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作文は「だ・である」調 or 「です・ます」調のどちらが良いのでしょうか?
論文の場合は、「だ・である」調だと思うのですが。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

こんにちは。


辞書には「ですます体」「だ体」「である体」という見出しで載っていますが、
NHKのアナウンサーが「だである調」「ですます調」と言ってましたので、‘あり’なんですかね。

さて、本題。

小学生が書く作文だと、ですます体が多いかと思いましたが、自分が小学生の頃の卒業文集を今見て確認しましたら、9割方の人が、だ体で書いています。

しかし、先月私が参加したQ&Aをご覧ください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6036856.html
なんと三島由紀夫は、一つの文章の中のところどころで、ですます体を混ぜています。
読者への語りかけを意識している箇所で、ですます体を用いている様子です。

まー、三島の真似をして書いても先生に直されるかもしれないので、ですます体は使わない方が無難ではないでしょうか。
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木造は「総檜造り」と「総欅造り」のどちらが良いのでしょうか?



おいおい、適材適所ってもんがあるだろう!

言葉も同じで、どちらが良いかではなく、どういうところに「です・ます」調、どういうところに「だ・である」調を使おうか、に尽きるのではないでしょうか。

日記であれば読者は自分自身ですから「だ・である」で良いでしょう。
作文は他人を読者想定するので「です・ます」が良いのではないでしょうか。
その昔、ある会社の就業規則を見せていただきましたが、なんと全文「です・ます」調で書かれておりました。就業規則は私家版の法律の様なものですから「だ・である」調で書かれるのが普通ですが、この就業規則を読むと、会社が従業員に語りかけるような雰囲気であり、拙者としては大変良いものと思いました。型を破って成功している例ですね。

さて、論文ですが、こちらは文字数を節約するという習慣があるので「だ・である」調でしょうね。とくに科学系、工学系の論文であれば冗長性を排除するのが表現上の価値基準ですから「だ・である」が正しいと思います。

しかし、学術論文は人口に膾炙されなくてはならないし、日本語を理解できる人間は人類の2%も居ないのだから、「だ・である」調か「です・ます」調かで悩むのではなくて、英語が中国語かあるいはアラビア語かを悩むべきでしょう。ラテン語が論文用語だった時代もあったようですが、今や英語かゴミかというぐらい英語が席巻しているようです。桧と欅の靭性の分析結果だって日本語で書くから誰も読まずにゴミ扱い。木材チップの断熱性を論じていたドイツ人はちゃんと英語で書いていました。

では、どういう時に日本語を使うべきか?
そりゃあ、選ばれし2%の日本語使いに対象を絞って、日本語の美しさ、優しさ、柔らかさを最大限に活用したいときに日本語を使うべきですよね。しかるにマニフェストだとかアジェンダだとかの片仮名語を乱用する輩が増えているので、Cyototu先生はじめとした識者が嘆いているのです。

繰り返しになりますが、日本語はたった2%の人間が使用する少数言語です。言語がより多くの人々との意思疎通という基本的機能を担っている限り少数言語の未来は危うい。特に第二次世界大戦での枢軸国の言葉、つまりイタリア語、ドイツ語、日本語などは各国が国連分担金をいくら払っても国連公用語にはされずにアラビア語やロシア語と比較しても風前の灯と言わざるを得ない。

話は変わりますが、1300年前に建てられた法隆寺が今なお健在な理由はなんでしょうか。
木造の靭性や耐腐食性が高いという物理的特性だけでは1300年という長い年月を生き残ることはできません。法隆寺は美しいのでこれを後世に残さなくてはならないと考えた人々がいて、この人々の並々ならぬ努力があったから今日までその姿を保つことができたのです。
明治維新の際に幕藩体制の権力の象徴であった全国諸大名の城が強制的に解体さたとき、江戸初期に建てられた姫路城が壊されなかったのもおなじ理由です。姫路城は取り壊すには美しすぎたので、役人から職人までが「こいつだけは壊さんでおこう」と暗黙に決め、だれも反論しなかった。

もしも、法隆寺や姫路城が木くずを固めた輸入合板や、接着剤に頼った集成材柱を金属留め具で繋げた現代風の建築物だったら、私たち現在人はその姿を見ることはできなかったでしょうな。これは物理的耐久性の問題ではなくて上等か上等でないかの問題なのです。

さて、話を戻すが、上等な日本語とはなにか?
ひとつは俳句や和歌に使われる大和言葉。
もうひとつは、漢文の書き下しに「候」を混ぜた候文形式の漢字仮名交じり文。
これらは上等な日本語であり、法隆寺や姫路城と同様、後世に残してゆく価値が有る。

義務教育は人々の最低限の能力を保証しようという視点だし、その上の高等教育は専門性を高める目的があるため、汎用的な国語の教育に関しては上等な日本語を教えよう、学ぼうとう機会が失われてしまいました。その結果、人口の10%を占める知識人たちの為の上等な日本語が失われ、その他の人々と同等の言葉を使わざるを得ない状況になってしまいました。今や人口の10%を占める知識階層も輸入合板や集成材で建てられた“日本建築”のごとき日本語を使うことになってしまったのです。

さて、今から300年後、私たちの子孫は英語で議論しながら日本語の保存活動を実施しているのでしょうか。
それとも選ばれし2%のための美しき言語として日本語はその時代にも立派に機能を果たし続けるのでしょうか。
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#2です。



もちろん日本です。アメリカは文化の遅れた大変未開な国です。日本やヨーロッパの文化の足元にも及びません。皆はピストルを持っているし、お金だけがすべての物の価値を量る尺度です。霞を食って生きる清貧なんてことの意味がまったく通じません。陪審員制度というとんでもない裁判員制度のおかげで、事実や正義に無関係に素人を手玉に取るように操れる弁護士がぼろ儲けをしていますし、裁判官は選挙で選ばれるので、選挙資金の献金という名目で裁判官にお金を渡す汚職が堂々とまかり通っております。私はこんな未開な国で裁判は絶対に受けたくありません。歴史もなく、何でも力任せで、金持ちばかりが威張っている遅れた国です。

しかし、心配しているのは最近の日本ではカタカナ文化が氾濫し、自分たちの文化をどんどん壊していることです。漢字のような表意文字は初めて見た字でも意味が透明ですぐ判るので、新しい知識でも一般大衆に開かれており、大変民主的な文字なのですが、カタカナやアルファベットのような表音文字は初めての人にはまったく意味が判らない不透明さがあり、その結果、判る人と判らない人の間の格差を広げ、知的貴族を作り出してしまう大変非民主的な文字ですね。

日本人なら誰でも、耳鼻科、草食性、鳥類学、地震計、という学術語ははじめて見たときでもすぐに意味が判りますね。それに対応するアルファベットの学術語は、それぞれ

otorhinology, graminivorous, ornithology, seismograph

です。私はアメリカ人で博士号を取った何人もの方にこの学術語を見せて、意味が判るか聞きましたがその殆どの人には意味が判りませんでした。そのぐらい表音文字は意味が不透明なのです。その結果、一般の人々の知的水準が日本人よりずっと低いです。

今朝も、NHKのテレビで「環境コンシェルジェ」ってな言葉を使っていました。マニフェスト、アジェンダ、インセンティブ、心のケア、、、、おーい日本の文化はどこ行ったー。日本人はなぜそんなにも自分たちの文化に自信がもてないのですかね。
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勿論、駄目です。

日本語では「だ・である」調 も 「です・ます」調も正しいのですが、orは日本語ではありません。その言葉は「又は」と書くべきです。かっこいいからと言ってアメリカ人の奴隷のように振舞わないで、自分の国に誇りを持って、正しい日本語を使いましょう。
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この回答へのお礼

ユーモアのあるご指摘ありがとうございます。

ただ、“かっこいい”というよりも見やすさを考えて「or」を使用しました。
的確かつ簡潔に質問文を書けば、ご回答も頂きやすいのかなと思いました。
見やすさは十人十色ですが、私は「or」が的確かつ簡潔だと考えました。
勿論、作文を書く際は“or”ではなく“または”を使用するつもりです。

また、自己紹介の欄で、アメリカに30年間住まわれている様ですが、回答者様はどちらの国(日本orアメリカ)に誇りをお持ちなのでしょうか。

お礼日時:2010/08/25 23:11

どちらでも良い。


但し語尾は統一する事。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
助かります。

お礼日時:2010/08/25 23:00

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