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特殊相対性理論で定義された時間の解釈について質問します。相対論ではある慣性系内の時計の合わせ方(同時性の概念)を光の伝達により定義しています。http://www.fourmilab.ch/etexts/einstein/specrel/ … 私はこの定義がとても人為的で日常の感覚とそぐわないものに感じます。よく相対論の帰結としてあげられる、動いている物体のローレンツ収縮や動いている時計の遅れはこの時間の定義と光速度普遍の原理からの帰結となっています。しかし、たとえば動いてる系Sの時計が遅れたように見えても、それはその(光をつかった)時計の時間の測り方の原理によるもので、日常見られる現象が‘ゆっくりに見えたり’、‘歳をとらないで済む’ということではない気がします。(すなわち時計が遅れたのであって、(日常的な意味の)時間が遅れたのではない)そうすると相対性理論における時間は現象をうまく説明するための数学的、抽象的な変数(日常感じる時間とは別のもの)のように感じてしまうのですが、自分の考えに誤りはあるでしょうか?ご指摘お願いします。

A 回答 (4件)

"時計の時間の計り方の原理"とは時計がどのようなしくみでできているか、ということでしょうか。


アインシュタインは 同じテンポですすむ時刻あわせが出来ている時計が座標系のいたるところに配置されていることは前提していると思います。 A地点では秒針:がひとつすすむ間に、B地点では秒針がふたつすすむとすると、AがBよりも時間がゆっくりすすむと云えませんか。 時計がおくれると時間がおくれるとは同じものだと思いますが、ちがいますか。時計の歯車がカチッと、マワルのとタバコのケムリが昇っていくのとではチガイがあるとおっしゃるのでしょうか。ロンドンのビッグベンが時を刻むのと、エリザベス女王の心臓が鼓動をうつのとではチガイがあると思ってらっしゃるのでしょうか。同じことだと思いますが。
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まず,老婆心ながらの心配を表明しておきます。



光の伝達による時刻あわせというのは,基本的には同一の慣性系内における異なる位置の時刻あわせ(まさに慣性系内の同時性の定義)ということであり,これ自体が異なる慣性系間の変換の前提となっているわけではないということを確認しておきたいと思います。無論,同一慣性系内の時刻あわせは,最も基本的な同時性確認の保証となる操作ですから,論理展開の土台となっていることは確かですが,それ以上のものではなく,異なる慣性系間の変換に際して前提となっているわけでもないと思います。前提となっているのは光速一定そのものですね?

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光の伝達をもって同時性の保証を得るということが「人為的」で操作主義的だと思われる感覚は,ある程度わかります。しかし,特殊相対論の2つの前提が相対性原理と光速一定にあることを考えれば,実は最も論理的に筋が通った「方法」であることがわかります。時計あわせというまったくあたりまえと思える前提にわたって(枠外から借りてくることなく),相対性理論をそれ自体として「閉じた」論理に仕上げているということができます。もちろん,前提した光速一定の原理を用いているわけです。現在,光速一定の原理は距離単位の定義として用いられています。時刻あわせが既知の距離と一定の光速をもって同時性を確認する操作であるのに対して,逆に光速を既知としてその到達時間によって単位距離を定義するというもので,論理的には同等の操作であると思います。

「日常的」な方法をとることは別に否定されません。1か所に集めた複数の時計を合わせて,それを「静かに」もっていってもよいわけです。しかし,移動=運動の結果として正確なはずの時計が互いに異なる時刻をとるようになってしまう可能性を排除したのですね。実際,加速度をともなうべきこの時計の運動においては,時計は遅れてしまうことを相対論は示しています。

一方,光速一定は,ある意味においては「仮説」ですから,光伝達による時刻あわせは光速一定が否定されれば論理的土台を失うことになるでしょう。しかし,一定の光速が精密な単位距離の定義に採用されていることからわかるように,測定の技術が日進月歩に進歩しつつある現代にあって,光速一定が否定される可能性はむしろせばまってきているといえます。

なお,「数学的,抽象的な変数のように」感じてしまうのは,相対性理論の帰結の多くが光速に近い速さでの粒子の運動やブラックホールのようにとてつもない巨大な重力下の現象という「非日常的」な現象においてようやく,その効果が目に見えるほどになるという特性からいって,やむをえない感覚であると思います。しかし,「時間の遅れ」という現象は,単に物体としての時計の遅れというものにとどまるものでないことは,μ中間子の地表到達や,GPSにおける時刻補正の問題など現実の観測・実験が示していると思います。
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>日常の感覚とそぐわないものに感じます。



だから時間は相対的と云うのを理解出来なくて未だに相対性理論は間違っていると云う人が後を絶たないのです。
質問の計り方もちょっと違う気がします。

時間が相対的とは観測する系によって違うと言うことです。
例えば全長が60万kmの宇宙船を想定して、その両端に観測者A、Bがいて進行方向はA→Bと仮定します。
そして宇宙船のど真ん中から光を発します。
するとこの宇宙船が静止していようと光速(秒速30万km)で移動していようとAとBには丁度1秒後に光は到達します。

これを別の静止した場所にいる観測者Cから観るとこの宇宙船が静止している時は勿論AとBに光は同時に到達して見えますが、宇宙船が光速で移動している時はAの方に先に光が到達して見えます。
時間は実際は同じで時計が遅れていると云うのでは無いのです。
あなたの云う「日常見られる現象が‘ゆっくりに見えたり’、‘歳をとらないで済む’ということではない気がします。」は観測するにはあまりにも遅過ぎるので体感出来ないだけのことなのです。

もう一つ、時間は重力によっても変化します。
例えば地球である原子を観測すると1秒間に2回振動するとします。
別のもっと重力の大きな星でその原子を観測すると1秒間に1回しか振動しません。
つまり、言葉遊び的にはなりますが「1秒間に2回振動する」と云うより「2回振動すると1秒が経過している」のです。
上記の地球と重力の大きな星を比べた場合、地球の方が振動数は倍になります。
すると地球の方が早く1秒が経過することになるのです。
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1.同時性の定義は人為的なものです。

これは原論文にも説明してあります。すなわち、離れた場所の同時とは何のことか、説明できないのです。だから、定義するしかないと言っています。
2.定義だから、どうやってもいいのですが、もちろん合理的かつ簡単なものがよいでしょう。原論文の定義は私にとって、とても簡単で常識的に思えます。
3.だって、同時性の定義とは結局、「A地点での時刻tAに発射した光は、距離Lだけ離れた地点Bに、B地点の時刻tBに到達したとき、tB-tA=L/c(cは光りの速度)となる。」といっているだけですから。
4.極論すると、あまりに常識的な定義なので、同時性の定義はローレンツ変換にとって必要ないのです。実際、同時性の定義を述べていない教科書もあり、違和感はありません。
5.ただし、慣性系における時間とは何か、離れた場所の時計合わせをどうするかということを明確にすると理論の見方も変わります。
6.後半の意味があまりつかみかねますが、時間遅れなどは観測と一致する物理現象だそうです。
7.勿論、「相対性理論における時間は現象をうまく説明するための数学的、抽象的な変数」や「日常感じる時間とは別のもの」ではありません。
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