古い 詩 たくさん 本





弟の教科書を読み、詩を読んでみたくなりました

何から読んでみるのが良いのかよくわからないので
広く浅く色々な詩が載っている本で何かおすすめのものがありましたら
教えてください。

何となく古い人のものがいいです、また軽く解説などが載っていると助かります。

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

詩は文芸の花、真善美が具現化したものだと思っています。


その最上のものと、まずはアンソロジー(詞華集)で出会い、自前の観賞力で味わい、出会いの最初の印象を大切にすべきですが、同時にその後、自分の観賞の妨げにならない程度の短い的確な解説を読み、その詩の良さを再認識したり賛同したり意外に思ったり驚いたりするということも、詩に接する大いなる楽しみの一つであると思います。つまり、ご趣旨に賛成します。
講釈はさておき、比較的近年のものを中心に、私がたまたま読んだことがあるきわめて限定的な範囲で、いくつか挙げてみます。

『詩の玉手箱』三木卓編 いそっぷ社 2008年刊
『通勤電車で読む詩集』小池昌代編 NHK出版生活人新書 2009年刊
『詩の中の風景 ―くらしの中によみがえる―』石垣りん編 婦人之友社 1992年刊

などがご趣旨にかない、手頃の分量で、まず最適と思います。
また、子供向けに編纂されているけれども大人が読んでもちっともおかしくないものとして、

小池昌代編による
『かさぶたってどんなぶた (1)あそぶことば』
『レモン (2)かんじることば』
『どっさりのぼく (3)いきることば』
『うち 知ってんねん (4)みんなのことば』
『かんがえるのって (5)ひろがることば』のシリーズ あかね書房 2007~2008年刊
があります。それぞれの巻末に短いが印象的な小池さんのコメントがつき、スズキコージや太田大八といった現代の児童画を代表する人たちが画を描き、詩画集としても楽しいものです。(こうした、詩と絵や写真やとコラボした詩画集を開くのも詩を読む楽しみの一つです)

もう一点、茨木のり子、大岡信、川崎洋、岸田衿子、谷川俊太郎の「櫂(かい)」(現代詩グループの一つ)メンバーが頭を寄せあって精選した『おーいぽぽんた』福音館書店 2001年刊
は、詩(新体詩・現代詩)ばかりでなく、短歌や俳句の古典まで載せてあり、別冊では大岡信による短歌や俳句の解説がしてあって、子供たちやその父母が参考にするのにたいへん適切ではないかと思った記憶があります。

そういえば大岡信には膨大な詩歌のアンソロジー『折々のうた』がありました。ここではそれを抜粋した、
『精選折々のうた』上中下巻三冊本 朝日新聞社 2007年刊 を挙げておきます。

詩の一つ一つを必ずしも解説しないが興味深いものとしては、

『詩歌の待ち伏せ』上・下・続の三冊、北村薫/編・エッセイ 文芸春秋社 2002~2004年刊
『名詩渉猟』天沢退二郎他 思潮社 2005年刊
『あの頃、あの詩を』鹿島茂/編・著 文春新書 2007年刊(かつて教科書に載っていた詩を編し時代の変遷を語ったものです) 
『詩の風景・詩人の肖像』白石かずこ/編・エッセイ 書肆山田 2007年刊

脚注ふうに鑑賞が付けられたシリーズとしては、

『日本の詩歌』全30巻 中央公論社 1970年代
『現代の詩人』全12巻 中央公論社 1980年代

が代表的なところでしょうか。
以上、日本の近代の詩を中心に思い出してみました。これでもほんの一部です。このあたりを手掛かりに捜されてはいかがでしょう。
アドバイスとしては、実際に詩作に苦しんでいる人(詩人)が編集・解説したもののほうがはずれが少ないように思います。詩の需要は最近少ないですから、大型書店・老舗の古書店・蔵書の豊富な図書館のほうが見つけやすいでしょう。
    • good
    • 0

まずは、以下の本を読まれてはどうでしょうか?


三好達治『詩を読む人のために』(岩波文庫、\630)
http://www.amazon.co.jp/dp/400310823X/
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q笑える詩、ありますか?

笑える詩、ありますか?
面白い詩を探しています。
明日の学校の授業で詩を朗読することになったのですが、
私は今まであまり詩に対して興味がなかったので
どのような詩があるかよく分からないでいます。

どなたか面白い詩を知りませんか?
できれば皆が笑えるような詩がいいです。

ググレカスなどと言わずに笑える詩を教えてもらえると幸いです。

Aベストアンサー

工藤直子さんの『のはらうた』、いかがでしょう? シリーズになって何冊か出ています。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%89%E3%81%86%E3%81%9FI-1-%E5%B7%A5%E8%97%A4-%E7%9B%B4%E5%AD%90/dp/492468421X

学校図書館や、お近くの公共図書館でもたいてい見つかるかと思います。

Q詩が嫌いな人に質問です

詩を好きな人ではなくて、嫌いな人にお聞きします。

1.どのくらい詩が嫌いですか?
(回答例:詩見るなら~した方がマシ)
2.詩の何が嫌いですか?
3.2の問題が解決したら詩を好きになることはありますか?
4.趣味で詩を書いていると言われたら引きますか?

僕は詩を趣味で書いてるので1には答えられませんが、
2.長い詩や冗長的な詩は一行で見るのを断念します。
その一行が物凄いインパクトがあれば見ますが。
3.これ以外の詩なら、まぁ・・・。
4.詩を見せてもらってからですかね。自分も書くので。

あと全く関係無いんですが、たけのこの里ときのこの山どっちが好きですか?
今日久しぶりに買いまして、ちょっと聞いてみたいなと思いました。
僕は前者のたけのこの里です。

今時間に余裕がある方で詩が大嫌いな方、よろしくお願いします。
ポイントは1から3までを重視しようと想います。

Aベストアンサー

女の学生です。私は文章を読むのが大嫌いです。
小学生の時から国語が大嫌いで真剣にやっても
間違ってたりしてイライラします。
小学生の時の国語の本に書かれてある物語以外の、
小説本を、最後まで読んだことがありません。

1.詩は小説と同じ分類と考えてしまいます。
短いものもありますが、読みながら考えないといけないのが
苦手です。でも考え方を書いている随筆とかは好きです。
しゃべっている感覚なので、長くても読んでしまいます。
詩見るなら嫌いな食べ物食べた方がマシです。
2.随筆のようにストレートに伝わらないからです。
長文は絶対読みません。
3.もちろん好きになれると思います。でも内容によるのですが、
つらい思いをただつづっている詩は嫌いです。
前向きな詩だったら好きになれると思います。
4.引きはしません。私が嫌いな分、尊敬というかすごいと思います。

たけのこの里ときのこの山だったら、絶対たけのこの里ですね!
高いので買いませんが、安かったら毎日食べたいです。

Q良い詩とはなんでしょうか?

黒田三郎と宮沢賢治の詩ばかり読んでいる者です(範囲狭っ…

ストレート過ぎるのですが、一般的に「良い詩」とはなんなのでしょうか?
どういった詩を人は「良い詩」と思うのでしょうか?

また、私は詩の書かれているブログやホームページを廻ったりするのですが、その時にランキングとかを見ると、上位にいる人は「幸せ」「希望」「愛」などの明るい、プラス的な詩が多いなぁ~と思いました。
暗めの詩が好きな自分としては、あまりいい詩とは思わないことがあるですが、一般的に暗い詩というのはあまり評価されないのでしょうか?

回答お願い致します。

Aベストアンサー

これまでいろんな詩を愛読してきた中年男です。

>ストレート過ぎるのですが、一般的に「良い詩」とはなんなのでしょうか?
>どういった詩を人は「良い詩」と思うのでしょうか?

まず、「良い詩」の「良い」の基準をはっきりと定めないことには、簡単に回答しづらいのではないでしょうか。
さらに、「良い」の基準を定めたにせよ、その基準の拠り所なり、根拠なりを曖昧にしたままでは、その基準も結局は恣意的でしかないということになりかねませんよね。

で、私としては、ある詩が「良い詩」かどうかは、それは小説でも、戯曲でも、絵画でも同じだと思いますが、結局、その詩がどれほど写実的であるかで決めるしかないと思います。
その点、よそ行きの韻文の衣装を着せられたり、きらびやかな比喩をちりばめられたりした詩が、はたして本当に「良い詩」なのかと問われれば、私としては、それは「良い詩」どころか、「悪い詩」にも及ばない、単なる虚飾に装われた擬似詩、つまりウソとしか呼びようがないところです。

思うに、詩に限らず、あらゆる芸術の価値、その存在理由はとなると、つまり「良い芸術」であるための基本条件とは、とにかく写実的であること、つまり世界なり、現実なり、人間なりの真相、正体をできるだけあるがままに捉えていること以外にはありえないと思います。
だって、写実的でない芸術が人間の心を根本から揺さぶり、感動させることができるとは、とても信じられませんからね。

>暗めの詩が好きな自分としては、あまりいい詩とは思わないことがあるですが、一般的に暗い詩というのはあまり評価されないのでしょうか?

いや、題材、テーマの「明・暗」とその詩の「良い・悪い」とは全く無関係だと思います。
たとえば、賢治の有名な「春と修羅」だって、題材レベルでは決して明るくはないですが、本当に「良い詩」だと思います。

ということで、「良い詩」というのは、詩人が《言葉》の有する能力を最大限発揮して、世界や人間の真相、正体をできるだけ正確に捉えようともがき苦しんだ末に詠み出されたものだと思います。

これまでいろんな詩を愛読してきた中年男です。

>ストレート過ぎるのですが、一般的に「良い詩」とはなんなのでしょうか?
>どういった詩を人は「良い詩」と思うのでしょうか?

まず、「良い詩」の「良い」の基準をはっきりと定めないことには、簡単に回答しづらいのではないでしょうか。
さらに、「良い」の基準を定めたにせよ、その基準の拠り所なり、根拠なりを曖昧にしたままでは、その基準も結局は恣意的でしかないということになりかねませんよね。

で、私としては、ある詩が「良い詩」かどう...続きを読む

Q中学 国語の詩

中学の国語で習う詩には、口語詩、定型詩、叙情詩、散文詩、口語自由詩・・・のように、種類や名前がたくさんあったと思うのですが、それを全て知っている方、教えていただけませんか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://www13.plala.or.jp/hosonag/shi%20shurui%20giho.htm
というページで中学受験(ということは小学生か)で覚えるべき詩のタイプが書いてある。
もしくはここか。
http://study-japanese.hp.infoseek.co.jp/hp/verse/verse-2.htm
入試目的ならこれでいいのかも。

Q王安石の詩「万緑叢中紅一点」について

王安石の「咏柘榴詩」について、以下のような疑問があります。
もし、ご存じでしたらご教示ください。

「紅一点」の出典は王安石の詩「咏柘榴詩」(柘榴を咏ずる詩)の
「万緑叢中紅一点、動人春色不須多」によるとのことです。

そこで、この詩を
岩波の中国詩人選集「王安石」
「宋詩鈔」
「王荊文公詩 李壁注」
「王安石全集」(上海古籍出版)
で探してみたのですが、見つかりません。

どの書籍に採録されているか、ご存じでしたらご教示ください。

また、この詩の全句をご存じでしたらご教示ください。

Aベストアンサー

まず、王安石の詩ではないという説は宋の范正敏の「*(しんにゅうに豚の字)斎閑覧」に「これは唐人の詩で作者不明で、かつて、私は王安石が持っていた扇に自筆でこの句が書いてあったのを見たことがある。王安石の自作と思っている人があれば、それは誤りである」とあります。また、この詩の出典は「書言故事大全・花木類・紅一点」で王安石の詩と記録されており、「王直方詩話」には、「王安石が内相のとき、翰苑に石榴が一叢あって、枝葉が茂り、僅かに花が咲いていた。そこで王安石は濃緑萬枝紅一点、為人春色不須多と詩作した。私は全編を見なかったことをつねに恨みとしている。」とありますので、この2句以外は現存していないと思います。

Q詩の書き方

 詩って何でしょう?
私はもう学生ではないですが、子供の頃授業で詩を書くなってことになったら困ったものでした。
 歌詞だったらメロディーにのせて歌ってしまえば
作文だろうが、日誌だろうが、般若心経だろうが、
日本国憲法だろうが、歌詞かもしれません。
 でもそんなものを詩集に載せて詩だといっても誰も納得しないでしょう。
 
 別に上手い詩を書こうなんて思っていません。
詩の書き方にルールはあるんですか、ないなら
作文や毎日書く日誌も詩になってしまいすが、
なにか詩にみえる文体たかがあるのでしょうか?
詩に使うと詩らしく見えない言葉とか、タブーとか
あるのでしょうか?
 
 非常に馬鹿らしい質問ですが、国語の授業が大の苦手だった私です。教えてください。よろしくお願いいたします。
 

Aベストアンサー

詩というものを文学の一部門と捉えるなら、ルールや形式は当然存在します。
作文は明確に詩とは言えませんし、日記も違います。
詩という言葉の定義からすれば、

風景、人事など一切の事物について起こった感興や想像などを、一種のリズムを持つ形式によって叙述したもの。押韻、韻律、字数などの律格あるものと、散文的なものとある。<広辞苑第三版>

とあります。
言語のリズム感は特殊なので、あくまで拍子とは考え難いようです。

具体的な書き方としては、
肝心なことを明記せずに、読み手に感じさせるように。
断片的な単語の羅列から、深い精神性を表現しようとする。
が代表的といえるかも知れません。
そこにテーマが存在すれば、より深く又は鮮明にとなりうるものでしょう。

「今日は雨が降りました」は日記ですが、
雨に対しての個人的なもしくは、客観的な事実を通しての感情の起こり等を書きつづるなら、それは詩と呼べるかと思います。
もちろん比喩を用いるという方法もあります。

あくまで一例なので、これが全てではありません。
日常会話で使用しない言葉を用いることも、詩的表現を高める上で有効でしょう。
それらの判断は、個人が行うものと考えて良いと思いますから、絶対ルールは存在しないと思います。

ただ、詩表現は自由度が高いので、何をやっても許される的発想も多いのも事実です。
書き手の詩に対する価値の位置づけで様々に変化しうるものですし、その度量の広さも詩表現の良さだとも思います。
そう言う意味では、詩に相応しくない言葉やタブーは無いように思います。

詩というものを文学の一部門と捉えるなら、ルールや形式は当然存在します。
作文は明確に詩とは言えませんし、日記も違います。
詩という言葉の定義からすれば、

風景、人事など一切の事物について起こった感興や想像などを、一種のリズムを持つ形式によって叙述したもの。押韻、韻律、字数などの律格あるものと、散文的なものとある。<広辞苑第三版>

とあります。
言語のリズム感は特殊なので、あくまで拍子とは考え難いようです。

具体的な書き方としては、
肝心なことを明記せずに、読み手に感...続きを読む

Qキュビスト詩人やキュビズム詩についておしえてください。

最近になってキュビスト詩人やキュビズム詩など絵画界の用語なのに、詩の世界で使われている事をはじめて知りました。キュビズムとは絵画の世界で立体派のことですよね。建築や写真の分野でも多くの影響を与えたと聞きましたが、視覚的効果の乏しい詩の世界でキュビズム詩とはどのような詩なのでしょうか。またキュビスト詩人とは代表的な詩人にどのような人がいるのか大変興味を持ちました。どなたか詩の世界に詳しい方やキュビズム詩に詳しい方おしえてください。また、調べられる参考書籍だけでもおしえていただければ幸いです。おねがいします。

Aベストアンサー

キュビスムは視覚芸術ばかりではなく、音楽や文学にも影響を持った運動としてありました。ただ、文学上のキュビスムとして理論的な大成を見る前に、ダダやシュルレアリスムに移行していくという経緯があります。ですから文学史では「キュビスム」として別個に取り上げられるというより、シュルレアリスムの項で取り上げられることの方が多いかもしれません。そもそも1917年に「シュルレアリスム」という言葉をつくり出したのが、後述するようにキュビスムの重要人物であるアポリネールなんです。この言葉を初めてアポリネールが書いたのは、ピカソがデザインしたバレエ『バラード』のためのプログラムでした。直後に「シュルレアリスム演劇」として『テレジアの乳房』という戯曲を発表しているんですが、残念ながら翌年にはスペイン風邪で亡くなっています。

シュルレアリスムは当初文学、特に詩を中心とした運動で、視覚芸術を加えるまで少し時間がかかったことを考えると、どこからどこまでが「キュビスム」でどこからがシュルレアリスムなのか、その分岐線を引くのも難しいのかもしれません。
シュルレアリスム運動のリーダーとなったブルトンは、晩年のアポリネールと深い親交を結んでいます。『フランス文学講義IV』では、篠沢さんは「ブルトンはのちのイメージでは教祖的で、威張りたい人ですから、この年長者と喜んで親しんだのは、よほど尊敬していたのでしょう」と、見てきたようなことを書いていらっしゃいます。

さて、ご質問にあるキュビスムの中心的な詩人とは、先ほども書いたアポリネールでしょう。アポリネールは詩人であると同時に美術評論も行っていて、早くからピカソとも親交があります。1905年にはピカソ作品に関する批評を発表し、ピカソが商業的に成功する端緒を開いています。また、もうひとりのキュビスムの重要人物、ジョルジュ・ブラックをピカソに紹介したのもアポリネールでした。

このアポリネールのキュビスム的詩として有名なのが、1914年に発表された「カリグラム」です。これは「視覚的詩」とされていて

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0

こんな感じ。
岩波の世界の美術シリーズの『キュビスム』にはこんなふうに解説してあります。

「アポリネール自身は、適当に拾い集めた断片や無秩序な思考をもとに頁上に形態を作りだすにあたって、マリネッティら未来派の詩論である「自由な言葉」を利用している。カリグラムのいくつかは、道ばたで耳にした会話の断片や、カフェでたまたま眼にした新聞の見出しを利用しており、…キュビスムのコラージュとまさに同様のことをおこなっているのである」(ニール・コックス著 p.410)

そのほかの詩人としては、マックス・ジャコブ、アンドレ・サルモンらがいます。そのほか、一般にはシュルレアリスムに分類されるジャン・コクトーなども、キュビスムの理念を達成した、と評価している人もいます。

日本では堀口大学によってキュビスムの詩人たちは早くも1920年代には紹介されています。
なかでもアポリネールの詩は「セーヌ河」を初め、日本でも有名ですね。
これを受けて春山行夫が「キュビスム文学」を主張しましたが、日本での発展はしなかったようです。

ここでおもに参考にしたのが、文中でも引用した『キュビスム』(ニール・コックス著 田中正之訳 岩波書店)ですが、詩への言及は少ないです。あとはシュルレアリスム関連の本かなあ。でもキュビスムへの言及があるものはやっぱり少ない。新潮文庫からは『アポリネール詩集』堀口大学訳があります。あと詩ではないですが、同じくアポリネールの『異端教祖株式会社』なんかは感じがわかるかもしれません。これは白水Uブックスにもなっていて、比較的手に入れやすいと思います。

以上参考まで。

キュビスムは視覚芸術ばかりではなく、音楽や文学にも影響を持った運動としてありました。ただ、文学上のキュビスムとして理論的な大成を見る前に、ダダやシュルレアリスムに移行していくという経緯があります。ですから文学史では「キュビスム」として別個に取り上げられるというより、シュルレアリスムの項で取り上げられることの方が多いかもしれません。そもそも1917年に「シュルレアリスム」という言葉をつくり出したのが、後述するようにキュビスムの重要人物であるアポリネールなんです。この言葉を初めて...続きを読む

Q現代詩について教えてください。

詩とは何でしょうか。

古くは詩といえば「漢詩」で、明らかに韻文でした。けれども、現代詩は韻文といえるのでしょうか。現代詩は何をもって、散文と区別しているのでしょうか。
それから、「自由詩」、「定型詩」などの言葉もうろ覚えなので、説明していただけると大変助かります。

皆様のお考えをお寄せください。
また参考になる本などありましたら、それも教えてください。

よろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

意識的に韻を踏ませたものや五七調などの定型に沿ったもの(つまり韻文)は別として,現代詩の見分け方というのは,書いた人が「詩」と称していればそれは詩である,というくらいしかないのではないでしょうか。見たところふつうの文章となにも変わるところのない「散文詩」というのもあるくらいですから。形がなんでもいいということになれば,内容だけで詩かどうかを区別することは至難です。もちろん,それぞれの詩人や評論家や学者は「これは詩である」とか「こんなものは詩ではない」とか論じますが,万人に共有される基準はないと思います。

日本において伝統的な詩とはほぼ和歌のことですが,これは,神の言葉または神への言葉,すなわち日常の言語とは異なる言語表現として発生してきました。五七調という「型」をもつことがその最大の特徴です。使われる言葉も,現代短歌に至るまで,日常語とは異なる文語が中心です。和歌より後に発生した連歌や俳句も基本的にはその延長線上にあります。明治の最初の頃も,「文語定型詩」という形で詩の「非日常性」は保たれていました。それに対して,近代人の思想・感情をもっと自由に表現したいということから「口語自由詩」が生まれるわけですが,「口語」であり「自由」であることそのものが,ある意味で「詩」から遠ざかることであったと言えるのではないでしょうか。

『日本文藝史』(講談社)という本の中に,現代詩について次のように書かれています。

 欧米の自由詩は,定律詩の形にとらわれない別種の詩律をもつもので,無律詩
 とは違う。だから,聴受のばあい,みごとな効果がある。ところが,内在律を
 生かすと称する日本の自由詩は,それを額面どおり実現できている例が多いと
 は限らず,むしろ,たいてい行別けの散文でしかないことを残念ながら否定し
 かねると申したい。

それと,最後におおまかな言葉の定義を。

定型詩=短歌・俳句など,音の数や句の数の決まっている詩。
自由詩=特定の韻律や形式をもたない詩。

日本語でもラップなんかは脚韻を踏ませていますね。かなり無理をしているとは思いますが,その不自然さがむしろ詩としての「非日常性」は強烈ににじませていると言えなくもないような気がします。

意識的に韻を踏ませたものや五七調などの定型に沿ったもの(つまり韻文)は別として,現代詩の見分け方というのは,書いた人が「詩」と称していればそれは詩である,というくらいしかないのではないでしょうか。見たところふつうの文章となにも変わるところのない「散文詩」というのもあるくらいですから。形がなんでもいいということになれば,内容だけで詩かどうかを区別することは至難です。もちろん,それぞれの詩人や評論家や学者は「これは詩である」とか「こんなものは詩ではない」とか論じますが,万人に...続きを読む

Q高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥」。詩の種類は何ですか?

高村光太郎の詩に「ぼろぼろな駝鳥」というのがありますが、この詩の種類は口語詩ですか?文語詩ですか?どなたか、理由を添えて教えてください。

Aベストアンサー

口語詩です。

旧仮名づかひで書かれてゐるので迷ふのでせうが、現代仮名づかひに直すなり音読するなりしてみれば、口語で書かれてゐるとわかるはずです。
文語詩の場合には、 「鐘が鳴るなり」 とか 「諸行無常の響きあり」 といふ具合に、普段使はれない古い言葉づかいがみられます。(たとへば、この文章は口語文です)

Q詩余(詞)について

詩余の特徴とは何でしょうか?
詩と詩余(詞)とはどう違うのでしょうか?

「詩」と「詞」と紛らわしいので、よく分からなくなってしまいました。。

どなたか教えて下さい。宜しくお願いします!

Aベストアンサー

簡単にいえば、
一定のリズムで歌うのが「詩」
曲に合わせて歌うのが「詞」です。
現代日本語でも「作詞家」「歌詞」と使いますよね。

「詞」は、唐代、西域から入ってきた新しい音楽に詞をつけることから始まりました。「漢文・唐詩・宋詞・元曲」という言葉があるように、宋代に特に流行しました。
曲に合わせて詞が作られますが、例えば「憶江南」という曲調では、句式が三五七七五、押韻が二・四・五句目というように形式が決まっています(「憶江南」はかなり短いものです)。
「詞」は、「詩餘」とも呼ばれますが、句によって長短ふぞろいなので「長短句」とも呼ばれますね。中国文学の研究者の間では、「詩」と区別するため、「ツー」(中国語の発音から)と呼ぶようです。

「詩」は、「近体詩」(唐代)では、五言詩・七言詩の形式に固定されますが、「古詩」では四言・三言・五言・七言・六言詩があり、押韻も比較的自由です。
ちなみに漢代の「楽府」(漢の宮廷が当時の民間歌謡を収集したもの)のリズムから生まれたのは、五言詩の形式です。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報