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プロ野球の抑えのエースについて。よく抑えのエースと言われる投手がいます。当方の世代ですと広島の津田投手を思い出すのですが、そもそも投手は先発完投型が基本であり、どの投手も目指すものと思いますが、一体誰が(どこかのチームのどこかの監督)はじめたのでしょうか?球は走ってますし十分先発完投で通用すると思うのですが?

A 回答 (3件)

投手分業制については、60年代、中日時代の近藤貞雄氏が最初のようです。



http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%EA%BC%EA%CA%AC …

同じ時代の「8時半の男」で有名な宮田投手は、持病のため長いイニングスが
投げられなかったからだとか・・


>そもそも投手は先発完投型が基本であり、どの投手も目指すものと思いますが、

その考えの代表格みたいな人に江夏豊氏がいます。
有名な話ですが、当時の野村監督に「野球界に革命をおこそう」という一言で
今で言うクローザーに転向しました。
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 日本では1965年巨人の川上監督-宮田征典、1966年中日の近藤貞雄コーチ-板東英二が草分け的存在と見てほぼ間違いないと考えます。


 1965年に宮田投手は2回先発していますので、完全なリリーバーではないとも考えられます。
 
 アメリカでは1960年から最優秀リリーフ投手が非公式ながら表彰されるようになり、1969年にはセーブ王が表彰されるようになっています。
 
 日本で分業を確立したのは先述の近藤貞雄と南海の野村監督でしょう。野村監督は江夏豊をトレードで獲得し、抑えを確立させたように言われていますが、それ以前に佐藤道郎をリリーフ投手として使っていましたから、野村監督のそれは佐藤の存在をむしろ重視すべきだと考えます。
 
 ただ、1970年代80年代の抑え投手は勝ち試合の最終回限定というものではなく、2~3回を投げるのが常識で、江夏の21球として知られる1979年の日本シリーズで江夏は7回から登板しています。
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多分「8時半の男」、ジャイアンツの「宮田征典(みやたゆきのり)」投手からじゃないですか?


http://npn.co.jp/article/detail/46446148/

親父が熱狂的なジャイアンツファンでして、8時半ごろになると出てくる「背番号24」には結構興奮したもんです。リリーフ専門投手というのも、多分彼が一番初めだったんじゃないかと思います。
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