということは哲学はデータに基づかない学問だということですか。
(哲学にデータってあんまりききませんよね?)
データよりも直感が役に立つこともありますが
(ときどき直感で生きていて、とても才能のある人っていません?)
それじゃあ、どういうふうに哲学は結論を出すのだろう、と疑問に思ってしまいました。
他の回答者の方が「こうだからこう」の「こう」が大事、と書いてくださいましたが
筋道を立てて考えるということですよね?


哲学でも科学でも筋道を立てて考えるということは最重要なポイントです。でなければ「学」にはなりません。直感の話は面白いですが、これもとりあえずは避けておきます。

科学がデータを重視するのは、科学はあくまでも事実だけを追及する学問だからです。事実を証明するデーターが豊富に利用できるのです。

哲学が追求するお題は事実の追求ではなく、主に価値観がかかわります(Aが良いか?Bの方が善か?など)。直接には関係ないように思える「非戦論:戦争をなくせるか?」と言ったテーマでも、戦争というのはひとつの価値の奪い合いから始まることが多いわけですから、おおいに関係ありといえます。哲学でもそれなりのデーターは利用できますが、事実そのものが価値をきめるわけではありませんので、主に言語をツールにする結論証明のための論理構造はデータ以上に重要だと思います。


却ってわかりにくくなりました(汗;;)。
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この回答へのお礼

再回答をありがとうございます。

>却ってわかりにくくなりました(汗;;)。

いえ、明確にはわかりませんが(私の頭が悪いんでしょう。)
何となく分かったような気がします。


哲学のテーマは価値観にかかわる。
事実そのものが価値にかかわるわけではない、と。

しかしすると哲学というのはあくまで主観的なもので客観性がないようにも思われます。

誤っているかどうかの判断が難しいですね。

お礼日時:2010/07/19 00:47

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