MiG25の戦果(湾岸戦争)

WikipediaのMiG25のところに湾岸戦争でイラク空軍のMiG25がアメリカ海軍のFA18を1機撃墜したとあるのですが、どういう状況だったのでしょうか?
1対1で正面から?それとも不意を突いて?MiG25は数機いてFA18は1機だったとか?どうなんでしょうか?
また撃墜に使った武器はなんでしょうか?ミサイル?それとも機関砲?
知ってる方教えて下さい。お願いします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/MiG-25_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

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A 回答 (1件)

 この件に関してはちょっと複雑というかあやふやなところがあって、今ひとつはっきりとは言えないところがあります。

また米軍の当該戦闘機はF18ではなくF15になっています。

 公式には事故や同士討ちなどを除く、純粋な意味での空中戦から見たイラク空軍対多国籍空軍の戦いは、多国籍空軍には一機の損害も無いということになっています。

 ただ湾岸戦争の最終報告ということで、アメリカ政府が出したレポートには、米空軍第4戦術戦闘航空団所属のF15イーグル1機が失われた件に関して、当初は地対空ミサイルによって撃ち落されたと思われていたのが、実際はイラク空軍のMIG25の空対空ミサイルによって撃ち落されたものだと発表されています。(MIG25が使用した空対空ミサイルの種類までは言及されてはいません)

 ただしこれはあくまでも米政府の公式発表であって、米空軍自体は当時(今はどうかは知りませんが)このような事実は無かったと強硬に否定しています。

 米空軍にとってこれは無理も無いことで、湾岸戦争では多国籍空軍のどの航空機もイラク空軍との空中戦では1機の損害も受けていないのに、世界最強を自負する米空軍だけが例え1機であっても撃ち落されたとあっては、完全に面子丸潰れですからね。

 ということで、資料によってこの件に関しての記述はまちまちということも仕方ないでしょうね。

 
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。
じゃあ真相は今のところは闇の中なんですね残念です。
何年たってもいいからいつか真実が明らかになるのを待つとします。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/05 23:50

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Q湾岸戦争の音が、日本まで聞こえる?

湾岸戦争の時の爆音が、日本でも聞こえたという知人がいます。

その知人の話とは…
『その時期、ちょうど山に行っていた。すると、かすかな爆音が聞こえてきた。あれは、湾岸戦争の音だ』
…と、言うのです。

いくら、それは山で何か有っただけだ(例えば猟友会等)と、言っても、真剣に『湾岸戦争の音だった!!』と、言い張るのです。

この件について、とても揉めています。
この知人は…『あなたは、聞こえるはずが無いという、固定観念を持っている』と言います。
私は私で…『湾岸戦争の音だと決め付けるから、山で何があったか調べることもしないんだ』…と言いました。

どこの山かわかれば…音の発生源もわかるかもしれませんが、この知人は、山の場所を覚えていません。

そこで、専門の知識のある方に質問です。
素人でも理解できるように、湾岸戦争の音が聞こえるはずが無いという説明を教えていただけませんか?
聞こえてもおかしくないなら、その説明もお願いします。
また、もし…『日本でも聞こえた』と言う方がおりましたら、お話を聞かせてください。

Aベストアンサー

 んー。それ、説得するのは骨かもしれませんよ。
 放っておいた方がいいかも。

 湾岸戦争というのは「人類史上の出来事」ですので音は出ません。
 それは「第30回定例国会の音がする」と言うのと同じことです。
 音を出すのはあくまで「ミサイル」や「爆弾」であり、「出来事」には音はないのです。
 言葉尻の問題ですが、そういう理屈をゴリ押しするような人だと、生半可な理屈では納得しないでしょう。
 科学的に説明することは可能ですが……。

 この地球上では、今も現に、秒間100発近い雷が、世界のどこかで鳴り響き続けています。
 雷というのは爆弾などよりもよほど音が大きいため、ずっと遠くまで聞こえます。
 よって、イラクの空爆の音すら聞こえるならば、その山の頂は常に、日本近隣で起きた雷でうるさくてたまらないはずです。

 ゆえに、イラクの空爆音が日本で(しかも裸耳で)聞こえた可能性は万に一つもありません。(何らかの機械を経由していれば話は別ですが)

 でも俺は、その人がこんな理屈で納得するとは思えません(笑)

 そうそう。
 #1の方が書いてらっしゃる120dbという数値ですが、騒音デシベルの単位は単純に数字を2倍すれば音が2倍になるわけではなく、120dbの2倍は130dbになります。
 なので、#1の方の回答は、この地球上では絶対にありえない物凄く大げさな想定ということになります。
 つーか、240dbもあったら、音圧だけでイランの地面が崩壊するかも(笑)
(ようするにそんな極限的な音ですら日本には届かない、という例えですね)

 んー。それ、説得するのは骨かもしれませんよ。
 放っておいた方がいいかも。

 湾岸戦争というのは「人類史上の出来事」ですので音は出ません。
 それは「第30回定例国会の音がする」と言うのと同じことです。
 音を出すのはあくまで「ミサイル」や「爆弾」であり、「出来事」には音はないのです。
 言葉尻の問題ですが、そういう理屈をゴリ押しするような人だと、生半可な理屈では納得しないでしょう。
 科学的に説明することは可能ですが……。

 この地球上では、今も現に、秒間100発近...続きを読む

Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦と
勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。

Q湾岸戦争の時、日本が貢献しなかったことって、海外で話題になってましたっけ?

テロ関係の話題、みなさん飽きたかも知れませんが、ひとつ気になることがあるんです。湾岸戦争の時のようなことは繰り返したくないと政府は騒いでますが、海外でそんなこと問題視されてましたっけ?どうも湾岸戦争の時の記憶が薄いんで教えてください。それから、今回貢献するとどういう良いことが期待できるんでしたっけ?湾岸戦争以後何か問題ありましたっけ?

Aベストアンサー

馬鹿にされると言うことはいろいろな面に影響があるのでは? もし何事にも毅然と出来る国家であったなら、内政干渉もされないでしょう。日ごろ米国に楯突いているフランスが今回はいち早く ウイ アー アメリカン と大統領が言ったとニュースで聞いて感心した自分が居り、NHKのアメリカの中東いじめの歴史番組を見て関口宏や久米宏の両氏を反米派と決め付け憎んでいたのに、自分が半米側に洗脳されました。もう手に負えません。
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Q(日中戦争)中国空軍の日本への襲来は?

昭和14年に山口県下に在住した者の日記からは「防空訓練」や「灯火管制」がしばしば行われたことが伺えます。これは現実に中国軍の空襲が想定されたからですか、それとも国民の戦意高揚や緊張感を煽る目的に過ぎませんでしたか。また、昭和14年の時点で、こういうことが全国的に行われていたのですか、それとも山口県が中国に近いなどといった理由でもありましたか。全国的でなくて山口で行われていたとすれば九州地方でも行われていたと考えるのが妥当ですが実際はどうだったのでしょう。
日中戦争では日本本土が戦火を浴びる心配は一切なかったと考えていたので意外な感で読みました。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>昭和14年に山口県下に在住した者の日記からは「防空訓練」や「灯火管制」がしばしば行われたことが伺えます。

 これは、1937年(昭和12年)4月に公布され、翌38年4月施行予定だった「防空法」にもとづき、各地方行政官庁に防空に関する所管部課が設置となり、全国規模で防空意識向上が図られた一環として実施された例だといえます。

 同法は、37年4月に支那事変が起きたために施行が同年10月1日に早められましたが、やはり本土空襲に対し、真剣に警戒していた表れでした。わが国の防空体制の整備はじつに同法によって初めて統一化されその後の戦時防空思想の基礎となりました。

 実際には同年11月に内務大臣による発令で関東、東北、近畿、中国、四国地方に「灯火管制」「警戒伝達」「監視」「通信」「消防」「防毒」「避難」「救護」などの訓練実施が行われ、翌38年の3月には九州地方でも実施されました。その後各地方行政単位において前記訓練が反復して行われました。しかし、たとえば監視について当時は目視や聴音機に頼っていましたから、本土に侵入するのは容易でした。

 38年9月、とつぜん中国機が南九州に飛来して宣伝ビラを散布する事件が発生したのです。軍民は衝撃を受けるとともにますます民間防空意識の高揚がはかられ、隣組、警防団、防空協会などの組織化が実現しました。

 民間組織の統一化はなされたものの、実戦に使われるべき電波兵器や通信兵器の開発が遅れたために、その後のB29の焼夷弾爆撃に対してはなすすべがなく民間のバケツリレー程度ではまったく歯が立たなかったのでした。

 
 資料=『高射砲戦史』陸上自衛隊下志津(高射学校)修親会編 田中書店 78年 


 

>昭和14年に山口県下に在住した者の日記からは「防空訓練」や「灯火管制」がしばしば行われたことが伺えます。

 これは、1937年(昭和12年)4月に公布され、翌38年4月施行予定だった「防空法」にもとづき、各地方行政官庁に防空に関する所管部課が設置となり、全国規模で防空意識向上が図られた一環として実施された例だといえます。

 同法は、37年4月に支那事変が起きたために施行が同年10月1日に早められましたが、やはり本土空襲に対し、真剣に警戒していた表れでした。わが国の防空体...続きを読む

Q湾岸戦争のとき、「金だけ出して人を出さない日本・・・」と批判した外国のマスコミはどこですか

 1990年の湾岸戦争時、日本は多額の戦費を負担しましたが、「日本は金だけ出して人を出さない・・・」と海外から批判されているといった報道がありました。そういった批判報道を行なった外国の報道機関はどこだったでしょうか、教えていただきたいです。

Aベストアンサー

遠まわしな批判的論評や、皮肉な社説はあったと思いますが、ストレートに書いたのは基本的に国内のマスコミが殆どだったのではないでしょうか。

戦後の復興事業の甘い汁に、日本はほとんどありつけませんでした。
中東へのプレゼンスも、拡大することはできませんでした。
完全に無視されたというのが実態で、その原因を日本のマスコミが追究していくなかで、出てきた話です。
取材活動の中で、各国要人やジャーナリストがオフレコでいろいろ発言したのを、日本のジャーナリズムがソースを隠して書きたてた、というのが実態だったと記憶しています。

血を流さなかったというのは事実ですが、100億ドルというのは大金で、戦勝国側も表立って日本を批判しにくかったと思います。

私の意見を言えば、ネット社会その他で勇ましいことを言っていた「右翼」という人たちが、義勇軍を組織して戦闘に参加して死んでしまえば、日本が血を流したことになるし、国内も静かになったと思いますね。
まあ、右翼と呼ばれる卑怯者たちににそれだけの根性があるとも思えませんが。

Q「湾岸問題」と、対テロ戦争の焦点である「東アジア・東南アジア問題」

趣味で読んでいる「対テロ戦争」とイスラム世界
(板垣雄三編 岩波新書)
の記述に関する質問をします。

■質問箇所の要約
「パレスチナ問題」の難渋により、「湾岸問題」が設定された。
これは、2つの焦点を持つ中東構造の楕円構造化、つまりイラン・イスラエル枢軸の構造化であった。
しかしこれは、イラン・イスラム革命で破壊された。
その対策として、イラク政権、アフガンのイスラム戦士の育成・強化が図られたが、前者が湾岸戦争、後者がイスラム運動ネットワークの脅威のグローバル化をもたらした。
また、湾岸戦争でソ連崩壊し、中央アジアが中東と連結し「中央アジア問題」が起こった。
「対テロ戦争」の焦点は、今後国際紛争の深刻な第四焦点になるに違いない「東アジア・東南アジア問題」への東漸をみてとれる。


■質問
「イラン・イスラエル枢軸」とは、具体的にどのようなアメリカの外交行動によって形作られたのですか?

「東アジア・東南アジア問題」の具体例とは何ですか?アメリカはこの地域に対して、何を憂慮しているのですか?

お願いします。

Aベストアンサー

この問題はかなり複雑な経緯があります。
まずアメリカの戦略は、イランの王制をテコいれし近代的親米の国家としイスラエルと共にイザという場合の米軍基地化する下地を作ることでした。

所がイラン・イスラム革命を引き起こし王制が倒れてアメリカの戦略は破綻してしまいました。
しかもアメリカのもっとも恐れる原爆を持つに至りました。
それを阻止する為イラクのフセインを扇動してイランイラク戦争を仕掛けたのですが、イランの健闘で失敗に終わりました。

この付近に基地を持ちたいアメリカはイラクがクエートに侵攻したのを好機とみて湾岸戦争でイラクの半ばを勢力圏下に納めました。
しかしそれ以上の勢力拡大は国際世論からみて無理と判断したのです。
本格的な戦争の準備が不足していたのです。

この反イスラム戦略が9・11テロを呼び世界的な反テロの空気を招いたので好機到来とイラクへ侵攻したわけです。

これに先立ちロシアのアフガンでの失敗でアフガンの親米化の可能性をみて対テロを口実にアフガン介入を図りましたがこれはまだ成功していません。

中近東、中央アジアに基地候補を作る戦略はソ連の崩壊でその必要性が薄くなりましたから、次の目標が東アジア、東南アジアと成ったのです。
しかも東南アジアには石油資源があります。
しかも最大のイスラム国家であるインドネシアが存在します。
そしていまや国力を付けつつある中国が存在するのです。
アメリカが日本、台湾を重視するのはこの為です。

この問題はかなり複雑な経緯があります。
まずアメリカの戦略は、イランの王制をテコいれし近代的親米の国家としイスラエルと共にイザという場合の米軍基地化する下地を作ることでした。

所がイラン・イスラム革命を引き起こし王制が倒れてアメリカの戦略は破綻してしまいました。
しかもアメリカのもっとも恐れる原爆を持つに至りました。
それを阻止する為イラクのフセインを扇動してイランイラク戦争を仕掛けたのですが、イランの健闘で失敗に終わりました。

この付近に基地を持ちたいアメリカはイラ...続きを読む

Qバブル経済における湾岸戦争の存在

湾岸戦争の始まり、日本ではバブル経済が起こっていました

しかし、原油高騰がおこり、直後、バブル経済が崩壊。
多額の資金援助もおこなったようですが、これらはバブル崩壊にかかわってくるのでしょうか?


原油の高騰は、~だから、バブル崩壊に関わる
資金援助は、~だから、バブル崩壊に関わる

など、理由をつけて回答してくれるとうれしいです
お願いします

Aベストアンサー

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa142136.html
http://www.haitou-check.com/t-h/007.html

上のサイトにある情報を使えば簡単にできます。
ご覧ください。

Q太平洋戦争・戦時中の愛知県の空軍について情報を!

祖母が、毎夏になると、思い出す。複数の米軍機と日本の戦闘機一機による空中戦で、亡くなった戦闘機の兵士ことがの思い起こされて、仏前に、手を合わせたいと永く思っていたそうです。先日、そのことを町の役場で調べたところ、資料が残っており、二人の兵士・名古屋の空軍であることが、わかりました。名前も分かるそうですが、それ以外情報は
分かりません。遺族の方にご連絡を取りたいと願っております。
まだ戦争が終わっていない祖母の為に、お願いします。

Aベストアンサー

国で個人の軍歴を管理しているのは厚生労働省、戦史を管理しているのは防衛庁になります。
ただ遺族ではないので、国から個人情報を得ることは無理でしょう。

名前と所属が明らかなら、こちらのサイトで質問してはいかがでしょうか?
http://www.warbirds.jp/ansqn/
当時の海軍パイロットの方もおられますので、なにかわかるかもしれません。

参考URL:http://www.warbirds.jp/ansqn/

Q湾岸戦争当時にアメリカ旅行経験の方

10月末にツアーでフロリダへの旅行を計画しています。(ワシントンDC乗り継ぎ)
今回は飛行機を使ってのテロ事件で湾岸戦争当時とは少し情勢が違いますが、報復攻撃で中東~西アジア地域に戦争が起きた場合、アメリカ国内はどうなるのか予想がつきません。湾岸戦争当時アメリカ旅行を経験された方、その当時の国内の状況(特に国内線)をどんなことでもよろしいですので教えてください。

Aベストアンサー

私のアメリカ人の友人によると、湾岸戦争時アメリカ市民はいたって普通。いつもと同じ生活をしていたと言っていました。旅行へ行った人もいれば、行かなかった人もいたそうです。

もしも、今回戦争になってもアメリカ国内にいる人(ブン関係者ば別)は普通の生活ができると思いますよ。

Qベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)で米軍が枯葉剤を散布した場所

 枯葉剤は、どこを狙って散布されたのでしょうか?ホーチミンルートでしょうか、クチトンネル(これは200~250kmにも及ぶようですが、どのように伸びているのでしょうか?)でしょうか、それともハノイ周辺でしょうか。

Aベストアンサー

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート、つまり広い国道沿いや整備された道路沿いばかりではなく、山岳回廊地域をジグザグに走る山道やジャングルの間を縫うように走る小道のネットワーク、さらに海路の補給を遮断するためのメコンデルタのマングローブ湿地帯の湿原などだといえます。

 クチトンネルに関して言えば、まるで蟻の巣のようなその実態や詳細な配置図などは、米軍はもちろん、トンネルを構築したベトコンやNVA当事者たちも現在に至るまでその詳細は把握できない複雑なものでした。ということは、とりたててそこをピンポイントで狙ったということは考えにくく、やはり周辺施設や支援および補給ルートを広範に狙った作戦だといってよいかと思います。
 
 ことの是非やその後の国際的な批判や後遺症などの問題はこの際無視をして言わせてもらえれば、この作戦によって700万リットルの枯葉剤を含むエージェントイエロー・エージェントブルー・エージェントホワイトなどの除草剤は、南ベトナムのジャングルの20パーセント、国土のマングローブの森の36パーセントの計600万エーカーに散布されました。そのほとんどは現在でもまともに樹木は育たないほど荒廃し、さらには枯葉剤や他の除草剤による農地の死滅を嫌った農民が多数村や農地を捨てたことにより、結果的にベトコンへの支援体制や補給所が減少したことは数字にしっかりと表れていますので、ある意味効果的な作戦であったともいえます。

 以上、何かのご参考になれれば幸いです。
 

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート...続きを読む


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