アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「 」内の文章で文末に句点を付ける時と付けない時の違い

小説などを見てると、下記のように「 」の中の文章の終わりに句点を付けないのが
一般的になってきているようですが、
学校では「 」の文章の終わりに句点を“付ける”と習いましたよね?

“彼は、「じゃあ、またね。 また遊びに行こう」と言いました。”


そこで、国語の教科書を読み返してみたのですが、
なぜか「 」の文章の終わりに句点が付いているものと、付いてないものがありました。
下記のような文章です。


―――――
例1.
「小耳にはさむ」は小さい耳で聞くのではなく、ちょっと耳に留めることだ。 「大手を振る」は大きな手を振るのではなく、手を大きく振ることだ。~
なるほど「注射してきた」のではなく注射してもらってきたのだ。~
我々は「提灯に火をつけた」と普通に言うが、ドイツ人は「提灯のろうそくに火をつけた」と言うそうだ。~


例2.
アメリカへ行って理髪店へ入り、「頭を刈ってください。」と言って驚かれたという話がある。 ~「昨日病院へ行って注射してきた。」と言ったら、~
落語で与太郎が父親に「おまえもそろそろ嫁をもらわにゃいけないな。」と言われ、びっくりして「おれがだれの嫁さんをもらうんだい。」ときき返す。~

(金田一春彦『日本のこころ』より。)
―――

例1の文中の「 」の終わりには、なぜか句点が付いていないのに、
例2の文中の「 」では句点が付いています。

これらはどう違うのでしょうか?

例1は引用語(?)、例2は人物のセリフと、それぞれ違いますが、
どちらも文の形式をなしていることに変わりはないと思うので、
両方に句点が付きそうに思えますが……違いがよくわかりません。

「 」の文末の句点の付け方についてわかる方、回答よろしくお願いします――。

A 回答 (3件)

> 例1は引用語(?)、例2は人物のセリフと、それぞれ違いますが


まさにこれが理由よ。

もう少し言うと
「」を文章をくくるのに使うか
単に強調するのに使うか
の違いよ。

なるほど「注射してきた」のではなく注射してもらってきたのだ。

なるほど注射してきたのではなく注射してもらってきたのだ
こう書いてもいいわけ。
でも注射してきたを強調して言いたいから
なるほど「注射してきた」のではなく注射してもらってきたのだ。
こうなっているの。
なるほど注射してきたのではなく注射してもらってきたのだ
の文章中に「。」なんてつけないでしょ?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

わかりやすいです!
あくまでも「 」は区切るだけなのですね。

お礼日時:2010/07/30 17:36

> 例1は引用語(?)、例2は人物のセリフと、それぞれ違いますが



まさしく、それが答えだと思います。
引用の場合には、その引用箇所から先にまだ文が続いていたりするわけで、引用対象の文にはない句点を挿入するのは不自然です。
セリフの場合は、丸ごと引用している場合は文が完結しているので句点を付けている。

ただし、最近の小説などでは、「 」で囲ったセリフの末尾にも、句点を付けない例は珍しくないように思います。
私がブログなどに書く場合にも、付けません。

小説などの出版物の場合は、それを出版する出版社の方針も左右しているのではないでしょうか。
作者は句点を入れないで原稿を書いても、出版社の方では句点を入れるという方針だから本になると句点が入っているというようなことが、あるのではないでしょうか。
また、古い作品の場合(漱石の作品とか)、作者の生きていた頃に出版された本に句点が入っていれば、新しく現代の本として出版する際にも、準拠した本に句点が入れてあればそれに従うということもあるかもしれないです。

しかし、私の個人的な感覚では、入れない方が自然で読みやすいという気がします。
また、趨勢的には(会話文の末尾の)句点を省く方向にあるのではないでしょうか。

ただし、これはあくまでも私の考えで、異論のある方もおられるかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど……。

学校ではセリフの「 」にも句点を付けると習うのに、
付けないことが一般的になったのも不思議です。
小説などだけでなく、教科書(国語以外)も文中のセリフの「 」の最後には
句点を付けないようになってるみたいですし……。

お礼日時:2010/07/30 17:33

> 例1は引用語(?)、例2は人物のセリフと、それぞれ違いますが



まさしく、それが答えだと思います。
引用の場合には、その引用箇所から先にまだ文が続いていたりするわけで、引用対象の文にはない句点を挿入するのは不自然です。
セリフの場合は、丸ごと引用している場合は文が完結しているので句点を付けている。

ただし、最近の小説などでは、「 」で囲ったセリフの末尾にも、句点を付けない例は珍しくないように思います。
私がブログなどに書く場合にも、付けません。

小説などの出版物の場合は、それを出版する出版社の方針も左右しているのではないでしょうか。
作者は句点を入れないで原稿を書いても、出版社の方では句点を入れるという方針だから本になると句点が入っているというようなことが、あるのではないでしょうか。
また、古い作品の場合(漱石の作品とか)、作者の生きていた頃に出版された本に句点が入っていれば、新しく現代の本として出版する際にも、準拠した本に句点が入れてあればそれに従うということもあるかもしれないです。

しかし、私の個人的な感覚では、入れない方が自然で読みやすいという気がします。
また、趨勢的には(会話文の末尾の)句点を省く方向にあるのではないでしょうか。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!