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皇室神道と神社神道について教えてください。

皇室神道と神社神道は江戸時代以前にも存在し、その二つが結合して国家神道が成り立ったのか、それとも国家神道より以前は「神道」というものがあり、それを国家レベルに担ぎあげたものが国家神道であり、その国家神道を戦後解体する際にできたのが皇室神道と神社神道であるということなのか、教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

簡単に言えば、皇室神道は皇室における祭事儀礼の作法をまとめたものです。


この時国は皇室における祭事儀礼とその他の神社に対する祭事儀礼集をまとめ、一般的に皇室のものを皇室神道と呼ばれています。
神社神道は明治において布教の禁止や教義の廃止を表明した国に反発して独立、宗教団体として登録したいわゆる教派神道などに対応して名づけられた国の政策に沿った形態の神社の集団に対する呼称です。
さらに国家神道は軍部が進めた靖国信仰を利用した政策に対し、第二次大戦後マッカーサーが指摘した際に呼称したものです。
そもそもそれまでの神仏習合下に置いて寺を重んじた徳川幕府に対し、明治政府が神道を中心とした国家体制を構築しようとしたので、それまでバラバラだった或いは寺に管理されていた神社を独立統合して国が管理しようとしたものです。(とはいっても神仏習合にしたのも天皇なのですが)
これには徳川幕府やその下で繁栄した江戸時代の文化を完全否定したいという明治政府の思惑と、氏子制度によって戸籍の原資料が神社にあったことを利用したものだと思われます。
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「皇室神道」とは基本的に天皇が主宰する神道で、その神儀祭事をいう


天皇家は最高神天照大神の子孫ですから、天照大神を中心とした神儀祭事を行う。

天皇と直接関わる神社での神儀祭事も皇室神道に含む
古くは天皇家専用の神社であった伊勢神宮など
明治以降戦前は、国家が神宮と定めた神社の内、天皇縁の神社の神儀祭事

「神社神道」とはもっと広い概念で、神社を中心とした神儀祭事全般を指す
狭い意味では、皇室神道を除く神社を中心とした神儀祭事全般を指す

明治以降の戦前は、憲法で信教の自由を明記していましたが、神道は宗教を超越する上位の存在概念としており、矛盾しないとして国家掌管する。
この時期の神道形態を、アメリカが「国家神道」と呼び、言葉が戦後定着。
国家によって神社が管理され、天皇縁の神社や国家の要になる神社を神宮と定め、神社にランクをつけた。

官社には官幣の大中小社、国幣の大中小社があり、官幣社は神祇官が、国幣社は地方官が祭るものとされ、それぞれ神祇官の所管とされた。
大中小いずれにも分類できない官幣社を別格社に指定。
官幣社一覧 http://shrine.s25.xrea.com/meijisyakaku-k1.html
国弊社一覧 http://shrine.s25.xrea.com/meijisyakaku-k2.html

占領地にも官幣社を置いた。
台湾神社・樺太神社・朝鮮神宮・関東神宮(中国満州)・南洋神社(パラオコロール島、1997年再建)などが官幣大社
朝鮮台湾には、国弊社も10社建立された
諸社には府社、藩社、県社および郷社が置かれたが、藩社は廃藩置県の為実際には指定神社無し。
他は無格社とされた。
伊勢神宮だけはランク外で最高位に置かれた

古くから京都周辺の22社は勅祭社とされていた。
国家神道時代は明治天皇が埼玉の氷川神社(いわゆる大宮)の祭事を勅祭として行ったのが始まりで、官幣大社から新たに勅祭社17社を指定し天皇の使いを送った。(靖国神社だけが、官幣特別社)

国家神道の最大の特徴は招魂社。
明治維新から戦前にかけて、国家のために殉難した英霊を奉祀する為に内務大臣命で全国に置かれた。
そのうち、東京招魂社は明治12年に名称変更、靖国神社になる。
各地の招魂社は、昭和14年に名称変更して、護国神社とする。
戦前は、国家=天皇の為に命をかけて戦い、死後の魂は招魂社において天皇の元に集まるのが栄誉とされた。
陰陽道縁の招魂祭がこれら神社で行われていた
これが、アメリカからカルト宗教とされた所以である

明治期に神仏分離が行われ、渾然一体化していた神社と寺が分離された
その為、1つの神社仏閣が、神社と寺に分けられたケースや、無理やり仏教色を廃した為に祭神脇に仏教の菩薩が祀られていたりする

明治以降の国家掌管神道で、多くの神社が神宮に改称されたが、江戸時代以前の神宮は、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3つしかない
戦前は神宮を名乗る為には、勅令が必要だった。
戦後は神道の最大勢力、宗教法人神社本庁(多くの神社が加盟する)が認めた神社だけが、神宮に改称することを認められる為、北海道神宮(旧札幌神社・北海道)、伊弉諾神宮(兵庫県)、英彦山神宮(福岡県)の3社が神宮に改称した

尚、11世紀~江戸期においても神社は地方や国の守りとされ、各地でランク付けが行われた
各地の最高ランクが、一宮(いちのみや)、次ランクが二宮(にのみや)..三宮(さんのみや)という具合に
近畿などの多い地方では、五宮位まで、群馬では十二宮まである。
国司が着任した際には、一宮から順に拝礼し、鎮守を祈願した。
地方君主によって度々変更された例も有る
現在も、神道ではこの格付けに拘るケースがある
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日本の神道のルーツはユダヤ教と言われています。

もちろん日本に伝わったのは、皇室の神道よりもずっと前のことです。渡来人である天皇家は自分の権威を強固にするために、古来からあった神道を利用して各地に神社を作りカムフラージュしたのです。しかしいまでも大きな神事は、自ら作った神社ではなく、古来からあった神社で行っています。これは天皇家批判ではなく、さまざまな勢力争いや侵略の果てにこのようなことになったという話です。
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