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金仏が欲しいのですが。

浄土真宗本願寺派の門徒です。今は本願寺からお迎えした六字名号を拝んでいるのですが、仏具店で見つけた金属製の阿弥陀様(形は本願寺派様式です)のお顔がなんとも良くて、欲しくなってしまいました。
ですが浄土真宗では本尊は名号か絵像か木像に限るということで、しかも木像なら木仏検査が必要と聞きます。金属製では合格するわけがありませんね。どんなに良いお顔をしていても町版は町版…と思えばなにか引っ掛かる気もします。
そう思っていたら、知り合いの真宗寺院の息子が「うちの寺の本尊は銅像だけど?」なんて言い出したのでちょっと混乱してしまいました。寺院レベルでは木仏検査の基準はどの程度守られているのでしょうか? また、私はくだんの金仏をお迎えして拝んでも良いでしょうか?(家の仏壇は別にありますので、個人の持仏としてです) 

gooドクター

A 回答 (4件)

うーーーん、頓珍漢なコメントかも知れませんが…



他のご宗旨のお寺にお参りされて、阿弥陀如来、観世音菩薩、大勢至菩薩の三尊形式であったら弥陀一仏ではないから合掌礼拝しない、あるいは、如来には礼拝してもお脇立ちにはしない、あるいは、座像であって立像でなかったら合掌礼拝しない…という方は、絶対にいないかと言うとまあいらっしゃるのかもしれませんが、そうすると古くからある真宗のお寺でご本尊が、そのお寺は昔は天台宗だったから舟形光背だから駄目とか、やたら面倒くさいことになるような気がします…。

あるいは、聖人旧跡めぐりバスツアーに参加したら新潟県の居多ヶ浜の神社に日の丸名号があった(伊勢神宮の法然上人による日の丸名号は夕日の中に名号が見えていますが、新潟県の場合は、朝日の中に名号が見えている)、けれども、なんだか、民間信仰っぽい(お彼岸に棚を作って大日如来像や不動明王像を置いて、「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来を称名念仏する行事というのは伝統的に、日本全国で昔はあったはず…。これは今の真宗から見ると像と称名がずれているように誤解しますが、ずれていない。なぜならこの行事では大日如来=阿弥陀如来=太陽)から、心の中では尊いという気持ちは起きたが、周囲の視線を気にして合掌はしなかった…となると、なんだか人生つまらない気もします。

掛け軸で、聖徳太子お一人ではなくて、聖徳太子のご親戚のご絵像も含むものがあったら、今の本願寺のデザインとは違うから、室町時代のものだから尊くない、ということもないような…。

ご開山さまは、確か名号しか書いておられないとは思いますが、木像さまも絵像さまも拝んでおられたと思いますね(金属は不明)。

浄土教一般では、多分、本当に、信心がかたまっていれば、木像も絵像もなくても、お浄土も、阿弥陀如来も、見えるとは思いますが……。

まあ我々凡人にはなかなかビジョンはこないわけで、助けとして、木像さまとかご絵像さまとか、あるのが、なんというか、世のならい、ということはあるのではないでしょうか…。

お内仏ではなくて、道を歩いていて、お地蔵様があって、自然に合掌した、というのはとがめられないのであれば、よいのではないでしょうか?

これは教義で、ある、決定打、決定的な言説という話ではないということはないでしょうか?
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この回答へのお礼

追記も含めて力の入った御回答ありがとうございます。

質問の件とは逸れてしまいますが、どうも金仏も難しそうです。
私は26歳で両親と同居しているのですが、両親は私の仏教信仰を良く思っていないんです。家の仏壇も世間のしきたりだから仕方なく置いているという感じで、「仏壇なんて気持ち悪い」というのが本音みたいです。私が自分の部屋で沈香を焚いても、「線香臭い」と非難轟々でした。私の真宗への帰依を見ては「育て方を間違えた」と言っているくらいです。そのくせ細木和子の占いは本まで買ってきて真に受ける…。

情けない話ですけど、これって現代日本人のごく一般的な姿ですよね。
両親に「彼女ができて部屋に入れた時に仏様が置いてあったら引かれるよ」と言われたのには、情けないと思いながらも納得してしまいました。職場の同僚の女の子も「仏壇は気持ち悪いから近寄りたくない」と言っていましたし…。
新たに金仏をお迎えするどころか、今ある六字名号も箪笥にしまって、これからはパソコン内に蓮如上人の六字名号の写真を保存して、必要な時だけそのフォルダを開いて合掌しようかとさえ思っています。それか賀古の教信沙弥のように本尊を持たずただ西に向かってこっそり念仏するか…。
蓮如上人も、世間のあり方と仏法が対立する時は世間の方を優先せよとおっしゃっていましたよね。そう考えればこれもありなのかもしれません。

otherwind様は詳しい方のようですから、つい長々と愚痴らせてもらいました。またコメントいただければ嬉しいです。

お礼日時:2010/08/01 18:31

単なる一、なんちゃって門徒なので、詳しくはないです。

あるいは真宗において、詳しかったら何なのか…ということも考えられますね(笑)。

何かのお経で、アーナンダさんが、お釈迦様、もしかしてもしかすると、この道(仏道)において、お友達(善知識、と言っていたかも知れませんが、まあ、お友達で良いと思います)というのは、ひとつのけっこう大事なことだったりするんじゃないでしょうか…みたいな質問をして、お釈迦様が、アーナンダくん、良いこというねぇ、よきかな、よきかな、お友達は、この道において一つの大事なこと…ではなくて、唯一大事なことだね…と言われた…というような一節があったように思いました。

真宗では、一生聞法、聞法を離れて、信(阿弥陀様のお心と自分の心がぴしゃっと一緒になる。真理。)はない。聞即信、聞法以外に信はないというようなことも言いますね。

本願寺派の別院などで、一回千円、どなたでも参加できます、正信偈他のお勤めをしますので、お念珠と勤行本をお持ち下さい、門徒式章をお持ちの方は、ご持参頂いてもなしでも自由です…みたいな、色々なお寺さんからお坊さんをお招きしての法座があると思います。土日にやっていたり、平日でも夕方だったりというところもあるのではないかと思います。気軽に参加できるのではないでしょうか…。

周囲の誰とも特に話さなくてもかまわないし、終われば解散、特に、わざわざ御布施も別の金封不要でしょうし、何か壺買え、勧誘とかもないでしょうし…。

(もちろん年一回とか講師の方を交えて、夕方、懇談会ありますので、希望者のみ自由参加…等もあり得ますが…)

町のお寺でも、どなたでも…という法話、勉強会、のようなものはいっぱいあるとは思いますが、本願寺派、ご本山、直結の別院であれば、しがらみ(?)的なことは極小かと思います。

(経営にあんまり関わらないですからね。ご本山とか別院というのは、つぶれてしまうということが多分、起こりにくい。町のお寺ですと、お寺だけで経営が成り立っているお寺は多分3割くらいで、普通は、旦那さんがサラリーマン兼業、奥様が月忌参り…等ですよね)

仏法の世界、御同朋、御同行の世界、月に一回くらい足を運ばれてはいかがでしょうか。

それこそ、素晴らしいお顔の、木像さまが拝めるのではないでしょうか。

必ずしも、ご自宅の、ご自身のお部屋に、金仏さまがなくても良いのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

お返事遅れてすみません。

結局、信州の善光寺より手のひらサイズのそれはそれは小さな目立たない阿弥陀三尊に来ていただきました。最初の相談で申しました金仏とは別のものですが、満足しています。親鸞聖人が善光寺如来を崇めていらっしゃったのは事実ですので、真宗門徒が善光寺式阿弥陀三尊を持仏にしても問題ないと判断しています。

お礼日時:2010/08/16 15:34

> (金属は不明)。




考えましたら、お寺のお庭に親鸞聖人や阿弥陀様の像がある場合、雨ざらしであれば、金属製ではないでしょうか…。

合掌してもかまわないと思います。
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家の仏壇はそのままなら、質問者さんの信心次第でイワシの頭でも何でも好きなものを拝んでください。



日本人はたいていが宗教については家単位だと考えますが、それは絶対ではありませんので、家族の中で自分だけが違うものを拝んでもかまいません。ただ、家族共通の信仰をないがしろにすると、よほど他の家族の理解がないと家族の一員として暮らすのが難しくなるだけです。

なお、お寺さんの決まり通りに拝みたいという信心があるなら、今のお寺さんが信者の家の拝み方について決まりを決めているなら、お寺の仏像が何でできているかなど無関係です。お寺はお寺、信者は信者ですし、同じ宗派でも全く同じとは限りませんので、あくまでもご自分のお寺さんの決まりに従ってください。でも、嫌なら別のお寺さんの決まりに従うのは個人の勝手です。ただ、どちらにしてもそのお寺さんで決められた手順を踏んで魂を入れてもらう必要があると思います。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。家族共通の信仰というよりは、他の家族は無宗教・宗教嫌いという感じです。

お礼日時:2010/08/01 17:57

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