ツルゲーネフの「父と子」「けむり」「ルージン」といった文学が好きなのですが、
日本文学でツルゲーネフとテイストの似た作品をご存じないでしょうか?

話の内容とかではなく、雰囲気が似てるという意味で。

よろしくお願いします!

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A 回答 (1件)

ツルゲーネフは日本では自然主義文学のバイブルとなって、田山花袋、国木田独歩が盛んにまねをしましたが、どうも貧乏たらしくって、「ティスト」はあまり合わないでしょう。

徳富蘆花の「自然と人生」なんかはまだいいかもしれない。革命と言えばプロレタリア文学でしょうが、そちらではないようですね。むしろリッチなティストということなら、トーマス・マンのまねをした北杜夫なんかの方が合うかもしれません。多分高橋克己の「悲の器」なんかがテーマとしては被るだろうけど、ティストは合わないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます! 仰るとおり、自然主義とかは考慮になく、
どろどろした貧乏たらしいのはちょっと僕が思うツルゲーネフ風とは違います。
ご紹介いただいた作品、読んでみます。

お礼日時:2010/08/27 10:38

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初恋 小沼文彦/訳:角川書店
初恋 佐々木彰/訳:講談社
初恋 米川正夫/訳:岩波書店(発行年月が違い2種類)
あひびき・初恋 米川正夫/訳:思索社


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Aベストアンサー

初恋、読んだことありませんが、最近、光文社から古典新訳文庫というシリーズが出ていて、期待できるのではないかと思っています。もちろん「初恋」もあります。参考URLにアマゾンのページを貼っておきます。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/dp/4334751024/

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「母と子」で私がパッと思い浮かぶのは
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Q初恋って何…?

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何回読み直しても伝えたいことが解りません。
どういう意味なのでしょうか?解説お願いします

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つい最近、この「あいびき」を二葉亭四迷訳ほかで読む機会があったので。

えーと、まず「伝えたいこと」というのは、「作者の伝えたいこと」という意味ですね。
そういう問題の立て方はちょっとうまくない。
「作者の伝えたいこと」は、だれにもわからないです。ツルゲーネフに聞いてみなくちゃ。ツルゲーネフだって、この『猟人日記』を書いた頃の記憶は、のちにはなくなってるかもしれないし。そうではなくて、読者にできることは、「何が書いてあるか」を読むことです。
質問者さんは、わからない、と思った。
つまりそれは「作者の意図」ではなく、「何が書いてあるか」がわからなかったんです。
まず「何が書いてあるか」を読むこと。

この短篇の流れは非常に単純です。

まず、主人公が九月の出来事を回想する。
 ↓
主人公は白樺林のなかにいる。
 ↓
ひと眠りすると、若い女性がいた。
 ↓
若い男が現れる。
 ↓
ふたりは話をする。
・男は貴族の従僕で、明日この地を離れる。
・娘はそれを悲しんでいる。
 ↓
男はそこを去る。
 ↓
娘は泣く。
 ↓
見かねて主人公が出ていくと、驚いた娘は逃げる。
 ↓
主人公は残された花束を拾う。
 ↓
主人公はひからびた矢車菊をとっている。

つぎに、「どうしてそうなったのか」を考えること。この「どうして」は、直接には書いてありませんから、自分が見つけてやらなくちゃなりません。
ここから質問者さんはご自身で質問を作ってみてください。このときの男はどんな気持ちだったんだろう、とか、主人公はどうして出ていったんだろう、とか。簡単に答えられるのもあるし、むずかしいのもあると思います。けれども、こうやって考えていくことで、表面に描かれていない登場人物の「気持ち」をつかむことができます。

で、ここではひとつだけ。
主人公はどうして「ひからびた矢車菊」をとっておいたんだと思います?

これはあくまでも解釈ですから、別に「アクリーナがかわいそうだったから」でもいいんですが、それだと冒頭の、白樺林の情景が描かれていった部分の意味がよくわからない。単なる話のマクラなのか。そうではないとわたしは思います。

刻々とうつりかわる天候、空のようす、木々のざわめき、下に生い茂るシダや落ち葉、木漏れ日。そこに聞こえてくる鳥のさえずり。
主人公は、自分を取り巻く周囲を、見て、感じて、味わっている。さらにそこで眠るということは、その自然と一体となることでもあります。

つぎにふたりが登場します。そのやりとりを、主人公は同じように、見て、感じて、味わう。ここで、林のなかの世界は、そのままふたりの世界に対応しています。

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ところがここで、若い女性の哀れさが、主人公に介入しようとする衝動を起こさせ、主人公は行動を起こします。すると彼女は逃げていく。ここでは主人公は女性に拒まれて、その関係の中に入っていくことはできなかったのです。残された彼にできるのは、彼女が残した矢車菊を拾い集めることだけです。

ふたりが去った後、同じ林を外から見るときの描写。

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同じ林、かつては自分をそのふところに抱いてくれた林が、こんどは背を向け、壁となっている。拒まれ、閉め出されたように感じているのです。つまり、主人公の心情が、そのまま林の描写となって現れている。

わたしたちは自分の心情にしたがって、外界を見ている。世界はわたしたちの心情に呼応して、わたしたちの目に、さまざまに姿を変えて映っていく。
そうして、わたしたちが世界と自らを一致させていこうとする限りでは、世界はわたしたちを受け入れてくれる。
ところがそこに介入しようとしたとき、世界は一転、わたしたちをこばむ。

主人公は、自分の経験をこのようにふりかえっているのです。
記憶は、それだけでは流れていってしまいますから、それを留めておく「記憶の器」のようなものが必要です。この矢車菊は、その器、主人公にとってはその記憶の換喩として働いていると考えることができるのではないでしょうか。

つい最近、この「あいびき」を二葉亭四迷訳ほかで読む機会があったので。

えーと、まず「伝えたいこと」というのは、「作者の伝えたいこと」という意味ですね。
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Q藤村の詩「初恋」について

藤村の有名な「初恋」の詩の解釈について、今もめています。もめている内容は、この詩は、「初恋」が成就したかどうかについてです。私自身は成就していない派なのですが、皆さんはどう思いますか。

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成就しなかった派です。

初恋は、成就してはイケナイのです。
初恋はかなわぬからこそいつまでも美しく
甘くせつなく心の中に残るのでは。
そういうところから名作が生まれるのでしょうね。

ツルゲーネフの「はつ恋」なども。

Q心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。 イギリス文学 心理学 イギリス文学を用いて心理学

心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。

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イギリス文学を用いて心理学の論文を書こうと思っています。
特にサスペンスやミステリーが好きなので、犯罪心理学の路線で行こうかなと考えていますが、未定です。
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Q初恋ってそんなに大切なんですか

彼氏が初恋の相手のことを未だに想っているようで、何かというと思い出を持ち出してきます。他にも付き合ったり、好きになった人はいるようなんですが、とにかく初恋の相手が特別のようです。初恋を大切にしたい気持ちは分かります。いい思い出なんだと思います。でも今付き合っているのは私なのにそれは無神経じゃないんでしょうか。
たとえばあるものに対して「なんでそれが好きなの?」と聞くと、その答えは決まって「初恋の相手が好きだったから」で、とにかく会話の端々に初恋の相手が出てきます。
あまりにもイライラとして「私とその初恋の相手とどっちが好きなの?!」と聞いたら「それは比べられない」と言われました。正直ショックでした。
それは私より初恋の相手に心が向いているということなんでしょうか?初恋の相手はそんなに忘れられないものですか?私には勝てないですか?

Aベストアンサー

正直と言えば正直だけど、やっぱり、無神経ですね、彼は。

おっしゃる通り、今付き合っている女性の方により気を使うべきです。
それができないとしたら、彼は子供です。

無邪気がかわいいのは子供のうちだけです。
大人は、特に恋愛においては邪気だらけ、が当然。
今付き合っている相手の気持ちをささくれ立たせるような言動は、恋人失格です。

でも、彼がいまだに初恋の相手を想い続け、もしかなうならば、あなたと取り換えたいと思っているとか、あなたは初恋の相手に勝てない、というわけではありません。

すでに存在しないものは、もうないんです。
存在しないものとは勝負のしようがない。

「初恋の人の話をされると、私は辛い、悲しい」と泣きつくとか、
「じゃ、わたしなんかいらないのね」とすねるとか、
あなたも「実は私も初恋の人を忘れられない」という話をでっち上げるとか、

彼のタイプによって対応は異なると思いますが、
なるべく「初恋」の話題が出なくなるようにするしかないですね。

すでに存在しないもののことは、しようがないです。
しようがないものにいつまでもこだわっている彼もよくないですが、
あなたもあまり気にしない方がいいです。

正直と言えば正直だけど、やっぱり、無神経ですね、彼は。

おっしゃる通り、今付き合っている女性の方により気を使うべきです。
それができないとしたら、彼は子供です。

無邪気がかわいいのは子供のうちだけです。
大人は、特に恋愛においては邪気だらけ、が当然。
今付き合っている相手の気持ちをささくれ立たせるような言動は、恋人失格です。

でも、彼がいまだに初恋の相手を想い続け、もしかなうならば、あなたと取り換えたいと思っているとか、あなたは初恋の相手に勝てない、というわけではありません。...続きを読む

Q日本文学における「近代」について考察せよと・・・・

課題が出て自分は二葉亭四迷の『浮雲』と森鴎外の『舞姫』2作品から自分なりの考えを書いたのですが、「努力はうかがえるが間違っている」、と一蹴されてしまいました。正直、国会図書館などへ行ってもどんな資料を見たらいいのかわかりません。日本文学における「近代」とはこういうものだ、又は、このような資料を見てみては?という考えや資料があればぜひ教えてください。お願い致します。

Aベストアンサー

自信はないのですが参考になるようでしたら読んでみてください。

日本文学における「近代」についてはNO2の方がおっしゃるように多種多様な答えがあり正解はないように私も思います。
ただ、一般的に近代日本文学とは、NO1の方がおっしゃっているように坪内逍遥が言文一致を提唱し言文一致運動が広まったり、「小説神髄」(文芸評論の本です)であるがままの人間の姿を書くべきと心理的写実主義を主張して自ら「当世書生気質」で実践して見せた所がスタートだとおもいます(ただ、戯曲風味が残っていたので完全に初の近代日本文学は「浮雲」になります)
そして逍遥の「小説神髄」に刺激は受けたものの方向性の違っていた二葉亭四迷は「小説総論」(こちらも文芸評論です)に逍遥とは違う自らの方向性を示し「浮雲」をかいた。「浮雲」はご存知とはおもいますが未完に終わっています。

以上のことををふまえると2人の文芸評論書である「小説神髄」と「小説総論」の違い、また小説である「当世書生気質」(ただ、上にも書きましたが近代日本小説としていいのかな?ともおもいます。)「浮雲」を比較し違いなどを考察し発展させていくのがいいかな~と思ったんですけどここまで書いた所で質問者さまの意図が日本の文学自体における近代なのか日本文学に書かれている近代の様子についての考察なのかわからなくなりました。
前者でしたら適切ですが後者でしたらまったく的外れなことを書いてしまったのでながしてください・・・

でも、私も自分の経験上、教授の考えにより答えの好みが違ってきちゃったりして授業内容とあまりにも異なるレポートよりも授業で取り上げられた作品をテーマにして授業内容に沿ったものの方が授業を聞いていたことも示せるし教授の意見に沿うことになるのでOKがもらいやすいです。こういうやり方が嫌いだったらゴメンナサイ。

では、レポートがんばってください。あと、私の書いたものはあまり信用せずぜひ調べなおしてください。自分の学生時代の記憶だけで書いたので・・・



 

自信はないのですが参考になるようでしたら読んでみてください。

日本文学における「近代」についてはNO2の方がおっしゃるように多種多様な答えがあり正解はないように私も思います。
ただ、一般的に近代日本文学とは、NO1の方がおっしゃっているように坪内逍遥が言文一致を提唱し言文一致運動が広まったり、「小説神髄」(文芸評論の本です)であるがままの人間の姿を書くべきと心理的写実主義を主張して自ら「当世書生気質」で実践して見せた所がスタートだとおもいます(ただ、戯曲風味が残っていたので完...続きを読む

Q初恋は、何回ありましたか?

「初恋」というのですから、最初の恋が1回だけというのが当然だと思うのですが、私は「初恋」と思えるものが何回かあります。

1回目の初恋・・・幼稚園の担任の先生に
2回目の初恋・・・小学校の同級生に
3回目の初恋・・・中学校の一年下の女の子に
4回目の初恋・・・高校生の時、女優さんに

数えてみたら、以上全部で4回でした。どれも、当時の自分にとっては初めての恋心という気持ちでしたね~
因みに、これ以降は「初」が付いた恋という印象のものはありません。。。

皆さんはどうでしたか? やはり1回だけでしょうか、それとも何回かありましたか?

教えて下さい。

Aベストアンサー

こんばんは。

せっかくせっかく書いたのに、今度はウインドウズが再起動を求めてきました(T_T)

めげずに書き直します。

幼稚園の頃○○さんに。
数年前、同級生に写真を見せてもらって、思い出しました。
集合写真の中、私の肩に頭を寄せる女の子。
ああぁ! ああっ!
懐かしい!
名前も思い出せないけど、心の深い部分をくすぐられました。

小学生の頃○○さんに。
名前は覚えております。

中学生の頃○○さんに。
もちろん覚えております。
今でも年賀状のやりとりはしております。

男はいつでも初恋、真剣勝負!

五月雨はぁ~緑色~
悲しくさせたよぉ、一人の午後は~

ああ、でも、今自分の周りには誰もいません。
俺はこのまま、一人で死んでいくのか!
誰か助けてくれろ~(^^)

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む


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