悪意は悪意で返すべきなのか?

よく掲示板で相手のことを想って言っているのではなく、相手を貶めることで自分の優越感を得たり、相手を傷つけて苦しむのを想像して楽しむための書き込みを見ることがあると思います。
もちろんネットの世界だけではなく、リアルの世界でもありますが、そういうものにはどう対処すべきだと思いますか?

無視する、説教する、やり返す などなど

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A 回答 (23件中1~10件)

やり返すのは、最低です。

泥仕合になるだけです。
相手が後輩であれば、説教も可です。
無視するのが、通常はベストです。超然としていれば良いのです。
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もうひとつのパターン



 私たちは仲が良い。幸せである。⇒彼は私たちを見て嫉妬している。うらやましがっている。⇒仲良くしているだけで不快に思い、偽善者であると思っているらしい。

 ということか。こういう腐った考え方しか出来ない奴がいるから、世の中忌まわしい。

 親との関係を見直さないでそのままいくとこうなる。
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「私は愛そのものである」という人間は他者に対しては愛そのものであるとは思わないらしい。

いまどきの新興宗教の教祖や幼児でさえ自分に対して「愛そのもの」とは言わないでしょう。これで騙される奴は「自分でここまで言うからには何かあるかも」と思うアタマの良い人か、言われたことをそのまま信じる頭のワルイ人のどちらかであって、少数狙いということであり、一般大衆狙いではないということか。


 自分は許してきた⇒怒っている人は非寛容であり、悪である⇒オレは善、あいつは悪⇒許し・見下げる姿勢⇒嘲笑

 こういうことか?

 まさに「私が愛そのもの」と言う奴が、対象の「悪」を作っている、つまり根っからの悪人ということになる。
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No.20の意見は面白い。



私も、例えば街中を楽しそうに歩くカップルがいて、そいつらを何も気にしないでいると、「なぜこいつは平常心でいられるのだろう、なぜオレたちを気にしないのだろう」という思いを持つケースがあります。そして、そういった雰囲気に私が気づくと、引っ込んで防御するか、攻撃をするかしかなくなります。なんとも忌まわしく、迷惑なことです。

 自分の存在の本質を自覚させられるのが嫌で、逆に意識的に責めてきます。

 だから、あるところまでいったら戦う姿勢を維持するしかないと言えます。
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悪意を私に向ける実質的犯罪行為に対し私はあくまでも善良なる人間としてその犯罪者を見ない接します。


犯罪者の人間性に接した結果、犯罪の病根は悪の下僕と化した家畜人状態であると気が付きました。
彼らは悪から解放されるべきです。
私自身の存在と行いは常に愛であり、同情と言う形で犯罪者の悪に感化されてしまう事をを避けながら冷静に犯罪に対処する限り、犯罪者の人間性が家畜のごときである事を正直に表してしまします。
同情をしない私に接している限り、悪意をもって他者に接する犯罪者は、犯罪者自らが家畜人である事を自覚してしまうのです。
私は犯罪者に復讐しません。
しかし犯罪者は家畜人に過ぎない自らに気が付いてしまうのです。
そうして犯罪者は私を逆恨みします。

悪に悪をもって接しないとこのようにダメージを受けます。
しかし私はその痛みを恐れません。
何故なら生きることは愛であり、私は愛そのものであるからです。
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>そういうものにはどう対処すべきだと思いますか?



 相手が悪意であるという判断すると、復讐、報復したくなります。

 悪意を受けたというフラストレーションは、復讐のカタルシスによって解放されます。
 復讐のカタルシスほど甘味でエクスタティックなものはありません。

 直接行動するのも悪くはありませんが、あまりに程度が度を超した場合は告発すべきでしょうね。

 個人が特定されないことをいいことに、ネット上で誹謗中傷する卑怯な輩は、
 見つけ出して、責任を負わせる必要があるのですよ。法律が遅れているにすぎません。
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悪意に悪意で返すと、必ず自分にはね返ってきます。


そういうものに対しては、「赦し」で対抗するといいでしょう。

相手に悪意があることを認めた上で、一つ大人になって「この人はこういう人だから仕方ないな」という目線をもつことが大事だと思います。

なかなか難しいですが・・・。
僕もそうなれたらいいな、とは思います。
ですが強烈なものには、反応して悪意で返してしまいます。
まだまだ未熟です・・・。

ですが、少しずつ良くなってきているのを感じています。

前述のような対応を踏まえたうえでの意見というもので、対処していくのがベストだとは思いますね。
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>「何を屁理屈こねやがって」みたいに思う人が多いんですよね。



なんか屁理屈をこねているようにしか表現出来ないっちゅうことは、本人でも何言っている判らないんじゃないんかね。哲学も学問だ。だから哲学やる本人も自分で何言ってるか判んないから学問をやってる。判ってたらそんな物やるほど人間暇じゃないもんね。だから、わけも判らずに物を言っているのは当たり前って言えば当たり前だ。でも、判んないながらも、何か本質を捕まえているらしいと本人が感じることができている時には、その人の表現の中に異様なオーラが出ているもんだ。オーラって理屈で相手に伝わるもんじゃない。だから、くだくだ理屈をこねくり回しているような表現きり出来ない奴は、こいつは自分の見付けて来た直感を本気で何とかしようとしていないな、ただ言葉の遊びで恍惚としているだけなんだなと素人が見ても判っちゃうんだね。

自然科学の中で最も単純な現象だけを選択的に対象にしている物理学だって、未だに公理論的は方法、すなわち、論理の局所的な精密性に基づいて、言葉を厳密に使いながら現象を理解しようと言う方法が成功した試しがないんだ。必ずどこかに神懸かった論理の飛躍なくちゃ人を説得出来ない。その神懸かりが新しい世界との遭遇の契機となって人々を説得して来たんだ。くだくだ理屈を捏ねているだけでどこにもキラっと不思議な光打出て来ない論文なんて、誰も相手にしてくれない。いわんや、哲学なんて物理学より桁違いに複雑な人間を対象にした学問だ。だから、くだくだ理屈ばかり捏ねて、オーラが全然こちらに伝わって来ないような表現しか出来ない奴らの言っていることが哲学だなんて、そんなことある筈がないと言うことを、素人さん達はすぐ分かっちゃうんだね。

ところが、物理でも同じなんだがその学問をやり始めた連中の多くは、初心のうちはいろいろ深い疑問を持っていたんだが、その学問を始めて見ると先人達の死体累々とした遺物を目の前に見せられて、「そうかこう言うことも判らなくてはこの学問は出来ないのか」と怖じ気付いてしまい、その死体を一枚一枚めくっているうちに、初心の深い疑問をすっかり忘れてしまって、細かな論理だ理屈が大切なことだと思うように洗脳されてしまうようだ。

本当に説得力のある哲学的な主張だったら、素人さんに「何を屁理屈こねやがって」みたいに思わせない表現が出来ると思うよ。
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 さて、ではどのようにその問題を解決することが出来るでしょうか。

快楽犯的な相手を槍で突けない変わりに、愛と憎しみ混ぜこぜになった情動で女を突き、女を喜ばせ、コドモを生ませ(生ませられ)、そうやって家庭は形成され、社会は作られ、人口は増えてきました。良くも悪くも、法の効果もあり、そうなってきました。人口が増えて良いこと、良い時代もあったでしょう。

泣いている赤ん坊を見て悲しむのではなく、笑って抱き寄せる人間になりたくなければ、

愛憎ごちゃまぜにした下衆になりたくなければ、完全に社会を捨て、一人で生きれば良いのでしょう。

一人で生きることが可能であったとしても、しかしそれではわざわざ生まれてきた、あるいは存在している意味がないと言えます。

もし、その中間があるとしたらなんでしょうか。

一人で100kgの荷物を背負ったら、潰れてしまうでしょう。

十人であればなんとか背負って生きていけるかもしれません。

百人であれば、程よい重さが身心を強くし、浮き草・根無し草の人間は地に足をつけて生きることにもなるでしょう。


もちろんこれは誰かを募って集団ですることではなく、個々の人間がそれぞれ対処していくことでしょう。
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訂正



×抑圧した人間と根本的な問題を解決していれば、そのような人間は目に入らないか、黙って見過ごすことが出来るでしょう。

○自分を抑圧した(と感じる)人間に対して根本的に問題を解決していれば、そのような人間は目に入らないか、黙って見過ごすことが出来るでしょう。
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QNHKの国会中継映像に著作権はありますか?

NHKの国会中継を編集して動画を作成したいのですが、著作権に問題はありますか?
悪意のあるような編集を行うわけではありません。

Aベストアンサー

動画を利用する範囲次第では合法になります。
政治問題を勉強する勉強会などで人数が少ない場合は、著作権法30条の「私的利用」に該当するので無断で使用して構いません。
また、著作権法32条の引用の範囲であれば引用することができます。その場合は、メインの動画に比較的短い時間で取り込むようにしないと正当な引用にはなりません。
さらに著作権法38条には、「営利を目的としない上演等」というのがあって、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には放送を上映してよいという規定があります。たとえば、政治に関する講演会等で無料で行われているものであれば、国会中継の動画を上映することは可能です。
居酒屋などでテレビをそのまま店内で放送しているのは「営利を目的としない上演」に該当するので合法なのです。ただし、サッカーの試合のパブリックビューイングなどは営利目的と判断され違法になるようです。
国会中継なので、政治討論・勉強会などの用に供する場合には営利目的とはいえませんから、利用してかまわないと思います。
著作権法40条には「政治上の演説等の利用」というのも定められています。これに該当する可能性も高いので、合法的に利用できる可能性は高いと思います。
ただし、いずれも改変の自由まで認めているわけではないので、常識的な範囲の編集にとどめたほうがいいでしょう。

動画を利用する範囲次第では合法になります。
政治問題を勉強する勉強会などで人数が少ない場合は、著作権法30条の「私的利用」に該当するので無断で使用して構いません。
また、著作権法32条の引用の範囲であれば引用することができます。その場合は、メインの動画に比較的短い時間で取り込むようにしないと正当な引用にはなりません。
さらに著作権法38条には、「営利を目的としない上演等」というのがあって、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には放送を上映してよいという規定があります。たとえば、政...続きを読む

Q詐欺の本質は悪意か

 
理研はSTAP細胞問題は小保方ペテンであったってことで答えを出したようです。
本件の調査ではSTAP論文に見出される様々なデータの捏造、写真のイメージ操作、他者論文の無断コピペは単なる不注意によるものなのか、それとも悪意によるものなのかについて大きく論じられた。
そして理研はこれらは単なる不注意ではなく悪意によるものであると結論を下した。
そこで質問ですがあらゆる詐欺、ペテンの本質はやはり悪意なのかどうかということでお尋ねします。
 

Aベストアンサー

 #1さんと同じく、詐欺の本質は欲だと思います。

 人に害を成してやろうという積極的悪意を持つ人間は、けっこう強烈な個性の持ち主で、そんなのはあんまり多くない気がします。

 むしろうじゃうじゃいそうなのは、欲が満たされるなら、他人の迷惑どうでも良いタイプです。しかし被害者にとってみれば、それは明らかな悪意であり、それを行われた事実のみに基づいて判断し、悪意と認定し定義するのは法律です。

 それはそれで妥当と思います。


 欲の究極タイプが、ゲーム好きと言わざるえない人達です。どうも実際にいるみたいです。ここでゲームとは、パズドラとかではなく、人生や生死をかけたゲームです。そういう状況こそが、No Game No Life な人達です。

 映画などではたぶんに脚色されますが、稀代のペテン師の話などは、過ぎたるは及ばざるのごとしの逆に、過ぎたるはカッコいいと思ってしまうのも、人間の性です。

 国民性の違いから日本にはあまりいませんが、西欧のギャングには、一種職業的なところがあります。つまりそれはその人の天職かも知れない訳です。

 けっきょく人間って、可能な事は、なんでもやってしまうんですよ。


 小保方氏について言えば、たとえ悪意がなかったとしても、詐欺(悪意あり)と認定されてもしかたないと思います。信用を回復するのは、劇的なイベントでもない限り、きわめて困難でしょう。

 自分の印象を言えば、彼女には独学の臭いがけっこうある。自分も独学部分がけっこう大きいので経験しましたが、その業界なり学会なりでは普通の常識を知らなくて、びっくりした事が何度かあります。

 しかし、知らなかった(悪意はなかった)というのは、行った事実から下される認定においては、言い訳にしかなりません。知らなかったという主張には、それだけでは客観性はないからです。

 #1さんと同じく、詐欺の本質は欲だと思います。

 人に害を成してやろうという積極的悪意を持つ人間は、けっこう強烈な個性の持ち主で、そんなのはあんまり多くない気がします。

 むしろうじゃうじゃいそうなのは、欲が満たされるなら、他人の迷惑どうでも良いタイプです。しかし被害者にとってみれば、それは明らかな悪意であり、それを行われた事実のみに基づいて判断し、悪意と認定し定義するのは法律です。

 それはそれで妥当と思います。


 欲の究極タイプが、ゲーム好きと言わざるえない人達です。...続きを読む

QNHK『迷宮美術館』の住吉美紀アナウンサーの衣装が気になります!

NHK『迷宮美術館』の住吉美紀アナウンサーの衣装が毎回本当に変です。
具体的に言えば、デザインが時代遅れ・変に露出・髪型に全くあっていない・あきらかにコーディネートがおかしい・派手すぎるときがある・ボディーラインを強調している・安っぽい等。
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衣装は局が用意しているのでしょうか?
もし局で用意しているならかわいそうです。悪意さえ感じる程です。
他の番組で彼女を見たことは無いのですが、ドレスアップしていないときは普通なのでしょうか?

Aベストアンサー

NHKの女性の服装って、だいたい変です。
おっしゃるように
>デザインが時代遅れ・変に露出・髪型に全くあっていない・あきらかにコーディネートがおかしい・・・。
など、いろんな番組で共通してみられる傾向です。
たぶん服装は局のコーディネータが決めているのでしょうが、趣味が良くないですね。
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Q悪意がある人と盲目的な人と

こんにちは。
会社の同僚に明らかに悪意を持って接してくる子(A)と盲目的に突っ走る子(B)がいて対応に窮してます。
二人に共通しているのは頭が良く論理的なところです。
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結局私が折れて終わりです。
Bはわざとではなく心底そう思い込んでしまって、話は聞いてくれるのですが何も変わりません。
虚しさだけが残ります。

人生相談カテだとは思いましたが、こういう人たちと日々議論をしている皆様の方が対処法をご存知だと思い、こちらで質問させて戴きました。

よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

(笑)
そういう人はいますね。

基本を知ってから、対応するといいでしょう。
まず、人と人がうまく行く、幸福になるのは、当たり前ですが、協力しあうということです。わかりやすくいうには国と国の平和は、1国では成り立たないという時代ですから、お互いに歩み寄るということを知っている人とまず仲間になることでしょう。これは素直が大事になります。
そういう意味では、何も考えてなく、頭も使ってない人のほうが素直で、手伝ってくれて「ありがとう」というと喜びます。つまり相手がいて、相手との関係が、素直にスムーズに運ぶことが、結果を出す鍵ということでしょう。具体的には、
「これをして」「はい」で、解決ということです。
「はい」という素直が出世の鍵とも聞いたことがあります。
 また、たとえ話ですが、丸太を2人が持って運ぶ時、1人は右、1人は左、でなかなかうまくいきません。別の2人は心を1つに目的地に2人して運ぶ。 つまり、社会は共同作業ですから、みんなで協力しあって結果を出すということが大事な幸福のための基礎ですね。

Aはエセインテリで、頭いい人は自分の事しか考えません。これは仏教でも言われてることですが、1分のことを知ったぐらいで頭いいと付け上がるなと怒られてます。人のために自己を犠牲にできない。これが頭いい人の限界でその上の人は芸術家、その上に菩薩、つまり人のために働く人、またそういう心を持ってる人。
 頭がいいひとでわざと逆を言ってますが、これは結果が出ない、協力できない、失敗する、自分の意見を強く主張するエゴがあれば最悪ですね。またそういう人は、使えないと評価されるだけです。出世できません。邪魔です。そういう人ということを他の従業員に噂しましょう。みんなに知ってもらいましょう。
 またBさんは間違ったことを信じて、いうことを聞かないなら、失敗するまで黙っていましょう。自然に崩れます。間違ったことは、どこまでいっても間違った結果しか出ません。そうなったら2度と失敗しないように言いましょう。使えないなら、不況下で首にしましょう。
 社会には仕事がありますが、人のためや社会のためで、自己を主張する場所じゃありません。お客に仕事して稼いでいるわけで、1人では大変な仕事量ですから、みんなで協力するわけですが、それができないなら、全部1人でやってもらいましょう。いやならやめてもらいましょう。
 哲学という人間の基本の心ねを教える事がなくなったので、人との関係は今混乱を起こしてる時代ですね。
 Aさんには素直になれといいましょう。反発する人は仕事できない、いやならやめろといいましょう。
Bさんは自己崩壊をまって、弁償、責任取ってもらいましょう。
 頭がいいというのは決して幸せになりません。課題評価しすぎ。
 頭いい人は努力や苦労を嫌がりますし、心ないので、感謝できないとか、人間の基本の大事なところを軽視します。これは本末転倒。頭悪いです。
 反発すると相手が嫌がるということを自分が他者に与えてるということがわかってない。
つまり、相手に何を与えるかがその人ということ、自分からしか自分を見てないのは、自身に盲目ということです。
 わたしなら、何で反発するの、相手は嫌がるし、そういうことを人にしているという人格しかかんじないし、相手がそう評価しますよ。
 といいますね。いってもわからないなら、事あるごとに結び付けて言いましょう。   あなたが何かしたいとしても、歌手でも俳優でも相手があって決めるものです。自分では決められない。相手が評価し決めるということです。だからいくらこうなりたいといっても相手がいる。また人が認めないなら、できないという厳しい現実を知ってもらいましょう。 相手がいて、相手が決める世界であるということ。恋愛でもおなじです。わがままに言い返してきたら、正直に反発する人は誰も認めないし、腹が立ち、怒りは敵を作ります。因果応報とはこういう事です。うまくいかないことがあれば、反発ばかりしてるから、相手はあなたを評価しないし、認めない。またその原因はあなたにあるということです。といいましょう。
 頭いいという詐欺で人を困らせるというのは、絶対に許してはいけません。
 頭いいというのはエゴイストと知りましょう。
 頭いいより、心がきれい、思うことが美しいやさしいということのほうが上で、人を困らせません。
 くれぐれも説得はしないように。結果だけで判断し、そのことだけ気にしましょう。
 説得は人間の心を持った人しか通用しません。エゴという心は反発するでしょう。説得は無駄で、相手は怒るだけです。
私からいえば、AB共に頭悪いです。問題解決能力0.問題作ってます。
 頭いい人は問題作りません。解決します。頭いいなんて現実は通用しないですね。努力と忍耐にはかないません。笑えますね。エセインテリという詐欺ですね。

(笑)
そういう人はいますね。

基本を知ってから、対応するといいでしょう。
まず、人と人がうまく行く、幸福になるのは、当たり前ですが、協力しあうということです。わかりやすくいうには国と国の平和は、1国では成り立たないという時代ですから、お互いに歩み寄るということを知っている人とまず仲間になることでしょう。これは素直が大事になります。
そういう意味では、何も考えてなく、頭も使ってない人のほうが素直で、手伝ってくれて「ありがとう」というと喜びます。つまり相手がいて、相手との...続きを読む

Q透明な悪意

「透明な悪意」について2通りの回答が得られました。
どちらが一般的ですか?

回答A
悪意:その人の悪意が相手に伝わる形。
透明な悪意:その人の悪意が相手には伝わらない形。相手にはだれがやったのかがわからない。

回答B
される方がされている時に悪意と感じず、後に酷い目にあうのが 【悪意】
悪意とわかってされるのが、 【透明な悪意】

Aベストアンサー

これは論理というよりも感性の問題だと思います。本来相容れないはずの概念を突然結び付けることによって新しい世界を生み出そうと言う、創造的な営みの一種だと思います。「牛の目をしたヘレー」「銀色の足をしたティトス」「校長が木に登った」の類いと同じだと思います。確かに「透明な悪意」はそう言う意味で意表を突いたし言葉になっておりますが、上に挙げた例ほどには説得力のある言葉の遊びになっているとは思えません。よくコマーシャルで見かける「こだわりの何とか」や「今を生きる」のような、詩心の貧弱な方の言いそうな奇を衒った表現のように感じました。創造的な営みとは無意味な組み合わせを弄ぶことではないと思います。創造的な営みとは思い付きだけで出来る物ではありません。血の涙を流し、石に齧り付きながら生み出される物だと思います。

Q五蘊の想、行、識がわからない。

非常に基本的なことで申し訳ないのですが、五蘊の色(肉体、あるいは広い意味で物質的なもの全般)、受(感覚)あたりは何となくわかる気がするのですが、残りの3つがよくわかりません。(古代インド人ならすぐ分かるのかもしれませんが。)
五蘊皆空、などと言っても「空とは何か」以前に五蘊がわからないとどうしようもないです。
表象作用、意志作用、認識作用、などと言われても言葉が変わっただけです。
たとえば、識を通常の意味の認識と考えた場合、お腹がすいていて、目の前に食べ物があるというのを、まず視覚や嗅覚で捕らえて「これは食べ物だ」と認識してから、「食べたいな」という心の動き(行?)が出てくるように思えます。しかし、それだと、行と識の順番が狂います。
取りあえず、現代日本人は肉体だけ(物質だけ)しか見ない癖があるようですが、お釈迦様から言わせれば、それは1/5でしかない、ということらしいな、とは思うのですが。
まあ、この3つは感覚でとらえた後の心の働きを3つの塊であらわしたものだ、と考えることもできますが、それだと心の世界が1/3になってしまって重みが変わってしまいます。お釈迦様は、心の働きが人間存在の3/5と、大変重いわけですから。

非常に基本的なことで申し訳ないのですが、五蘊の色(肉体、あるいは広い意味で物質的なもの全般)、受(感覚)あたりは何となくわかる気がするのですが、残りの3つがよくわかりません。(古代インド人ならすぐ分かるのかもしれませんが。)
五蘊皆空、などと言っても「空とは何か」以前に五蘊がわからないとどうしようもないです。
表象作用、意志作用、認識作用、などと言われても言葉が変わっただけです。
たとえば、識を通常の意味の認識と考えた場合、お腹がすいていて、目の前に食べ物があるというのを、...続きを読む

Aベストアンサー

 こんばんは、Hidocchiです。

> もしかしたら、別の答えの方もいるかもしれませんので、締め切りは少し延ばさせていただきます。

 この機会に、十分に思索をめぐらしてみるのも、妙案かと思います。従いまして、他の回答者様と建設的な会話をなされてみるのもよろしいかと存じます。

> 客観的世界なるものは存在しないという前提に立ちます
私の理解では「他のものから独立した、恒常的な実体」のようなものが存在しない、と思っていましたが、そこらへんも勘違いかも。

 ご質問者様の「他のものから独立した、恒常的な実体」のようなものが存在しない というのがむしろ正しかと考えられます(少なくとも、般若心経含む大乗仏教ではでございます)。
 愚生は飽くまで、事象を認識する“心の働き(以下の”五蘊“の定義をご参照ください)”という点から、“主観的”という表現を使用させていただきました。そしてその対義語である“客観的”を挙げ、説明させてもらっただけでございます。

五蘊(goo 国語辞典 からです)
〔仏〕〔「蘊」は梵語 skandha の訳で、集まったものの意〕諸存在を構成する物質的・精神的五つの要素。色(しき)・受・想・行・識の総称。
色は物質的存在、
受は事物を感受する“心の働き”、
想は事物を思い描く“心の働き”、
行は“心の意志的働き”、
識は識別・判断する“心の働き”。

因みに、十二縁起でございますが、般若心経におけます「無“無明”」の“無明”以下は、この“十二縁起”が省略されているというのが通説かと存じます。

> 五蘊皆空から苦しみからの解放につながるかどうか?という方向が問題なんですけどね。

 なお、愚生も同じきっかけでございました(笑)。また何かございましたら、ご返信くださいませ。

 それでは、ご参考まで。

 こんばんは、Hidocchiです。

> もしかしたら、別の答えの方もいるかもしれませんので、締め切りは少し延ばさせていただきます。

 この機会に、十分に思索をめぐらしてみるのも、妙案かと思います。従いまして、他の回答者様と建設的な会話をなされてみるのもよろしいかと存じます。

> 客観的世界なるものは存在しないという前提に立ちます
私の理解では「他のものから独立した、恒常的な実体」のようなものが存在しない、と思っていましたが、そこらへんも勘違いかも。

 ご質問者様の「他のもの...続きを読む

Q背信的悪意者排除論について教えてください

背信的悪意者排除論について

・悪意者排除説
・悪意・有過失者排除説
・善意悪意不問説と結びつく背信的悪意者排除論
以上の学説・判例があります

背信的悪意者排除論は背信的悪意と単なる悪意の区別は必ずしも明白ではありませんよね?

なぜ判例はこの立場をとってるのでしょうか?
他の説よりは合理的な理由があるのでしょうか?
ご回答お願いします。

Aベストアンサー

177条の文理解釈=立法趣旨=自由競争
というのは、とても強い理由付けであると思います。
背信的悪意者論も戦後になってから出てきた理論ですが、
判例も法律上の根拠付けとして、旧不動産登記法4,5条
(新法5条)を援用していたように思います(未確認、すみません)。

こう言っても、相談者さんからすればシックリしない
かもしれません。
そこで、実質的なことを考えますと、
2重譲渡を想定すると単純悪意者は横領のお手伝いの気がしますが、
2重抵当や差押の競合を考えると、
やはり自由競争というのも、そこそこ説得力が増すのではないでしょうか。

Q同じ映像を相手が見ていることの証明

今目の前に、四角形があるとします。それを二人が見ます。私が見ている映像を相手も見ているということはどうしてわかるんですか?相手が見ている映像なんてわかるわけないし、相手が自分が3角形とおもっているものを4角形としてみているかもしれませんし・・・。

なんかわけがわかりませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 同じではないと思いますよ。見え方は人それぞれ、千差万別でしょう。
只、一本のバナナを、二人で取り合ったとしたら、二人ともが一本ずつ、同じバナナを得ることはできないでしょう。しかし、それがバナナであるという認識(ここでは四角形であるという認識)は、お互いが既に持っているもので、分けても減らないものです。
知識(ご質問の三角形や、バナナ等)は、同じでないから、分けられる(共有できる)。
物(バナナ)は、同一だから、分けられない(共有できない)。
このとき映像は、知識であるのか、物であるのか。
映画やテレビを見ていて、前の人の頭が邪魔になったりしたことはありませんでしょうか?
映像は物であるので、共有することはできません。
従って、あなたと他人は、同じものを見ないでしょう。
誰かが食べたその一本のバナナを、あなたがもう一度食べることはできないのと同じ意味です。食べれるとしたら、別のもう一本です。
同じでないから、分かり合えるのだと思いますよ。

Q法廷では法律用語での悪意と一般の悪意を分けるのか

法学にて法律における"悪意"という言葉は一般で言う"悪気"を意味する"悪意"とは少々異なり、"知っていて実行した"ことを意味し"悪意であった"などと使われると学びました。
では裁判では"悪意があったのか"などと一般的な意味での使われ方をすることはないのでしょうか。
例えば冒頭陳述で被告人には"悪意があった"と述べたり証人への問いかけで"悪意があったのか"などと尋ねることはないのかなどです。

Aベストアンサー

 まず、「法律における”悪意”」が「知っていること」を意味するというのは、法律全体についてそうなのではなく、民法を基本とする限られた法分野でそうなっているということです。なんでもかんでもが、「悪意」といえば「知っていること」であり、「善意」といえば「知らないこと」であるというわけではありません。

 このことについては、知識を正確にしておく必要があります。

 早い話、民法には「善意・悪意」という言葉が繰り返し出てきますが、刑法には「悪意」という言葉は使われていないはずです。

 民法でも、通謀虚偽表示は「善意」の第三者に対抗できないとあり(94条2項)、この場合の「善意」は、「通謀虚偽表示の事実を知らないこと」を意味しますが、離婚原因としての「配偶者から悪意で遺棄されたとき」(民法770条1項2号)の「悪意」は、「配偶者を扶養しないことを知っていること」ではなく、加害の意思に近いものだとされています。

 このように、基本は、「善意=知らないこと」、「悪意=知っていること」という使い方をするのは、民法において、善意と悪意で法律効果を区別している場合に使われる用語になります。

 ただ、法律家のいわば業界用語として、これを拡張して、一般的に、様々な事柄について、「善意=知らないこと」、「悪意=知っていること」という使い方をすることがあります。そういう使い方をしているかどうかは、文脈で判断するしかありません。

 そこで、質問の場合ですが、「冒頭陳述」というのは刑事訴訟で行われる訴訟行為ですから、そこで「被告人には悪意があった」と表現すれば、それは、通常は、日常用語としての「悪意」を意味していると考えられます。民事訴訟・刑事訴訟を問わず、証人尋問で、例えば隣人関係を問う際に「悪意があったのか」と質問すれば、それも日常用語の「悪意」を意味していることになります。

 別の答えに、法律実務では「善意悪意」という言葉を使わないという答がありますが、そんなことはありません。訴訟でやりとりされる書面には、「善意悪意」という言葉はしばしば使われます。それが、法律の世界での「善意悪意」を意味しているのか、日常用語としての「善意悪意」を意味しているのかは、なんとなく文脈で読みとって進んでいるというのが現実です。

 まず、「法律における”悪意”」が「知っていること」を意味するというのは、法律全体についてそうなのではなく、民法を基本とする限られた法分野でそうなっているということです。なんでもかんでもが、「悪意」といえば「知っていること」であり、「善意」といえば「知らないこと」であるというわけではありません。

 このことについては、知識を正確にしておく必要があります。

 早い話、民法には「善意・悪意」という言葉が繰り返し出てきますが、刑法には「悪意」という言葉は使われていないはずです。

...続きを読む

Q暴力とは 相手の意志を無視することだ。

 ( a ) 暴力とは 相手の意志を無視することだ。

 ▼ (ヰキぺ:暴力) ~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B
 §0 はじめに
 
  ( b ) 暴力とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  ☆ つまり ( a )《相手の意志を無視すること》だ。


 ▼ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 §1  概説

 ( c ) 全ての人間の身体には現実の世界に具体的にはたらきかける能力があり、この能力が他者の意志に対して強制的にくわえられると暴力となる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ やはり ( a ) 《相手の意志を無視すること》だ。


 ▼ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ( d ) 哲学者のエマニュエル・レヴィナスは人間関係に原初的に存在するものが暴力であると論じた。

 ( e ) 二者だけの人間関係に友好は不可欠なものであるが、別の誰かとの親密な関係が発生すれば二者の関係は相対化され傷つけられ、友好関係だけではなく対立関係が形成されうるようになると指摘した。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆( f ) この( d )は 次の命題を言っているものと思われるが ほんとうにそうか?

  ○ 人は人に対して狼である。( Homo homini lupus. )
  ○ 万人の万人に対する戦い。( bellum omni contra omnes. )

 ( g ) ひとは 狼でもウサギでもなく ひととして他人に対して言わば中立な心の状態というものはないというのだろうか?

 ☆( h ) そして( e )は ねたみを言うのだろうか? 三角の関係は そんなにあやふやで落ち着きのない状態なのだろうか?

 ( i ) 嫉妬やあるいはどこかの国の人びとのようにルサンチマンを持つにしても それらはまだ相手を――相手の意志を・相手の存在を――無視していないのだと思われる。ならば 話し合いの余地はあるのではないだろうか。

 ☆( j ) 話し合い・対話あるいはつまり質疑応答において 相手の意志――問うている内容――を無視する場合があるやに思われます。暴力ではないでしょうか? そうだとしたら そのとき どうしようもありませんか?

 ( a ) 暴力とは 相手の意志を無視することだ。

 ▼ (ヰキぺ:暴力) ~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B
 §0 はじめに
 
  ( b ) 暴力とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。
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  ☆ つまり ( a )《相手の意志を無視すること》だ。


 ▼ (同上) ~~~~~~...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんはです。


☆ つまり ( a )《相手の意志を無視すること》だ。
◇そういうことになるのでしょうね。
あるいは、さらに進んで、
 《相手に意志が存在することを否定する》

 《相手に感情が存在することさえ否定する》
まで至っているケースが多々あるように思います。
ようするに、《人格の存在否定》!!

イジメなどのニュースを見たり聞いたりしますと、
そんな風に思えてなりません。


☆( g ) ひとは 狼でもウサギでもなく ひととして他人に対して言わば中立な心の状態というものはないというのだろうか?
◇ひとは、狼にもウサギにもなれますが、他のひとや生き物に《思いやれる》存在でもあると思うのですよ。ウサギさん状態に否応なく追い込まれることは、相手次第の部分がありますけれども、
自分が狼にならないように、気をつけることはできます。
中立が、相手に対する好悪の感情や偏見を極力排除して、冷静に、客観的に、理性的に振る舞う、という意味ならば、本人の努力次第だと思います。



☆☆( h ) そして( e )は ねたみを言うのだろうか? 三角の関係は そんなにあやふやで落ち着きのない状態なのだろうか?
◇妬みのことはいっていない、と思います。
これは、A、B、Cという三者が存在すると、AにとってA⇔B、A⇔Cの関係のいずれかに比重が置かれたり、軽重がつけられる。そのことを相対化といっているような気がします。
ただ、この時、BとCの間に、Aを巡って確執が起こることはあるのでしょうね。そして、Aが重要視する関係、これを仮にA⇔Bの関係だとしますと、このことに気づいたCはBに対して妬みが発生したりすることはあるのでしょう。あるいは、Aが重視するBが、A以上にCを大切に思っていたりしても、発生します。
しかし、この《妬み・ルサンチマン》に基づく関係は、極めて強固です。あやふやでも落ち着きのないものでもないんじゃないですか。
この負の関係を是正するのは、極めて難しいと思います。


☆☆ ( i ) 嫉妬やあるいはどこかの国の人びとのようにルサンチマンを持つにしても それらはまだ相手を――相手の意志を・相手の存在を――無視していないのだと思われる。ならば話し合いの余地はあるのではないだろうか。
◇打算と損得、利害の一致に基づくことに対しては、話し合いの余地はあるのでしょう。
でなければ、どこかの国の人々は、こちら側の主張に耳を貸そうとしませんから。
相手に対して好き嫌いの感情を持つのはしょうがないとしても、耳垢の掃除くらいはしてもらいたいものです。



☆☆( j ) 話し合い・対話あるいはつまり質疑応答において 相手の意志――問うている内容――を無視する場合があるやに思われます。暴力ではないでしょうか? そうだとしたら そのとき どうしようもありませんか?
◇相手の誤解を解こう、自分の考えや感情を相手にすこしでも正確に理解してもらうように、努力はすべきなのでしょうが、
こればっかりは自分の努力だけではどうしようもないところがあると思います。
《売り言葉に買い言葉》状態に陥ることがないように、気をつける、努力する、
実際問題として、これ以上のことはなかなかできないと思います。

こんばんはです。


☆ つまり ( a )《相手の意志を無視すること》だ。
◇そういうことになるのでしょうね。
あるいは、さらに進んで、
 《相手に意志が存在することを否定する》

 《相手に感情が存在することさえ否定する》
まで至っているケースが多々あるように思います。
ようするに、《人格の存在否定》!!

イジメなどのニュースを見たり聞いたりしますと、
そんな風に思えてなりません。


☆( g ) ひとは 狼でもウサギでもなく ひととして他人に対して言わば中立な心の状態というものはないと...続きを読む


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