古今和歌集11巻 548 
秋の田の ほのうえをてらす いなづまの 光のまにも 我やわするる 
(読み人しらず)    

の歌の意味を教えていただけませんでしょうか?
宜しくお願いいたします。

A 回答 (1件)

「秋の田の稲穂を照らし出すいなびかりの光はほんの一瞬の間のものですが、その一瞬の短い間もわたくしがあの人への恋の思いを忘れましょうか」


(新古典文学大系版の校注による)

「我やわするる」は疑問の形をとった反語で、
「いえ、決して忘れるはずなどないでしょう?」
の意味がこめられています。
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この回答へのお礼

 sesameさま、さっそくのご回答、本当にどうもありがとうございました。
ぜんぜん意味が取れなくて困っていたので本当に助かりました!(え?忘れちゃうの?、と解釈していたりして・・・。恥ずかしい・・・)
今後とも宜しくお願いいたします。

お礼日時:2001/04/06 17:32

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Q古今和歌集について

古今和歌集について

授業で勉強している古今和歌集についての質問です。

伊勢物語との関わりで、どうして伊勢の成立年代がなぜ905年以降と
いえるのか?という疑問です><

知っている方、どんな些細なことでもいいので教えて頂けると助かります!

Aベストアンサー

日本古典の中でも、とりわけ『古今和歌集』と『伊勢物語』を愛読してきた者です。

>伊勢の成立年代がなぜ905年以降といえるのか?

『伊勢物語』の成立事情については、いまだに研究者たちにとっても不明な点が多々あることについてはご存じですよね。
そうは言っても、現行の『伊勢物語』のテクストが生成される前段階の、より古い原形らしきものが『古今集』編纂の勅命が下された905年以前に存在していたはずと考えられております。

それが現存の『業平集』にも通じる家集に近いの形を取っていたのか、それとも多くの人々の口伝てによる歌語りのような形を取っていたのかとなると、これを確認するための文献資料は残っていないようです。
しかしながら、『古今集』編纂時には、こういう業平の歌やエピソード(逸話)を記録したものがあって、編者たちがこれらを参照したことが『古今』序に記されています。

現行『伊勢物語』のテクストを検証すると、『古今和歌集』や『後撰和歌集』から歌を取り込んで物語が作られている章段があることからして、確かに『伊勢物語』の原形は『古今集』以前に存在していたにせよ、現行の物語に近いテクストが成立するまでには、『古今』、『後撰』はもちろん、その他の歌集・家集、歌語り、伝承、逸話の類からも多くの題材を取り込みながら生成発展していったと考えられているようです。

ということで、現行の『伊勢物語』にほぼ近いテクストが成立した年代は、どんなに遡ろうとも、『古今集』編纂の勅命が下された「905年以降」であると推定せざるをえないのです。

日本古典の中でも、とりわけ『古今和歌集』と『伊勢物語』を愛読してきた者です。

>伊勢の成立年代がなぜ905年以降といえるのか?

『伊勢物語』の成立事情については、いまだに研究者たちにとっても不明な点が多々あることについてはご存じですよね。
そうは言っても、現行の『伊勢物語』のテクストが生成される前段階の、より古い原形らしきものが『古今集』編纂の勅命が下された905年以前に存在していたはずと考えられております。

それが現存の『業平集』にも通じる家集に近いの形を取っていたのか、そ...続きを読む

Q古今和歌集の歌 「夏と秋と…」

夏と秋と 行きかふ空のかよひぢは かたへ涼しき風やふくらん

古今和歌集の歌ですが、ぼんやりとしか意味が分かりません。これを詠んだ人と、一般的な解釈を教えて欲しいのですが…
道ならぬ恋愛になぞらえて解釈した人がいて、それも分かれば、ぜひお願いします。

Aベストアンサー

古今集の選者の一人、
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌ですね。
詞書に「みなづきのつごもりの日よめる」とあります。
これは旧暦六月の末日ですね。夏の終わりですね。
一般的な解釈は
夏が終わり、秋がやってくる空の道では、片方に涼しい風が吹いているだろう。
これは私の解釈で恐縮ですが、
選者に選ばれたにもかかわらず凡河内躬恒はかなり低い官位(甲斐小目)のままでした。
その不遇を歌った歌ではないでしょうか。
夏が終わり、秋がやってくる。
片方には涼しい秋風が吹いている。私にも秋風が吹いている。
躬恒が自分の不遇を嘆いていると思われますね。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mitune.html

Q新古今和歌集の訳

新古今和歌集の短歌の訳を知りたいのですが、全部の現代語訳がのっているサイトなどはありませんでしょうか?

Aベストアンサー

 サイトは知りませんが、書籍なら。

「古今集・新古今集」学習研究社¥520
「尾崎左永子の古今和歌集・新古今和歌集」集英社文庫¥667
「古今集・新古今集評釈―語釈・文法・鑑賞」清水書院¥720

 他にもいろいろありますが、お手ごろな価格のものだけをあげてみました。
 図書館に行けば、同様の書籍がいくつかあるかと。

Q古今和歌集か万葉集?

古今和歌集か万葉集?(もしくは他の和歌集)の中に
「亡くなったあの人の手紙の文字を見るとその人が偲ばれて悲しい」と言った意味の和歌があったと思うのですが思い出せません。何処かの本で読んだのですが....
御存じの方、教えて下さい。

Aベストアンサー

情報が少なすぎますね。意味だけなら当てはまるものがいくつもあって、しかも「うろ覚え」という可能性まで考えるともう、絞りようのない質問です。

……ざっと見ました(T_T)。
万葉集→挽歌部分のみ。それらしきものはなし。
古今集→哀傷歌部分のみ。同上。
新古今→哀傷歌(巻第八)
手すさびのはかなき跡と見しかども長き形見にになりにけるかな(805)
尋ねても跡はかくてもみづぐきのゆくへも知らぬ昔なりけり(806)
いにしへのなきに流るるみづぐきは跡こそ袖のうらによりけれ(807)
誰か世にながらへて見む書きとめし跡は消えせぬ形見なれども(817)
書きとむる言の葉のみぞみづぐきの流れてとまる形見なりける(826)
※ただ、ざっと見なので、見落としの可能性は多分にあります。

次に死んだ人を偲ぶ歌を歌った、ということを考えました。思いつくのは三人でした。もちろんそういうシチュエーションの人はもっといます。

和泉式部→恋人が亡くなったあと、情熱的な偲ぶ歌を多く作っています。しかし手元に資料がありません。「和泉式部日記」などご確認下さい。
紫の上が亡くなった後の源氏→古手紙を処分しながら亡き人を偲ぶというシチュエーション。

死出の山越えにし人を慕うとて跡を見つつもなほまどうかな(御法)

建礼門院右京大夫→平家の公達であった恋人を亡くしています。
「建礼門院右京大夫集」より。
めぐりきてみるにたもとをぬらすかな 絵島にとめしみづぐきのあと(78)※父への哀傷歌
かなしさのいとどもよほす水ぐきのあとはなかなか消えねとぞ思ふ
         (田辺聖子「文車日記」より孫引き)

……本で読んだ、というのが和歌専門の解説書などではないとしたら、上記の新古今の歌は該当しないような気がします。というのは、付属する物語としてインパクトが弱い。
後者の系統の方が、物語性がありますのでエッセイなどになりやすく、該当するものがあるのではと思います。
こういう類の質問をするなら、出来ればもうちょっと情報がないと……。むきになって調べたので一応書きますが、当っているという予感がありません。こういうのってカナシイものです(T_T)。

ちなみに建礼門院右京大夫は、

水のあわときえにし人の名ばかりを さすがにとめてきくもかなしき(327)

という歌が一番?有名かと思いますが、これは恋人の公達の署名が昔の書類にあるのを見てor聞いて詠んだ歌だそうですので、シチュエーションには合っているかと思います。

情報が少なすぎますね。意味だけなら当てはまるものがいくつもあって、しかも「うろ覚え」という可能性まで考えるともう、絞りようのない質問です。

……ざっと見ました(T_T)。
万葉集→挽歌部分のみ。それらしきものはなし。
古今集→哀傷歌部分のみ。同上。
新古今→哀傷歌(巻第八)
手すさびのはかなき跡と見しかども長き形見にになりにけるかな(805)
尋ねても跡はかくてもみづぐきのゆくへも知らぬ昔なりけり(806)
いにしへのなきに流るるみづぐきは跡こそ袖のうらによりけれ(807)
誰か世にながら...続きを読む

Q新古今和歌集の現代語訳の質問です。 「道すがら 富士のけぶりも わかざ

新古今和歌集の現代語訳の質問です。 「道すがら 富士のけぶりも わかざりき 晴るるまもなき 空のけしきに」 という歌の現代語訳を教えてください。 お願いします。

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 自信はありませんが

 「道を歩いて行くと富士山の噴火は見えない(湧いてこない)、晴れる暇のない、曇った空模様なので(噴火する気にならないのだろう)」

 合ってますか。

Q古今和歌集 315の歌について

古今和歌集に載っている
315 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもえば
の類歌について調べています。
緑の本、402ページに載っていると聞いたのですが、
どの本だったのか忘れてしまいました。
どの本かわかりますでしょうか?
またどの作品の何番の歌なのかわかれば教えていただきたいです。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

 恐らくは岩波書店から刊行されている『新日本古典文学大系』の「古今和歌集」でしょう。「類歌」の問題に応えるのは質問者様御自身です。

Q古今和歌集

古今和歌集の分かりやすい訳が載っているサイト無いでしょうか?自分でも探してみましたがあまり良いのに巡り合えません。お願いします。

Aベストアンサー

私は、古今和歌集の和歌を調べる場合いつもこちらの方のサイトを見ますので、ご紹介します。

参考URL:http://www.milord-club.com/Kokin/index.htm

Q新古今和歌集

こんにちは。現在高校生3年生です。
まずはじめの質問なのですが「体言止め」とはいったいなんでしょうか?辞書で調べると余韻、余情もたせると書いてあります。僕が聞きたいのはそれらを持たせることによってそ和歌がどうなるのか?ということです。(春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空とかです)

何個もしてすみません。次のは「あはれ」ということなのですがこれは平安時代の最高に美しいものに使うと聞きました。これは弱いものにも使ったと聞きました。なぜ弱いもの、儚いものにあはれを感じるのでしょうか?
長々と失礼いたしました。回答お願いします。

Aベストアンサー

「体言止め」については、

  http://members2.jcom.home.ne.jp/amei/nihongo/taigendome.html

を参考にしてみてください。それでも感じられなければ、深追いはやめましょう。

「あはれ」については

  http://www.norinaga.jp/009/index.html

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%AF%E3%82%8C

Q新古今和歌集の現代語訳付きの原文を探しています

初めまして。
よろしくお願いいたします。
新古今和歌集を読破したいと考えているのですが、
原文だけのものだと心もとないので、原文と現代語訳の両方が載っている書籍を探しています。
できれば、文庫がありがたいです。
もし、ご存知の方がおられれば、ぜひ、教えてください。

Aベストアンサー

補足を有難うございます、#1です。

そういえばあったような・・・と、昨晩、積読本をごそごそやっていたら、岩波文庫の「新訂 新古今和歌集」を見つけました。買ったはいいものの、どうもそそらないなぁ~と、開けてもいなかったのですが・・・パラパラめくってみると全巻掲載されていますし、注程度の語訳と注釈が載っています。先にオススメしたものに比べるとあっさりした内容になっていますが、その分「言葉」をしみじみ味わうにはこちらが良いかなぁ~と言う印象です。食わず嫌いして損したみたい(笑)私も今から読んでみたいと思います。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003010116/qid%3D1117590615/249-4204841-5405123

Q新古今和歌集!!

後鳥羽上皇の
 鶯の鳴けどもいまだ降る雪に杉の葉白き逢坂の山
という歌に用いられている修辞を教えて下さい!!

Aベストアンサー

 修辞は? ということになると「本歌取り」「体言止め」ですね。
 この歌は、「古今集」巻1春上にある「梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」を本歌としているとされています。今回話題になっている歌と本歌とでは「鶯が鳴いている状況(春が来た)」と「まだ雪が降っている状況」が共通しています。ところが、「梅と鶯」の組み合わせ、「杉と鶯」の組み合わせが大きな違いとなっていますね。この歌のキモはここにあります。「梅と鶯」という日本古来の美意識から脱却し、「杉と鶯」という新たな美を発見したということなのです。
 「本歌取り」という修辞は、歌を鑑賞するに当たって「本歌を意識し、本歌の情景や心情を重ね合わせる」ということで、今回の場合は、「鶯といえば梅なのにそうではなく杉と鶯なのか」と鑑賞する事になるのです。色彩を思い浮かべて見ると「杉と鶯」のほうが「梅と鶯」より、ピンク色が見える分暖かさを感じますね。要は色彩において「まだ寒いんだ」と感じさせているということにもなるのです。
 この歌に関して言えば、鑑賞の要点は「体言止め」よりも「本歌取り」だと思われますので、「体言止め」については省略します。もし「体言止め」の何たるかについて関心がおありでしたら補足をいただければ、ご説明いたします。
 

 修辞は? ということになると「本歌取り」「体言止め」ですね。
 この歌は、「古今集」巻1春上にある「梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」を本歌としているとされています。今回話題になっている歌と本歌とでは「鶯が鳴いている状況(春が来た)」と「まだ雪が降っている状況」が共通しています。ところが、「梅と鶯」の組み合わせ、「杉と鶯」の組み合わせが大きな違いとなっていますね。この歌のキモはここにあります。「梅と鶯」という日本古来の美意識から脱却し、「杉と鶯」という...続きを読む


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