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般若心経の覚え方
今春、実父が死亡しました。 毎日、仏壇にお線香を上げていますが、何となく物足りません。
そこで、般若心経を覚えて、お線香を上げながら般若心経を唱えたいと思っています。
つきましては、手軽に般若心経を覚える方法をご教示ください。 一番いいのは、親しいお坊さんの指導を受けるのが良いのかもしれませんが、親しいお坊さんがいません。
罰あたりになるかも知れませんが、安直に覚えられる方法をお願いします。
(もちろん、節目節目の法事などでは、お坊さんに読経していいただくつもりです。)

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A 回答 (5件)

私のうちでは、祖父が亡くなった時にやはり父が般若心経を唱えるようになりました。


父の場合は、暗記しようなどということは全く考えてなかったようで、毎日お経の本を見ながら唱えていましたが、いつの間にか本を見なくても言えるようになっていたのです。
歌の歌詞を毎日口ずさんでいるうちに自然に覚えてしまうのと同じだと思います。
無理やり暗記しようと頑張らなくても、最初のうちは本を見ながらでもよいのではありませんか?
きっといつの間にか頭の中に入ってしまうと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 そうですね。 お父さんのやり方を実践してみます。
方に力を入れないで…

お礼日時:2010/08/15 19:48

まあ力ずくで丸暗記してもそれほど大変ではありませんが、解説本を読んで意味を理解すると、「空」や「無」や「不」の文字と、同じようなフレーズが多用されていますので無理なく覚えることが出来ます。



以下に抜き出した部分だけでも全体の3分の2ありますが、難しい字句の並びではないことがわかります。

色不異空、空不異色、色即是空、空即是色
不生不滅、不垢不浄、不増不減
無色無受想行識、
無眼耳鼻舌身意、
無色声香味触法
無眼界乃至、無意識界
無無明亦、無無明尽乃至、無老死亦、無老死尽
無苦集滅道
無智亦、無得以、無所得
故菩提薩捶依般若波羅蜜多、
故心無罫礙無罫礙、
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多、
故得阿耨多羅三貌三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 無理しないで自然体で覚えようと思います。

お礼日時:2010/08/15 19:50

あれはとても短いですから、かなの振ってあるお経本で読経を繰り返せば自然に覚えると思います。


お経本がなければ以下のサイトをご参考に。
http://www.e-sogi.com/arekore/kyo1.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 サイトを参考に覚えようと思います。

お礼日時:2010/08/15 19:51

うちの父は何やらお経CDと、風呂に持ち込めるポータブル


プレイヤー、にわか写経で何となしに覚えちゃったようです。

本人曰く、お経というのは和歌で、唄なので、音があってりゃ
いいとのこと。
(本当か?)
偉い声のいい坊主の声は、CDがいいとのことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 お父上の言うことも一理ありと思いますよ!

お礼日時:2010/08/15 19:53

インスピレーションを、般若心経に、向けて、しばらく、一緒にいてみたらどうですか?



もし、漢字が解らなければ、少しづつ、漢字字典で、一字、意味を調べれば、解るような、気になります。

仏教の、人たちは、利益に敏感に、働いて、まぎらわしいことを、教える人が、けっこう、いるように、感じます。

どちらにしても、相手の居場所、生きがい、収入、暮らしに、関係のあることは、少なめにして、みませんか?

最後に、空という、漢字を頭に、浮かべてみたらどうですか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 「一切は空」という言葉を思い出しました。

お礼日時:2010/08/15 19:54

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Q般若心経を唱えてしまった!!

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。

ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。

上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。
まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。
パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。

般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです

単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその...続きを読む

Aベストアンサー

悪い霊は、比較的に午前0時を過ぎて般若心教を唱えると出てくるような気がします。朝、太陽が昇ってから唱えるのが一番効果的に思えます。朝時間がなければ、風呂上りの体をきれいにして直ぐにやれば良いです。それから般若心教に宗派は余り関係ありません。仏教でも神道でも気にするような事はないです。仏教、神道、キリスト教等がどうしてできたとかを考えれば根本は同じです。それぞれの宗派に分かれて多少は、教えが違ってきてますが、根本が同じなので気にする必要はないです。

Q浄土真宗では、般若心経を唱えていけない理由

母方の宗旨が浄土真宗なのですが、般若心経は唱えてはいけないと聞いています。なぜダメなのでしょうか。

Aベストアンサー

jun95さん、今日は。

私が調べてみた所では、智慧と行に因って煩悩を断ち切ろう、と教え諭す般若心経に対して、浄土真宗の
教えは、一切の計らいを捨てて、阿弥陀如来の力に任せて、其れに因って救われる、という物だそうです。

従いまして、浄土真宗の人間が般若心経を上げる事は、却って、阿弥陀如来の
力を否定する事に為る為、浄土真宗で般若心経を上げる事は無い、との事です。

もう少し深いお話に為りますと、以下のサイトに詳しい説明が為されてい
ましたので、宜しければ、御覧下さい。2001年12月11日掲載分です。

参考URL:http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/

Q般若心経の読み方について

法事でいくとたいてい般若心経を読まれるのですが、
いつも読み方について疑問に思っていることが2、3あるのでお聞きします。

1 冒頭の観自在菩薩のところで菩薩の読みでボサツとふりがながふってあるのですが
  どなたもボーサーと呼んでいるようですが、ここは伸ばすところなのでしょうか。

2 空不異色 色即是空のところでクーフーイーシキ シキソクゼークウと読む方と
  クーフーイーで切って、その後シキシキソクゼークウと読まれる方がいます。
  普通に考えれば前者の方が正しいのでしょうが、後者の読み方はなんなのでしょう?
  変なところで切る方は他にも変なところで切る傾向があるようで偶然ということもなさそうです。

退屈紛れに聞いていて、気になり出すとなぜか気になってしまいました。
宗派の違いとかあるのでしょうか。それとも単なる個人的な考えなんでしょうか。
下らないことかもしれませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして 21♀です
私もよく祖父の亡くなった何回忌とかで般若心経を読んでいました。
1についてですが、私はボーサツときちんと伸ばさずに読んでいます。
2についてですが、私は基本的には単語や文章の塊ごとに
区切りをつけて読みます。

しかし、お坊さんなどでもそうですが、
他の方の読み方はそれぞれ違うようです。

宗派の違いというよりも、息継ぎのタイミングではないでしょうか。
お坊さんはある程度続けてお経を読み進め、
息継ぎをしてまた読み進めるという感じです。
そのため、お坊さん以外の人はお坊さんとは息継ぎのタイミングが違います。
基本的にはお経は亡き人に読むので、読み方などが
多少違えども気になさらなくても良いと思います。

Qお経を覚えるときのコツを教えてください。

般若しんきょうというお経を覚えたいと思っているのですが
とっても難しいです。覚え方のコツを教えてください。
どうぞよろしくお願いします。般若しんきょうの本は一冊
買ってあります。

Aベストアンサー

仏具店に行くとテープ、最近ならCDかな、があります。
読んで覚えるより、聞いて覚える方がいいです。

Q般若心経はすべての宗派でもよいと思っていたのですが…

日蓮宗だけはちがうのでしょうか?
写経を納経したいのですが…

そして~
法華経を写経したいのですが、日蓮様が祭られている、〈例えば池上本門寺など〉でお経を購入できるのでしょうか?

Aベストアンサー

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典を称えます。また日蓮宗は法華経を根本に据えるはずですね、
それらのお経の据え方の違いの大きくは、その時々の時代背景によるものとだけ申し上げておきます。
ただ、浄土真宗開祖の親鸞上人も日蓮宗開祖の日蓮上人も修行時代はどちらも比叡山(天台密教)に教えを請い、その遍歴の中から衆人の救済のために自らの解釈をお説きになったものと考えます。
お経とはそもそも、釈迦の言葉をお弟子さんたちが書き残したものです。
般若心経は数ある経典のなかでも、人々が生きるための知恵を纏めた大般若経600巻といわれる大経典のエッセンスといわれ、最も短く、もっともありがたいお経といわれています。
もちろん、上記の二大上人も勉強しているはずですし、称えているのは仏教に限らず神道の在家の方々も称えるそうです。
古くは、後奈良天皇の時代、世に疫病がはやったため同天皇が自ら般若心経を書写して諸国の神社に奉納したという話もあるくらいです。
生きるための心理を説いているので何物にも妨げられないということでしょうか・・・
日蓮宗の解釈を理解もせず軽軽には申せませんし、日蓮宗のお寺に納経するのはどうかと思いますが、日頃、般若心経を写経することは構わないのではと私は思います。
また、それぞれの宗派のお経のポピュラーなものはどこでも売っていますが、法華経や阿弥陀経などは大変な量となりますので、功徳を積むには達成感もあろうかと思いますが、よくお考えになってはどうでしょうか。
以上、私の解釈として自信ありでご回答させていただきます。

一般に写経といえば、般若心経といわれるように、京都の大覚寺などに書写のため訪れる人は年間に相当数に及びます。
般若心経を唱える宗派は、古くは奈良時代の南都仏教から、空海、最澄が伝えた密教(真言宗、天台宗)に加え、いわゆる禅宗三宗といわれる臨済宗、曹洞宗、黄蘗集などです。
しかし日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった鎌倉仏教諸派は、拠り所としている経典が違うため般若心経を唱えることはありません。
私は個人的に浄土真宗(門徒)ですが、同宗は浄土三部経といわれる阿弥陀経を中心とした経典...続きを読む

Q素人がお経をあげることについて教えてください。

先日、とても良くしてくださった義母が亡くなりました。今49日前のお逮夜まいりをしているところです。今度の日曜日にもお骨のある実家へ行くのですが、私としては何か義母のために出来ることがあればと思い、本屋さんで「般若心経」というもの(とても簡単なものなのですが)購入しました。本を読みながらではありますが、これを読みたいと思っています。でも、私が良かれと思っても、見当違いのものであると残念だし、他の誰かの気持ちを害するといけないので、伺いたいと思いました。義母は特に信仰していた宗教はないようです。お葬式の時は「真言宗」の方がお経をあげてくださったと聞いています。(特にこちらからの指名ではなかったそうです)お逮夜参りの時は、特に他の親戚などはおらず、孫と義父と主人でやっています。主人は「色々宗教とかあって、それ、違うんじゃないの?」と別に嫌がっていませんが、良く解らない様子です。よろしくお願いいたします。何か義母のために出来ること、教えてください。

Aベストアンサー

真言宗でしたら、観音経、般若心経をあげたりしますよ。
お経の中でも短いお経なので、周りの方々にも迷惑にならないと思います。

あとは形式ばったものより、気持ちが一番大事ですので、お義母さんの生前、好物だったものを持って行ってあげると、きっと喜ばれると思いますよ。

真言宗でしたら、お仏壇から行事事から、きちんとされているので、敢えてこちらから気を利かせてする事、する物はないはずです。

般若心経は短いとはいえ、この世のすべてのお経をまとめたお経と言われています。
とても有り難いお経なのです。
一字一字、お義母さんの事を思い、大切に読んであげて下さいね。

Q般若心経の意味が、よく理解できません

こんにちは。よろしくお願いいたします。
般若心経を一日3回ほど唱えております。簡単な意味は理解し唱えておりますが、、よく理解できていません。ネットで調べるのですが、、、。
「色は空であり、空は色であり」、、、実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。などと、、、。

全体的にはイメージは出来来ているのですが、、、。この世のすべてのものは何もない空であるという意味なのでしょうか?苦しみをなくす修行法もありません。。。というのは、「考えて悩むこともない」といういみでしょうか?

最初は、仕事や人生で悩んだときに唱え始めて、2年ほどなります。
もっと理解したいので、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

私は、仏教、日蓮宗系の宗派、日蓮正宗の者です。
経は、法華経、日蓮大聖人様の書文、帰依を三大秘法の久遠元初の仏。
根を三大秘法とし、それなくして、僧侶(お坊)も経も書文も無意味とされる宗派です。

私なりの「回答させて」いただきますが、絶対に正しいということ自信は持てません。

私が少ない期間ですが、修行して感じた「空」というのは、かなり深いものと感じます。感じることは、容易ではなく、体験を通し、感じるものだと思います。だから、感じることなくして、「空」という説明を聞いても決して悟ることは不可能ではないかと思います。
傲慢になっていますね。あくまで私が感じた空というものです。

空の説明に入る前に、余計と思われることを書かせてください。

仏教とは、成仏、つまり、仏様に成るということです。
法華経を初め、諸経では、釈尊が、普通の人からすぐに仏に成ったという訳ではなく、数多くの修行やその生まれた人物や人生において修行をし、数々の悟りや、上級の教えや修行に巡り成仏されたとされています。

成仏するということは、私が解釈する限りと実感を通す限りでは、内在する仏性を開花、強めるということだと感じています。

知識や技術等を身につけ、成仏に至るのではなく、自分に秘められた仏性を開き成仏する。
しかし、その開きも徐々にしか開かないものとだと感じています。

ここから、空についての説明です。
人は、感覚を持っています。その感覚には、3つがあると私は感じています。
1つが攻、2つ目が恐怖、3つ目が、禅定なる幸です。

人は、傷つけら時、怒ったり、、憎むことがあります。これが、攻撃なる感覚です。
また、傷つけたれた時に、絶望や、深い悲しみ、苦しみ、恐怖となることがあります。これが恐怖です。

この攻と恐怖では、決しては、救われることはないと私は感じます。
攻の行動をすれば、誰かが傷つき、攻か恐怖を感じます。
恐怖では、自分がどんどん生気を失い、苦しみ喘ぎます。

この攻と恐怖というのは、要は、傷つけたれたこと(感じたこと)に対する反応です。
この感じたことに反応するということは、簡単に変えることは無理かと思います。ただ、それに基づいて行動はしないという「制御・我慢」という行動はできると思いますが。

この傷つけらたこと、上記で()で感じたこと、いろいろな感覚器官を通して感じて、攻・恐怖は発する訳です。


冷静に考えると、感じて、自分の感性が通し、攻・恐怖、哀れみ、哀しみ、救いの念が生じるものです。

空の第一として、攻・恐怖といういった決して救われることの無い感覚を消滅させ、哀れみ、哀しみ、救いといった仏の感性を生じることです。

ここで言う、空とは中道です。つまり、攻でも、恐怖でもない。冷静であり落ち着きがあること「禅定」です。クールとかそういったものではありません。感情はあっても、激情ではない感覚といいましょうか。
感じたことが無い人には理解認識し難いものかと思います。

そうやって物事を禅定になり、見ていくと、なんとなく、色と空というのが分けられてきます。
色とは、目に見えることです。私は、色よりも、「仮(け)」と言う方がしっくりします。
色、つまり、目に見えるものは、因縁によって生じます。
仏性を開いていけば、仏性が徐々が現れるように、
愚行をすれば、どんどん心が荒れ果てていくように
行動(因縁)によって、色が生じきます。

とは、言え、人間が条件に応じて結果生じることを、絶対的な法則として捉えるには限界があります。すべてが法則として存在し、その法則を把握し、その法則に基づいて何でもこうなると言える人はいないでしょう。

なんで、日本に生まれ、貧しい国に生まれる人が存在するのか、それは「運」というしか答えを出せないのが人間です。「運」と答えを出す以外にできないのが人間で、それが上記に書いたすべてのことにおいて法則に基づいてこうなると言えないと書いたことの説明です。

物事を禅定を持って追求し、攻・恐怖、快・不快というものに囚われず、終わることの感情・感覚を逸脱し、捨て、生きる活気に生ずる捉え方をしていくと、この肉体さえも、色であると感じてきます。たぶん、私は、死んでも、空としての存在は残り続けると。

>実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません

と言われるのは、かなりの功徳があり、禅定を持って悟る境地対して言われたことと存じます。
高い功徳を持った人は、仏教の話を聞いて、実感悟り得ることができると思います。私は、対して功徳を持っていなかったので、苦労を重ね、実感悟り得たことが多々あります。

このことについて日蓮正宗の宗派の解釈によりますと、釈尊時代は、正法と言い、今の時代は末法といいます。何が違えば言えば、仏教を聞く者の功徳の高さ・低さです。正法は、功徳が高く、末法は、功徳が低いとされています。功徳が高い=仏様に近いということを意味します。また、機根も同様にして、機根が低い=仏様に遠いということを意味します。

正法の者たちは、その前世及び過去世において功徳を得た者です。ですのえ、仏教にめぐり合えばこそ、その教えが知識ではなく、実感や道理として存在するという実感の元に悟り得ることができるものと思われす。

末法の者は、修行をせずに、功徳が低いく、禅定なる心がなく、攻・恐怖、快・不快、自尊心、卑下、得が好であって、嫌が排除となる感覚が強く、禅定なる心を持って、静かに考え、道理上に実感することは不可能とされています。

さらに、正法の時代に生まれ、(華厳)阿含、方等、般若というように、衆生の功徳に応じて得を積むように説かれています。
般若の教えを悟り得る衆生に対しては、
「実体のあるものは本当はないのであり、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません」のが解ったのだと思います。

以後、蛇足です。
私の読んだ宗派の教書では、
小乗の空を、肉体は色、魂は空というもの。これによって輪廻を解脱できるとされるという考え
大乗の空、般若の空は、物事の攻・恐怖ということの拘り、執着を捨て、禅定を持って、落ち着きを持って、真実・実相を悟るというもの
法華経の空?というか、法華経では、三諦円融(さんたいえんゆう)と考えがあります。「一念三千」、「十界互具」という考えとかなり関係があります。

簡単に言うと、一人の人間(あるいは存在)の中に、仏性、菩薩、縁覚、声聞、天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄という10の世界があるとあれています。世界という言い方が適切とは思いませんが、界では、伝わりにくいと思うのでそういった表現にしました。

上記に書いたように、仏性を開く修行をしていけば、仏様に近づき、餓鬼、畜生、地獄に落ちるようなことをしていけば、そうのようになるということです。

法華経では、提婆達多という者が出ており、過去において、釈尊(お釈迦様)に法華経を教えた者とされています。それが、釈尊が成仏して、長い時を得て、「事実であれば」今から3000年前に釈尊が仏教を説いた時でも、まだ、成仏しておらず、釈尊の邪魔をしたとされる者です。

話が逸れました。
空を悟り、因縁・徳と業によって色(仮)という目に見える世界、感じる世界が生じる。これは大乗の空と同じです。
法華経では、空も色(仮)としています。
法華経の三諦円融(さんたいえんゆう)とは、空、仮、中という3つ別れ、
中を成仏、
空は成仏によって悟り得る故に色(仮)として感じる者、
仮とは、空であり、中です。
つまり、
成仏することに、
空を感じ、
空を感じることは仮であり、
仮というのは、成仏の境地
それが、法華経の三諦円融(さんたいえんゆう)という私なりの解釈です。ここは実感してないところなので、解釈に過ぎません。

最後にもう2つ
人生は、悩み考えるものだと思います。悩み考え、それの本当の苦悩から救われる悟りを得た時に、1つ、人間性(仏性)が高まると感じます。
いくら、修行をしても、悩み考え、苦の因を見つけ、それを解消、救われたいと思わない人に、智慧というものは得られないものだと感じます。

仏性を開花、仏様に近づくことよって、
物事の実相、真理を悟り得る智慧
物事を正しく捉え、考える精神的落ち着きの禅定
物事の苦・救の繋がることを踏まえ、苦に繋がることをしない戒
が身につくとされています。

そして、最後の1つ。
私の宗派の教え上に書いているので、もしかしたら、私の宗派や法華経に興味を持たれるかもしれません。
私は、質問者さんの人生に肩代わりは決してできません。あくまで参考意見として述べただけであって、その正誤、幸・不幸、価値、無価値は質問さんが判断することです。誰かを信じることは裏切られる、騙される可能性があるからこそ、「信じる」という言葉を使うものだと私は思います。
自分の人生の責任を持って人の参考にしてください。
私は仏様ではなく、質問者さんを救える人間かも解りませんから。


長い回答で、誤字、脱字もあるかもしれませんが、
質問者の人生やそれ以上の広域において、何か参考や、ためになれば幸いです。
もし、最後までお読み頂いたのなら、ありがとうございます

私は、仏教、日蓮宗系の宗派、日蓮正宗の者です。
経は、法華経、日蓮大聖人様の書文、帰依を三大秘法の久遠元初の仏。
根を三大秘法とし、それなくして、僧侶(お坊)も経も書文も無意味とされる宗派です。

私なりの「回答させて」いただきますが、絶対に正しいということ自信は持てません。

私が少ない期間ですが、修行して感じた「空」というのは、かなり深いものと感じます。感じることは、容易ではなく、体験を通し、感じるものだと思います。だから、感じることなくして、「空」という説明を聞いて...続きを読む

Q「般若心経」の解説本を、教えて下さい。

わずか266文字の短いお経、「般若心経」。
どうしてこれほど親しまれているのか、勉強したくなりました。

お経の内容を易しく解説したおすすめの本がありましたら、教えてください。
どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

cotton100さんへ。

般若心経の本はたくさんありますが、まずは
中央公論社刊、瀬戸内寂聴氏の
「寂聴 般若心経 生きるとは」をお薦めします。
中公文庫で¥590円です。

入門者向けに解説してあります。
以下は個人的な感想です。
以前、入院中、退屈している私に家族が持ってきてくれたのが、
この本との出会いです。
私は、この解説本を読んで仏教に対するイメージが変わりました。
宗教とはたいてい「人生の苦しみをどう乗り越えていくか」が
テーマの一つになってますが、仏教は、それに対して
とても論理的なアプローチをしているなと驚きました。
「人生、こんなふうに考えてみると楽になるよ」という
実践的な処方を教えてくれているのが仏教であり、
般若心経なんだなという感想です。

般若心経は最も短く、かつ宗派を問わずあげることのできる、
仏教の神髄が凝縮したすばらしいお経です。
それだけに、ものすごく熱狂的な研究者による著書や、
面白いけど突飛な解釈本、神秘的にとらえるものなど
著書は多種多様です。
中にはとても偏った書き方をしている本もあります。

ですから、まず「入門」するならば、ニュートラルなスタンスで
書かれた解説を読んでみることをおすすめします。
その後に、マニアックな本を読んでみるのもいいですが、
まずは、この本をスタートに、
自分なりに「般若心経の理解」を深めていくのが
おすすめです。

前書きに、
「般若心経も、何気なく聞き流していたものが(中略)、ふと、
その意味について識りたいと思い、一語一語の語りかける真意を
理解したいと思う時がある。
その時が、自分と般若心経の縁がしっかりと結ばれた時である。」と
あります。
著者も、cotton100さんと同じような気持ちで般若心経を
勉強しはじめたようです。

もしお読みになるなら、一つコツを付記します。
般若心経は、一つ一つの言葉にいろいろな、いや本当に広大な意味が含まれていて、たまげます。優しい解説本とはいえ、読んでいくのは結構大変です。最初は、読み下すくらいの感じで読んでいくと良いでしょう。本書は二章構成になっていて、まず一章で全文解説されます。そして二章目も同じく全文解説されますが、少し簡潔になっています。一章目で混乱したり、よく理解できなくても、頑張って読み進んで二章を読むと、すんなり理解できたりします。
一章で、理解まで至らなくとも何となく内容を頭にひっかけて、二章で復習するという構成は、初心者にはとても親切だと思いました。

私がこの本で般若心経を知り、このお経の中で
一番強烈な印象を受けたのは、「すべてが無い」という部分です。
自分の後ろにたとえばゴミ箱があったとしても、気付かなければ無いと同じ。誰かが自分を嫌っていても気付かなければ、無いと同じ。だから、心がなければ、物も、人も、苦しみも愛も執着も、すべてが無いのです。いや、この心さえ無い、無い無い尽くしだとくり返してところです。
「すべてが無い?じゃあすべては無意味なの?」と思われるでしょう?この先は、もし興味が湧いたら本書で読んでみてください。

cotton100さんへ。

般若心経の本はたくさんありますが、まずは
中央公論社刊、瀬戸内寂聴氏の
「寂聴 般若心経 生きるとは」をお薦めします。
中公文庫で¥590円です。

入門者向けに解説してあります。
以下は個人的な感想です。
以前、入院中、退屈している私に家族が持ってきてくれたのが、
この本との出会いです。
私は、この解説本を読んで仏教に対するイメージが変わりました。
宗教とはたいてい「人生の苦しみをどう乗り越えていくか」が
テーマの一つになってますが、仏教は、それに対...続きを読む

Q夜中に光明真言をとなえると・・・

最強のマントラとよばれる光明真言です
「おん、あぼぎゃ、べいろしゃなぅ、まかぼだら、まに、はんどま、ぢんばら、はらばりたや、うん」
これを夜中に唱えると、よくないことが起こると聞きました。

どうしてでしょうか?

Aベストアンサー

私の家系は真言宗なので、光明真言は法事やらお葬式やらで普通に唱えています。
夜中にも言ってみたことありますが、一度も何にも起こったことはないです。
むしろ金縛り(霊的なものじゃなくて体の疲れによるもの)などのとき、おまじない代わりに唱えてかえって気休めになります。

唱える人が只の人なら、只の言葉にしかならないんじゃないでしょうか。

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む


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