「平成」を感じるもの

憲法13条と国家主義

私は法学部の学生です。進学のため勉強をしているのですが、憲法13条 個人の尊重について質問があります。
ざっくり見ると、日本国憲法は戦前の反省からか個人主義を規定しておりますが、要するにワガママを言いたい放題できるというように解釈されると思われます。もちろん公共の福祉による制約に服するものでありますが、最大限尊重されるべきものであるようで。

で、本題ですが、国家主義(いわゆる国家主義でなく、愛国心、郷土愛等のごく自然発生的なものによる)ですら現代の日本においては敵視されているような風潮に関してです。
通常どこの国の人でも国旗国歌を尊重し、自国への愛着はとても強いと考えられますが、日本ではそうでないような気がいたします。

具体的に見ると
・自国の発展のため、なるべく自国のモノを買う(自由主義だから当然ではありますが)
・働かないで生活保護で暮らすのでなく積極的に生産し、税金を納める

もっと細かく見ると、
・横断歩道を車がきているのにノロノロ歩く歩行者(歩行者が優先するので全く問題ないことは知っています)
・電車で荷物等を置き2人分の座席を占有する

など、上記の国家主義、全体主義(他者のための配慮)のから見ると改善すべきであり、またそうした方がより住みやすい環境ができると思うのですが、そうするように働きかけたところで、13条で跳ね返されてしまいます。

13条による個人主義を濫用できるように教え込んでいるのは、日教組の教員やアメリカの占領政策によるものなのでしょうか?また、どうしたら自発的に他者のことを考えて行動できるような人間が増えると思いますか?

まとまらない文章で申し訳ありませんが、みなさんのお考えをお聞かせください。

A 回答 (4件)

道徳は道を究めようとする者の基本


昔は幼少の頃より教えられてきました。
学校の各段階で教えるのも必要。

社会人となってからもより深く道徳を
高めていたのが昔の日本人です。
そして道徳以外の道に身を置きました。

道徳を身に付け自らの意思で人生を
決める事。それが道です。

学校が道徳を教えないならネットで
教えれば日本社会は改善されると思う。
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この回答へのお礼

たびたび回答をいただきありがとうございます。

戦後経済発展にだけ特化し、家族ですら精神的な面、政治思想的な面を育ててこなかったことに問題があるんですかね。

ぜひ、戦前の教育を受けられた方がご存命のうちに、当時の記憶を後世に伝えられるような方法が考えられればと思います。このままだと、戦前の日本がすべて悪だということにしまいかねないですので・・・。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/22 20:34

(1)日教組の教員やアメリカの占領政策によるものなのでしょうか?


(2)どうしたら自発的に他者のことを考えて行動できるような人間が増えると思いますか?

◎(1)現代でも続く、心理コントロール政策と思います
 (2)多くの外国では宗教が行為を規定します。
   少数の国では思想が決める。
   日本では思想と宗教の合体した道が決めていた。

日本では道徳教育により社会性を身につけるのが
伝統にかないます。書いていて思いつきました。
道徳教育専門のサイトは在るのかな?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり(1)の点に関しては今なんとかしないと、今後回復する機会を失ってしまいますよね。戦前の教育を受けてきた人たちが生きているうちになんとかしないと。

(2)に関してですが映画を見ていてもそう思います。キリスト教だとかその他の宗教、星条旗っていうのは、自分の誇りであって、けがしてはならない存在なんですかね。日本では家制度がそれにあたるのでしょうか?家名を汚してはならないというような。

道徳制度というのは、学校における道徳教育のことでしょうか?

お礼日時:2010/08/22 07:39

 法学部の学生にしては稚拙だと思いますが、真面目に勉強されているのでしょうか?



 憲法13条は個人主義ではなく「個人の尊厳」を規定するものですし、13条から個人主義を導きだす法解釈は現在はありません。
そもそも、個人主義と個人の尊重は区別して教わるはずですが、大丈夫ですか?

 個人主義の濫用は憲法12条で予定され、公共の福祉と重複して制限しています。


<第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。>

 そもそも、憲法13条を持ち出せるのは、個人の行為ではなく、国家が行う個人への干渉行為を問題にするのであって、
質問文では憲法13条を持ちだす話とは無関係の例示が羅列されているようです。
(ここらは憲法学の基本を理解できてない可能性が懸念されます)

 日教組云々を言う前に、法学部らしく条文や判例を以て意見を述べることをお奨めします。

 なお、どうして本件を法律ではなく政治で行ったのか?という問題を推測しますに、
当人も憲法に関する知識の未熟さを理解していたように思いますが、いかがでしょうか?

まずは、初歩の憲法学の本を読みましょう。
個人主義は、「個人の尊厳」ではなく、基本的人権保障の保障という現憲法の3章全体の精神であり、(人類普遍の法理)自然法です。
(おそらく自然法さえ理解されてないでしょうが)最近では13条の個人の尊厳規定については中学受験でも出題されるので、理解してほしいものです。

正直言わせてもらうと、この程度の法学部学生がいることに不安を感じてしまいます。

 それとも、この程度が法学部学生なのでしょうか?

憲法学のテキストを正しく読んで勉強してくださいな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

改めて使っているテキストを読み返しましたが、13条について、おもに幸福追求権について書かれていましたが、「13条前段:個人の尊厳=個人主義原理を表明」とバッチリ書かれています。このテキストは相当なリベラリストが書いたものですが、憲法学界ではある程度有名な先生です。
個人主義の根拠条文はおっしゃる通り多数ありますが、その最たるものが13条前段でないかと考え13条について質問いたしました。
しかし、もっと根本的な部分の、憲法の目的をこの質問を思いついたときに頭になく、おかしな話になってしまったのだと思います。申し訳ありません。

この質問を思いついたきっかけはNo.1のお礼の欄に書きましたので、お読みいただけたらと思います。

条文に関しては、回答者様と私の解釈が違うことに問題があるようですね。条文はしっかり読み込んでいるつもりです。また、判例を探さなかったのも、具体的な話がしたかったわけでなく、政治体制、国民のあり方について抽象的な話として意見を伺いたかったからです。そのため、カテゴリも法律でなく、政治にいたしました。もちろん憲法は勉強中ですし、たとえ資格を取得できたとしても一生未熟であり続けるとは思います。

自然法やロックの自然権思想は散々突き詰めて勉強しましたが、今回根拠となる条文を挙げるにあたり13条を引き合いにだしましたが、それが間違っていたようです。しかし、質問者様のおっしゃるような自然法よりは、自然権の方が適切ではないでしょうか?自然法という法があるのでなく、ただ観念されているものであり、その内容として自然権があるものであると考えます。

お礼日時:2010/08/21 22:38

 法学部の学生さんにしては、個人主義と利己主義を混同されて(日本人には多いのでしょうがないのでしょうが)いたりして、別の意味で興味深い質問に思えます。


 
 他の方のためにまず憲法13条を引用しておきます。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」ここでは国政が国民を個人として尊重すべきと言っているだけで、他の国民を国民が尊重しろなんて言っていません。論理の飛躍がここから始まっているように私には思えます。
・自国の発展のため、なるべく自国のモノを買う
・働かないで生活保護で暮らすのでなく積極的に生産し、税金を納める
・横断歩道を車がきているのにノロノロ歩く歩行者
・電車で荷物等を置き2人分の座席を占有する
 と4つの行為を批判されてますが、3番目の横断歩道は個人主義ならむしろ尊重しなさいですよね。足の悪いお婆さんだっているわけです。4番目の電車の座席占有は利己主義に基づく行動で国際的にも非難されます。
 順序が後先になりますが、自由主義経済下においては国産品を買えというのはナンセンスで、経済振興政策として商品開発を産官共同で行ったり、何らかの補助を出したりといった実務レベルのスキームで対処されるべきことですよね。2番目については憲法の別の条文で勤労(27)、労働(30)と規定されています。

 ここに質問された時点で何らかのきっかけがあったのでしょうが、少なくとも質問文ではそういった整理がなされていないようにまず見受けられますがいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
全然まとまっていない段階で質問を投稿してしまい申し訳ありません。

>他の国民を国民が尊重しろなんて言っていません。論理の飛躍がここから始まっているように私には思えます。
確かにそうでした。


この質問をしようと考えたきっかけが、個人は尊重されるため、(夫婦別姓推進の根拠になりうる。ということなど)、個人主義が横行し、それのあやまった解釈により、回答者様のおっしゃる通りの利己主義的な世の中になっているのではないか?と考えたからです。
私は、ジョン・F・ケネディの「国家が何をしてくれるかでなく、国家のために何ができるか考えよ」という言葉が好きで、このことから、もっと社会に有用に生きるべきでないかと考えております。

「国家のために」「お国のために」のような考え方が日本では明らかに死語化、もしくはタブー視されていると思うのですが、これは愛国心、郷土愛などからごくごく自然に生まれる発想だと考えており、それに対してGHQの占領政策や日教組の教育でタブー視するように仕向けた?という構図があるものと考えています。
そこで、今後この問題について議論することがあった場合に、どのようにしたら論理的に根拠づけられるかを考えたく質問させていただきました。


例示したものの、3つ目に関しては、ゆっくりとしか歩けない人はもちろんそれで問題なく、普通に歩けるのにノロノロ歩いているような人が対象で、状況によりますが、小走りで渡ったり、車に道を譲ったり・・・等できるし、した方が社会的に無駄な時間が減ると考え、例示しました。
4つ目に関しては、世界的に見ても非難されるようなことが、現実日本で起きていて、2人分の席をとっていても平気な顔をしていられるのは、利己主義(個人主義と混同していました)からくるのではないかと考え例示しました。

1つ目に関しては趣旨が伝わっていないようで申し訳ありません。政治的な手段によらず、国民が国民の意思でそう考えるべきでないか?と思い例示しました。
2つ目に関しては、私は憲法の目的から、実質的に義務にならないと考えており、論点がズレてしまうので、この点に関しては無視していただけないでしょうか?

以上私が質問しようと考えたキッカケを書きましたが、お手数ですがもう一度ご意見をお聞かせいただけたら幸いです。


長文をお読みいただきありがとうございます。

お礼日時:2010/08/21 22:06

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