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思想や考え方、観念、概念の伝播、浸透の仕方に関する研究について。
今、日本でどのようにして人間の思考や思想が伝わっていくかについて知りたいのですが、それについて著名な研究者か、研究論文、参考文献など、助けになるものを探しています。
或いは、テーマそのものについて、何か教えていただけることがありましたら、よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

この質問に関しては他の方がいろいろ教えて下さると思いますのでそれを参照すれば良いと思います。

しかし、このような論題に対して往々にして、忘れられてしまう側面がありますので、それに付いてどこかで触れておくと、説得力のあるしっかりした論述が出来る筈です。これから紹介する側面は、私がある自然科学の研究の専門家として実感して来たことです。

それは、思想や考え方や観念や概念の伝播、あるいは浸透の仕方はどんな高度な概念と言えども、言葉を通しての時系列的な論理だけで行われている訳ではなく、一対一で向かい合い、相手の唾にまみれながらその迫力を通して相手に伝わって行くものが意外に大きな部分を占めていると言うことです。

そんなことは考えてみれば当たり前で、人類が言葉を使うようになって高々数十万年、ところが、人類だけでなくあらゆる動物が、言葉を使わずに、所謂ボディーラングウェッジだけで数百万年、数千万年の長い間意思の疎通をやって来ました。ある統計によるの、日本人よりも遥かにおしゃべりなアメリカ人ですら、お互いの意思の疎通の80%以上を相手の顔色伺ったり、相手の態度からの信号を受け取ってボディーラングウェッジで行っていると言う結果が出ているそうです。

実はそのボディーラングウェッジの重要性は日本でも既に千年以上も前に気付かれていました。例えば仏教と言う舶来で斬新的な、その当時では今の西洋科学みたいな物が日本に入って来た時に、顕密と言って、顕教と密教という二つの立場が唱えられました。顕教とは、
思想や考え方や観念や概念の伝播は、書いた物を通して徹底的に勉強したり思索をすれば可能であると言う立場です。先生の役割は、先輩としての情報提供者としての二義的な役割であり、事情によって先生を手に入れることができなくても、本人一人で書物を勉強すれば伝達が可能だ、と言う主張の上で成りなっています。

一方、密教は、書物を幾ら勉強しても伝えることができない高度な概念が在る。それは、先生との一対一の対決を通し先生の迫力を通してのみ伝わって行く、と言う主張の上で成りなっています。私は仏教の専門家ではありませんので、見落としているかも知れませんが、日本での密教の牙城は高野山の真言宗の筈です。

私自身、自然科学の研究者として長年やって来て、始めのうちは顕教的な考え方をしておりましたが、経験を積めば積むほど密教的な思想や概念の伝播の仕方の重要性を認識するようになりました。

ですから、こう言う問題を論じる際につい油断してしまうのは、言葉による論理的な側面に重きを置き過ぎてしまうことです。何故そのような罠にはまってしまうのか。多分それは、その問題を論じるときに言葉以外に表現出来ないからなのだと思います。言葉や論理を通した顕教的な側面が重要なことは言わずもがなで誰も見落としませんが、密教的な伝達の方法の重要性はつい見落されてしまいますので、その部分の指摘も是非忘れないで課題を仕上げて下さい。
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