No.10ベストアンサー
- 回答日時:
死刑が最高の罰とあなたは考えるんですよね?
日本の判例を見ると、人を3人殺したら死刑判決が出る。
だけど、死刑判決が出たとしても、本当に死刑になる人はそういない。
遺族の中には一生かかって自分がやったことがどんなことかわかってもらうため、死刑は望まないという人がいるが稀。
クリミナルマインドというドラマがあって、少女たちを何人も拉致して殺した夫婦は10年以上前に死刑判決が下り、ついに執行する日がやってきて、FBI調査官はわかっている以外に殺していないか調べるために、死刑囚に会ったんです。
妻は裁判の時 どんなに責められても無言でしらっとした表情だったので、冷酷な女という印象で、死刑執行の日は人々が「この冷酷な女 早く死ね」とシュプレヒコールを起こしていた。
調査官が妻の方に会うと、本当にしらっとしていて、刑務所の所長も「ほんとうに胸糞悪い女。早く死刑を執行して終わりにしたい」と言っていた。
FBI捜査官は、妻の方は幼少の頃親から虐待されたので、人格が歪んだのではないかとみて、妻の母親に会いにいったわけです。
そこで、母親に最後の手紙を送っていることがわかり、それを読んで妻は殺していない とピンときたわけです。
「殺してませんよね、殺していないのに何故黙っているんですか。夫が怖いからですか」と詰め寄るのですが、黙っている。
「あなたは自分の子供を殺していませんよね。
夫はわが子を妻が殺したと思い込み、子供は夫によって殺されずに済むと思ったんですよね。
殺したことにして養子に出しましたよね。
もう夫は死刑で死にました。
もう 子供は夫によって殺されることは無いから本当のことを話して」って。
でも言わない。
死刑執行の数分前、調査官は裏で養子に出された子供の家についに行くわけです。
外出から帰ってきた家族の車を止めた。
「あなたの子供さんたちのことで話があります」って。
死刑執行のために歩き出した妻は「お願いだから」とギデオン捜査官に暴かないで欲しいと目で訴えた。
自分が死ぬことで、子供に別の人生を与えられる ってわけです。
彼女が一番恐れていたのは、夫じゃない。
<世の中の人々>です。
彼女が死ぬことを望みシュプレヒコールを挙げていた<自分の家族は殺されていない人々>の狂気を死刑囚の女性はよく知っていた。
真実を知っている人達はFBI捜査官以外、その場にいた刑務所の所長、職員たち、そして養父。
みな <自分の家族は殺されてはいない人々の狂気>をよく知っていたので、真実を知った後も彼女が電気椅子に送られることを防がなかった。
1人の無実の死刑囚の命を奪うことで、この死刑囚の願いである子供の命を救ったわけです。
クリミナルマインドの監督は、よく人々の心理を知っていると思った。
人がどういう反応をするか よく理解してドラマを作っている。
なんせプロファイリングのドラマですから。
>処罰したいと願うその心は「人の道」を歩んでいるとは言えないでしょう。
つまり家族を殺されていない人々が、罪だとして人の死を望むことが、人の道と言えるのかってことですよね。
人の道とはいえませんが、人間行動ではそう望む人が圧倒的に多く、願わない人はマイノリティー。
多数決で多い人の反応を常識とするのが世の中です。
私はこのドラマの圧倒的な母の愛に打ちのめされ 言葉を失うしかありませんでした。
そして、人の狂気の前でも言葉を失う。
言葉じゃ無理ってことですね。
だから 黙るしかないわけで。
本当のところ、この質問の回答には沈黙が正解なのかも と思いました。
因果応報の裁きにより人を殺せば死刑になります。
しかし人は死ねばそれ以上裁くことはできないし、裁かれることはないのです。
なぜなら人は死ねば消滅し無になるからです。
No.9
- 回答日時:
No.3です
「人の道」という概念があるとすれば、それぞれの人にとっての(あるいは人情としての)「人の道」と、統一的な概念としての(あるいは社会的な概念としての)「人の道」との両方が存在することでしょう。。。
死んだ人間に罪を問うたり、処罰したいと「願うその心」は、それぞれの人にとっての「人の道」です。
たとえば、我が子を殺した犯人(既に自殺済み)の家族が隣に住んでいたとして、「我が子を殺した人の家族」だという先入観(ないし記憶)を完全に意識しないで交流できないというのが、それぞれの人にとっての「人の道」になるでしょうし、社会通念的には、他の人々と同じように対等に付き合わなければならないというのが「人の道」になるでしょう。前者は情が強く支配している関係であり、後者は知が強く支配している関係になることでしょう。
No.3での「非合法の制裁」という概念は、そういった状況下(情が強く支配する関係)での相互の家族間に芽生える障害を意味しています。
おそらく、どちらかの家族は「いたたまれなくなって」転居することになるでしょう。
情を主体とした関係と知を主体とした関係の、どちらが「誤っている」ということではなく、両方共に「正しい」と言わざるを得ないと思います。
「人の道」は「人の道」であり一つしかありません。
人情としての「人の道」も社会的通念としての「人の道」も同一のものです。
日本国憲法が一つであり、各個人毎に日本国憲法を定めるものではないのと同じことです。
真理の探究とは秩序を破壊することではなく、秩序を構築することなのです。
No.7
- 回答日時:
いや 被疑者死亡のまま裁判は開かれると思います。
有罪と決定されるまでは あくまで被疑者ですから。
裁判で有罪判決がでたら、犯人ってなります。
刑事事件では賠償はお金か実刑か両方かは裁判で決められ、実刑判決が出ても、犯人が死亡していた場合は、執行できないだけです。
だから死んでしまえば罪に問われない、有罪にならないってことは無い。
また、今度は民事裁判が遺族から起こされ、刑事事件で有罪となった死亡した犯人が財産を持っていたら、相続人に行くはずの財産を遺族が差し止め請求をして、その中から賠償金を支払うよう求めると思います。
しかし 人の命を奪うような人が、何千万も貯蓄しているってことは無いわけで。。。
ただし、大きな会社の社長が、消費者が死ぬ可能性があると知っていながら、リコールをしなかったと判明し、社長が自殺した場合は、遺族は社長の遺産を使って賠償金を払えと訴訟を起こすと思います。
刑事事件で悪質だとして犯人?の判決が下れば、遺族は堂々と遺産から賠償金を支払えと請求できるが、今度はその社長の会社の経営が傾くわけで、その前になんとか遺産の差し押さえをしないと取れない。
というわけで、人を殺して死ねば罪に問われるのを免れるってことは無い。
言いたいことはわかりますよ、死んでしまえばその後のことはわからないので、殺し得じゃないか って思うんですよね。
確かに通り魔殺人をしてそのあと自殺した場合は、犯人はせーせーして満足感にひたった状態が最後なので、死に逃げで犯人が得をしたようになりますよね。
だけど紙面上までは死んでしまったので操作できない。
死んだのでその後どうなったかは知ることはできませんので、殺し得と思えばそれまでですが、、、、
ということで、死んだ人間であっても加害者と思えた場合は、罪を問う。
処罰したいかとかじゃなくて 白黒はっきりさせるために、死んだ人であっても罪があったかどうか審査されるんです。
罪が無いかもしれないのに、推測だけで記録に犯人とするわけにはいかないでしょ?
>いや 被疑者死亡のまま裁判は開かれると思います。
なるほど、kigurumiさんは外の宗教オタクと違ってまともなことを言いますね。
確かに死者に対して罪を問い、刑を宣告することはできます。
死者に対し刑を宣告することはそれがどれ程のものであれ簡単な事です。
しかしそれを執行することは不可能なことです。
つまり死んだ者に対し如何なる刑を宣告しようとも、全て子供だましで終わるということです。
お分かりでしょう。
No.6
- 回答日時:
関西弁はどこにいったんや?
どうしてやめてしもうたんかのう、つまらんわ
処罰いうんは必ずしも、その罪を犯した人間のためだけにやるもんやない
見せしめとしての効果もあるんや
だから処罰する意味はあるし、することもできる
ただし、その「人間」に苦しみを与えることができるかといったら、それはないな。
その人間の「霊」にはわからんが。
あんたの大前提としてる「死んだ者は無になる」という説やけど
誰もそれを証明できん
お前が見たことない、知らないというのは証拠にならんぞ
事実この世界で誰かが見たことあるて言うとるんやからな
その命じゃなくなった存在に苦しみを与えることならできるかもしれん。
ふう、偽関西弁は疲れるぜ
No.5
- 回答日時:
日本の刑法では死者に判決は下さない事になっています。
外国には死者に宣告する場合もあるようです。
要は文化の問題でしょう。「人の道」かどうかはその国の「人の道」によります。日本の場合は「合理主義」と「神道」の払い清め、「仏教」の悉皆成仏などの精神がこうした法律の根本になっているのでしょう。
No.4
- 回答日時:
可能でしょう。
まず,
>また死んだ人間に罪を問うたり、処罰したいと願うその心は「人の道」を歩んでいるとは言えないでしょう
ここについては私はまったく反対です。
もちろん「人の道」の定義次第ではありますが,処罰したいと願う人を非難しているとすれば,賛同できません。
徹底的に人を憎むことが「仁」につながることもあるからです。
死体に鞭打って何が悪いのか,私にはまったく理解ができません。
大事な人を喪えばそれぐらい望むのが当然でしょう。
水に流す文化を私はかくべつ良いものであるとは思いません。
犯人本人のみならず「三族までも皆殺し」を求めるのも自然な感情でしょう。
A級戦犯の遺骨を太平洋にぶん撒いたのは,やはり正しい処置だったと思います。
>なぜなら人は死ねば消滅し無になるのであるから、これに罪を問うたり処罰したりはできないからです。
間接的な処罰ができるでしょう。
死後,史書から存在を抹殺するのもひとつの方法です。
「悪人が処刑される」よりも,処刑された上でそんな人が「存在すらしなかったことにする」のほうが重い刑罰でしょう。
近年流行の「死刑にしてくれ」と開き直る凶悪犯には,「そんな事件なかったよ。お前の夢じゃないの?」と拘置所で言い続け,公判も開かずに数年捨て置いたら,彼らは発狂したのではとも思います。
人権上,許されていないだけですね。
被害者・被害者家族の感情にしたがっていけば,残虐な刑罰を要求するようになるのは自然の勢いです。
現行の死刑なんて生ぬるい,石打にしたい,あるいは火あぶりにしたい,と思うのも,人として当然です。
しかし,その通りにしてしまうと,どこまでも拡大します。
「コーラン」が「目には目を」を定めているのは,これまでは身内を1人殺されたら犯人側を100人殺せであったから,人命の損失が多かったためである,とされます。
人は残虐な報復を求めるのが当然であるからこそ,社会システムに処罰を託すことが文明の智恵として形成されてきたのです。
ついでながら,昨今は「被害者」に同調する風潮が強まっているようで,もともと人権思想が定着していない日本は,危険な方向へ進んでいると思いますね。
>可能でしょう。
>・・・・・・・
>間接的な処罰ができるでしょう。
>死後,史書から存在を抹殺するのもひとつの方法です。
これなど子供だましもいいところだ。
だいたい死んだ人間に史書など何の意味があるというのか。
言ってる本人アホらしいとは思わんのかね。
No.3
- 回答日時:
電車に投身自殺して、高額の賠償を請求された遺族は、身勝手に死んでいった身内を心底恨み続けるかも知れないですね。
。。そのように思うことは当然のことでしょうし、そう思うこと自体「人の道を歩んでいるとは言えない」なんて言えるでしょうか?
子を殺された親の気持ちも同様でしょう。犯人が勝手に自殺などしようものなら、地獄から引きずり出してでも自身の手で何百回と殺したくなるかもしれません。
「死んだ人」にではなく、残された遺族に対して非合法的な様々な制裁が加わるかも知れません。
死んで魂なるものも完全に消滅すると考える人ならば、残された遺族や、残していった諸物を恨み・呪いの思いの対象にすることでしょう。
死んで魂なるものがどこかの世界で残存し続けると考える人ならば、そういったものを想定して恨み・呪いの対象にすることでしょう。
それは、ひとえに「死んだとしても全ての関係は存続し続ける」ということの裏返しでしょう。
如何なる理由にせよ、死んで消滅し無になった者に罪を問うなど決して出来ません。
これは宇宙の法則です。
仮に5度人を殺した人間に“五度死刑に処する”と宣告することはとても簡単なことですが、
これは全く子供だましにすぎないことは明らかです。
実際、以下なる方法を編み出そうとも全て子供だましにすぎず、死者を処罰するなど決してできないのです。
あなたは死者を処罰する方法が有るというのですか。
もし有ると言うのであればそれをここに示さなければならない。
同時にこのような子供だましにすぎないこと考えたり願ったりする人は、「人の道」を歩んでいないこともまた明らかなのです。
なぜならば、それが不可能であるというのはその考えが間違っているから不可能なのです。
もし「死んだ人」にではなく、残された遺族に対して非合法的な様々な制裁が加わるとしたら、それは正しい社会ではありません。間違った社会なのです。
ただそれだけのことです。
No.2
- 回答日時:
>死んだ人間に罪を問うたり、処罰したりできるか
日本では、判決で新たに○○罪とか追加される程度だと思いますが、
外国では結構やってます。
墓を掘り起こして遺体を引きずり出して、鞭打つ等があったそうです。
その人物の像を作って、なんてのもありますね。
日本人はそこまでしないし、考えもしませんが。
だから外国の著名人から『日本人はとても高潔な心を持っている』とか
言われたのでしょうね。
今はどうでしょうね。
>墓を掘り起こして遺体を引きずり出して、鞭打つ等があったそうです。
それは広い世界の中では有りうることだと思う。
しかしそのような光景を見て人はどのように感じるだろうか
楽しいだろうか、嬉しいだろうか、悲しいだろうか、空しいだろうか。
「人の道」を歩んでいると思うだろうか。
その思いが全てを物語るのだと思うが。
No.1
- 回答日時:
日本人としては、死んだら何人たりとも仏様。
自分はそう思っているので、罪に問うとか問わないとかは、
それ自体を「問わない」。 です。
ただし、生前の所業についての評価とか論評みたいなことはありかもしれないけど、
それについても
「あの人はコレコレコウダッタヨネ。地獄に行ったかもね。」みたいな、「ささやき」はするかもしれませんね。
その程度です。
死体に鞭打つことはしません。
>日本人としては、死んだら何人たりとも仏様。
ところがドッコイ、そうではないのです。
「あの人はコレコレコウダッタヨネ。地獄に行ったかもね。」みたいな、「ささやき」をする人がいっぱいいるのです。
それが坊主です。坊主はこのように「ささやき」ながらお布施を頂戴するのです。
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